第四章「原」
渡部が孝太郎に見せたかったのは、この小さな建物のことだったのだろうか……。この建物と、八年前の事件とここ最近の事件に何の関連性があるのか、孝太郎には見当がつかなかった。
――――大丈夫よ。事件と関係のない場所に連れて行くつもりはないから。
渡部のあの言葉が嘘でないのならば、この建物は事件と何らかの関連性があるハズなのだが……。
「ここは……?」
「研究所」
孝太郎の問いにそう答え、渡部はそのまま言葉を続けた。
「ここは、私と……私の父が設立した研究所よ。とある研究の……ね」
とある研究。先程からあくまでもったいぶった言い方をする渡部に、孝太郎は苛立ちを感じてはいたものの、何とか怒声を飲み込んで、とある研究? と孝太郎は渡部の言葉を繰り返した。
「ええ、ウィルスのね」
「ウィルス……?」
訝しげに孝太郎はそう問うたが、孝太郎の予想通り、渡部は問いには答えなかった。
研究所の中へ入ると、孝太郎はすぐに研究室へ通された。ガラス張りの研究室の、ガラスの向こうで、孝太郎と渡部はマスクと帽子でウィルス対策を施している研究員たちを眺めていた。
念のため、孝太郎と渡部もマスクと帽子を着用し、研究室に入る前に抗菌スプレーを浴びている。
「ここで研究されているウィルスはね、八年前の例の事件の犯人……山本李那の李那の頭文字からRを取って、Rウィルスと呼ばれているわ」
「八年前の事件……まさか……!」
表情を一変させた孝太郎を見、渡部はコクリと頷いた。
「ええ。ここで研究されているウィルスは、山本李那の死体から検出されたものよ」
「――――ッ!」
研究所。ウィルス研究。八年前の事件。山本李那。
渡部が何故自分をここに連れてきたのか、やっとのことで孝太郎は理解する。
「見てて」
そう言うと、渡部はガラスをコンコンと叩き、向こう側にいる研究員に合図を送った。すると、研究員は作業の手を止めてコクリと頷き、一つの大き目の飼育ケースを取り出した。飼育ケースの中には一匹の猫が入っており、暇そうに欠伸をしている。
研究員は次に、小さな飼育ケースを一つ取り出した。中に入っているのは、一匹の灰色のマウスで、大人しくうずくまったままでいる。
「あのマウス……猫にやるんですか?」
「そう見えるかもね」
意味深な物言いをする渡部に、孝太郎は訝しげな視線を送ったが、渡部はさほど気にする様子もなくガラスの向こうを見つめている。
研究員は一本の注射器を取り出すと、小さな飼育ケースの中に入っていたマウスを取り出し、その注射器の針を躊躇いなく突き刺し、中の液体をマウスへ注入した。
マウスは注入された瞬間、ビクンと身体をびくつかせたが、やがてガタガタと身体を小刻みに振るわせ始めた。
「麻酔……?」
疑問符のついた孝太郎の言葉に、渡部は応えない。
「始まるわよ」
渡部がそう言ったのと、研究員が先程のマウスを猫のいる飼育ケースの中に入れたのはほぼ同時だった。
小刻みに震えるマウスと、マウスをジッと見つめる猫。どうやら猫は空腹だったらしく、マウスをエサと認識したようで、ジッとマウスの様子をうかがっている。
猫がゆっくりと、マウスへと歩を進めた――その時だった。
ビクンと。マウスが身体を大きくびくつかせるのと同時に、マウスの震えが止まった。
そしてマウスは猫の方を向くと、口を大きく開いて見せた。
威嚇か? と孝太郎が感じた時には、既にマウスは素早く飛び跳ね、あろうことか猫へ跳びかかっていたのだ。
猫の前足を避け、マウスは猫の首元にガブリと噛みつく。ガラスのせいで聞こえないが、猫が悲鳴を上げていることは容易に想像できた。
マウスは容赦なく猫の首元を噛み千切ると、次に猫の腹部へ噛みついた。
飼育ケースの中に血が飛び散り、マウスの灰色の毛並みを赤く染めた。
猫は悶え苦しむように暴れているが、マウスは尚も猫の腹部を噛み続ける。そして腹部の皮が裂けて中の臓器が外気に触れたところで、マウスは動きを一旦止めた。
猫は既に虫の息らしく、前足をピクピクと痙攣しているかのように動かすばかりで、少しも抵抗しようとしない。否、出来ない。
マウスは、猫の腹部からはみ出た臓器に噛みつくと、何とその臓器を食べ始めたのだ。まるでナッツか何かでも食べるかのような自然な動作で、マウスは猫の臓器を千切っては両手で掴んで食べている。
