第伍章「転」
一連の事件の犯人が自主し、事件は一気に収束へと向かった。犯人として名乗り出たのは、驚くことに南白第三中学校の生徒で、それも孝太郎の受け持っているクラスの女子生徒だった。
名前は、山並佳苗。彼女は犯行を認めており、最初の犠牲者である合阪英子の件も、その件を皮切りに連続して起きていた同系統の猟奇殺人事件も、自分が犯人だと供述しているようで、警察側は彼女を犯人と仮定して捜査を続けているらしい。
犯人が自主したこともあり、南白第三中学校が開校されるのは、そう遠い話ではなくなった。
「まだ二週間……か」
カレンダーを眺めつつ、孝太郎は一人ごちた。最初の事件が起こってから、既に何週間も経っているような気がしていたのだが、実際はたったの二週間である。感覚と現実の差に嘆息しつつも、意外に早く事件が収束したことに安堵を感じていた。
被害者は何人も出ているし、おまけに犯人は孝太郎のクラスの生徒だ。決してハッピーエンドとは言えないし、複雑な思いもある。が、これ以上犠牲が増えなくて済んだことに関しては心の底から安堵することが出来た。
それに、美香に余計な心配をさせなくても済む。
しかし、Rウィルスに関してはまだ解決していない。あれから渡部から連絡はきていないため、恐らくワクチンは完成していないのだろう。南白第三中の事件が解決したことで、孝太郎がRウィルスと関係がなくなったため、連絡する必要がないと判断された、という可能性も否定出来ないが、渡部はワクチンが完成した時は連絡すると言っていたため、恐らくそれはないだろう。
ワクチンが未完成な今は、まだ安心し切れない。
「ねぇ、今日のお昼どうするー?」
不意に聞こえた妻の声に、孝太郎はすぐに声のした方へ振り向く。
大きく膨らんだ腹部を大事そうに両手で支えつつ、彼女は緩慢な動作で孝太郎の元へと歩み寄ってきていた。
「だから無理すんなって。昼は俺が何か適当に作るから……」
「そう? ごめんね……」
申し訳なさそうにそう言った彼女に、孝太郎は思わず微笑む。
「何が食べたい?」
「えっと……」
美香が言葉を紡ぎかけた……その時だった。
「い、痛い……っ!」
ガクンと膝を床に落とし、美香は腹部を押えながら苦痛を訴える。その美香の元へ、孝太郎は素早く駆けつけた。
「陣痛か!」
「痛い……痛い痛い痛い……!」
表情を苦痛に歪め、必死に苦痛を訴える美香に、孝太郎は不安を覚えずにはいられなかった。
陣痛。知識では理解している。彼女が死んだりするようなことはない。しかし頭ではわかっていても、目の前で苦しむ彼女を見て動揺しない程、孝太郎は冷静な人間ではなかった。
「美香! 美香!」
苦痛を訴える美香の肩を掴み、何度も彼女の名前を呼ぶ。少しでも安心出来るように。
不安に駆られた孝太郎は、焦りに焦った結果、慌てて美香を車に乗せて病院へと連れて行った。
医師によると、美香のお腹の中の赤ちゃんは問題なくすくすくと成長しており、この調子だと予定日より早く生まれそうだ、とのことだった。
「もう、焦り過ぎだってばぁー」
病院のベッドで身体を起こし、傍の椅子に座っている孝太郎を見つつ美香はそう笑った。対する孝太郎は恥ずかしそうに美香から視線をそらしており、その顔はほんの少し赤らんでいるようにも見えた。
「仕方ないだろ……お前があんなに痛がるから……」
「アレぐらい毎晩叫んでるわよ。なのに貴方ったらグースカ寝てるから気づかないでしょ」
「それは……」
申し訳なさそうにうつむいた孝太郎を見て、美香は腹部の膨らみを優しくなでながらクスリと笑みをこぼした。
「産まれるよね……きっと無事に」
ボソリと。呟くような声音。
孝太郎はそっと、美香の手を自分の手で包んだ。
「産まれるよ。無事に、元気に」
