第七章 象(二)読んでしまった
夜ごとに書き直しを進めた。自分で書いた文が文冴クラウドを使った改稿済み原稿と同じ形になったら、言い方を変える。近い形でも変える。直すというより、避けて書く作業だった。
数日続けると、別の問題も出てきた。依頼人が湯呑みを流しに運ぶ、と書いた文が、改稿済み原稿とほとんど同じ形になった。これは文冴クラウドの言葉が頭に残っていたから同じになったのかもしれない。でも、湯呑みは流しに運ぶものだし、誰が書いてもこうなるだろうとも思う。私がこれまで書いてきた短編の中にも、似たような表現はあるはずだ。
この文が文冴クラウドから来たとは限らない。でも、来ていないとも言い切れない。言い切れないなら、避けるしかない。湯呑みの文を、無理やり別の言い方に変える。読み返すと下手だった。普通に書けなくなっている。
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日間ランキングには、文冴クラウドを使っていた人たちのエッセイがまだ入っていた。利用レポを書いていた商業作家は、活動報告で書き直しを宣言していた。どの話に文冴クラウドの文章が入っているのか分からないから、使っていた期間の話をまとめて書き直す、とあった。連載は止まったままで、活動報告の感想欄には応援が並んでいた。
エッセイの一つに、ピンクの象の話が引いてあった。ピンクの象のことを考えないでください、と言う。言われた人は、考えないようにしようとするほど、ピンクの象のことを意識してしまう。心理学で知られた話だそうだ。読んでしまったものを思い出さないようにするのは、それと同じだと書いてあった。
私が文冴クラウドの画面で読んだのは、原稿に使った文章だけではない。使わなかった場面も、選ばなかった言い回しも読んでいる。使わなかったものは残していないから、何を読んだかがわからない。だけど、私の頭を読む前の状態に戻すことはできない。書き直すための言葉は、生成AIによるアイデアを読んでしまった頭から出てくる。
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金曜の朝、手記の新しい回が出ていた。いつもは電車で読むのを、家を出る前に開いた。
『第十四回。判決までのことを書く前に、積字TRACERの中身の仕組みのことを書いておきたい。裁判でも説明したのだが、鑑定人のほかにはあまり理解されなかったようなので、あらためて概要だけ書く。
積字TRACERは、言い回しの頻度を数える。そのためには文章を言葉に切っておく必要がある。日本語の文章は、どこからどこまでが一つの言葉なのか、見た目では区切れない。これをやる技術を、形態素解析という。私の発明ではない。何十年も前からある技術で、辞書と規則で文章を言葉に切る。かな漢字変換の中でも同じ処理が使われている。積字TRACERを作り始めた晩、最初にやったのは、短編小説を入力して、正しく切れているかを確かめることだった。
この上に、仕組みを一つずつ作っていった。似た言い回しの検索。頻度の集計。表記ゆれの統一。言葉の呼応の確認。文の長さの分布。類語の引き当て。重複の検出。どれも判定と検索と集計の仕組みで、文章を生成する仕組みではない。
判決の話に入ると、積字TRACERのことは、生成AIかどうかという問いの形でしか書けなくなる。その前に、中身が何でできているかを書いておきたかった。
次回は、判決のことを書く』
手記は最後まで仕組みの話だった。文冴クラウドのことは出てこなかった。
閉じて、家を出た。




