第九章 言わなければ(三)完璧すぎる文章
早坂の言った、あらためてのご連絡は、その週のうちには来なかった。原稿は預かられたまま、中止にもならず、締切の扱いも決まらないままだった。問い合わせのメールは書きかけてやめた。訊きたいことを、文章にできなかった。
次の週も同じだった。
***
週末の夜、『椿の坂』を開いた。一昨年の冬も、手記が始まった夜も、冒頭の数ページで閉じた小説だ。書き方のことばかり手記で読み続けてきて、本文を通して読んだことがなかった。今度は最後まで読んだ。
『坂の上からは、町じゅうの屋根が同じ色に古びて見えた。姉は買い物の帰りにそこでひと息ついて、屋根と屋根のあいだに自分の家の椿を探した。弟の部屋の硝子戸は、椿のすぐ裏にあたる。姉が坂を下りきるころには、硝子戸の内側で弟が身を起こして待っているのだった』
古い映画のようだという印象は変わらなかった。ただ、今度は、積字TRACERが組み立てたと分かる箇所を探しながら読んでいた。
最後まで読んだが、不自然な言い回しは一つも見つからなかった。
瀬名彰久は、『椿の坂』の本文に私が直接入れた言葉は一つもない、と手記に書いていた。積字TRACERの原稿の文は、必ず、事前に読み込ませた文章にある言い回しで組み立て直されている。つまり、瀬名彰久が思いついた言い方でも、読み込ませた文章になければ原稿には入らない。
似たことは、私の書き直しにも起きていた。文冴クラウドの出力と同じにならないように、使いたかった言い方をあきらめて、別の言い方で書く。そうして書いた文は回りくどくなって、読み返せば不自然だと分かる。
だけど『椿の坂』には、その不自然さがない。瀬名彰久は、読み込ませる文章を自分で選んでいた。自分で選んだ古い小説と、辞典と、表現集。順位の決め方も自分で作った。自分の書きたいものに合わせて材料と規則を選んであるから、不自然にならない。文冴クラウドの痕跡を消そうとして、半ば強引に言い回しを変えただけの私の書き直しとは、そこが違う。
それでも、この小説は、出どころを説明できる言葉だけでできている。だけど、この完璧な文章は、彼の書きたかった文章とは、別のものなのかもしれない。
締切までは、半月ほどになった。今後の進め方の連絡は来ないまま、私は第九話に足す場面に掛かった。




