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【13分】清算 ~風変りなざまぁ系の話~【切ない】



 魔法薬研究院の新しい院長に、ライナスが決まった。

 大きなホールで豪華な就任式が開かれたが、ライナスの気分は晴れない。

 本来なら、その特等席に座っているはずの男がいないからだ。


 その男の名前は、ノエル・ヴァン・ダイン。

 かつては天才と呼ばれたライナスのライバルだ。


 式を終えて部屋に戻ったライナスは、一冊のファイルを机にバサッと投げ出した。

 そこには、ノエルが犯した”罪”が並んでいる。

 院のお金を勝手に使い、怪しい薬を作り、自分自身の人生をドブに捨てた記録だ。


(ノエル、お前は何を計算し間違えたんだ。あんな、ただのインプのために……)


 ライナスは窓の外を見た。

 遠くにインプ専用の廃棄処理場───ゴミ捨て場が見える。


 そこでは使い終わって石になったインプたちが、まるで壊れた家具みたいに山積みにされ、魔導プレス機でバリバリと潰されていた。

 その破片は溶解炉で溶かされ、廃棄されたインプは跡形も残らない。




 この世界で、インプは『命』じゃない。

 魔法で生み出された使い魔というよりは、使い捨ての道具のほうが近い。


 魔法地雷の撤去作業、下水道の清掃、高所作業など危険の大きい仕事。

 そういった、多くの人間が避けたがる仕事をやらせるのがインプの役割である。

 仕事は一つしか出来ないし、仕事が終わると石になる不便さがあった。


 その代わり、値段は一杯のコーヒーより安い。

 大量生産、大量消費型の使い捨てアイテムなのである。


 見た目は醜いし、少し臭い。

 言葉も喋るが、それはただの物真似だ。


 嘘をつき、狡猾で貪欲。

 悪態もつくので、とても友達にはなれない。


 友達になれないどころか、ペットにすらなれない。

 ペットの犬猫にすら劣るのがインプなのである。


 ただこれは、意図的にそうデザインされているという部分もあった。

 見た目が妖精のように可愛いと、使い捨てしにくい。

 

 石になったら捨てて、必要になったら新しいのを使う。

 使い捨てが当たり前の存在。


 その当たり前を覆そうとした変人が一人だけいる。

 それがノエルだった。


 ライナスは昔に思いを馳せた。




 三十年前。

 ノエルとライナスは、魔法薬研究院で一緒に働く仲間だった。


 当時のノエルは、誰よりも冷酷で、誰よりも効率にうるさい男だった。


 彼はよく、研究室の隅に転がっているインプの小瓶を眺めて、こう吐き捨てていた。


「インプは非効率だ。一回の仕事で石になるなんてリソースの無駄遣いにもほどがある。せめて石になる前に、人間の十倍の速度で仕事をさせるべきだ」

 

