第七章 象(一)再現
第六話で始めた印付けは、先へ進まなかった。自分の言葉だと言い切れる行のほかは、どこが文冴クラウドの出力なのか分からなかったからだ。週明けに、直し方を変えることにした。
改稿前のファイルは残っている。改稿前と改稿済みを並べて見比べれば、今度の改稿で変わった箇所が分かる。変わった箇所の中に、文冴クラウドの出力から打ち込んだ言葉が混ざっている。どれがそうかは分からなくても、変わった箇所を全部自分の手で書き直せば、文冴クラウドの言葉は残らない。
その夜、第四話から始めた。数行書いて、改稿済みの同じ場面と見比べる。思ったより時間が掛かった。第九話は、足す場面を丸ごと書くところからになる。文冴クラウドなしでは、ひと場面に何日も要る。
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日間ランキングでは、文冴クラウドの話がまだ続いていた。その中に、OpenTRACERというソフトを試したエッセイがあった。積字TRACERを忠実になぞった、生成AIを使わない仕組みだという。判決文や鑑定書は裁判の記録として公開されている。それを元に有志が作ったものが、無料で公開されている。瀬名彰久は関わっていない。
翌日の夜、ダウンロードしたOpenTRACERを自分のパソコンに入れた。使い方は単純だった。文を入れると、あらかじめ読み込ませてある文章の中から似た言い回しを探して組み合わせ、候補の一覧で出してくる。続けて後の段を動かすと、いちばん上の候補が原稿の文になる。最初から、晴空文庫にある著作権の切れた古い小説が大量に読み込ませてあった。自分の作品を足すこともできる。
書けない場面の助けになるかを試した。第四話の書きかけの数行を入れると、古い小説の言い回しばかりが並んだ。訪れた依頼人のマンションの玄関が、三和土や上がり框のある日本家屋に変わってしまった。改稿前の『鍵のない棺』を足すと、候補に自分の言い回しが混ざるようになった。どれも見たことのある言葉だった。自分が書いたのだから当たり前だ。
文冴クラウドは、方針を入れれば場面を作って返してきた。OpenTRACERは場面を作らない。読み込ませてある文章から近い言い回しを探して、入れた文を組み立て直すだけ。決まった手順で、言葉が機械的に出てくる。本当にこんなものだったのか、と思った。
同じことを思った人がいないか、検索してみた。使った人のレビューが見つかった。OpenTRACERは、公開されている情報に基づいて、できるだけ忠実に機能を再現しているそうだ。ただ、それが瀬名彰久の積字TRACERと一致しているかは分からない、とあった。
『椿の坂』の冒頭を古い映画のようだと感じたのは、古い小説が読み込ませてあったからでもあるのだろう。OpenTRACERで『鍵のない棺』の場面を書けるようにするなら、自分の書くものに近い現代の小説を大量に集めて、読み込ませるしかない。量を集めるだけでも手間だし、いまの小説には著作権がある。書いた人に断らずに材料にすることはできない。瀬名彰久が古い小説を使ったのも、そのためだと手記に書いていた。著作権の切れた小説の中から、自分の書くものに近いものを集めたのだろう。
OpenTRACERは閉じた。書き直しは、自分の手でやるしかなかった。




