(慶長の伊達家騒動)3
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伊達政宗は押し込められた訳ではない。
伊達家の家政から遠ざけられただけ。
それでも片倉景綱達重臣の温情で、城中は自由に出歩けた。
困ったのは側仕えの近習や小姓までが一新されこと。
新任の彼等の役目は政宗の見張りであった。
その影響で家臣との接触が激減した。
暇になった政宗は書院に籠る事が多くなった。
そんな政宗を哀れに思ったのか、
景綱が「小人閉居して不善をなす」と言い、
刻々変化する外の様子が分るようにしてくれた。
政宗の書状を受けた近隣の大名から直ちに返書が来た。
縁戚の大名が多かったが、無縁の大名と大差ない返書であった。
上様に謝罪せよ、公儀に謝罪せよ、と。
ただし、それに手を貸すのもやぶさかでない、との文言はなかった。
誰もが腰が退けていた。
それらとは別に畿内に送った書状が効果を現した。
主に公家公卿衆や寺社筋に。
島津家や徳川家からの働き掛けもあったのだろう。
公儀が島津家討伐や一揆鎮圧に錦の御旗下賜を願っているが、
それを遅らせるようにする、と返書が来た。
拒否する、ではないのが残念であったが、
引き伸ばしで時間が稼げるのは助かった。
久々に景綱が書院に顔を出した。
頭を深く下げて言う。
「お館様、ご不便はございませんか」
「ご不便だらけだ。
・・・。
景綱、顔色が悪いな。
何があったのか、申せ」
自嘲気味な色の景綱。
ゆっくり政宗を見上げた。
「公儀の事です。
内裏から下賜される錦の御旗が滞っているのに業を煮なしたのか、
公儀自身で錦の御旗を作りました。
それを討伐軍鎮圧軍双方に下賜するそうです」
「へっ・・・」
政宗は理解が追い付かなかった。
景綱が言う。
「それだけでは御座いません。
内裏へ献上する額も減らしたそうです」
前の太閤殿下は内裏を懐柔するのが得意であった。
大金を投じて公家公卿衆をねじ伏せ、通すべき物を通した。
「それは上様のご指示か」
「自らの口でそうご指示なされたそうです」
景綱に尋ねられた。
「ところでお館様、教えて下され。
徳川殿を動かす為に一揆を扇動されたのですか」
政宗は首を横にした。
「否、ただの偶然だ。
当家の石高を元に戻そうとしただけだ。
そこに島津家の騒ぎが起きた。
それを聞いて喜んだ。
西と東で騒ぎが起これば徳川殿が動くかも知れぬ、
そうは期待した。
まあ、期待外れではあったがな」
「そうでしたか。
・・・。
御掟破りの大名衆も加われば、
さぞかし面白きことになったでしょうな」
「確かにな、儂もそう思った。
島津家が騒ぎ、一揆が広がり、そこで徳川殿が動けば、
御掟破りの大名衆も動く筈だ。
ところが肝心の徳川殿の腰が重い。
もうあの方は齢かな」
景綱は少し間を置いた。
「何事につけ、あのお方は慎重なのです。
関東には勇ましい方々も居られますが、幸いと言うべきか、
家康殿は今は大坂で謹慎中。
周りも慎重派の方々が多いように見受けられます」
政宗はジッと景綱を見た。
「ところで筆頭家老殿よ、儂をどうする」
景綱は半笑いで見返した。
「どういたしましょうか」
「儂が聞いているのだがな」
「そう申されても某だけでなく、お歴々方も困っておるのですよ」
重職親族共に戦を通じて仲を深めた。
裏切りはない、と信じたい。
「押し込めはしないのか」
「そうしたいのも山々ですが、そうすれば家中が二つに割れます」
政宗は視線を外さない。
「やはり割れるか。
・・・。
筆頭殿は押し込めに同意するのか」
景綱も目を逸らせない。
「筆頭家老の職からすれば当然です。
一番のお役はお家の存続ですからな」
「お役目か」
「お館様に頂いたお役ですよ。
お役に就いたとき、お館様に、お家の存続を命ぜられています」
「そうであったか、忘れていた」
お役目とか押し込め云々は、そもそもは太閤殿下に起因した。
葛西大崎一揆扇動を余裕で流した太閤殿下であったが、
寄る年波によるものなのか、
その後の豊臣秀次切腹の一件では余裕が掻き消えた。
疑心暗鬼となり、秀次と親しかった伊達政宗の関与を疑った。
己の死後、秀次に加担して秀頼に謀反するのでは、と。
それは太閤殿下だけではなかった。
公儀大人衆の間でもそう囁かれた。
これに慌てて火消しに走ったのが伊達家の重臣親族達。
連署で太閤殿下に申し入れ、伊達政宗に叛意あらば、
直ちに押し込めて家督を嫡男に譲らせる、と誓約した。
すでにその太閤殿下は遥か遠き泉下。
伊達家は公儀の枠外とされたいま、
その誓約が有効かどうかは知らない。
知らないが、重職親族一同は有効と考えているらしい。
政宗はそれを払拭したいのだが、生憎それは今ではなかった。
もっと大きな問題が差し迫っていた。
そう、一揆討伐軍。
誰もそれが一揆討伐だけで終わるとは考えていない。
さりとて迎え撃つ態勢を取るのも躊躇われた。
政宗の耳に外の様子が次々に齎された。
「徳川家が一揆討伐軍の関東通過を認めました」
これに政宗は落胆した。
己が関東の大領を得ていれば、これを許さず、
一戦も辞さないものをと地団駄を踏んだ。
東と西で火の手が上がれば、御掟破りの諸大名衆を誘い、
大坂に攻め上るが武家のあり様。
「一揆討伐軍が関東を通過しだい、
秀忠殿ご正室のお江様が大坂へ里帰りされるそうです」
里帰り。
都合の良い言葉があったものだ。
人質ではないか。
これに同行するのは家康六男の辰千代殿と護衛の酒井家次。
辰千代殿は政宗の長女五郎八姫の許婚。
酒井に至っては徳川家を支える柱の一つ。
太い人質もあったものだ。
「大坂の城下でお馬揃えがありました。
そこで錦の御旗が下賜されました」
かつてお馬揃えは京の都大路で盛大に行われた。
これは錦の御旗下賜の問題が尾を引いた形だ。
公儀は今回の錦の御旗を武家方の錦の御旗と言っているが、
たぶん、次からもこれが常態化するだろう。
政宗は豊臣家や公儀の焼け太りを忌々しく思った。