 その言葉通り、ノエルはインプを強化する研究を始めた。

 それは慈しみなどではない。

 飲み終わった茶葉やコーヒーカスを消臭剤や肥料として最後まで使い倒すような、執念深い節約術に近いものだった。




 ある日、ノエルは一匹のインプを取り出し、自作の黄色い液体を無理やり飲ませた。

 独自調合した栄養ドリンク『108号』だ。


 それを飲んだインプは、普通の個体とは明らかに違った。

 全身の血管が浮き上がり、目は血走り、異常なほどの興奮状態で叫び始めた。


『あ、あああ……! ボス、なんだこれ! 頭が熱い! 世界がゆっくり見えるぞ!』


「いいぞ。そのまま計算しろ。この薬草の抽出率を最大にする配合比だ。今すぐ答えろ」


 ノエルは、苦しむインプを憐れむどころか、冷徹にストップウォッチを回した。


 インプはのた打ち回りながら、驚くべき速さで答えを導き出した。

 通常なら三日はかかる複雑な計算を、わずか数分で終わらせたのだ。


 ノエルは満足げに手帳に記録した。


「効率は百倍。だが、脳への負荷が大きすぎるな。このままでは石になるのが想定より早い。『108号』には石化を遅らせる成分も混ぜてるが、費用対効果がどうなるか……」


 それから、ノエルと魔改造されたインプの奇妙な共同生活が始まった。


 『108号』には、仕事を終えてもすぐには石化しない成分も混ぜられている。

 そのおかげで、インプは何度も仕事をこなすことができた。


 ノエルは毎日、インプに劇薬のようなドリンクを飲ませ、極限まで働かせた。

 インプもまた頭が良くなりすぎたせいか、次第に生意気な口を利くようになった。


『なあボス。あんたの顔、鏡で見たことあるか? 睡眠不足で俺よりひどいツラしてるぜ。少しは寝たらどうだ?』


「黙れ、ゴミ。お前の仕事は私の下働きをすることだ」


『へいへい。……でもさ、あんたが倒れたら、俺にこのマズいジュースを飲ませる奴がいなくなる。それはそれで退屈なんだよ』


 インプは悪態をつきながらも、ノエルの仕事を手伝い続けた。


 そこにあったのは、友情なんていう温かいものじゃない。

 お互いを使い倒すという、歪なまでの利害関係だった。


 しかし、そんな日々は長くは続かなかった。

 108号の副作用は、着実にインプの体を蝕んでいた。


『……ボス、俺、もうすぐ石になっちまうわ。感覚でわかる。中身が焼けて、カチカチになってきてるんだ』


 ある夜、インプがぼんやりと自分の手を見つめながら言った。


「そうか。……最後の瞬間まで使い切るつもりだ。覚悟しておけ」


 ノエルは無表情に答えた。

 だが、その夜、ノエルがインプに飲ませたドリンクの濃度は、昨日よりもほんの少しだけ薄められていた。


 そして、運命の事故が起きた。




 事故は、研究院の地下にある高圧実験室で起きた。

 新しい魔法薬を完成させるための、最後の大掛かりな実験である。


 ノエルは、計算のすべてをインプに任せていた。


「おい、108号を飲め。今のお前の脳なら、この熱量の暴走も予測できるはずだ」


 インプは震える手で、真っ黄色なドリンクを飲み干した。

 目は血走り、体からは蒸気が上がっている。

 石になる一歩手前の、限界の状態だった。


 実験が佳境に入ったその時、計算外の事態が起きた。

 装置の一部が魔法の圧力に耐えきれず、激しく火花を散らしたのだ。


「計算ミスか!?」


 ノエルが叫ぶ。

 あと数分、いや数十秒で、この部屋は跡形もなく吹き飛ぶ。

 エリート街道を突き進んでいたノエルのキャリアも、命も、ここで終わるはずだった。


 だが、その時。

 隣にいたインプが、汚い声を上げてゲラゲラと笑った。


『ヒヒッ! ボス、ざまあねえな! あんたとしたことが最後の最後で0.001グラム、混ぜる量を間違えたぜ!!』


 インプは、ノエルさえ気づかなかったミスを瞬時に見抜いた。

 そして次の瞬間、インプはノエルを部屋の外へ力いっぱい突き飛ばした。


「な……! お前、何を!」


『貸しだぜ、ボス。俺の計算じゃ、あんたはここで死ぬより、一生俺に感謝して苦しむ方が効率的だ!』


 インプは爆発する装置の前に立ちはだかり、自分の体にすべてのエネルギーを吸い込ませた。

 まばゆい光が走り、爆発の衝撃が抑え込まれる。

 

 煙が晴れたあと、そこに立っていたのは、一匹の石像だった。


 仕事を終えたインプが、本来のルール通り、カチカチの石に変わった姿。

 だが、その顔には、最高に意地の悪い笑みが刻まれていた。


 研究院の皆は口々にノエルを称賛した。


「暴走したインプをノエル副院長が見事に抑え込み、院を守った」と。


 ……………だが、そんなものは嘘である。

 本当はノエルがミスをし、ゴミであるはずのインプに救われたのだ。


 ノエルは意図せず、英雄になった。

 しかし、彼の心には決して消えない負い目が残った。


(……あいつは、私のミスを自分の石の中に閉じ込めたまま、逝ってしまった)


 正直に自分のミスを打ち明けるのはプライドが許さない。

 しかし、自分のミスを隠したまま、自分だけが幸せになるのもプライドが許さない。


 何より、あのインプへの敗北感。

 自分が見抜けなかったミスを、あのインプは一瞬で見抜いた。

 魔法薬の研究者として、インプごときに負けてしまったというのが何よりも耐えられないのである。


 このまま幸福になってしまうと、あのインプに負けたという敗北感が一生消えないのだ。


 ではどうしたらいいのか?


