魔王国創世(5)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時は流れた。
村には、新しい命の産声が響くようになった。
一人ではない。
二人、三人と。
新たな命は次々と生まれ、小さな村に笑い声が満ちていく。
その光景を見届けると、初期から旅を共にしてきた仲間たちは、役目を終えたかのように静かに旅立っていった。
誰も泣き言は口にしなかった。
「ここまで来られた」
その事実だけで十分だった。
第一使徒もまた、その例外ではない。
仲間を一人、また一人と見送り続け。
最後には、自らも静かに生涯の幕を閉じた。
――母の願いどおり。
息子は父の眠る墓の隣へ、その亡骸を葬った。
二人は再び寄り添うように並び、長い旅を終える。
葬儀を終えると、残された家族は遺品を整理し始めた。
質素な家だった。
贅沢な調度品など何一つない。
その中で、机の引き出しの奥だけが、不自然なほど丁寧に整えられていた。
封書と、一つの魔法道具。
「……俺宛て?」
首を傾げながら封を切る。
中には、さらに一通の封書と、母の筆跡で綴られた手紙が入っていた。
そこには最初に、こう記されていた。
――これは願いです。
――決して、果たさなければならない義務ではありません。
――あなたが幸せに生きているなら、それだけで私は十分です。
その一文から始まり、これまで隠されてきた出来事が静かに綴られていく。
始まりの災厄。
人を捨てた者たち。
そして、人の姿のまま未来を託すことを選んだ友。
第三使徒という、一人の男の存在。
彼が最後まで抱き続けた願い。
母は、本当なら自分自身がその願いを叶えたかったこと。
しかし、それができなかった理由も記されていた。
外界の呪いは、なお人間が生きられる濃度ではない。
無理に向かえば、この村そのものが滅びる危険すらある。
だからこそ、今は繁栄を優先してほしい。
それこそが、第三使徒自身の願いでもあった、と。
だが――。
もし、いつの日か。
人が外へ進める時代が訪れ。
もし彼らが、あの術式を完成させたまま待ち続けているのなら。
それだけが、心残りだった。
最後の一文を読み終え、男は小さく息を吐いた。
「……まったく。不器用な人たちだな」
思わず苦笑が漏れる。
父も。
母も。
誰かに命令することだけは、最後までしなかった。
「こんなもの残して……行動しないように育てた覚えなんて、ないだろ」
その時、小さな足音が部屋へ駆け込んできた。
「おかたづけ、おわったの?」
幼い我が子が、無邪気な笑顔で見上げてくる。
男は手紙を丁寧に畳み、そっと封書へ戻した。
「いや」
「どちらかというと――始まったばかりだよ」
そう答えると、手紙と魔法道具を大切に箱へ納める。
これは自分一人のものではない。
次の世代へ。
さらに、その先の世代へ。
受け継ぐべき願いなのだ。
男は子供を抱き上げ、穏やかな笑みを浮かべた。
「俺たちが必ず果たす。だから、安心して眠っていてくれ」
「父さん。母さん」
その誓いは、小さな村の空へ静かに溶けていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時は流れた。
幾つもの季節が巡り、幾つもの命が生まれ、そして消えた。
それでも、あの日交わされた約束だけは、人から人へと受け継がれていた。
深くフードを被った一人の少女が、古びた地図を何度も見比べながら山道を歩いていた。
木々は生い茂り、人の手が入った形跡はない。
獣道さえ途切れそうな場所で、少女は立ち止まった。
「ふぅ、やっと来たぁ」
額の汗を拭いながら辺りを見回す。
地図が示す場所は、間違いなくここだった。
だが、そこには森しかない。
「しかし、ここなんだよね」
首を傾げ、周囲を何度も見渡す。
隠し通路でもあるのか。
それとも、長い年月の中で失われてしまったのか。
「うーん、どうしよう。困ったな」
そんな独り言を漏らした直後だった。
「おーい、待てよ!」
背後から少年の声が響く。
振り返ると、同じように深くフードを被った少年が息を切らせながら駆け寄ってきた。
「おそーい」
「そんなわけあるか。お前が早すぎるんだ」
少年は肩で息をしながら苦笑し、蒸し暑そうにフードを脱いだ。
現れた頭には、銀色の狼耳。
人狼族の青年だった。
少女も嬉しそうに笑う。
「やっと着いたね」
「ああ……ここが、始まりの地か」
少年は懐から、小さな魔法道具を取り出した。
代々、第一使徒の血筋に受け継がれてきた宝具。
長い年月、一度も使われることのなかった遺品である。
静かに魔力を流し込む。
すると中央にはめ込まれた宝珠が淡く輝き始めた。
やがて一本の光が森の奥を真っ直ぐ照らす。
「わぁ! こんな仕掛けがあったんだ。気が付かなかった」
少女も慌ててフードを外す。
こちらも狼耳を持つ人狼族だった。
「本当にあるか半信半疑だったけど……本物なんだね」
「ああ。母さんたちが守ってきた約束は、本当に存在していた」
少年は光の先を見据える。
