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11.裏庭の諍い

それからダッドリーとパスカルの二人が姿を現すと、私たちを庭園まで連れて行ってくれた。ハリーが公務を終わらせるまでお供しますと言っていた。

 王妃様の庭園は王妃様がおっしゃる以上にとても美しかった。花壇の花々はとても細かく色を配置されていて、一枚の絵画のようだった。


「あ」

 小さく声を上げた私に、アメリア様が「どうしたの?」と問いかけた。

「扇を、サロンに忘れてきたようです」

 義理の母であるミレーネ侯爵夫人が贈ってくださった扇を、どうやらテーブルの上に置いたままにしてしまったらしい。


「取りに行ってきます」


「ナスカ、一人では危ないわ」

 私よりもよっぽど一人にしたら危なそうなアメリア様が言うので、思わず吹き出してしまってから、「大丈夫です」と笑い返した。


「お供しますよ」

 ダッドリーだかパスカルがそう言ったけど、アメリア様に何かある方が大変だから、と固辞した。ましてここ王宮だし。何かあるわけもないし。


 ダッドリーさんもパスカルさんも、私の申し出に、そう? ならいいか、みたいな雰囲気を醸し出している。

アメリア様の方が正式な婚約者だしね。


 急いでサロンに戻ると、長いテーブルの上、着席していた席に透かし彫りの扇が置いたままになっていた。

「あった」

 誰もいない応接室に入ると、さっきの王妃様の言葉が耳によみがえった。


 歓迎なんて、されないってことか。


 ぎゅっと扇を握った。


 わかっていた。ハリーが言い出したことなんてハリーの夢物語みたいなものだって。私だって、今でも村に帰りたいって思ってる。

 

 ――思ってる?


 じゃあなんで、私は素直にアメリア様のおうちでお妃教育なんて受けているの?


 とぼとぼとサロンから庭に向かう途中。中庭に出る廊下に向かおうと思っていたのに、考え事をしていたら、やけに殺風景な場所にたどり着いていた。


 あれ?


 気がつけば人気もなく、石畳でもなくなっている。見上げれば灰色レンガの塔がそびえたっているから、城の裏側だろう。

 

 どこ? ここ。


 考えてみたら初見の場所で私、迷子にならないわけがない。何が大丈夫なんだ? 少し前の私!

 頭を抱えながら、引き返そうと踵を返して歩きだした。すると、少し先の辺りから人の話し声が聞こえてきた。

 これで道を訊ける。

 ほっとして、人の話声のする方に近づいた。


「……が、命令だ」

「王太子だろ?」

「仕方ない。ボールネ公もこちらの……」

 ぼそぼそと声が聞こえた。


 命令?

 王太子?

 ハリーのこと?


 思わず近づいた。

 

 その時に草を踏んでしまった。青葉の下にあった枯れ草ががさりと音を立ててしまい、予想外に大きな音に焦った。


「誰だ!?」


 声が上がった瞬間、空気が変わったのが分かった。男たちの焦る声に、私の心臓も一つ跳ねて、とっさにここにいてはいけないと感じた。

 

 マズい!


 慌てて踵を返した。このドレスでどこまで走れるかわからないけど、とりあえず走る。

 

「女か!?」

「誰だ!?」

 一瞬振り返った時に、青い衣が見えた。


 その青い衣装に見覚えがあった。王宮の門で見たあの騎士服。あれは――青色だった。


 じゃああれは王宮騎士?


