第弐章「続」
教室に入った時、ちょっとした違和感があった。
何かが足りないような……そんな感覚を覚え、孝太郎は首を傾げた。見た感じではいつもと変わらない風景で、席について読書をしている生徒もいれば、ゲラゲラと笑いながら話をしている生徒、机に突っ伏して眠っている生徒など、いつもと変わらない風景なのだが……どうにも違和感は拭えない。
やがて部活の朝練に出ていた生徒達も教室に到着し、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。生徒達が一斉に席に付き、生徒達が生前と並んで始めて――孝太郎は違和感の正体に気がついた。
生徒が、足りないのだ。
欠席するという連絡はまだ一人ももらっていない。二つの空席を見、孝太郎はもう一度首を傾げた。
「合阪と山並は休みみたいだが……誰か知らないか?」
孝太郎の問いに、生徒達は各々の動作で知らない、ということを示した。
合阪英子と山並佳苗。二人共昨日は普通に登校していたし、合阪に至っては放課後長話をしたくらいだ。どちらも調子が悪そうには見えなかったのだが……。
南白第三中学校校長、高浜苗子は、校長室でコーヒーのカップを片手に書類へ目を通していた。
短く切られた白髪に、凛とした双眸、ピシッと着こなされたスーツは、彼女の校長としての威厳を高めていた。
先程自分で入れたばかりのコーヒーに舌鼓を打ちつつ、彼女が書類へ丁寧に目を通していると、校長室のドアが勢いよく開かれた。
その音に苗子が肩をびくつかせるよりも、校長室へ入ってきた人物が大声を上げる方が早かった。
「校長!」
血相変えた様子の教頭、田井中邦夫に、苗子は眉をひそめた。
「何事ですか騒々しい」
毛に覆われていない額に脂汗を浮かべつつ、ずれかけている眼鏡を直し、田井中は校長! と繰り返した。
「大変なんです!」
「大変……? 何がです?」
明らかに普通ではない田井中の様子に異変を感じ取ったのか、苗子は持っていたコーヒーカップを机の上に置き、田井中へそう問うた。
「先程、連絡がありまして――」
田井中が口にした内容に、苗子は表情を一変させた。
一時間目の授業が始まる前、緊急職員会議が行われた。一時間目の全授業を自習にしての会議だったため、あまりに突然さに孝太郎や他の教員も驚きを隠せずにいたが、会議で話された内容は「緊急会議」を行う理由としてはあまりにも妥当過ぎた。
合阪英子が殺害された。
あまりにも非日常的なその内容は、孝太郎に精神的なショックを与えた。
知っている誰かが殺される、それだけでも十分なショックだというのに、自分の受け持っているクラスの生徒ともなると、更にショックは大きかった。
殺害方法は非常に残忍かつ猟奇的で、腹部を切り裂かれて中の臓器を全て奪うという、普通ではあり得ない殺害方法だった。
犯人は不明。容疑者なし。
事件については現在警察が捜査中らしい。
何故合阪英子が、どういった理由で誰が殺したのか、それは孝太郎はおろか警察にすらわからなかった。
そしてその翌日、孝太郎のクラスの空席は増えていた。
二つだった空席は三つに。
拭い切れない厭な予感に、孝太郎はホームルーム中も気が気でいられなかった。
欠席しているのは、合阪英子を除けば山並佳苗と仲原聡美の二人。山並については欠席理由が不明のままだが、合阪のことを考えれば仲原聡美も殺害されたのではないか……そう、想像せずにはいられなかった。
案の定、緊急職員会議は行われた。
「どうして……!」
職員室にある自分のデスクで、孝太郎は歯噛みしていた。二日続けて自分のクラスの生徒が殺害される……あまりにも不可解かつ突飛な出来事に、孝太郎は困惑せずにはいられなかった。
今回殺害されたのは仲原聡美。ホームルームの際に孝太郎が感じた厭な予感は見事に的中しており、合阪英子に続いて、孝太郎のクラスで二人もの死者が出たのだ。
