【6分】逆転ホームランは打たなくていい【ほんのり】
卒業まで、あと十日。
三年二組の教室では、卒業関連の企画がいくつも同時進行していた。
寄せ書き、アルバム、動画メッセージ、紙のメッセージカード。
そのどれにも、真島恒一はほとんど興味がなかった。
「メッセージカード、一人一枚ずつ提出ねー」
教壇の前で学級委員が声を張る。
「今回は二段構成です。上が自由欄。下が指名欄。同級生の誰か一人を選んで、ひとこと書いてください」
教室が少しざわついた。
「えー、気まず」
「誰にしようかな」
楽しそうな声が飛び交う。
恒一はカードを受け取って眺めた。
上半分は自由欄、フリースペース。
下半分には、小さくこう書いてある。
【同級生一名へ】
誰でもいいらしい。
恒一は心の中で笑った。
(どうせ人気者に集中するだけだろ)
こういう企画は、だいたい見えている。
明るい奴、面白い奴、部活で活躍した奴。
そういう人間に言葉が集まり、そうじゃない人間は名前など出ない。
出るはずがない。
寄せ書きだって、適当に埋められるパターンが常だ。
公平そうに見えて、だいたいそうなのだ。
真島恒一は、教室の中でかなり薄い存在だった。
いじめられているわけではない。
嫌われてもいない。
ただ、目立たない。
声が小さい。
返事が一拍遅い。
雑談に入るタイミングがわからない。
グループ分けでは、最後の方まで余る。
その程度のことだ。
その程度のことなのに、積み重なると妙に効く。
透明人間みたいだ、と時々思った。
いないわけではない。
でも、いてもいなくても変わらない。
そんな存在が自分なのだ。
恒一は電子工作部だった。
正式には『電子技術研究部』とかいう仰々しい名前だが、実態はハンダごてとジャンク部品に囲まれた少人数の部活である。
部員は四人で、全員地味。
活動場所は物理室の隅。
古いオシロスコープと、誰も使っていない実験器具の棚に挟まれたスペースだった。
恒一はそういう場所が落ち着いた。
教室より静かで、会話のタイミングを考えなくていい。
人間より機械のほうがわかりやすい。
接触不良なら差し直せばいい。
断線なら交換すればいい。
問題と対処が対応している。
人間みたいに曖昧じゃない。
放課後。
恒一は物理室で、卒業式用に貸し出されるワイヤレスマイクを分解していた。
最近ノイズがひどい。
ケースを開け、基板を確認する。
机の上には小さなネジとコード類が散らばっている。
換気扇の低い音だけが部屋に響くなかで、黙々と作業をする。
ガラ、と扉が開く。
「うわ、まだいたんだ」
顔を上げると佐伯だった。
同じクラスの男子。
バスケ部所属で、今もジャージ姿である。
肩には大きなスポーツバッグ。
「……うん」
「そろそろ校舎閉めるらしいぞ」
佐伯は物理室を見回す。
「体育館も追い出されたし。真島はなにやってんの?」
机の上の分解されたマイクやコード類に目を留めた佐伯が恒一にたずねる。
「別に何も。ただのメンテナンスだよ」
「なんで?」
「なんでって、電子工作部なんで」
「真島って電子工作部だったんだ?」
「まあ」
クラスメイトにも、自分がなんの部活かも覚えられてない。
まさに空気。
まあ自分の存在など、こんなものなんだろう。
佐伯が去っていき、再び換気扇の音だけが残る。
恒一は自分がいかに空気かということを再確認した。
夜、自室。
机の上にはノートパソコンが開かれている。
画面には学校サーバーの管理画面。
ログイン情報。
アップロードフォルダ。
卒業式の動画上映システム。
電子工作部は、行事のたびに機材管理を手伝う。
だから少しだけ詳しい。
そして少しだけ”システムの穴”を知っている。
このシステムの穴を使って何かをしたい誘惑はずっと感じていた。
