(お江様)10
酒井家次は予想もしていない事態に困惑した。
上様がそれを見て取り、柔らかく言う。
「とって喰おうと言うのではない。
長篠設楽ヶ原の戦いに興味があるのだ。
それに皆も聞きたがっていると思う。
昔話なのだから、気楽に話して欲しい」
家次は周囲を見回した。
やけに女子衆が多い。
その耳目が全て自分に向けられていた。
と、お江様が笑顔で振り返られた。
助け船ではなく、炊き付けられた。
「家次殿、遠慮はいりません。
設楽ヶ原と言えば織田家の鉄砲隊でしょうが、
長篠城の攻防戦は徳川家の酒井隊です。
そしてなにより、鳥居強右衛門を忘れてはいけません」
そうか鳥居強右衛門か。
会ったことはないが、忠義の人であった。
家次の語りが始まった。
家康の小姓として見聞きしたこと。
実父の酒井忠次より教えられたこと。
長篠城に籠った者共よりの上申書。
徳川家へ降った旧武田家の者共より聞き及んだこと。
当初は固い口調であったのが、進むにつれ滑らかになって行く。
まるでこれまで溜まった鬱憤を晴らすかのような語りであった。
与太郎はそれを聞きながら長篠設楽ヶ原の戦いに思いを馳せた。
大叔父、信長の才覚は聞きしに勝るものだが、
それよりも今は武田勝頼に興味を覚えた。
敗者となって散々に貶されているが、
あの時点では選択肢は二つしかなかった。
決戦に及ぶか、後ろへ退くか。
前には、馬止の柵と空堀で囲まれた地に籠る織田徳川連合軍。
質の悪い事に連合軍は多勢であり、数多の鉄砲を構えていた。
後ろには長篠城を救援した酒井隊。
武田軍は窮鼠の鼠であった。
それを鑑み、武田家の重職の多くは、撤退を主張した。
陣地に籠った連合軍を見て、これは野戦ではなく攻城戦である、
と判断してのこと。
攻城戦では、攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要であった。
ところが現実は逆で、防御側が倍以上の兵力を抱えていた。
それを承知の上で勝頼は決戦に及んだ。
その理由は・・・。
家次は語りを人情噺にはしない。
磔にされた鳥居強右衛門の件に触れるが、淡々としたもの。
信長公と酒井忠次の遣り取りにしてもそう。
公にされていた事柄は障りだけで、平気で略して通り過ぎた。
公平公正な姿勢を貫いた、とも言えた。
そういう質なのかも知れない。
彼は、武田軍先鋒が設楽ヶ原に突撃する場面で語りを打ち切った。
「上様、その先は皆様がご存知の通りです」
両手を付いて頭を下げた。
お江様が呆れた顔で家次を振り返った。
何か言おうとするので、それより先に与太郎が口を挟んだ。
「家次殿、含蓄に富んだ話であった。
なかなか良かった。
それを膨らませて本にするつもりは無いのか」
家次は与太郎の言葉にビクッと反応した。
慌てて面を上げた。
「そのようなことは・・・」
言葉に詰まった。
与太郎は無視して続けた。
「是非とも本にして残して欲しい。
例えば、酒井家長篠設楽ヶ原聞き覚え、でも良いぞ。
深掘りすれば、良き軍略の指南書になると思う」
家次は暫し考え、迷うような顔で与太郎を見上げた。
「上様、某には武田軍の突撃が理解できません。
それが分からぬでは本には出来ません。
上様はその辺り、どうお考えですか」
与太郎は頷いて、淡々と述べた。
「もっともな事だな。
・・・。
私は武田勝頼殿は愚将ではない、と思う。
武田信玄殿よりも版図を広げた事実からすると、
知将か猛将の類であろう。
そのどちらかは知らぬが、あるいは両方を備えているかも知れぬ。
そうは思われぬか、家次殿」
家次が応じた。
「版図を広げた事実からすると、そうですな」
「勝頼殿は篠設楽ヶ原の戦いで敗走したが、
その後の立て直しは立派なものだ。
越後上杉、相模北条と結ぶだけでなく、
関東の諸将とも結び付きを強めた。
早い話、織田家の東征を食い止める、と表明したようなものだ」
お江様が割って入った。
「上様、武田は長篠設楽ヶ原で破れたのですよ。
織田家を食い止める程の力は無い筈ですが」
与太郎は柔らかい笑みを浮かべた。
「破れても、半年ほどで一万を動員しています。
その力が分かっていたので、
信長公は深追いしなかったと思います」
「窮鼠猫ですか」
「そうです」
家次に尋ねられた。
「上様、残余兵力があるから決戦に及んだ、と」
「それも有るでしょうが、それよりも本筋は、
五年ほど先を見据えた行動ではないかな、と」
「五年ほど先ですか」
「織田家の東征は越後上杉、相模北条、そして甲斐武田、
三家によって思うように進められません。
どのお家も戦巧者ですからね。
ところが西征は違います。
相手は三好や本願寺、戦より政巧者です。
東を牽制しさえすれば、それらは軽く潰せます。
実際、そうやって山陰山陽道に進出しました。
・・・。
家次殿、どうでしょうか」
家次が大きく頷いた。
「確かに、・・・。
畿内は人が多いので、賦役の兵にも事欠きませんな」
「そうです、その通りです。
勝頼殿は、五年もすれば甲斐武田家単独では抗しきれない、
そう考えたのではないのでしょうか」
長篠設楽ヶ原の戦いが起こったのは天正三年。
織田家が甲斐武田家討伐軍を発したのは天正十年。
総大将の織田信忠は伊那口から。
飛騨口からは金森長近。
駿河口から徳川家。
甲斐武田と袂を分かった相模北条家が関東口から。
総勢十万を超えていた、という。
家次が上様に頷いた。
「長篠設楽ヶ原の戦いが千載一遇の好機だったのですな」
「そう思う。
戦は数も大事だが、そもそもは水物。
切っ掛け一つで如何様にも揺れ動く。
桶狭間しかり、厳島しかり、川越城の夜戦にしてもそう。
何かの手違いがあれば、それ一つで大軍も崩れる。
勝頼殿はそれを誘おうとして、
犠牲覚悟で決戦に及んだのではないのかな」




