12:25 ジンという男
ジン。そう名を呼ばれた男は、ナミダの後ろで呆然としている少女に手を振った。
「……おお! カエナさんじゃないですか! お久しぶりです!」
カエナの元に駆け寄り、長い髪の毛先から根元にかけてを撫でようと手を伸ばす。が、腕を軽く叩いて、「やめて」と呆れたような声で振り払った。
「ごめんね、タナトスくん。この人はジン。その……一応知り合いなの」
「知り合いも知り合いですよ。ワタシはカエナの元カレという奴ですからねぇ」
なるほど、そういうことか。ジンは急に馴れ馴れしくなって、カエナの真後ろに回って肩を揉む。
道に落ちていた犬のクソを踏みつけたかのような表情を浮かべてながら「今は他人だよ」と嫌味を込めて言った。
「ジンさん、ですか。イケメンさんですね! よろしくお願いします。えっと、僕の名前は――」
名乗ろうとすると、カエナは振り返ってナミダの左隣に立つ。彼の腕に、細い腕を絡ませたのだ。って、え?
「この人はタナトスくん。アタシの今の彼氏なの。だから近づかないでもらっていい? あんたの汚い菌が移るから」
片目を閉じ、そう宣言する。戦慄するような殺伐な空気に、ナミダの尻穴がきゅっと動いた。
「え!? お、おい」
「それはおめでとうございます。タナトスくん。とてもいい女性を見つけましたね」
ジンは何が何だか分からずに混乱するナミダの右隣りから素通りし、その場から立ち去ろうとする。その瞬間であった。
「身の為だ、その女から手を引いておけ」
低い声で、耳打ちされる。派手な女パーティに行く際に手首に付けそうな、高級な香水の香りがナミダの鼻をくすぐった。
「ジンさん。なんでそれを、わざわざカエナの目の前で僕に伝えるの?」
「ああー、聞こえていたならごめんなさい。独り言なので気にしないでいただきますかね。それとも――カエナ、あなたの彼氏は盗聴癖でもあるんですか?」
カエナはナミダの腕から離れて、勢いよくジンの大きな身体に迫って平手打ちする。乾いた音が、遠くの森にまで響き渡る気がして、思わずナミダは息を呑んだ。
う、と小さく唸ってよろめくジンは、気味の悪い笑みを浮かべて「こういう女ですよ、カエナは」と続ける。
「重要な決断も自分では決めれず、逃げて自殺した馬鹿な女です」
「あれは――あんたが原因じゃない!! あなたがいたからマヒルは――」
マヒル? 女性の名前だろうか。新たな登場人物を確認したが、二人にとっては因縁の名前らしく、睨み合いが続いた。
再びジンは弓のみを取り出し、矢の羽根を右手でつまんで強く引く。構えはド素人で、順序もぐちゃぐちゃではあるが、顔つきは真剣で的をナミダの心臓に定めている。
「“獣”よ――」
「やめて」
うっすらと、ジンの右腕には赤い影が宿る。その影の正体が何か判明する前に、カエナがナミダの前に立って大きく腕を広げた。指先と声が少し震えている。
「暴力で解決する気? あなたがその気ならアタシだって力を使う」
「はったりですね。臆病で逃げたカエナには何もできない」
「逃げて自殺したのはジンもじゃない。じゃなければこの世界にいないはず」
しばらく二人は睨み合って、一触即発の雰囲気であった。ナミダはカエナの能力にひどくおびえて、動けなかった。あの戦慄の瞬間がもう一度目の前で繰り広げられるのではないか、と恐怖で頭がいっぱいだ。
「ふん、好き勝手に言えばいい。お前ひとりじゃこの世界を生きられない、どうせ死ぬんだよ! カエナ、それにタナトス。お前ら二人とも地獄行きだ!」
ジンの赤い影がすっと消えうせて、弓をゆっくりと下ろす。
じゃあなゴミどもが、と手を振って村から橋を渡ってすずらん畑の奥に消えてゆく。
「ぷあぁ」
完全にジンという名の男が姿を消すと、プレートの間に挟まっていたルルゥが地面に降りて、ぶくぶくと泡を吹いて苦しそうにしていた。




