鍛冶見習いレックス、領主に呼び出される
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「レックス、おきなさい。そろそろ仕事に行くんでしょ」
母の声が、まだ夢の中の僕をやさしく揺らす。
布団の中で体を丸め、もう少し……と目を閉じる。
でも、薪の匂いと外から差し込む朝の光が、僕を無理やり起こす。
「まだ眠いけど……動かないとね」
小さくつぶやき、肩の力を抜いて布団から体を起こす。
赤褐色の髪が顔にかかる感触に、ちょっとだけ朝の幸せを感じた。
指先で寝癖を払いながら、深呼吸。冷たい空気が肺に入る。
服に着替え、天井裏にある自分の部屋を出ると、母が小さな器を差し出す。
豆と肉の入った、温かいシチューの香りが鼻をくすぐる。
湯気に手をかざして温もりを感じながら、僕は「いただきます」と口に運んだ。
まだ半分夢の中の体に、温かい食事がじんわりと染み渡る。
食後はうがいをし、顔を洗う。
冷たい水に少し飛び跳ねる。目が覚めて、瞳が赤く光るような気がした。
鏡の中の自分を見つめる。細めの眉、少年らしい中性的な顔。
「今日も頑張らないと……僕、やれるかな」
小さな不安を呟きつつも、胸に力を入れる。
「もう出かけるのか」
祖父の声。腰をかがめて新聞を読んでいたその姿は、いつも通り。
僕の家族は、母と祖父だけ。父は死に、祖母は行方不明。
兄弟もいない。だから僕は、二人に守られながら少しずつ世界を覚えていくんだと思う。
「行ってきます」
祖父に軽く頭を下げ、笑顔を返す。
背中には竹刀袋のような、研磨したばかりの棍棒を入れた荷物。
肩にかかる重みが、いつも少しだけ背筋を伸ばさせる。
扉を開くと、外の風が顔を撫でる。
草の匂いと、土の香りが混ざり、今日一日の始まりを知らせる。
心の中で「まだ眠いけど、僕は動くよ」とつぶやき、ゆっくり歩き出す。
小さな街の音が耳に入り、木々のざわめきが体に染み込む。
僕はただ、鍛冶場での仕事をこなしながら、自分なりに強くなっていく。
大丈夫。まだ諦めてない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セルディアの街は、いつだって活気にあふれている。
朝日が差し込む住宅街では、軒先の洗濯物が風に揺れた。
「おはよう、レックス!」
子どもたちの声が飛んでくる。僕は小さく手を振る。
棍棒を背負い、足の筋肉を意識して路地を駆け抜ける。
石畳が足裏に伝わる感触。靴底が跳ねる音が、リズムになった。
風が髪をかすめ、朝の匂いを運んでくる。
焼きたてのパン、焙煎したコーヒー、遠くの工房の鉄の匂い。
混ざり合った香りが街の息づかいになる。
住宅街を抜ける坂道。軽く息が上がる。
「はぁ……体がまだ眠ってるな」
でも棍棒の重さが体幹を意識させ、足が自然に前に出る。
坂の上で、小さなニア・ヒューマンの少年とぶつかりそうになる。
「わっ、すみません!」
「気をつけろよ、兄ちゃん!」
短い会話も、街のリズムの一部だ。
工業地帯に入ると、煙突から黒煙が立ち、鉄を打つ音が耳を打つ。
「火花が散ってる……でも、慣れてるんだろうな」
職人が手を振る。僕も声を返す。
「おはようございます!」
走るたびに、熱と汗が体にじんわりと広がる。
腕や脚の筋肉が疲れを感じつつも、バネのように反応する。
さらに進む商業地。通りには人間、ニア・ヒューマン、ビーストマンが入り交じる。
王国語で軽く会釈する人。帝國語で格式ばったお辞儀をする人。
魔王国風の礼節を重んじる獣人もいる。
「……挨拶ひとつで文化の違いが分かるんだな」
香辛料、焼き魚、焼き肉の匂いが混ざり、頭が少しクラクラする。
小さな衝突もあった。帝國商人が魔王国風の獣人に商品を押しすぎて、軽く言い争い。
「こういうところも、この街の魅力か……」
僕は息を整え、肩の荷を軽く感じる。
港近くの倉庫街。潮の香りと木材の匂いが混ざる。
大型船が停泊し、帝國の特産品を王国に運ぶ三角貿易の準備が見える。
「重そう……僕も少し手伝ってみたいな」
声に出して独り言。誰も驚かない。ここでは誰もが働き、学び、生活している。
商人や冒険者が集う酒場の前を通る。笑い声や掛け声が耳をかすめる。
民族混合の衣装、魔力装飾、交易品のアクセサリーが光に反射する。
色と模様で出身を示す者も多い。
小さな会話が街の生活感を作る。
住宅街、工業地、商業地、倉庫街……
どの区画も、それぞれの文化と生活が色濃く反映されている。
僕は息を整え、体が熱く、汗が額から滴るのを感じる。
でも心地よい疲労だ。
