(慶長の伊達家騒動)5
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一揆勢の砦は元々は社寺跡地の為、地勢は良かった。
北への街道を望む高台にあり、水源にも困らなかった。
竹が生えた諸施設から小獣等を追い出して床や壁を手直しした。
屋根も簡易に葺き、空堀で高台を囲った。
そこに万を超える一揆勢が集まった。
全員が社寺跡地に収容できた訳ではない。
半数近くは後背地の森に、掘っ立て小屋を拵えた。
生木で組まれた小屋が立ち並んだ姿には、彼等自身が呆れた。
とにもかくにも、森の中に貧困な大きな村が出現した。
不平不満は出なかった。
糧食に恵まれていたので、普通の村住まいよりも良かった。
襲来した佐竹軍を目の前にして一揆勢の軍議が二つに割れた。
あくまでも佐竹領に固執する一派。
こちらは佐竹家により滅ぼされた常陸の氏族が中心であった。
小田氏、江戸氏、武田氏、鹿島氏等々。
対して北の伊達領に逃げ込もう、と主張する一派。
こちらは先の葛西大崎一揆に恨み骨髄の氏族や、
北条由縁の氏族が占めていた。
佐竹軍は包囲策を取らなかった。
先鋒が正面から押して行く。
「門を破れ」
遠間からの弓射と銃撃の援護下、丸太を抱えた足軽達が数組、
表門に突進して行く。
だが、そうそう簡単に破れるものではない。
それでも先鋒を率いる真壁氏幹は退かない。
大量の矢弾の援護が効いて敵の反撃は散発的なもの。
被害が少ないので力攻めを緩めない。
勿論、裏門から出て来る敵勢にも備えていた。
ただ、その可能性は低い。
車斯忠と一揆勢の談合が成っていたからだ。
一揆勢全体とではないが、内密に、半数近い勢力と合意に達した。
それは一揆勢分裂を意味していた。
裏切られる事がないのは大きい。
車斯忠の口説く力もだが、一揆勢諸勢力の抱える事情から、
その点は自信が持てた。
裏門を見張っていた物見が戻って来た。
「粗方が裏門から脱出いたしました」
脱出した者達の腰の指物から、
それが車斯忠との談合に乗った一揆勢、と分かった。
砦にしがみついているのは佐竹憎しの一揆勢ばかり。
氏幹は尋ねた。
「荷馬車は」
「そちらもかなりの数になりました」
談合組は、当分は武具や糧食には事欠かないようだ。
「森の中に残留した者達は如何ほどか」
「千を超えるくらいです。
ほとんどが北へ向かいました」
事前の読み通り、七千近い数が離脱した事になる。
残留しているのは三千とちょっと。
氏幹は指揮下の先鋒に新たな指示を下した。
「砦から脱出した連中を追う。
ゆるりと砦から退き、こちらへ合流するように」
勝手に先走って談合組を追撃されてはお話にならない。
こちらの役目は一揆勢を追った体で伊達領内に入り、
橋頭堡を築くこと。
それでも、伊達家が一揆勢もしくは橋頭堡確保の邪魔立てすれば、
一戦も辞さず、との覚悟はあった。
その為にも先鋒の手綱はしっかり握って置きたい。
砦に残留した一揆勢は佐竹先鋒が退いて行くのを見送り、
大いに勘違いした。
全軍が退いて行く、と。
事実はそうではなかった。
佐竹の本隊は後方、一日の距離にあった。
その本隊は翌日、先鋒の後を追わず、
入れ替わるように砦へ向かって来た。
森の中の掘っ立て小屋に残った者達を撫で斬りにして、
蟻の這い出る隙もないくらいに囲んだ。
一揆勢の首脳部は本隊の位置は把握していた。
しかし、それは下の者達には伝わっていなかった。
上と下の認識が乖離していた。
上の者達は佐竹本隊の出現に平然としていたが、
下の者達はそうではなかった。
再び囲まれて、あまりの事に愕然とした。
しかも、撫で斬りされた者達の首が表で晒された。
佐竹本隊は憎い事に翌日には包囲の一角を解いた。
裏門周辺から兵を退いた。
窮鼠、猫を噛む、を恐れた。
しかし、裏門から退いても正面からの攻撃の手は緩めない。
先鋒と同様の攻め方をした。
ただ、攻め急ぎはしない。
佐竹義重は諸将に任せて攻撃の様子を見守っていた。
余裕が垣間見られた。
時折、ニヤリと笑う。
義重の隣に並ぶ車斯忠が何気なく呟いた。
「人が育っておりますな」
それに義重が応じた。
「そうだ、これが佐竹の強さだ」
義重が間を置いて続けた。
「斯忠、常陸に異端な者は要らぬ。
この機会に徹底的に潰す」
「裏門から逃げた連中にも多少は常陸の者が紛れているでしょう」
「そんな連中が何を言おうと、誰も相手にしない。
一揆勢にとっては裏切り者だからな」
「確かに」
義重が砦を見ながら斯忠に尋ねた。
「ところで話は変わるが、一揆勢の様子がおかしくないか。
伊達家が退いたのに、崩れる様子が全くない」
佐竹領内だけの事ではない。
奥州の一揆勢全体に異変は見られない。
伊達家が退いたのにしっかり機能していた。
斯忠は頷いた。
「某もそう思います。
馴染みの上杉の者によりますと、風魔の臭いがするそうです」
上杉と佐竹の親しさの現れは互いの忍びにも影響した。
書状は別にして、文ともなると忍びの手を介されて届けられた。
その上杉の忍び、軒猿によると、
一揆勢の周辺に風魔の臭いがする、と。
北条家に仕えていた忍び、風魔一族。
北条家の滅びと共に、その名は世間の口上から消えた。
義重にとって北条家はかつての宿敵であった。
「すると北条氏規殿か。
その伝手で風魔は徳川家に仕えているのではないのか」
太閤殿下に許された北条家縁者は幾人かいた。
その一人が北条氏規。
今川義元健在の頃は人質として駿河にいた。
当時の人質仲間が徳川家康。
斯忠が首を傾げた。
「二年ほど前に氏邦殿が亡くなられましたが、
お子も前田家に」
もう一人は北条氏邦。
その子が跡を継いで前田利家に仕えていた。
「風魔は徳川家と前田家に割れたかも知れぬと申すか」
「おそらく。
それに、太閤殿下も忍びを大事になさっておいででした」
太閤殿下の人材集めは事に有名。
文官武官だけではなかった。
文人墨客や職人も招聘した。
義重は天を仰いだ。
「豊臣家にも流れた訳か」
間を置いて斯忠に尋ねた。
「その豊臣家の忍びだが、今は誰が束ねている」
「片桐殿はないでしょうな。
あの方は忙し過ぎる。
となると、五奉行衆・・・、それもないですな。
公儀の事で忙しいでしょうし。
もしかして今の上様の周辺のどなたかでしょうか」
奥羽、岩出山城。
片倉景綱は常陸へ向かおうとしていた。
供回りはほんの小数。
早さを重視して伊達家馬廻りから選りすぐった十騎。
今まさに表門が開かれようとした。
その時、そこへ使番が飛び込んで来た。
「ご注進、ご注進。
上番の鈴木元信よりのご注進でございます」
鈴木元信は伊達家の重臣の一人で、
常陸との国境を受け持っていた。