 ノエルは、もらったばかりの豪華な個室を返上した。

 出世のための研究もすべてやめた。

 彼は石になったインプを抱えて、霧の深い地下室へと潜った。


(待ってろ、このクソインプ。お前の計算などたいしたことないと、私が必ず証明してやる)


 あのインプの上をいくこと。

 それだけが、この敗北感を打ち消す方法である。


 こうしてノエル・ヴァン・ダインの狂気じみた計画が始まった。




 あの事故から三年後。

 ライナスは久しぶりにノエルの地下室を訪れた。


 地下室の空気は湿っていたが、まだそこまで酷くはない。

 棚には薬品が整理され、机の上にも計算式が几帳面に並んでいる。


 ただ一つ異常なのは、部屋の中央に置かれた石像だった。

 ノエルは今日も、その石像を磨いていた。


「……まだやっていたのか」


 ライナスが声をかけると、ノエルは顔も上げずに答えた。


「見ればわかるだろう」

「研究院はまだ君を待っている。表向きは多少面倒な処理が必要だが、復帰自体は可能だ」

「興味ない」


(即答か……)


 ライナスがため息をつく。


「ノエル。もう三年だ。十分だろう。あの事故は終わったんだ」


 その言葉に、ノエルの手がぴたりと止まった。


「終わっていない」

「君の中ではそうかもしれないが、世間では終わっている」

「だから何だ」


 ようやくノエルが振り返る。


 目の下には薄い隈があったが、まだ顔色は悪くない。

 髪も整えられている。


「世間が終わったと言えば、私の計算ミスも消えるのか?」


 この頃には、ノエルは既に実験ミスのことを打ち明けていた。

 隠し続けることに、もはや意味を感じなくなっていたのだ。


「……まだそれを言うのか」

「まだ?」


 鼻で笑うノエル。


「三年程度で帳消しになるなら、私は安い人間だ」


 ライナスは石像へ視線を向けた。


「ただのインプだぞ」

「そうだ。ただのインプだ」


 ノエルは石像を軽く叩いた。


「だから腹が立つんだ」

「……」

「人間ならまだいい。天才に負けたなら諦めもつく。だが私は、これに負けた」


 ノエルは淡々と言った。


「私の人生は、あの日ここで止まった。だから戻る場所など最初からない」


 ライナスはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……以前に来た時より、悪化しているな」

「進歩と言え」

「言葉遊びは相変わらずか」


 ライナスが踵を返す。


「また来る」

「好きにしろ」


 ドアが閉まる直前、ノエルの声が飛んだ。


「次に来るなら、もっとマシな慰め文句を考えてこい」


 ライナスは振り返らずに答えた。


「君を慰める気はない。ただ、正気に戻ってほしいだけだ」


 地下室には、乾いた笑い声だけが残った。




 あの事故から十年後。

 再び地下室を訪れたライナスは、しばらく言葉を失った。


 部屋はもはや研究室ではなかった。


 壁一面に貼られた計算式。

 床に散乱するノート。

 使い終わった薬瓶の山。


 そして中央には、相変わらず石像が置かれていた。

 むしろ以前より、丁寧に磨かれている。


「……ひどい有様だな」


 ノエルは返事をしなかった。

 机に向かったまま、何かを調合している。


「聞こえているだろう」

「聞こえている」

「なら返事くらいしろ」

「返す価値のある言葉を話せ」


 ノエルの声はかすれていた。

 髪は伸び、頬はこけ、指先は薬品で黄ばんでいる。

 だが、その目だけは異様に冴えていた。


 ライナスが低い声で言う。


「もうやめろ」

「断る」

「十年だぞ」

「だから何だ」

「たかがインプ一匹のために」


 その瞬間、ノエルの手が止まる。

 そして、ゆっくりと振り返る。


「……今、何と言った?」

「聞こえただろう」

「もう一度言え」


 ライナスは眉を寄せたが、あえて繰り返した。


「たかがインプ一匹だ」


 数秒の沈黙。

 次の瞬間、ノエルは冷笑した。


「お前は何もわかっていないな、ライナス」

「何がだ」

「人間に負けたなら、私はこんなことしていない」


 ノエルは石像を指差した。


「私はこれに負けたんだぞ」

「だから何だと言っている!」


 ついにライナスが声を荒げた。


「ただの道具だ! ただの使い捨てだ! そんなもの一つのために、自分の人生全てを捨てる価値がどこにある!」


 地下室に怒声が響く。

 だがノエルは静かだった。


「価値? あるかそんなもの」


 ノエルが苦笑を浮かべる。


「なら───」

「価値がないからこそだ」


 ノエルがぴしゃりと言うと、ライナスは息を呑んだ。