「そうだよね……」
根拠はない。それでも、孝太郎は頷いた。彼女を安心させたい、その一心で。
「名前はもう決まってるのか?」
孝太郎の問いに、美香はやや照れくさそうな表情でコクリと頷いた。
「でも教えてあーげない」
悪戯っぽく笑って、美香はそう言った。そんな美香に、孝太郎は苦笑する。
「産まれたら、教えてあげる」
「今はダメなのか?」
「うん。だめー」
おどけながらこんなことを言い始めたら、美香はホントにその時まで教えてくれない。これは付き合いの長い孝太郎が一番よくわかっていることだった。これ以上は、名前について聞いても答えてくれないだろう。
「産まれてからのお楽しみっ」
「仕方ない、な……」
呆れたような表情を見せつつも、孝太郎はそう呟いて笑った。
研究員からの朗報を聞いて、渡部玲奈は急いで研究所を訪れていた。ガラスの向こうでは、いつものように研究員達がそれぞれの作業に没頭しているが、その背中はいつもよりどこか明るく見えた。
「お嬢様」
到着した渡部の元に、研究員の一人が歩み寄る。白衣とマスク、手袋はつけたままだったが、彼がどこか高揚していることは雰囲気で理解することが出来た。
「そのお嬢様はやめなさいって、いつも言ってるでしょう」
「申し訳ございません……」
「堅苦しいのもやめてってばー」
そう言ってクスクスと笑った後、渡部はすぐに研究員の手の中にある試験管に目を向けた。
「完成、したのね」
「はい……」
コクリと力強く頷く研究員。それを見て、渡部は心底安心したように微笑んだ。
「ワクチン……!」
Rウィルスに対するワクチン。それが、完成したのだった。
感染者の肉体を強化し、凶暴化させて死肉と臓器を貪らせる悪魔のウィルス。そのウィルスに対するワクチンが、ついに完成したのだ。
高揚を抑え切れず、渡部はワクチンを研究員から受け取ると、それを見つめながらブルブルと震えた。
「ありがとう……!」
渡部のその言葉に、研究員は照れくさそうに「いえ……」と視線を逸らす。
「これでもう……誰も貴女と同じ思いはさせないからね……李那……!」
山本李那。
かつての親友の顔を思い出しながら、渡部がそう言った……その時だった。
「――――っ!」
突如、研究所内の赤いランプが発光し始めると同時に、警報が鳴り響き始めた。
「な、何事なの……!?」
渡部が驚愕の声を上げたのと、ガラスの向こうで鈍い音が聞こえたのはほぼ同時だった。
「うわああああああッ!」
意外にも、先に悲鳴を上げたのは男性である、渡部の傍にいた研究員だった。見れば、ガラスの向こうで研究員の一人が、ガラスに身体を叩きつけられていた。その身体は血にまみれており、その傍にはマスクを外した口元を血で真っ赤に染めたもう一人の研究員がいた。
「嘘……っ!」
Rウィルスに感染したのだと、渡部はすぐに理解した。
「大変です! 活性化させたウィルスが漏れて、研究員から感染者が……ッ!」
ドアが開き、研究員の一人が渡部に向かってそう報告した。
「どうして開けたのっ!? ウィルスが外に……っ!」
「う、うわああああああああああああッ!」
渡部の傍にいた研究員が、悲鳴を上げながら外へと続くドアへと駆け出す。彼はパニックになっているのか渡部の止める声も聞かず、ドアを開けると閉めもせずに外へと飛び出して行った。
「まずい……外に……っ!」
Rウィルスは、空気感染する。もし活性化しているウィルスの感染者がこの研究所を出れば、ウィルスは瞬く間に空気感染し、町は感染者であふれ返ることになる。
先程外に逃げた研究員は勿論、渡部自身でさえ、既に感染している可能性が高い。
「嘘でしょ……!」
安堵から絶望まで。
その距離は、無慈悲な程に短かった。




