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【15分】PASSING【サスペンス】




『第一幕 地獄からの救済(35年前)』




 深夜のアパートの外壁に設置された、鉄製の非常階段。

 薄暗い照明の下、女性、エマが泣きながら階段を駆け降りていた。


「お願い、来ないで……!」


 ジェフが無言でその後を追う。

エマは焦りで足元を狂わせ、踊り場の角を曲がる際、錆びた鉄製の手すりの突起に服を強く引っかけてしまう。


 ビリッと乾いた音が響き、彼女の部屋着の脇腹部分が大きく裂けた。

 服が裂けた拍子に、エマは踊り場で転んでしまった。


「お願い助けて! なんでもするから!」


 倒れたエマが、不気味に銃を構えるジェフに言う。


 ジェフは銃で、エマの肌が露出した脇腹を指した。

 露出した皮膚には、アザ模様が広がっている。


「……ひどいことされてたんだな。DV夫に殴られるだけの人生か」


 エマは恐怖に震えながら、必死に首を振る。


「違うの……これは……」


 言いかけた言葉は、涙と過呼吸で途切れた。


「殴られても逃げられない人生か。そんな地獄、もう終わらせてやるよ」


 ジェフが銃を構える。


「辛い人生を送るくらいなら───」

「お願い! 殺さないで!」


 命乞いをするエマに向かって、ジェフは何発も銃弾を撃ち込んだ。




『第二幕 地下室の老刑事(現代)』




 それから35年後。

 FBI特別捜査官のナタリーは若手助手のスコットを連れて、ある一軒家を訪れていた。


 追っているのは30年前に謎の失踪を遂げた男、スティーブの行方。

 そして向かった先は元刑事、ハリスの自宅である。

 ハリスはスティーブが失踪直前、彼の家を訪問したという記録があるのだ。


「ホントにこんな田舎まで来るとはねえ」


 車から降りたスコットが呆れた素振りを見せる。


「嫌なら来なくていいって言ったでしょ」


 ナタリーがハリスの家に向かう。

 そのナタリーの背中に向かって───


「行かないとは言ってないだろ。汚職警官の摘発は出世の近道なんだから。30年前の行方不明者が発見されるという話題性も美味しい。全米ニュースでマスコミにインタビューされるの、一度やってみたかったんだよな」

