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美味なる純血 連  作者: シクル


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第壱章「再」

「それじゃあ大城先生、またねー」

 ひらひらと手を振りながら、女子生徒――合阪英子あいさかえいこは担任の教師、大城孝太郎へ別れを告げると、廊下を駆けていった。

 そんな彼女に手を振り返しながら、孝太郎は柔らかな笑みを浮かべた。

「……もうこんな時間か」

 左腕につけた腕時計を一瞥し、孝太郎は呟き、孝太郎は窓から外を眺めた。

 窓からは、真っ赤な夕日が廊下へ差し込んでおり、夕日によって薄らと赤く染められた廊下は、美しくもあり、どこか不気味でもあった。

 赤。赤は、血を連想しやすい。

 短く切られた黒髪の、穏やかそうな顔をした背広の男性――大城孝太郎おおしろこうたろうは、そんなことを考えながら、もう一度腕時計へ視線を向けた。

 時刻は午後四時三十五分。合阪と他愛のない話をしている内に、随分と時間が過ぎてしまっていたらしく、教室はおろか廊下にすら生徒や教員の姿は見えない。まだ職員室に戻ってやらなければならないことがあるというのに、今からやり始めるとなると……

「うわぁ……」

 どのくらいかかるのかを計算し、孝太郎は溜息を吐いた。

「また美香を待たせちゃうな……」

 一人ごちて、孝太郎は職員室へと向かった。





 孝太郎がこの南白みなしろ第三中学校に転勤してきたのは二年前――孝太郎が二十五歳の時だった。いきなり担任を任され、新人教師として慣れない業務に四苦八苦しながらも、共に成長してきた今の生徒達は、孝太郎にとってとても大切な存在になっていた。今年で卒業となる彼らと共に、無事卒業式を向かえる……それが今の孝太郎の目標であり、ちょっとした夢でもあった。

「お帰りなさい、孝太郎さん」

 すっかり日も落ちて外が真っ暗になった頃になって、孝太郎はやっとのことで帰宅することが出来た。

 玄関のドアを開けると、エプロン姿の女性が笑顔で出迎えてくれた。

 ショートカットの黒髪と、柔和そうな顔つき、まるで人形のような白い肌……孝太郎は目の前にいる自分の妻である女性――大城美香おおしろみかの笑顔を見、帰宅したんだな、という安堵感を覚えた。

「ごめん、遅くなって」

「ううん、良いの。それより、ご飯出来てるけど……どうする?」

 そう問うてきた彼女の顔を見、その後エプロンに覆われている大きく膨れた彼女の腹部を見て、孝太郎は申し訳なさそうな表情を見せた。

「次からは早く帰って、俺が夕飯用意するようにするよ」

「良いわよ別に。これくらい私にやらせて」

 微笑む美香に、孝太郎はゆっくりと首を左右に振った。

「妊婦に無理はさせられないよ」

「それじゃ、次からお願いね」

 そう答えた美香へ、孝太郎は任せてくれ、とにこやかに答えた。



 美香は、孝太郎の子を身篭っている。既に医者には妊娠十ヶ月と診断されており、もういつ産まれてもおかしくないような状況だった。それ故に、孝太郎は美香に無理をさせたくないのだが……だからといって何もしないのは嫌なのか、美香は仕事を休みはしても、家にいる間は掃除洗濯料理などの家事をこなし、少しでも孝太郎の役に立とうと尽くしてくれている。それは孝太郎にとって嬉しい反面、あまり彼女へ負担をかけないために自分がしっかりしなければならない、というプレッシャーになっているのだが、それを美香が気付いているかどうかは定かではない。

「アパートで殺人事件?」

 美香の作ったビーフシチューを口に運びつつ孝太郎がそう問うと、美香はコクリと頷いた。

「そう。この近くにあったアパートでね、男の人が酷い殺され方してて……」

「あぁ、あの……誰だっけな……えっと……」

「山?」

「そう、山。山……何さんだったっけなぁ」

 三文字くらいだった気がする。と呟くように言って、孝太郎はその名前を思い出すのを諦めた。

「まだ犯人がこの辺うろついてるかもって、近所で噂になってたわ……」

「気をつけないとな……」


 山木真。その名前を孝太郎が思い出すのは、それからもう何時間も後のことだった。





 眠ることが出来ず、合阪英子はベッドに転がっていた。もう既に時刻は深夜零時を過ぎているというのに、どうにも寝付くことが出来ない。

 身体も頭も疲れていて、全身が睡眠を求めているというのに、どうにも寝付けないという現状は彼女を苛立たせ、余計に覚醒度を高めているのだった。

「佳苗……」

 ボソリと。友人の名を呟く。

 眠れない原因は、この間喧嘩したまま仲直り出来ずにいる友人――山並佳苗やまなみかなえのことばかり考えているからだった。

 些細なことで言い合いになり、喧嘩したまま別れてしまい、英子は随分と後悔していた。今日こそ謝ろうと意気込んで登校したのだが、佳苗は英子のことを相手にせず、仲直りどころか更に溝を深める結果となってしまったのだった。

