(慶長の伊達家騒動)1
奥羽、岩出山城。
そこは伊達家、五十八万石の居城であった。
伊達家は豊臣秀吉の小田原征伐時点では百万石を超えていて、
奥羽屈指の大名と言えた。
周辺に縁故の大名も多く、仇や疎かに出来なかった。
伊達家版図を百万石超えとしたのが伊達政宗であった。
そして版図を削られたのも伊達政宗であった。
豊臣秀吉の掌で泳がされ、削られて、また削られた。
単に、当の本人が色々やらかしたから、とも言えた。
伊達政宗は居館の執務室にいた。
御掟破りに加担したとして、大坂で自主的に謹慎していたのだが、
奥州で発生した一揆の広がりに懸念を覚え、急ぎ帰還した。
が、それは表向きの話。
彼は領地に戻るや重臣達や親族達の挨拶もそこそこ、
夜中に一揆勢との連絡役を呼び出した。
色々やらかした責をとらされて権力を削がれた彼には、
数少なくなった手駒の一人であった。
「一揆は順調に広がっております」
小森吉蔵が言った。
彼は忍び衆、黒脛巾組の頭の一人。
「こちらの正体は掴まれておらぬな」
「間に別の者を噛ませておりますゆえ、ご安心下さい。
ただ、嗅ぎ回っている輩はおります」
「何者か」
「上杉ではないかと。
慎重を期して見逃しております」
奥羽にて時が過ぎると共におかしな事になって来た。
一揆勢にではない。
上方の動きが、だ。
あれだけ腰の重かった公儀が動いた。
それも、やけにあっさりと西の島津家討伐を決めた。
同時に奥州の一揆鎮圧も決められた。
そして驚きは、伊達家の扱いであった。
公儀の枠外、とされた。
大名ではなく、地方の武力を持つ一勢力に落とされた。
早い話、国衆の扱いであった。
政宗は執務室で悪巧みをしている場合ではなかった。
重臣達や親族達に、急遽、大広間に呼び出された。
政宗は慌てて駆け付けた。
廊下に控えていた取次役が政宗に気付いた。
大広間へ声掛けした。
「お館様のお成りです」
そこには大勢がいた。
重臣親族だけでなく、家来一同が揃っていた。
庭先に坐っているのは軽輩や陪臣であろう。
しかも、政宗が到着するまで議論が白熱していたようで、
居並ぶ面々の表情が芳しくない。
それに政宗は圧された。
それでも歩みは止めない。
心底を隠し、上座にゆっくり腰を下ろした。
余裕を装い、皆々を見回した。
最後に筆頭家老を見た。
「景綱、説明してくれ」
片倉景綱は先ほどより政宗を見ていた。
その色は、何一つ見逃さない、と語っていた。
「お館様も既にお聞き及びでしょうが、も一度ご説明いたします。
まずは奥州の一揆鎮圧です。
南部利直殿が大将に任じられました。
兵力は少なく見積っても七万。
多く見積れば十万。
途中で増える事も有り得ます。
一揆鎮圧軍は関東通過が有りますので、徳川家しだいですが、
了解されれば直ちに下向して参ります。
この一揆鎮圧に上杉家が加わる事はないそうです」
政宗は景綱が息継ぎしたのを見て取り、尋ねた。
「徳川家は一揆鎮圧軍の関東通過を許すのか」
「殿、そこが政です。
何らかの形での交渉があり、双方が納得する所に落ち着きます」
「それは関東通過を許すという事か」
「はい、家康殿は大坂で謹慎中です。
これでは断れません。
交渉で何らかの利を得れば了解するでしょう。
例えば家康殿の謹慎解除とか」
景綱は政宗が首を傾げているのを見て、説明を続けた。
「次が最も大切な事です。
当家が公儀から枠外とされました。
つまり追放です。
その理由は告げられておりません。
こちらにその書状が届けられたと同時に、
当家が畿内に持つ家屋敷や飛び地が接収されるそうです。
今頃は接収も終わっている頃合いでしょう」
景綱は政宗を見上げた。
「殿、これの理由に身に覚えはございませんか」
政宗はあたふたした。
「ないない、何の覚えもない。
・・・。
景綱、ないよな」
景綱はやれやれとばかりに首を横に振った。
「お館様、扇動はこれで二度目ですよ。
一度目は太閤殿下の気転で領地替えで済みました。
こちらの豊かな領地を取り上げられ、
代わりに一揆で荒れた領地を渡されました。
それにも関わらず、殿、二度目の一揆扇動とは。
公儀の我慢の限度を超えてしまったようです。
証拠が掴めないから、此度は公儀の枠外とされましたが、
これは実質の追放処分です」
景綱が盛大な溜息を漏らすと、大広間の者達も追随した。
政宗は言葉を失った。
上座で身が縮む思いがした。
それを助けるように重臣、留守政景が口を開いた。
「秀宗様はどうなさっておられるかのう」
政宗の嫡男、秀宗が大坂城で上様の小姓をしていた。
太閤殿下の猶子とされたが、その実質は人質。
景綱が答えた。
「書状には書かれておらぬ。
公儀も元服前の子供に無体な真似はせぬであろう」
「そうであれば良いが」
「それも含めてこちらから使番に書状を持たせた。
秀宗様宛と公儀宛だ。
船便なので早く着く筈だ」
景綱は視線を政宗に戻した。
「お館様にも書状を書いて頂きます。
親しい大名の方々や内裏、寺社商家です。
使える伝手は全て使います。
特に取次の浅野長政殿が頼りです」
五奉行筆頭の浅野長政が伊達家と公儀の取次を行っていた。
「相分かった」
重臣の茂庭綱元が景綱に尋ねた。
「御掟破りの処置といい、上様は遣り手かのう」
お主は彼の方をどう見る」
景綱は綱元を見て答えた。
「それは、・・・時節がお味方したのでしょうな」
「時節か、・・・もしかして太閤殿下の置き土産か」
「そうです、貴殿も分かっていたのですな」
景綱は丁度いい機会とばかり、皆を見回した。
「渡海した大名衆は半島での働きがほとんど無にされました。
ご存知のように当家もです。
用心深い大名衆は口にこそしませんが、
それが形になったのが豊臣家子飼い大名衆の争いです。
武断派と文治派」
綱元が大きく頷いた。
「そこへ降って湧いたのが御掟破りか、なるほどな」
「誰もが半島で版図が得られなければ、代わりに関東はどうだ、
そう思ったのではないですかな。
関東は広いので充当できます。
運の悪いのはそれに巻き込まれた島津家と当家ですな。
本来であれば当主の押し込めで済ませられるのですが、
これでは済ませそうには有りませんな」