「僕はまだ子どもだけど、この街で生きるって面白いんだ」
走るたびに、目に入るもの、耳に届くもの、匂うものすべてが、新しい発見になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事場にたどり着くと、鉄の匂いと熱気が体を包んだ。
「おはようございます」
声をかけると、職人たちは軽くうなずく。
見習いは僕を含めて数名。鉄を打つことを許された者だけが炉の前に立っていた。
オルグラード先生は、今日は来ないらしい。
少し残念だ。でも、あの人はいつも忙しくて、現場に出ることは少ない。
僕は火ばさみを手に取り、鉄片を整える。
炉の熱で手のひらがじんわり温かくなる感覚が、少しずつ心地よくなってきた。
鍛冶に興味を持ったのは、祖父と一緒に先生の仕事現場を見学したのがきっかけだった。
鉄を打つ音、火花の光、金属の熱。
触ったこともないはずの鉄片が、命を持ったかのように輝いて見えた。
「すごい……」語彙力が足りず、僕はただそう呟くしかなかった。
オルグラード先生の手元は、常に正確で無駄がない。
一振りで鉄を曲げ、一打で鋭い刃筋を生む。
でも、表情には満足感がない。
「まだ、およばんか」
腕を組み、眉を少しひそめ、目を細める。
手首の動きひとつで火花を操る様子を、僕は息を止めて見つめる。
その姿に、ただ尊敬の念が湧く。
弟子入りして三年。
材料運びで鉄片を落としたこともある。
掃除中に炉に近づきすぎて火傷をしたこともある。
でも、少しずつ動作が安定し、道具の扱いもわかってきた。
小さな失敗のたびに、反省と工夫を積み重ねてきたんだと思う。
まだ鉄を打たせてもらえないけれど、僕には目標がある。
先生に認められること。
鉄を打つ手元を、ほんの一瞬でも任されること。
今日も炉の前で、鉄片を並べながら小さく息を整える。
「よし……今日も頑張ろう」
雑用をこなしつつ、僕の心は少しずつ鍛えられている。
手のひらの熱、火花の光、鉄の重み。
それらを感じながら、僕は成長しているんだと、胸の奥で実感する。
オルグラード先生が目指す「命を吹き込む武器」に、いつか自分も近づきたい。
今日もまた、レックスは任せられた仕事に集中する。
小さな手応えを積み重ねながら、いつか先生のように、鉄に命を宿せる日を夢見て。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事が終わる頃、いつもどおり兄貴分のガロードが迎えに来た。
「おいレックス、腹減ってるだろ」
そう言うと、彼は僕に肉櫛を手渡す。
ガロードは、オルグラード先生を師匠に仰ぐ僕の兄弟弟子だ。
でも僕と違い、鍛冶ではなく、強くなるために先生に弟子入りした。
戦闘一筋で、肉体と本能を研ぎ澄ませる武人タイプだ。
初めて会ったとき、彼は僕を戦闘の弟弟子だと勘違いした。
まったく鍛冶しか知らない僕を、無理やり訓練場に連れていったのだ。
「筋は悪くねえな」
彼は笑いながら僕の動きを観察した。
あの日、僕は腕を振るうたびに鉄棒に手をぶつけ、転びそうになった。
でも、彼は怒るどころか楽しそうに笑っていた。
「お前、覚え早えじゃねえか」
その一言で、僕は少しだけ自信をもった。
傍若無人で、荒々しい彼にあきれつつも、自然と「兄貴」と呼ぶようになった。
銀色の髪は光を受けて逆立ち、琥珀色の瞳は鋭く輝く。
頭の上の狼耳がぴくりと動き、息遣いも荒々しい。
野生の直感で相手を見極める。
仲間や弱い者に触れられると、冷静さを失うこともある。
「よし、行くぞ」
ガロードが低く構え、指先で地面を蹴る。
瞬間、砂ぼこりが舞い、耳元を風がかすめる。
呼吸のリズムが変わり、心拍が少し早くなる。
僕も棍棒を背に、自然と戦闘態勢を取る。
「兄貴の動き、やっぱり早い……」
小さく呟きながら、目を細める。
低く構えた姿勢から、彼の足が地面を蹴る音が聞こえる。
視界の端で、砂ぼこりと動きが混ざり、彼の位置が一瞬で変わる。
体に力が入り、自然と反応が先走る。
今日も、兄貴と一緒に学び、戦う時間が始まる。
鍛冶場で培った集中力が、ここでも少しだけ役に立つ。
僕は深く息を吸い込み、心を落ち着ける。
戦いは始まったばかりだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事が終わる頃、いつも通りガロードが迎えに来た。
「おいレックス、腹減っただろ」と言わんばかりに、手には肉櫛を握っている。
銀色の髪が光に反射し、狼の耳がぴくりと動いた。
ガロードはそれを豪快にかぶりつく。