「価値のないものに負けた。それが問題なんだよ」


 ノエルは椅子にもたれた。


「お前にはわからんだろうな。順調に出世し、院長候補だそうじゃないか」

「……誰から聞いた」

「情報収集くらいしている」

「ならなおさらだ。君だって戻れる」

「戻ってどうする?」


 ノエルは石像を撫でた。


「私はもう、こいつに勝つまで終われない」


 ライナスはしばらく黙っていた。

 怒りが消え、代わりに疲労だけが残る。


「……本当に、救いようがないな」

「今さら気づいたか」


 ライナスはドアへ向かった。


「次に来る時は、君の葬式だと思え」

「そうか」

「好きに朽ちろ」

「そうする」


 ライナスがドアに手をかけた時、後ろから声が飛んだ。


「だが───」


 振り返る。

 ノエルは薬瓶を振りながら、わずかに口角を上げていた。


「───いつか必ず、結果を見せてやる」


 ライナスは何も答えず、地下室を後にした。

 重い扉が閉まり、再び静寂が戻る。


 ノエルは石像に向かって呟いた。


「聞いたか、クソインプ。……私は絶対にお前に勝ってみせる」


 石像は、相変わらず意地悪そうに笑っていた。




 あの事故から、三十年の月日が流れた。


 地下室の空気は冷たく、重い。

 かつての天才、ノエル・ヴァン・ダインは、いまや死を待つだけの老人になっていた。


 だが、その手だけは止まらない。

 震える指先で、彼は人生のすべてを捧げた最後の調合を終えようとしていた。


 バタン、と重いドアが開く。

 入ってきたのは、魔法薬研究院の院長になったライナスだ。


「……ノエル、もういいだろう。今日こそここを出るんだ。君の罪はもう誰も覚えていない。公式な名誉も用意した。最後に、人間らしい暮らしに戻れ」


 ライナスの言葉に、ノエルは力なく笑った。


「ライナス……。お前の計算は、相変わらず甘いな」

「何だと?」

「名誉? 暮らし? そんなガラクタで私の三十年が相殺できると思っているのか。……私はあの日からずっと、負け続けているんだぞ」


 ノエルは机の上に置かれた”石のインプ”を見つめた。

 三十年間、片時も離さず、何万回と磨き続けてきた石像。


「私はあいつを直したいんじゃない。あいつの『笑い』を止めたいだけだ。……自分だけが正しかったと、あの顔で一生私をバカにし続ける。それが許せないんだよ」


 ノエルは、完成したばかりの小さな瓶を手に取った。

 中に入っているのは、透き通った青色の液体だ。


 『108号』の改良に改良を重ね、さらにその先へ辿り着いた、ノエルの人生そのもの。


「見ていろ、クソインプ。お前の計算を、私が上書きしてやる」


 ノエルは最後の力を振り絞り、その液体を石像の口元に垂らした。

 一滴、二滴。

 

 ……沈黙が流れる。


 ライナスが(やっぱりダメだったのか)と諦めかけた、その時だった。


 パキッ、と乾いた音が室内に響いた。

 石の表面にひびが入り、そこから熱い蒸気が吹き出す。

 

 三十年の眠りから、インプが目を覚ました。


 醜い顔。

 悪臭。

 そして、意地の悪い目。


 インプが大きくあくびをすると、ノエルは力尽きたように床へ崩れ落ちた。

 すっかり老人になったノエルを見て、インプが顔をしかめる。


『……げっ。なんだよボス。そのシワシワの顔。……何十年も寝てたのか?』


 ノエルは、声が出なかった。

 ただ、自分の計算が、三十年越しに正解を導き出したことに、満足げな笑みを浮かべた。


「……私の勝ちだ。ざまあみろ……この……クソインプ……」


 それが、ノエルの最期の言葉だった。

 彼は床に倒れ込んだまま、静かに息を引き取った。


 ライナスは言葉を失い、立ち尽くした。

 親友の死。

 そして、奇跡のようなインプの復活。


 だが、目覚めたインプは、主人の死を悲しむ素振りも見せなかった。


『ちっ、勝手にドヤってんじゃねえよ。……まったく、計算外だぜ……』


 インプは毒づきながら、よろよろと立ち上がった。


 そして、当たり前のような顔で実験台に向かうと、ノエルがやり残していた薬草の整理を、手慣れた手つきで始めた。


 まるで、昨日まで一緒に仕事をしていたかのように。


 ライナスは、その光景を黙って見ていた。

 ふと、インプが作業の手を止める。


 そして部屋の隅から古びた毛布を持ってくると、動かなくなったノエルの体に、乱暴に、でもそっと、それを掛けた。


 採光用の小窓から、夜明けの光が差し込んでいる。

 インプは再び実験台に戻り、無言で薬草の整理を続けた。

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