ゴクリと。孝太郎は生唾を飲み込んだ。
「Rウィルス」
戦慄した表情を見せている孝太郎を見、渡部はそう呟いた。
「Rウィルスは感染から数十秒で発症し、感染した生物の身体能力を格段に強化し、凶暴化させる。凶暴化した生物は、衝動的に何らかの生物の臓器を欲する……。残念だけど、人間にも感染するわ……今のマウスみたいに、ね。何故臓器を欲するのかは未だ研究中だけど」
「そんなウィルスが……!」
「でもね。このRウィルスは発症率が極めて低いわ。空気感染するから危険ではあるのだけど、発症する可能性は5%以下。今マウスに注入したウィルスは、活性化して発症率を格段に高めたものよ」
感染から数十秒で発症し、感染した生物の身体能力を格段に強化して凶暴化させ、臓器を捕食する。Rウィルスはまるで、ここ一連の殺人事件の犯人であるかのようだった。
否、犯人なのだろう。
渡部がわざわざここまで連れてきたということは、事件の犯人はこのウィルスの感染者である、ということが言いたかったのだろう。
そこまで考えて、孝太郎は怖気と共に怒りを感じた。
こんなわけのわからないウィルスのせいで、自分のクラスの生徒や何の罪もない人々が殺されてしまったのかと考えると、孝太郎は怒りを感じずにはいられなかった。
八年前、何人も殺された高校生達も、このウィルスのせいで……
ギュッと。孝太郎はいつの間にか拳を握りしめていた。
許せなかった。このウィルスの存在が。
しかし、怒りをぶつける場所は、今どこにもなかった。
周囲に当たり散らしそうになる感情を何とか抑えつけ、孝太郎は渡部の次の言葉を待った。
「現在はワクチンを開発中よ。即効性のあるものはまだ出来ていないけど、発症を抑えるワクチンがいくつか出来ているから、いずれ感染者に注入することでウィルスを死滅させられるワクチンが作れるハズ。この研究を行っているのはこの研究所だけじゃないし、他の研究所も順調に成果を上げているから、ワクチンの完成はそう遅くならないハズよ」
渡部のその言葉を聞いて、孝太郎は少しだけ安堵する。
「もう察しているとは思うけど、ここ一連の殺人事件の犯人は、Rウィルスの感染者である可能性が高いわ」
「多分、そうなんだと思います……。でないと、あの猟奇性に説明がつかない」
「単なる異常者って線も、捨てられないけどね」
真剣な表情でそう言った後、渡部は小さくため息を吐いた。
「何故、このことを僕に……?」
孝太郎のその問いに、渡部はクスリと笑みをこぼした。
「最初に電話した理由は、貴方が事件のあったクラスの担任で、犯人の目星をつけているかも知れない、って思ったからよ。女の勘」
大外れだったけどね、と付け足して、渡部はもう一度笑みをこぼした。
「後は私の気まぐれよ。ちょっと貴方のことが気に入ったから、研究のことまで教えちゃったの」
「すいません、あの、妻がいるので……」
孝太郎がそう答えるやいないや、渡部は不意に大声を上げて笑い始めた。
「何真面目に受け取ってんのよ、惚れてるわけないじゃないの」
膝を叩いて大笑いする渡部を眺めつつ、孝太郎は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
その後、孝太郎と渡部はすぐに研究所を出た。あまり長居しても邪魔になるだけだろうし、マウスによって引き裂かれる猫の姿など、そう何度も見たいものではない。
渡部と共に研究所を出、渡部の車に孝太郎が乗り込もうとした――その時だった。
「どうかしたの?」
「すいません、ちょっと電話が……」
そう言って孝太郎はポケットから、バイブレーションで震える携帯を取り出すと、渡部の車から数メートル離れて電話を受け取った。
そしてしばらくはい、と返事をした後、孝太郎は表情を一変させた。
「ほ、本当ですか……!?」
そう問うた孝太郎の声音は、驚愕でやや震えているようにも聞こえた。
「事件のこと?」
電話を終え、車の元へ戻ってきた孝太郎へ渡部が問うと、孝太郎は真剣な表情でコクリと頷いた。
「何か……わかったのね?」
「……はい」
頷く孝太郎。言葉の続きを待つ渡部。
数刻の沈黙の後、孝太郎がゆっくりと口を開いた。
「一連の事件の犯人が――自首しました」
孝太郎の言葉に、渡部は表情を驚愕の色に染め上げた。