 でもどうして王宮騎士がこんなところにいるんだろう。

 頭の中に色々疑問が浮かびながら、捕まったらいけないと走った。でも、布張りの踵の高い靴で走れるわけもなく、背後から足音がどんどん近づくと、腕を掴まれた。


「ここで何をしている!?」

 王宮騎士は二人だった。背の高い男と、小太りでそれほど背の高くない、でこぼこの二人だ。腕を掴まれたまま、いきなりの詰問にどうしていいかわからずにおろおろする。


「あの、道に迷ってしまったようで……」

 私の言葉に騎士たちが顔を見合わせた。

「道? ここは王宮だぞ?」

 男は道に迷うのが意外といったように驚いている。


「何ぶん、初めて訪れましたので」

「お客人――か?」

「はい。王妃陛下にお招きをいただきました」


 その言葉に二人は顔を見合わせて、はっとする。慌てて私の腕を離すと、恭しく礼を取る。


「これはボールネ公爵令嬢にあらせられますか?」

「あ、いえいえ。ミレーネ侯爵家の方ですけど」


 名乗った途端に、騎士たちはあからさまに顔が変わった。


「――なんだ、平民上がりか」

「平民が王宮に招かれるとは、落ちたもんだな」

「王太子が突然連れてきたんだろ? 何を考えているのやら」

 

 二人はそんなことを言い出した。

 小バカにしたような二人のやり取りに、頭にかっと血が上る。


 何で、何でこんなことを言われなきゃいけないんだろう。


 見ず知らずの人たちに。


 そうだ。私はどんなに取り繕ったって、コーンウォルズ村のナスカでしかない。外見を変えて、中身をそれっぽくしてみせたって、ナスカであることには変わりない。

 私は――


 ぎゅっと唇を噛みしめた。


「――そこにいるのは誰だ?」

 背後から突然声が聞こえて、私の腕を掴んでいた騎士がびくっと体を震わせた。

 

「おや? ミレーネ侯爵令嬢?」

 振り返ると、立っていたのはアーノルド殿下だった。王宮騎士の二人を見据えてから、私の顔を見ると、ふっと目元を緩めた。


「どうなさったのですか? このようなところで」

 私に向かってそういうと、騎士たちにそっと目配せをする。騎士たちは私を掴んでいた腕を離すと、その場で礼を取った。


「あの、迷子になってしまいまして」

「あはは、ミレーネ侯爵令嬢らしい」

 アーノルド殿下が笑う。

 とても気安そうな殿下の声音に、ほっとした。


「君たち、ミレーネ侯爵令嬢の腕を掴んでいたけれど、ご令嬢がどうかなさったのかな?」

 二人に向き合うと、アーノルド殿下が下問する。


「あ、いえ。われらの会話を盗み聞きしていたようなので、追いかけただけです」

 背の高い男の方が殿下に説明する。


「そう――。

 このようなところで、誰かに聞かれたら困るような会話をするのは感心しないね。君たち」

 ゆっくりと、騎士二人を見据えて殿下が言う。


「あの、私は何も聞いていませんから」

 私のことはお気にせずに。そう続けようとしたら、アーノルド殿下が壁に伝うツタを引きちぎった。


「ところでナスカ嬢――」

 アーノルド殿下が私の顔をまっすぐと見据える。


「はい?」

 と首をかしげると殿下は真顔だった。


「あなたは何を――聞いたのですか?」

 問いかける声音が低くて、背筋がぞっとした。


「あの……」

 びくっと肩が震えて、後ずさった。

 その距離を詰めるように、殿下が一歩前に出る。


 怖い……。


 殿下は柔和な笑顔を作ると、私に向かって一歩近づく。


「ねえ、ナスカ嬢」


 また一歩じりっと砂を踏むような音を立てて、近づいてきた。



「ナスカ、そこにいたのかい?」

 突然明るい声が聞こえてきて、はっと顔を上げた。

 目の前にはハリーが立っていて、私の顔を見て微笑んで足早に近づいてきた。


「おや? アーノルド?」

 私に対峙していた殿下を見て、ハリーが声をかける。

 アーノルド殿下の後姿に呼び掛けるハリーの声に、殿下の顔が振り返るその一瞬、ほんの少しだけ歪んだ。


 え?