「あなたなんの為にFBIやってるの?」

「カッコいいから。あと出世したい」


 今度はナタリーが軽く首を振って、呆れた素振りを見せる。


「……そう、じゃあ、行方不明者が見つかることを祈るのね」




 ナタリーは玄関の前に立ち、ドアベルを押した。

 反応がないため、今度は軽くノックする。


「FBIです。聞きたいことがあって来ました。ハリスさん、開けてください」


 もう一度ノックする。


「ハリスさん、いるんですか?」

「何度も叩くな。聞こえとるよ」


 ドアが開く。


「ハリスさん。FBIです。あなたに聞きたいことがあって来ました」

「ほう……まあ入ってくれ。中で話そう」


 ハリスが二人を家の中に招き入れる。

 ナタリーとスコットは一瞬、顔を見合わせ、家の中に入っていった。




 ナタリーたちとハリスは、リビングで向かい合って座った。


「で、何を聞きたいって?」

「スティーブ・ミラー事件です。30年前、行方不明になった。御存知ですか?」


 ハリスはほんの一瞬だけ、目を細めた。


「……ああ、知っとるよ」

「知ってる? それはどういう──」


 スコットが問いただそうとすると、ハリスはそれを遮って言った。


「その男なら───」


 次の言葉を待つナタリーとスコット。


「───ウチの地下室におるよ」

「……え?」

「はっ?」


 あまりに意外な言葉に、ナタリーとスコットは間抜けな声をあげた。


「案内してやる。ついて来い」


 ナタリーとスコットは困惑しながらも、本能的に腰の銃に手をかけ、ハリスの背中を追った。

 壁の隠し扉を開けると、地下へと続く薄暗い階段が現れる。


 カビ臭い空気の底に広がっていたのは、防音壁に囲まれた異様な地下室だった。


 部屋の中央にベッド。

 周りには無数のチューブや点滴、最新の医療機器に繋がれ、やせ細った老人が横たわっている。


 あまりの光景に、スコットが素早く銃をハリスに向ける。


「ハリス……! お前、何考えてるんだ。監禁罪で現行犯逮捕する!」


 ハリスは銃口を向けられても、表情一つ変えなかった。


「逮捕でも何でもしろ。だが、その医療機器には絶対に触るな。こいつを死なせたら、世界が終わる」


 ナタリーはハリスをスコットに任せ、ゆっくりとベッドの老人に近づいた。


「スコット、落ち着いて。状況確認が先よ」


 老人の濁った瞳が、かすかに動いてナタリーを捉える。

 30年の歳月は指名手配写真の面影を奪っていたが、その目が確かにナタリーの警察バッジを映した。


「……スティーブ。スティーブ・ミラーね?」


 ナタリーが低く問いかける。


「30年前、行方不明になった?」


 老人は力なく、だがはっきりと口元を歪めて、かすれた声で笑った。


「その通りだ。だが、遅かったな。このイカレた警官のせいで……俺は30年も、ご褒美を焦らされている……」


 スティーブが妙な言葉を呟く。

 意味は分からなかったが、ナタリーは背筋に冷たいものを感じた。


「……身元は間違いなさそうね、スコット」


 平静を取り戻し、ナタリーは冷徹に告げた。


「すぐに病院の隔離病棟へ搬送の手配を。厳重に警備させて。ハリスは本部に連行するわ」

「了解。……おい、あいつ今なんて言ったんだ? ご褒美って……」


 スコットがやや困惑した表情を浮かべる。


「今は治療が先よ」


 ナタリーはそう切り捨てたが、胸のざわつきは抑えられなかった。


 ハリスの家にたくさんのパトカーが集まり、逮捕されたハリスがパトカーで連行される。

 スティーブは救急車で搬送された。




 ハリスへの尋問は地元警察の取調室を借りることになった。

 地元警察署の取調室は蛍光灯が不規則に明滅し、金属製の机が冷たく光っていた。


 ハリスは手錠をかけられたまま、椅子に深く腰掛けている。

 その表情は、取り調べを受ける容疑者というより、むしろ“これから誰かを診断する医者”のように落ち着いていた。


 机を挟んでナタリーがハリスの真向いに座り、スコットは壁際に立ち、腕を組んでハリスを睨みつけていた。


「まず確認するわ。あなたはスティーブ・ミラーを30年間、地下室に監禁していた。間違いない?」

「監禁?」


 ハリスは鼻で笑った。


「助けてやってたんだよ。あいつを外に出したら……世界がどうなるか分かっとらん」

「世界?」


 ナタリーが顔をしかめる。

 壁際に居たスコットがハリスに近付いて怒鳴る。


「何言ってんだ! お前がやったのは誘拐と監禁だ! 30年だぞ!? 自分の罪の重さをわかってるのかこのクソヤロウ!」

「スコット、やめて」


 ナタリーは軽く手を上げて制した。


 ハリスはナタリーの方だけを見て、静かに言った。


「そんなに聞きたいなら聞かせてやる。俺がなぜアイツを監禁したのかをな……」




『第三幕 シリアルキラーたち(45年前)』



 およそ45年前。

 ハリスはまだ若く、正義を誇りに職務をまっとうする模範警官だった。

 州から表彰されたこともあるほどの優秀な刑事で、同僚からの信頼も厚かった。


 そんな彼が最初に担当した大事件が、マイクによる連続殺人だった。


 マイクは逮捕されたとき血のついた手を見下ろしながら、まるで独り言のように呟いた。


「俺は殺人鬼じゃない。俺が殺した奴は皆ひどい人生を送っていたのだから、殺してやったほうが救いになる。だって……辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?」