肉汁が滴り、口角に少し飛ぶが、まったく気にせず笑う。
「うま……っ!」
その表情は、少年のように無邪気でありながら、どこか野生を感じさせる。
僕も同じものをもらい、少し照れながら齧る。温かく、香ばしい。
ガロードは僕にとって兄貴分だ。
同じオルグラードの弟子でありながら、鍛冶ではなく、強くなるために師匠に弟子入りした。
初めて会ったとき、僕を同じ武術の弟弟子と勘違いし、戦闘訓練に連れ出されたこともあった。
あの時は驚いたけれど、筋の良さを褒められ、僕もついて行くようになったんだ。
その傍若無人ぶりに、最初はあきれたけれど、いつの間にか兄貴と呼ぶようになった。
「いくぞ」
ガロードはパルクールのように街の屋根や壁を飛び越え、道を無視して一直線に駆け出す。
「しょうがないな」と、僕は追いかける。
兄貴に毎日付き合わされれば、僕もそれなりには動けるようになる。
街を駆け抜ける。
住宅街の軒先をすり抜け、商業地の看板の下をくぐる。
工業地の煙を避け、石畳の路地を弾むように跳ねる。
ガロードの動きは速く、足音も軽い。
でも、彼の後ろ姿を追いかけると、どこか安心する。
兄貴の背中は、いつも僕に挑戦と成長を与えてくれる。
向かうのは、オルグラード所有の戦闘訓練場。
先生からは「掃除をちゃんとするなら好きに使え」と言われている場所だ。
今日も、ここでガロードとの戦闘訓練が始まる。
心臓が少し高鳴る。
でも、兄貴がいれば、大丈夫だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘訓練場に辿り着く。
石の壁に囲まれた広い空間。
床もすべて石造りだ。
五十人くらいなら同時に組手ができそうな広さがある。
オルグラード先生の私有地にある訓練場。
弟子たちが自由に使っていい場所だ。
僕は軽く息を吐きながら、水筒の水を口に含む。
乾いた喉に冷たい水が落ちていく。
「はぁ……はぁ……」
一方のガロードは、ほとんど息が乱れていない。
さっきまで屋根を飛び越え、壁を蹴り、街を駆け抜けてきたというのに。
やっぱり違うな、と思う。
一般的に、獣人は人間より体力がある。
その上で、ガロードは日常的に鍛え続けている。
つまり――化け物みたいに体力がある。
そのガロードは、すでに柔軟を始めていた。
肩を回し、脚を伸ばし、関節を鳴らす。
狼の耳がぴくりと動く。
「ルールはいつも通り。十本勝負だ」
琥珀色の目がこちらを向く。
「了解」
僕は背中の袋を下ろす。
竹刀袋のような袋の口をほどき、中から棍棒を取り出す。
黒い棍棒。
金属みたいに硬いのに、どこかしなやかな不思議な武器だ。
ガロードは、嬉しそうに口元を歪めた。
牙が少し見える。
……ほんと、この人。
戦えるとなると、子どもみたいに楽しそうな顔をする。
その貪欲さに、僕は少し呆れる。
けれど。
「……まあ、人のこと言えないか」
僕も、騎士とか。
勇者とか。
そういう存在に、憧れていないわけじゃない。
だから戦えるのは、やっぱり嬉しい。
ルールは基本的に寸止め。
訓練だから急所はなるべく避ける。
まあ――当たることもある。
でも問題ない。
オルグラード先生が、回復薬を大量に置いてくれているからだ。
理由は簡単。
昔、ガロードが門下生を次々と半殺しにしたから。
……本当に半殺しだったらしい。
結果。
弟子は全員辞めた。
先生は武術にそれほど興味がない。
「去るなら構わん」と言ったらしい。
結果的に、残ったのはガロードだけ。
そんな中。
ガロードが見つけたのが、僕だった。
最初は勘違い。
僕を武術の弟子だと思ったらしい。
そこから三年。
僕は潰れず、ここにいる。
むしろ最近は、そこそこ戦えるようになってきた。
その事実が、ガロードは嬉しいらしい。
だから――ほぼ毎日ここに連れてこられる。
「さて」
ガロードの目つきが変わる。
獣の目だ。
「一本目、いくか」
僕は棍棒を構える。
石の床を、足裏で感じる。
息を整える。
そして。
今日もまた。
訓練という名前の試合が始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初手で動いたのは、当然ガロードだった。
地面を蹴る音。
次の瞬間には、もう目の前にいる。
速い。
兄貴はいつもそうだ。
先手必勝。速攻。
それがガロードの戦い方だ。
真正面から付き合うのは愚策。
だから僕は、最初からそれを捨てている。
相手の長所に合わせない。
自分の長所で戦う。
それが僕の基本戦術だ。
振り下ろされる手刀。
僕は棍棒を振る。
――ガンッ!!