 見間違いかと思うほど、ほんの一瞬のことだった。


 すぐに殿下は笑顔になるとハリーの方へ振り返る。


「兄上、ナスカ嬢は迷子になってしまったようですよ」

 そういうとハリーに道を開けて、私の方を指し示す。


「大丈夫かい? ナスカ」

 優しく呼び掛けて、そのまま私の元へ来るとその腕の中に包んだ。

 ハリーの声に妙にほっとして、腕の中がやけに暖かく感じられた。彼は私を見ると安心させるように優しく微笑んだ。


 ……きっと、ひどい顔をしていたに違いない。


「大丈夫だよ、ナスカ」

 その一言に、なぜか妙に涙が溢れそうになった。


「アーノルド、ナスカを保護してくれたんだね。初めて訪れる王宮だからナスカも心細かっただろう。君がいてくれてよかったよ」

 ハリーがアーノルド殿下にそう明るい声で語り掛けながら、私を抱きしめる手に力を込める。

 ざっと砂の音がして、騎士たちが再び膝をついたのが分かった。


「いえ。礼には及びません。そこの騎士たちがナスカ嬢を詰問していたので、何があったのかと声をかけたまでですから」


「ナスカに?」

 驚いたような声音で問いかけると、ハリーが騎士たちを見る。

 騎士たちはばつが悪そうな顔をすると、そのまま顔を伏せていた。


「ナスカが何かしたのかな?」

 そう問いかけると、騎士たちは俯いたままだった。ハリーが私の顔を覗き込んだので、黙って首を横に振った。


「もしかして、君たちもナスカが困っていたのを助けてくれたのかい? だったら、礼を言うよ。ありがとう。

ところで、君たちは休憩中なのかい? そうじゃなければ、持ち場に戻るといい。ここは見回りが必要な場所ではないはずだ」

 ハリーのにこやかな声が聞こえてきた。だけど私の背中に回すハリーの手に力が込められて、彼が怒っているのが分かった。


 男たちはハリーの言葉に、顔を見合わせてから「失礼します」と慌てるようにこの場を離れた。


「ナスカ嬢。兄上が来られたのなら安心ですね。

 では、私も失礼しますね」

 アーノルド殿下は二人がこの場を去るのを見てから、柔和な笑顔のままハリーに礼を取った。


 私とハリーはアーノルド殿下の姿が見えなくなるまで見送ってから、ほうっとため息を吐いた。


「――ごめん。怖い思いをしたね」

 ハリーが一つ深呼吸をしながら優しく語り掛けるその声に、無性に苛立った。

 気がついたら私の腕を掴んでいるハリーの腕を乱暴に振りほどいていた。


「ナスカ――?」


 突然の私の行動に、ハリーが驚いたように私を見る。私たちは向かい合ったまま、ハリーの顔を睨みつけた。


「なんで?!

 ねえ、ハリー、何で私がこんな思いをしなきゃいけないの!?」


 さっきの騎士たちの言葉が頭の中をぐるぐるする。

 ――平民上がりが。

 彼らは明らかに私を見下していた。

 初対面なのに、ミレーネ侯爵令嬢だとわかると途端に馬鹿にしてきた。


 どんなに綺麗なドレスを着ても、それなりのマナーを身に着けてみても、結局出自だけで馬鹿にされることには変わりない。


 怖い思い?

 ここに来るまで、あんな風に他人にバカにされたことなんてなかった。

 村にいたときは、私を馬鹿にする人なんていなかった。嫌なことがなかったとは言わない。口さがない大人もいたけど、あんな悪意にさらされたことなんてなかった。


 そんな思いをさせているのは、ハリーじゃないか。


「ナスカ、いきなりどうしたの?」

 突然まくしたてる私に、ハリーは何事か分からない様子で、おろおろする。


「いきなり――?

 いきなりなんかじゃない! 私はずっと村に帰りたいって言ってた!」


 ハリーに向かって怒鳴ってから、息が上がって自分の肩が揺れているのが分かった。


「王妃様だってそう! 何で? 何で私があんな風に馬鹿にされないといけないの!?