「はっ? なに言ってんだ」


 ハリスがマイクを睨むと同僚が制した。


「落ち着け。精神異常者を装っての減刑狙いだ。相手にするな」


 マイクの精神鑑定は異常なし、責任能力ありだった。

 そしてマイクは裁判で死刑判決を受け、数年後に刑が執行された。


 ───その直後。


 別の男、ボブが同じ州で連続殺人を犯し、逮捕された。

 ハリスは偶然にも、またその捜査に関わることになった。


 取り調べ室で、ボブは笑いながら言った。


「俺がやったのは殺人ではなく救済だ。辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?」


 ハリスは思わず息を呑んだ。


 マイクとまったく同じ言葉。

 同じ抑揚。

 同じタイミング。


 偶然にしては出来すぎていた。


(コイツも精神異常を装っての減刑狙い……なのか?)


 ボブもまた”正常な人間として”死刑になった。


 ───そして、また現れた。


 今度はジェフという男が、別の州で同じような連続殺人を犯した。

 ハリスはツテを辿り、ジェフの供述調書を見せてもらった。


 そこには、はっきりと書かれていた。


 『辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?』───と。


 ハリスの背筋に、冷たいものが走る。


 マイクが死ぬとボブが現れ、ボブが死ぬとジェフが現れた。

 口をそろえて殺人=救いだと言う。


 『辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?』と。


 まるで“思想”そのものが、次の人間に乗り移っているかのよう。


 ───思想の転生。


 三度目ともなると、偶然とは思えない。

 ハリスは確信した。


 これはただの連続殺人事件ではない。

 犯人を捕まえても、死刑にしても、次の誰かが同じ思想を受け継ぎ、また”救うために”殺人を始める。


 この連鎖を断ち切るには、思想そのものを止めなければならないと。


 そんなある日、ハリスはネット上で奇妙な書き込みを見つけた。


「辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?」


 ハリスは震える指で画面をスクロールした。

 その投稿者にはマイク、ボブ、ジェフと同じ“救済思想”が滲んでいた。


(次はこいつだ!)


 ハリスは迷わなかった。

 いや、迷う余裕などなかった。


 匿名掲示板だったが、強引な手法で、なんとか投稿者の名前を突き止める。

 書き込んだ者の名前はスティーブ・ミラー。


 スティーブが殺人を始める可能性は高い。

 いや、もしかしたらもう始めてるのかもしれない。


 だがそうだとしても、逮捕するわけにはいかない。

 逮捕して死刑になれば、また別の誰かに”思想”が転生する可能性があるのだ。

 連鎖は永遠に続く。


 だから、スティーブを死なせてはならない。

 生かし続けなければならない。


 ハリスはスティーブの住む州まで出向き、スティーブを誘拐し、自宅の地下室に監禁した。


 ───世界を守るために。


 そう信じて疑わなかった。




『第四幕 システムの再起動(現代)』




 ハリスの話が終わった。

 取調室を支配したのは、蛍光灯のブーンという不快なノイズと、重苦しい沈黙だった。


 壁際にいたスコットが、乾いた笑い声をあげる。


「ハハッ……おいおい、大真面目にそんなオカルトを信じて、一人の人間を30年も地下に縛り付けたって言うのか? 完全にイカれてる。ナタリー、こいつの脳検査も公判前に入れた方がいい」