金属がぶつかるような音が、訓練場に響いた。
「いって……相変わらずだな、それは」
ガロードが顔をしかめる。
僕の棍棒は硬い。
鋼の剣でも傷一つつかない。
最初に見た時、ガロードは本気で斬りかかってきた。
「なんじゃそれ!?」
あの時の兄貴の顔は、ちょっと面白かった。
くそ硬え。
手刀がじんじんする。
俺の爪なら岩だって割れる。
だがこの棒は別だ。
壊れねえ。
だが――それがいい。
レックスは弱くねえ。
むしろ厄介だ。
戦ってて、面白え。
力を込める。
棍棒を一回転。
腰を回し、遠心力を乗せる。
「はっ!」
ドンッ!!
ガロードの体が弾き飛ばされた。
普通の相手なら、ここで終わる。
だが。
兄貴は違う。
空中で体をひねる。
猫みたいに軽い。
いや。狼だ。
くるりと一回転。
音もなく着地する。
膝を少し曲げ、重心を落とす。
その姿は、まるで狩りの直前の獣だ。
「ますますやるようになったじゃねーか」
琥珀色の目が光る。
僕の背中に、冷たい汗が流れる。
「じゃあ――」
ガロードの口元が吊り上がる。
「こっちもギア上げる。ついて来いよ」
いいぞ。
今の一撃。
重い。
速い。
読みづらい。
だが。
まだ足りねえ。
俺の速さには。
地面を蹴る。
力を込める必要はない。
ただ、本能のままに。
嫌な予感がした。
来る。
次の瞬間。
ドンッ!!
地面が爆発したみたいな音。
ガロードが消える。
いや。
低すぎて見えない。
気づいた時には――
目の前に拳があった。
「遅えんだよ」
衝撃。
視界が回る。
石の床が迫る。
ドサッ。
僕は仰向けに倒れていた。
ガロードが腕を組んで見下ろしている。
「一本」
息を吐きながら、僕は空を見た。
……やっぱり強いな。
兄貴。
こうして今日も、
僕の一本目は終わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、ここまでで俺が7本」
ガロードが肩を回しながら言う。
息はほとんど乱れていない。
僕は膝に手をつき、肩で息をしていた。
「……僕が2本」
胸が上下する。
肺が焼けるみたいに熱い。
最近の平均成績は、だいたい七対三。
兄貴が勝ち越す。
もちろん、僕が勝ち越したことはまだ一度もない。
「今日は8にしてもらうぜ」
ガロードが牙を見せて笑う。
「いや」
僕は棍棒を握り直す。
「もう一本とる」
その言葉に、ガロードの口角が少し上がった。
だから面白えんだよ。
レックスは。
普通の奴なら、ここまでやられたら崩れる。
息も上がる。
動きも鈍る。
だが、こいつは違う。
まず、体幹。
どんな体勢でも崩れない。
倒れない。
無理な姿勢からでも、平然と攻撃を返してくる。
それで何度も一本取られた。
それに――
時々、妙に勘がいい。
俺の速度は上だ。
間違いなく上だ。
だが、時々読まれる。
あの瞬間。
まるで未来でも見てるみたいに。
……やりにくい。
だが。
だからこそ。
こいつを攻略できれば、俺はもっと強くなれる。
「いくぜ」
ガロードが消える。
いや。
速すぎて見えないだけだ。
低い姿勢。
地面を蹴る。
ドンッ!!
石床が鳴る。
拳が来る。
一撃。
二撃。
三撃。
僕は棍棒で防ぐ。
ガンッ!
ガンッ!
