06:30 AOI
たしかに、昨日に比べて朝霧が強く、どことなくひんやりとした空気が鼻腔から肺を凍らせていた。冬の寒さではなかったけど――例えるなら葬式のような冷たい空気だ。
お姉さんの後ろを追従すると、遊具を撤去された寂しい公園ほどの広場にたどり着いた。そこには一台の車が留まっていた。車と言っても自家用車とかスポーツカーのような現代的な乗用車ではなく、歯車仕掛けの6輪自動車であった。リムジンのように横に長く、キャンピングカーより車高は少し低い。どちらかと言えば馬を必要としない馬車のような、前衛的なデザインである。
「誰かいる。お姉さんの知り合いですか?」
荷台に座っている老人と、降りて火を見守る少女がいた。
二人はぼーっと火を見つめるだけで、ナミダたちがその周囲で腰を下ろしてもなにも反応がない。火が消えるのを延々と待ち続けているような、そんな雰囲気を醸し出している。
「この二人は、いわゆるNPCってやつよ。こちらから話しかけない限りは反応してくれないの」
「NPC……?」
その常盤言葉はナミダが現実世界で何回か聞いたことがある。Non Player Character の略称だったか。ゲームの中のキャラで、主人公以外の操作しないキャラクターである。
仲間のことを指すこともあるし、それは敵かもしれない。一貫しているのは中身が存在しないということだろう。
「二人の姿をじっと見つめてみて、そうすると名前があなたの視界に浮かび上がるでしょう」
言われるがままに2人の姿をまじまじと観察する。
カップル――というわけでは無さそうだ。男性は白いひげに白髪、それがシラガなのかは判別不能であるが、顔に刻まれた皺の数と歴戦の傷跡が過去の栄光を物語っている。『竜殺しのザルファン』という名称が表示されるが、きっとこれが彼の名前なのだろう。その異名も納得できる、本人はコートのような軽装ではあるが極大剣を背負い、なまくら寸前になるまでそれを振り下ろし、浴びた血を吸って錆びついていた。
「こんにちは、えっと……ザルファンさん」
ザルファン:「……」
「お、お姉さん。全然相手にしてくれないんですけど」
「確かに不愛想なNPCね。でも大丈夫よ、ほらもう一人女の子がいるでしょう」
フードを深々と被った少女がずっと火を見つめながら座っているのは知っていた。二人がどういう関係なのかが気になるところだが、何はともあれご都合主義なこの能力を使用して素性を探るのが先決だろう。
体系はかなり小さく、小学5年生ほどの年齢だろうか?
して、視線を少女に向けると表示されたのは『ネイグリッド通りの異端の蛇の眼、ザナ』やたらと長い異名であった。なんだか複雑な背景を持っていそうで話しかけるのをためらうが、お姉さんが親指を立てて「話しかけて」って目で訴えるのでしぶしぶ声を掛ける。
「あ、えーっと、ザナさんで合ってますか? お話しても大丈夫です?」
ザルファン:「視線を合わせるな。そいつと視線を合わせると石になる」
少女の代わりに応えたのは、寡黙を貫いていたはずの『竜殺しのザルファン』である。低く、何かを諦めたかのような声色だ。諦めたかのような、と言うよりはナミダとウルフの女性のことがどうでもいいという感情が込められたような、そんな声だった。
「石になるって。そんな空想上の化け物みたいに――」
ザルファン:「そいつはとある懐術使いの奴隷だった。懐術使いはに目を潰されたが逃げ出すことができた。野垂れ死にしそうになった寸前で悪名高い蛇の悪魔と契約した奇形児だ」
ずっと頭上に貼り付いていた日陰効果ゼロのルルゥ帽子は「混合異形生物か……」とつぶやいた。
「キマイラ? キマイラってあの、動物と動物が融合して魔物になっちゃったとかそういうやつ?」
日本にもたしかそのような伝承の妖怪がいたはず。サルの顔、トラの胴体、そして蛇の尾を持つやつだった気がするが。
「オレさまみたいな生まれながらに賢者の異名を与えられた奴とは違って、混合異形生物は錬金術研究科や医学者によって他の種族の血が混ざり、遺伝子を組み替えられた生命体だぜ。十六禁忌魔法の『生死』『創造』『細胞』に分類される存在だ」
「なるほど……。その実験の被害者がザナさんってことか。ひどいな」
「十中八九、そうだろうなぁ。なぁアンタ、その懐術使いは『細胞』の禁忌魔法を使うんじゃないか?」
ザルファンはゆっくりと視線をルルゥに見上げる。その途中でナミダとも一瞬目が合うのだが――眉から頬にかけて大きな傷が入ったその瞳は冷たく、いくつもの竜を凍らせたような気迫がある。
ザルファン:「……そうだ。『細胞』の禁忌魔法がどこに潜んでいるのかは分からないが――見つけ次第殺す」
「ザルファンさんは、どうしてそこまでザナに固執しているんですか?」
少女はずっと火を見つめていた。誰とも視線を合わせることができないということは、常に下を向いて歩かねばならない。その辛さがなんとなく理解できるナミダだった。
ザルファン:「俺とこの悪魔は切っても切れない関係なのさ。この悪魔が代わりの眼球を見つけるその時まで、永遠に……」
『アイテムを所持していません』
システム上のメッセージが表示された。
アイテムを所持していない? どういうことだろう。
彼らとの会話が終了したようで、二人は再び小さな炎に視線を下ろして静かな時間を過ごしていた。
「アイテムを所持していませんって出たでしょう。私も表示されたんだよね」
「お姉さんも表示されたんですね」
「こほん。アオイ」
「え?」
「私の名前! アオイって言うの。よろしくね」
得意げにウィンクするお姉さん、名をアオイ。年齢は20代前半くらいで年上に感じるが、少し子供っぽい雰囲気もあってずいぶん可愛らしい一面を持ち合わせてる――その上巨乳と来たもんだ。いいことづくめなお姉さんと一緒に冒険ができるなんて、前世で徳を積んでいたのか。
「ごめんなさい! えっと……アオイさん」
「アオイでもいいよ~。まぁ最初は呼び捨てなんてできないと思うから、アオイさんって呼んでいいよ」
すぐに肩にボディタッチしてくるアオイ。分け隔てなく、みんなに好かれるタイプなんだろうなと解釈する。
「よ、よろしくお願いします」
アオイのいたずらっぽい笑みに夢中になりかけるが、現実のことを考えると興奮がスッと身体の内側から抜け落ちた。
どこか違和感のようなものがあったが、その正体をつかむことができずにいた。