 ナタリーもまた、冷徹な目をハリスから逸らさなかった。


「ハリス。あなたの執念と、そこに至る恐怖は理解したわ。だけど、あなたがやったことはただの独善的な犯罪よ。思想の転生なんてシステムは、この世界には存在しない」


 ハリスは何も言い返さず、ただ哀れむような目でナタリーを見つめ返した。


「FBIのお嬢さん、一つだけ忠告してやる。あの男を絶対に殺すなよ? 常に動けないようにして厳重に監視するんだな」

「………」


 ハリスはそのまま正式に起訴された。

 スティーブはFBIの厳重な監視のもと、州立病院の隔離病棟で治療を受けることになった。


 すべては『老警官の異常な妄想が引き起こした監禁事件』として処理されるはずだった。


 ───だが、一週間後。


 ナタリーの携帯電話が激しく鳴った。スコットからだった。


「ナタリー! 病院のスティーブが……死んだ!」


 寝たきりだったはずのスティーブは、警備のわずかな隙を突き、自ら医療機器の点滴チューブを首に巻きつけて窒息死を遂げたという。


 ナタリーは拘置所のハリスの元へ向かった。

 なんとなく、スティーブの死を伝えなければならない気がしたのだ。


 ガラス越しにスティーブの死を告げると、元刑事の老人は力なく首を振った。


「バカどもめ……だから言ったんだ。常に動けないようにして厳重に監視しろと。アイツは死ぬ直前、きっと笑ったんだろうな。ご褒美をもらったつもりでな」

「………」

「……システムが再起動するぞ。俺の30年間が一瞬で無駄になった」


 ハリスは遠い目をした。

 そしてその予言は、最悪の形で的中する。


 スティーブの死からわずか数日後、別の州で凄惨な連続殺人事件が発生。

 現場に急行し、容疑者を現行犯逮捕したのは、ナタリーとスコットだった。


 4人目の殺人者、シャード。


 地元警察の取調室。

 マジックミラーの向こう側で、スコットはガタガタと小刻みに震えていた。


 尋問室の椅子に座ったシャードが、うっとりとした表情で、かつてのマイク、ボブ、ジェフの調書に書かれていたものと全く同じ言葉を、全く同じ抑揚で口にしたからだ。


「辛い人生を送るくらいなら、転生した方がマシだろ?」


 スコットが自分の額を手でおさえる。


「なんてこった! ナタリー……あいつ、ハリスのことも、スティーブのことも絶対に知らない。マイクやボブの供述調書だって詳細は知りようがないんだ。なのに、なんで……なんで同じ供述をするんだよ!?」

「………」

「ハリスの言ってたことは本物だ。このシステムを止めるには、ハリスみたいに、こいつをどこかの地下室に閉じ込めるしか……!」


 スコットの瞳には、かつてのハリスが囚われたものと全く同じ『感染した恐怖』が宿り始めていた。


「落ち着きなさい、スコット」


 ナタリーはスコットの肩に手を置いた。


「思想の転生なんてありはしないわ。あなたまで妄想にとりつかれてどうするのよ?」

「だってナタリー……」

「ここで見ていなさい。力で閉じ込めようとしたハリスは、結局失敗した。私は、私のやり方でやる」


 ナタリーは単身、シャードが待つ尋問室の重いドアを開けた。

 手には、ハリスの残した45年前からの事件資料と、数冊の分厚いファイルを抱えていた。




『第五幕 不幸の永久機関』




 ナタリーは単身、シャードの待つ尋問室へ入った。


 シャードは椅子にふんぞり返り、まるで自分が“選ばれた者”であるかのように笑っていた。


「早くマイクやボブやジェフみたいに、俺を死刑にしろよ。俺は次のマシな人生に行く。被害者たちも感謝してるさ。救われたんだよ」


 ナタリーは何も言わず、最初のファイルを机に置いた。

 それは───マイクやボブやジェフが殺した被害者遺族の記録だった。


「シャード。シリアルキラーたちがあなたの言う“救済”をしてから長い月日が流れた」


 ナタリーがページを開き、写真を指で押さえる。


「見なさい。父親や母親を殺された、当時幼かった子供たちの“その後”よ」


 シャードの笑みが、わずかに固まる。


「この子は、親を失ったショックから路上生活者になって死んだ。この子は精神を病んで首を吊った」


 ナタリーは淡々と続けた。


「あなたたちが“救済”と呼んだ瞬間、その周囲にはね───あなたたちが余計な人殺しをしさえしなければ、本来は味わわずに済んだ地獄を生きる人間が、何人も新しく生み出されているのよ」