卒業式当日、上映動画を差し替える。
数分でいい。
成績一覧。
教師同士のチャットログ。
内部メモ。
学校が外向けに隠しているものを、少しだけ見える場所に出す。
暴力じゃない。
誰も死なない。
ただ少し、綺麗事のメッキが剥がれるだけだ。
(最後に一回くらい……)
そう思う。
卒業したら終わりだ。
空気扱いされてきたことへの、ささやかな復讐。
このまま空気のような奴として消えるくらいなら、一度くらい一矢報いてみたい気持ちもある。
それまで全て三振してたバッターが、逆転ホームランを打つみたいに。
卒業式前日。
提出物を出し忘れたことを思い出し、恒一は夕方の校舎へ戻った。
ほとんど人はいない。
廊下の先に、メッセージカード回収箱が置かれていた。
まだ掲示前らしい。
なんとなく蓋を開ける。
興味本位の暇つぶし。
数枚めくる。
『受験は早めにやれ』
『部活楽しめ』
『高校生活は一瞬』
予想通り、だいたいそんな感じだった。
こういう綺麗事はもうお腹いっぱいだ。
だが、箱を閉じようとして、手が止まった。
(!?)
自分の名前が見えたのだ。
【真島恒一へ】
一瞬、見間違いかと思った。
カードを引き抜く。
差出人は佐伯だった。
驚いた。
自分が電子工作部ということすら知らない奴だったのに、なんのメッセージを?
読んでみると、こう書かれてあった。
『真島へ
文化祭のとき、配線トラブル直してたの助かった。
あの時たぶん誰も言ってなかったけど、普通にありがたかった。
お前みたいなの、いないと地味に困ると思う。
卒業しても元気で。』
(………)
……恒一はしばらく動けなかった。
何度も読み返す。
大した文章じゃない。
感動的でもない。
綺麗でもない。
ただ、妙に現実味があった。
気を遣って盛った感じもない。
本当に思ったことだけ書いたような文だった。
(文化祭の時のこと見てたのか……)
文化祭の日。
誰も見ていないと思っていた。
ただ自分が勝手に機材を直して終わっただけだと思っていた。
……違ったらしい。
少なくとも一人は見ていた。
少なくとも一人は、自分がいたほうがいいと思っていた。
それだけのことだった。
それだけのことなのに、急に計画への熱意がしぼんできた。
自室のパソコン。
アップロード用データ。
暴露用ファイル。
(これやったところで、何になるんだ……?)
初めてそう思った。
これは逆転ホームランじゃない。
証明でもない。
ただの騒音だ。
自分がここにいたことを、他人の迷惑で無理やり刻みつけるだけだ。
それは少し、ダサい気がした。
卒業式当日。
恒一はポケットの中のUSBメモリを指で弄んでいた。
少し迷ってから取り出す。
机の角に押し当てる。
ぱき、と乾いた音がした。
ケースが割れる。
中の基板も折れた。
それを見て、少しだけ笑った。
式は何事もなく終わった。
校長の話は長かった。
泣いている女子もいた。
写真撮影で少し混雑した。
全部、普通だった。
驚くほど普通に終わった。
数日後。
メッセージカードが廊下に掲示された。
恒一もなんとなく見に行く。
自分のカードを見る。
自由欄には、こう書いておいた。
『何も残せないと思っていたけど、意外とそうでもないらしい。
だからたぶん、急いで逆転ホームランを狙わなくてもいい。』
「ホームランって、なんだこれ」
後ろで誰かの笑い声がする。
「俺は地味に好きかも」
別の誰かがスマホで撮る。
それだけだった。
大した出来事ではない。
世界は何も変わらない。
学校もそのまま。
自分もたぶん、急には変わらない。
……でもまあ、それでいいかと思った。
校門を出る。
春の風が少しだけ暖かかった。
最後の一球は、思っていたより静かに終わった。