 村で飲んだお茶はとても美味しかった! ハンナやマリー、お母さんや、作業の間に村のみんなとお茶の時間に楽しくおしゃべりしながら飲んでいたの。

 庶民のお茶――? だから何よ!? どうせ私たちはお貴族様に卸した後の、クズのような葉を集めて飲んでいるわよ! それを美味しく飲もうと努力して、今の形ができたのよ! それを馬鹿にされる謂れなんてない!!」

 叫んだら、涙が出てきた。


 泣いている私に、ハリーが手を伸ばす。

 それを跳ねのけたら、ハリーが驚いて私の顔をまっすぐに見た。


「――ごめん」

 ハリーがそう呟いてから、目を逸らした。


「私にはわからないの! わからないのよ! ハリーが何で私を連れてきたのか。突然ここに連れてこられて、婚約破棄をするから婚約者になってほしいって、どういうことなのよ!? 私、ちゃんと説明してもらったことすらないんだから!」


 私の言葉にハリーが目を瞠る。

 今初めてそんなことに気がついたという風に、愕然と顎を抑えた。


「ナスカ、ごめん!」

「謝られたってどうしようもないわ。今までハリーに会えて懐かしかったし、きれいなドレスを着させてもらって、村で食べたこともないような食事をさせてもらって、だから言われるがままにしてきたけど、いい加減、こんなわけのわからないこと、もう嫌なのよ!

 ――お願いだから、もう村に返して」


「……いやだ」

「は?」

「それだけは嫌だ」

「え?」

 何言ってるの?

 そう問い返しそうになった私の言葉をハリーが制する。


「僕は!」

 勢い込んでそう言ってから、ハリーが言葉を飲み込む。

 目を逸らしたまま一瞬言葉を失ってから、ハリーが思い詰めたように顔を上げた。


「会いたかったんだ! ただ君に会いたかったんだよ!」

 そういうと、くしゃくしゃと前髪を掻きむしった。


「何も自由にならない毎日の中で、君の存在が僕にとってどれだけ支えだったか――。

 あの日が差す明るい村で過ごしている君には絶対にわからない!」


 ハリーはそう叫ぶと、私の腕を掴んだ。


「僕がナスカに会いたいと思ったら、もうこれ以外に方法はなかったんだ! 

 幼い頃の僕にとってコーンウォルズで過ごした思い出が、君の存在が、どれだけ支えになったか、君にわかるか!? 

 ナスカ、君がどんなに嫌がっても絶対に帰さない!」

 まくし立てるように早口でハリーはそう強い口調で言うと、それからはっと私の顔を見た。お互いにらみ合うようにじっと見つめあった。


「ごめん……」

 ハリーの眉が力なく下がる。

 

「ねえ、ナスカ。僕を好きになってよ……」

 そういうと私の頬に向かって手を伸ばす。触れるか触れないかくらいの距離で、手を止めた。その指先が震えていた。


 それから腕を下げて、ふっと微笑む。


「一国の王太子だとか言っても、情けないよな。君を無理やり連れてきたくせに、ナスカ、君に嫌われるのがとてつもなく怖いんだ……」

 そういうとぎゅっとこぶしを握り締めて、私から目を背けた。

 悲しそうなハリーの横顔に、私までどうしていいかわからないほど悲しくなった。


 私はずっと、コーンウォルズ村で過ごしたハリーの姿しか知らない。あの村で、ハリーはとても楽しそうだった。小さいあの子が、この都でどうやって過ごしてきたのかなんて考えたこともなかった。


 住む世界が違う。

 そんな風に単純に考えていたけど、ハリーがずっとこんな環境で育ってきたのなら、あの村を懐かしく思う気持ちは、私にもほんの少しだけ――分かる。


 どんなにいい服を着たって、美味しいものを食べたって、それが毎日のことならば特別でも何でもない。むしろ、私が過ごしてきたような当たり前の幸せをハリーはどれだけ感じられたのだろうか。

 


「私……」

「言わないで、ナスカ」

 泣きそうな顔をしてハリーが笑う。


「行こうか――」


 呟いた力ないハリーの声に思い出していたのは、コーンウォルズで遊んだあの小さい男の子二人組だった。いつも一緒に子犬のようにじゃれあって。あの時の笑顔を思い出して、小さい頃のあのハリーを抱きしめてあげたくて仕方なかった。


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