第一章 温度(三)機械は書かない
水曜の夜十一時に机に着いた。締めの仕事が終わった週で、いちばん眠い曜日だ。帰りの電車でトリックの手帳を開いたが何も足せなかった。机の縁には、容疑者の姉の付箋が貼ったままになっている。
こういう夜は書く前のランキング巡回が長くなる。エッセイの日間ランキングを開くと、一位に『機械は書かない』という題名があった。作者名の欄に瀬名彰久とある。一昨年の冬に書籍化が潰れた、あの純文学の人だ。投稿は今朝の五時で、ブックマークはもう三桁に伸びている。感想は数件しかない。
紹介文にはこうあった。
『あの作品と裁判について書きます。週一回、金曜の朝に更新します』
第一回を開いた。
『裁判は終わった。控訴はなく、判決は確定した。いまになって書くのは、裁判に影響しなくなったからだ。急ぐ人のために、結論を先に書いておく。『椿の坂』の原稿に、生成AIは使っていない。積字TRACERという自作のソフトウェアを使った。
機械に書かせて作家を名乗るな、という言葉を向けられた。積字TRACERを機械と呼ぶなら、『椿の坂』の原稿の文は、機械が組み立てたことになる。
これから、積字TRACERがどういうものか、裁判で何を問われてどう答えたかを、時系列で少しずつ書いていく。生成AIを使っていない、という言葉は、信じるか信じないかの話にされやすい。私は、確かめられるか確かめられないかの話をする。
第一回はここまで。次回は、なぜ作ったかを書く』
第一回はそこで終わっていた。読むのに一分もかからない。二回読み直した。
謝罪も恨み言も勝ち名乗りも書かれていない。あったことと、これから書くことの予定が書いてある。一昨年にあれだけの言葉を浴びた人の文章には見えなかった。
怒っていないんだろうか、と思った。少なくとも第一回の中に、それらしい言葉はなかった。具体的なのは、積字TRACERというソフトウェアの名前だけだ。裁判の記事にこの名前が出ていたかは、思い出せない。当時、記事をちゃんと読まなかったせいかもしれない。
更新が新着通知に出るように、ブックマークを付けた。
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『椿の坂』のページを久しぶりに開いた。作品はまだサイトに残っていた。感想欄は閉じられたまま、ブックマークは一昨年より増えている。
あらすじには、戦後の坂の多い町で出戻りの姉と結核の弟が古い家を守っていく話だと書いてある。冒頭をもう一度読んでみた。古い映画を観ているような文章だという印象は一昨年と変わらない。それが上手さなのか、それこそが「AIらしさ」なのか、いま読んでも判断がつかなかった。今回も数ページで閉じた。
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ましろさんからのメッセージは、その夜のうちに届いた。
『エッセイ日間の一位に「機械は書かない」という連載が上がっていました。一昨年にAI疑惑で書籍化が流れた人の、裁判までの記録だそうです。今さら何を書くつもりなんだろうと思って第一回だけ読みましたが、宣言だけで終わっていました。
こちらは例の、ヒロインに本音を言わせる回をまだ書いています。今週中には出すつもりです。
悠希さんの新作の構想も、進んでますように』
短い返事を書いた。
『私もさっき読みました。あの裁判はよく知らないので、積字TRACERという道具が何なのか少し気になっています。
構想は容疑者の姉のところで止まったままです。動いたら報告します』
返信を送って、寝る支度をした。
布団の中では容疑者の姉のことを考えて、(う)の書き方は今夜も思いつかないまま眠くなった。