腕に衝撃が走る。
重い。
速い。
だけど――
まだ見える。
ガロードは距離を取った。
一瞬の間。
腰を落とす。
足に力を溜める。
……来る。
次は突進。
本気の加速。
僕は棍棒を構える。
その時だった。
――また、この感じだ。
世界が、少しだけ静かになる。
音が遠い。
風がゆっくり動く。
時間が伸びる。
ガロードが動く。
右。
僕の右を抜けるつもりだ。
体が自然に動く。
棍棒を振る。
そこに――
ガロードが来る。
ドンッ!!
鈍い音。
衝撃。
ガロードの体が止まる。
「いってぇ……!」
兄貴が顔をしかめる。
数歩よろけて、頭をかく。
「くそ……今日も3本目取られたか」
悔しそうに笑う。
僕は棍棒を下ろす。
息を吐く。
足が震えている。
だけど。
少しだけ、嬉しい。
こうして今日も。
僕たちの戦績は――
七対三。
ガロードの勝ち。
それでも。
僕にとっては、大事な三本だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おしいな。今日は8本のつもりだったんだがな」
ガロードは水袋を傾け、豪快に水を飲み干す。
ごく、ごく、と喉が鳴る。
額の汗を腕で拭いながら、満足そうに息を吐いた。
多少の悔しさはあるようだ。
でも、それ以上に――まだ強くなるつもりだ、という意志が伝わってくる。
ガロードが強くなりたい理由。
それは、昔ぽつりと言った言葉だ。
「誰よりも強くなって、すべてを救えるようになりたい」
それだけ。
どうしてそう思うのか。
何を救いたいのか。
それは教えてくれない。
……僕も、聞こうとは思わなかった。
あの時のガロードの目。
普段の豪快な兄貴の目じゃなかった。
暗い光を宿した目だった。
だから、追及する気にはなれない。
「次は4本とるよ」
僕は石床に座り込む。
呼吸を整えながら、水を少しずつ口に含む。
胸がまだ苦しい。
4本目。
言ってみたものの。
正直、いつになるか分からない。
3本だって確実じゃない。
今日の3本だって、ほとんど偶然だ。
そう思っていると、ガロードが急に首をかしげた。
「……?」
何かを思い出そうとする顔。
そして、ぽん、と手を打つ。
「あ、そうだ」
嫌な予感がした。
「師匠から伝言あずかってたんだ」
「先生が?」
僕は思わず顔を上げる。
珍しい。
オルグラード先生が、ガロード経由で伝言?
普段なら鍛冶場の人を通す。
ガロードは腰の袋をがさごそ探り、封書を取り出した。
それを僕に差し出す。
「明日、領主館に二人で来いってよ」
「……え?」
思わず声が出た。
「領主館に、兄貴と?」
封書を受け取る。
手触りが違う。
厚い紙。
そして――蜜蝋の封。
つまり。
領主としての正式な書状だ。
僕は思わずガロードを見る。
兄貴と一緒。
しかも領主館。
何の用事だ。
まったく見当がつかない。
「ま、行けばわかるだろ」
ガロードはあっさり言った。
「兄貴」
僕はじっと見る。
「こういうのは訓練の前に渡すものだよ」
「なんでだ?」
「先生からの重要なものじゃないか!」
思わず声が大きくなる。
するとガロードは肩をすくめた。
ガロードはけらけら笑った。
「しょーがねーだろ」
悪びれもせず言う。
「俺にはレックスとの今日の立ち合いの方が重要だ。用事は明日だしな」
……この人は。
本当に。
自分の師匠の伝言より訓練を優先したのか。
呆れる。
いや。
ちょっとだけ怒りもある。
もし明日の用事が大事だったら。
先生に密告してやる。
絶対に。
ガロードは続ける。
「あと、鍛冶場には休むって伝えてから来いってさ」
「それで?」
「その後、なるべく早く領主館に来いってよ」
僕は少し考える。
先生の言う。
「なるべく早く」
それはつまり――
素早く来い。
ぐずぐずするな。
という意味だ。
遅れたら。
……考えたくない。
「じゃあ」
僕は立ち上がる。
「明日はいつも以上に早起きだ」
「おう」
ガロードも立ち上がる。
そして自然に、二人で訓練場の掃除を始める。
石床を磨く。
散った砂を集める。
いつもの日常。
でも――
胸の奥に、妙なざわつきがあった。
明日。
領主館。
オルグラード先生が、僕たちを呼んだ理由。
それが。
僕たちの日常を変えることになるなんて。
この時の僕は、まだ知らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




