【3分】欲しいのは物語【コメディ】
海外旅行なんて久しぶりだった。
私は空港のベンチで飲み終えたペットボトルをゴミ箱へ捨てた。
ふと見ると、誰かが捨て損なったペットボトルが落ちていたので、ついでにそれもゴミ箱に捨てた。
それだけだった。
本当に、それだけだった。
───翌朝までは。
ホテルで朝食を食べながらスマホを開くと、見覚えのある後ろ姿が画面に映っていた。
私だった。
空港でペットボトルを捨てている瞬間の写真だった。
見出しがついている。
『海外が感動! 日本人観光客の民度が話題に』
「……え?」
記事によると近くにいた旅行者が偶然撮影し、SNSに投稿したらしい。
コメント欄は大盛り上がりだった。
『さすが日本人!』
『教育の違いだな』
『誇らしい』
『世界に見習ってほしい』
私はコーヒーを吹きそうになった。
いや、誰かが捨て損ねたペットボトルをゴミ箱に捨てただけなんだけど……。
帰国すると事態はさらに悪化していた。
テレビから自分の後ろ姿が流れている。
『この行動の背景には、日本特有の美意識があると専門家は分析しています』
『江戸時代から続く公共精神の表れでしょう』
『学校教育の成果ですね』
専門家たちは好き勝手なことを言っていた。
私は誰にも取材を受けていない。
なのに私の内面について、みんな私より詳しいらしい。
なんだこれ……。
一週間後。
反対派が現れた。
『日本礼賛うざい』
『国内の花火大会はゴミだらけなのに』
『どうせ褒められたいだけ』
『海外だから良い顔してるだけだろ』
今度は叩かれ始めた。
まったくもって、意味が分からない。
私は写真を見返した。
確かに写っている。
ペットボトルを持って、ゴミ箱に捨てている。
それだけ。
本当にそれだけだ。
どう頑張っても、褒められたい顔には見えない。
なぜなら───後ろ姿だからだ。
ある日、テレビ局から連絡が来た。
『ぜひ番組に出演していただけませんか』
断ろうかと思ったが、説明すれば終わる話だと思った。
だから出演を決めた。
……それが間違いだった。
「その時、どのような思いでゴミを捨てられたのでしょう?」
司会者が真剣な顔で聞いた。
「いや、ゴミ箱があったので」
「なるほど」
「なるほどではなく」
「公共心ですね」
「違います」
「愛国心でしょうか」
「違います」
「世界に日本の良さを伝えたいという───」
「違います」
司会者は頷いた。
「謙虚な方ですね」
私は頭を抱えた。
次の日。
ネット記事の見出し。
『謙虚に語った日本人観光客』
語ってない。
私は何も語ってないぞ……。
さらに次の日。
ネット記事の見出し。
『日本礼賛を否定しなかった観光客に批判集中』
否定した。
番組中ずっと否定していた。
数週間後。
大学で講演することになった。
なぜか?
私にも分からない。
「皆さんも、日本人として誇りを持ってください」
司会者が紹介する。
私はマイクを握った。
「誇りとかじゃなくてですね」
会場は静まり返る。
「私はただ、ゴミ箱に捨てただけなんです」
学生たちは困惑した顔をした。
期待していた話と違ったのだろう。
「でも、それが大切なんです!」
司会者が割り込んだ。
「え?」
「特別なことではなく、当たり前のことを当たり前にやる!」
拍手が起きた。
私は何も言っていない。
それから数年後。
私は再び海外旅行へ行った。
空港でペットボトルのジュースを飲み終える。
近くにゴミ箱が見える。
私は固まった。
嫌な予感しかしない。
周囲を見回し、誰か撮影していないか確認する。
よし、いない。
慎重に歩く。
ゴミ箱の前まで来る。
そして───通り過ぎた。
「使わないの?」
隣の外国人が不思議そうに聞いた。
「面倒なことになるので」
「??」
翌日。
スマホに通知が届いた。
見出し。
『日本人観光客、環境問題への静かな抗議か』
私はスマホを閉じた。
そしてペットボトルを握りしめたまま、しばらく天井を見つめていた。
ゴミ箱に捨てれば物語になる。
捨てなくても物語になる。
人々は最初から自分たちに都合のいい物語しか見ていない。
私には、そのことだけがよく分かった。