殺害方法は、合阪英子の時と全く同じ。腹部を切り裂き、中の臓器を全て奪うという猟奇的な殺害方法……。
犯人は同一人物である可能性が高いが、それよりもわからないのは、この殺害方法である。百歩譲って殺すまではわかるとしても、臓器を全て奪い去っていく理由など、孝太郎には皆目見当がつかない。
エド・ゲイン。という実在した殺人鬼が、殺害した相手の身体の一部を家具などに加工して使っていたという話があるが、今回の犯人はそのエド・ゲインと似たような人物なのだろうか……。
黙考した所で、ただの一教師である孝太郎には何もわからなかった。
「大城先生、電話です」
そんな中、一人の教員にそう言われ、孝太郎は渡された受話器を取った。
「はい……代わりました、大城です」
「大城先生ですか?」
受話器の向こうから聞こえたのは、聞き覚えのない若い女性の声だった。
孝太郎のクラスの、どの生徒の保護者の声でもないことは明白で、彼女が何者なのか、すぐにはわからなかった。
「ワタベというものです」
ワタベ。渡部? 聞き覚えのない苗字だった。
「はぁ……。何かご用でしょうか?」
「はい、今回の事件のことなんですが……」
ワタベ、と名乗る女性のその言葉に、孝太郎は表情を一変させた。
「それって――」
「大声を出さないで下さい。それと、落ち着いて聞いて下さい」
ワタベにいさめられ、孝太郎は閉口する。
「大城先生、貴方にお話したいことがあるのです」
ワタベの言葉に、孝太郎は訝しげな表情を見せる。
「今日の……午後六時頃、駅前の喫茶店で待ち合わせしませんか?」
「……構いませんが、貴女は一体……」
「それも、その時に話しましょう」
ワタベはそれだけ言い残すと、一方的に電話を切った。
ワタベという女性に対して疑念を抱きつつも、孝太郎は指定された午後六時までに仕事を切り上げ、駅前の喫茶店へきていた。店の中は人が少なく、ワタベらしき人物は見当たらなかった。
孝太郎は適当な席に座り、コーヒーを頼んだ後、小さく溜息を吐いた。
何をやっているのだろうか。
単なる悪戯に過ぎない可能性が高いというのに、のこのこと喫茶店にまできてしまった自分に、孝太郎は自嘲気味に笑みを浮かべた。
ワタベというあの女性。一体何者なのかはわからないが、何故か彼女の言葉には重みがあるように感じ、信じても良いかも知れない、と何の根拠もないのに孝太郎は直感的に感じてしまった。
今回の事件のこと。と彼女は言っていた。事件とは、合阪英子と仲原聡美が同じ殺害方法で殺害されたこと……と見て間違いはないだろうが――と、そんなことを考えていると、喫茶店の中へ誰かが入ってきたらしく、入り口のドアにつけられている鈴が鳴らされた。
ふと視線を向けると、入り口にいたのは茶髪の女性だった。背中まで伸びた長い髪、少し高めの身長、そして芸能人か何かと見紛う程に整った顔立ちをしたその女性は、ゆっくりと孝太郎の傍へと歩み寄り、やがて孝太郎の正面の席へ腰掛けた。
ワタベだと、孝太郎は直感した。
「ワタベさん、ですか?」
「ええ、初めまして。大城孝太郎さんですね?」
ワタベの言葉に、孝太郎は小さく頷いた。
「改めて自己紹介するわ。私は渡部……渡部玲奈」
渡部玲奈。そう名乗った彼女は、孝太郎に対してニコリと微笑みかけた。
「大城、孝太郎です」
孝太郎は名刺を取り出そうと胸ポケットへ手を入れたが、渡部はそれを片手で制止し、堅苦しいのはよしましょう、と笑みをこぼした。
「それじゃあ、早速本題に――今回、貴方のクラスの生徒が続けて二人も殺害されたことについて、話しましょうか」
渡部の言葉に、孝太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。