 シャードの喉が、ごくりと鳴る。


「あなたたちは救済者なんかじゃない。ただの不幸の製造者よ。自分で火を放って自分で消すフリをしているだけの──」


 ナタリーは言葉を区切り、シャードの目を射抜いた。


「ただの壊れたマッチポンプよ。不幸を再生産するだけの壊れた永久機関」


 シャードの呼吸が乱れ始める。


「違う! 転生後は幸せになれる!」

「その証拠は?」

「………」

「誰も確認したことがない」

「………」

「あなたは自分の願望を事実だと思い込んでいるだけ」

「……違う……俺は……救って……」

「───救っていない」


 ナタリーは、ぴしゃりと否定した。


「もし“転生システム”なんてものが本当にあるなら───この世から消し去るべき最大のバグは、あなた自身よ」


 シャードの顔色が変わる。


「……やめろ……」

「あなたの理屈では、“辛い人生を送るくらいなら転生した方がマシ”なんでしょう?」


 ナタリーは、あえて“信じたフリ”をした。

 シャードの論理を逆手に取るために。


「なら一番辛い人生を送っているのは誰? あなたよ、シャード」


 シャードの瞳が揺れる。


「あなたは孤独で、誰にも理解されず、自分の価値を証明するために人を殺した。その結果、人生はもっと辛くなった。あなたの理屈なら───真っ先に転生すべきは、あなた自身よ」

「やめろ……やめろ……!」

「あなたの“絶対の正義”は、あなた自身を殺す方向にしか働かない」


 シャードは頭を抱え、椅子の上で震え始めた。


「違う……違う……俺は……俺は……!」


「違わない。あなたの思想は、あなた自身を破壊するための装置なのよ」


 シャードの中で“絶対の正義”だったはずの論理が完全な自己矛盾へと反転した。


 アイデンティティが崩壊し、シャードは絶叫した。


「やめろおおおおおお!!」


 そのまま、彼はすべての罪を自供した。


 マジックミラーの向こうでスコットは、呆然と立ち尽くしていた。


(ナタリー……転生なんて信じてないのに、あいつの思想を“内部から破壊”しやがった……)


 ナタリーは静かに立ち上がり、尋問室を後にした。


 その目には狂気にも思想にも、“転生”という怪物にも屈しない、揺るぎない理性が宿っていた。


「スコット、まだ転生を信じてる?」

「………」

「……信じていたとしても、心配いらないわ。だってこれでシステムはバグを起こして止まったはずだもの。もう感染の心配はないわよ、スコット」


 スコットが小さく言った。


「……ありがとう。ナタリー」




『エピローグ』




 シャードの死刑が執行されてから一年が経った。

 だが、新たなシリアルキラーは現れなかった。


 ハリスが恐れていた再起動は起きなかったのだ。


 ナタリーは拘置所を訪れた。

 鉄格子の向こうで、老人は静かに横たわっている。


「ハリス。あなたの言っていた“連鎖”は起きなかったわ。あなたの妄想は、ここで終わりよ」


 ハリスはゆっくりと目を開け、ナタリーを見た。

 その瞳には、敗北も、安堵も、悔しさもなかった。


 ただ、微かに笑った。


「おめでとう」

「ありがとう」

「……これが続くといいな。30年」

「続くわ。転生なんてバカなこと、起こるはずがないもの」

「………」


 ハリスは何も言わなかった。


 ナタリーは拘置所を後にした。

 これで全て終わりである。


 数日後、オフィスで資料を読み返していたナタリーは、ふと妙なことに気づいた。

 ジェフに殺された犠牲者である、エマの検死報告書。


 エマの死亡日と自分の誕生日が全く同じだったのだ。


 しかも右脇腹の暗いアザ。

 DVのアザとされていたそれは、どこか、自分の脇腹のアザに似ている気がした。


 トイレでナタリーはシャツをめくり、鏡に映した。

 そこには生まれつきの、暗い色の大きなアザ。


 写真と同じとは言えない。

 ただ、似ていると言われれば、似ている。


 胸の奥に、説明のつかない冷たいざわめきが広がる。

 自分は両親に愛され、何不自由ない人生を歩んできた。


 愛する夫や子供もいる。

 幸福といってもいい人生。


「……偶然よ」


 ナタリーはそう呟いた。

 スコットから電話がくる。


「ナタリー、またシリアルキラーが出やがった! すぐに来てくれ!」

「……ええ、今行くわ」


 ナタリーは資料を閉じ、部屋を出た。

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