その瞳には、不安よりも期待が宿っていた。
「行くぞ」
「うん!」
二人は導かれるように歩き始める。
森の奥へ。
誰にも知られることなく眠り続けた場所へ。
数歩進んだ、その瞬間だった。
「「わぁ!?」」
思わず二人の声が重なる。
森が途切れた。
視界が一気に開け、その先には巨大な宮殿が姿を現していた。
自然の中へ巧妙に隠されていた白亜の建造物。
長い年月を経てもなお、その威容は失われていない。
驚きに息を呑む二人の周囲へ、瞬く間に武装した兵士たちが現れた。
槍と剣を向けられ、完全に包囲される。
「何者だ!」
鋭い怒号が響く。
「選ばれた者以外、この地へ立ち入ることは許されていない」
少年は慌てて両手を上げた。
「ま、待ってくれ! 俺たちは怪しい者じゃない!」
敵意がないことを必死に示す。
「約束を果たしに来たんだ!」
兵士たちの表情は変わらない。
少年は胸に抱えていた魔法道具を掲げる。
「俺は、人狼族のライガ。第一使徒の子孫というやつです」
少女も一歩前へ出た。
「私は、人狼族のシュライ。第一使徒の子孫です」
そして二人は、何世代にもわたって受け継がれてきた言葉を、静かに告げた。
「俺たちは――第一使徒と第三使徒の約束を果たすためにやって来ました」
長い時を越えて。
第一使徒が未来へ託した願いは、長い時を越え、ついにその約束を果たす時を迎えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
重厚な扉がゆっくりと開いた。
案内されたライガとシュライは、大きな広間へと足を踏み入れる。
高い天井。
左右に整然と並ぶ柱。
壁には見たこともない紋章が刻まれ、静寂だけが空間を支配していた。
そして、その最奥。
まるで玉座に座ることが当然であるかのように、一人の男が待っていた。
ライガとシュライは思わず息を呑む。
緊張していた。
いや、この場へ来たこと自体を後悔し始めていた。
目の前の男を前にすると、本能が「死」を予感してしまう。
(……ちょっと、絶対まずいよ、ライガ)
シュライが唇を動かさず囁く。
(今更言うな。腹をくくろう)
ライガも小声で返すが、額には冷や汗が滲んでいた。
(自分より強い奴なんていないって、ずっと豪語してたでしょ!)
(お前だって「私に任せろ、伝説を終わらせてやる」って言ってただろ!)
互いに責任を押し付け合いながらも、視線だけは男から逸らせない。
やがて二人は同時に天を仰いだ。
(……ごめん、調子に乗ってました)
(……大口を叩きました。すまん)
(いざとなったら、一目散に逃げるわよ)
(一人で逃げるなよ)
そんな小さなやり取りすら、震える心を誤魔化すためだった。
男が放つ威圧感は、それほどまでに異質だった。
まるで巨大な山を前にしているような圧迫感。
敵意を向けられているわけではない。
それでも、呼吸をするだけで精一杯になる。
ライガたちがこれまで出会った誰とも違う存在だった。
ふと、シュライが口を開く。
「あの……あなたは、私たちが探しに来たヒト族なのでしょうか?」
男は静かに首を横へ振った。
(……だよね)
二人の心の声がぴたりと重なる。
伝承では、ヒト族は深い眠りについているはずだった。
このように当然のように目覚め、玉座へ座る人物などいるはずがない。
男は小さく息を吐いた。
その仕草だけで空気が揺らぐように感じられる。
「お前たちが、ここへ来たことは間違いではない」
低く重い声が広間へ響く。
「第一使徒の子孫たち」
「えっ!?」
思わず二人は声を上げた。
男は白い瞳で二人を見据える。
「俺もまた、約束を託された者の一人だ」
その一言に、ライガとシュライは息を呑む。
「第三使徒から、お前たちへ伝えるべき言葉がある」
「第三使徒……?」
「謝罪だ」
「謝罪?」
予想もしなかった言葉だった。
何世代にも渡って守り続けてきた約束。
その果てに待っていたのは感謝でも歓迎でもなく、謝罪。
二人は思わず顔を見合わせる。
何を謝るというのか。
疑問だけが胸に積み重なっていく。
その時だった。
ディアボロスが静かに指を鳴らす。
乾いた音が広間へ響いた瞬間、重い石床が低い音を立てながら左右へ開き始めた。
その下には、闇へと続く長い石階段が姿を現す。
冷たい空気が地下から吹き上がってきた。
「こっちだ。ついてこい」
それだけ言うと、ディアボロスは迷いなく階段を下り始める。
ライガとシュライは立ち尽くした。
(どうする?)
ライガが小声で尋ねる。
(このまま帰ったら女が廃るわ)
シュライは苦笑しながら肩をすくめた。
(だよな。このまま帰ったら笑いものだ)
二人は小さく頷き合う。
恐怖は消えない。
だが、ここまで来て引き返す理由もなかった。
第一使徒から受け継がれた約束。
その答えを知るために。
二人はディアボロスの後を追い、静かに地下への階段を下り始めた。
胸に、「謝罪」という言葉への疑問を抱えたまま。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