「何でああなっちゃったのかなぁ……」

 枕元に置いてある携帯を開き、待ち受け画面を見つめる。待ち受け画面に設定してある写真は、友人に撮ってもらったものである。前に佳苗達と遊びに行った時の写真で、英子と佳苗の二人はアイスクリームを片手に幸せそうに微笑んでいる。

 仲が良かった時のことを思い出せば思い出す程憂鬱になり、英子の口から溜息が漏れた。

「明日こそ謝ろう」

 決心するかのように一人そう呟いて、下に降りて水でも飲もうと英子がベッドを出ようとした――その時だった。

 不意に、外で物音が聞こえた。

「え……?」

 こんな時間に誰が? という疑問を英子が頭に浮かべるよりも先に、英子の部屋の窓がコンコンと叩かれた。

 ベッドのすぐ傍にある、カーテンに覆われた窓……それが外側から叩かれているのだ。

 あり得ない。ここは二階だ。そう思い、英子はかぶりを振った――が、すぐにもう一度

同じ窓が叩かれた。

 梯子でも使っているのだろうか。もしそうだとしても、そうまでしてこの窓を叩く意味がわからない。

 段々気味が悪くなってきたが、英子は自分に気のせいだと言い聞かせ、ベッドの中へ潜り込んだ。

 目を閉じ、眠りにつこうとするが――再び、窓は叩かれた。

「な、何……?」

 気のせいにしては、回数が多い。そんなことを考えている内にもう一度、窓は叩かれる。

「誰か……いるの?」

 英子の問いに答えるかのように、窓はもう一度叩かれた。

 カーテンに手をかけ、しばらく逡巡した後、英子はすぐに手を引っ込めた。好奇心よりも、恐怖が勝っている証拠だった。

「誰なの……?」

 言葉での返答はない。しかしまたも窓は叩かれた。

 英子は無視するかのように目を閉じ、頭まで毛布をかぶって身体を丸めた。窓の外には誰もいない。窓を叩く音は気のせいだ。そう、呪文のように心の中で繰り返しながら。

 しばしの静寂。

 一定のペースで続けられていた音が止み、英子が安堵の溜息を吐いたのと、もう一度窓が叩かれたのはほとんど同時だった。

 コンコンどころではない。今度は連続して、何度も何度も窓を叩いているらしく、コンコンコンコンと立て続けに窓が叩かれている。

 騒音じみてきたその音に、英子は恐怖よりも怒りを感じ始めた。

 何故、こんなことで安眠を妨害されなければならないのか、と。

 英子は毛布から出ると、すぐに部屋の電気をつけた。そして柳眉にしわを寄せてカーテンに手をかけ、開いた……が、窓の外には闇が続くばかりで、窓を叩いていた人物などどこにもいなかった。

 訝しげな表情を見せ、英子が鍵を開けて窓を開いた――その時だった。

「――――っ!?」

 ガッシリと。から伸びた白く細い手に、英子の首は掴まれる。その腕はそのまま英子を突き飛ばし、ベッドの上へ仰向けに転がした。

「きゃ――」

 悲鳴を上げようとした瞬間、英子の上に誰かが飛びつき、その細い首筋へガブリと噛み付いた。

 人間のシルエットをしていはいるものの、人間とは思えないその行動に、英子は恐怖と驚愕で表情を引きつらせた。

 英子の首筋へ噛み付いたソレは、すぐに英子の首を噛み千切り、大量の血液をベッドへ散らした。叫ぶことすらままならない英子の顔を、ソレは左右に結った長い髪を垂らしつつ見下ろした。

 苦痛に表情を歪めつつも、英子はソレの顔を見、何かに気付いたような表情を見せたが、その表情もすぐに苦痛で塗り潰された。

 何をされているのかわからない。

 徐々に薄れていく意識の中で、聞こえるのはクチャクチャという何かを咀嚼する音だけだった。





 翌朝、合阪家の二階、合阪英子の部屋で、合阪英子のものと思われる惨殺死体が発見された。その死体はまるでハイエナにでも喰い散らかされたかのような状態であり――――臓器の一切が喪失した状態だった。

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