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未来郵便図書館  作者: 明石竜


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9/11

第九話 未来からのつむぎ

 お盆が過ぎて、八月も後半に入ると、夏休みの終わりが、うっすらと見えてくる気がします。

 空の青さはまだ真夏のままでも、朝の風がほんの少しだけやわらかくなっていたり、夕方の日暮れが少し早くなっていたり。つむぎはそういう変化に気がつくたび、夏が少しずつ手の中からこぼれていくような感覚を覚えました。

 それでも毎日は続きます。

 あおいとは相変わらずほぼ毎日のようにメッセージのやりとりをして、工作教室ではみなとと顔を合わせました。みなとの模型は、だいぶ形になってきていました。商店街の通りと、川沿いの道と、坂のあたりが、小さな木の板で丁寧に再現されています。

「すごい。ちゃんとわかる。この坂、わたしが毎日歩いてるとこだ」

「五百分の一だから、実際は小さいけどな」

みなとは言いましたが、口元が少しゆるんでいます。

「図書館のあたりは作るの?」

「作ろうとしてる。でも、正確な場所がまだ確認できてない」

 つむぎは少しだけ言葉につまりました。

「この前、見つからなかったから?」

「うん」

 みなとはノートを閉じました。

「あの日は、建物がなかった」

「……今日は、あるかもしれないよ」

「建物は、ある日だけ現れるものじゃない」

「でも、行ってみないとわからない」

 つむぎがそう言うと、みなとは少し間を置きました。

「……まあ」

 それが「行く」ということだと、つむぎにはもうわかっていました。

 

 工作教室の帰り道、三人で未来郵便図書館へ向かいました。

 路地を曲がった先に、白い花の咲いた小さな庭が見えました。

 つむぎは、思わず足を止めました。

「あった」

 あおいが小さく言いました。

「ほんとに、あった」

 みなとは何も言わず、ノートを開きました。

 でも、いつもより少しだけ、鉛筆を持つ手が止まっているように見えました。

「この前は、なかった」

 みなとは言いました。

「うん」

 つむぎはうなずきました。

「でも、今日はある」

 あおいが、白い花の庭を見つめたまま言いました。

「来られるときに、来られる人が来られる場所、ってこと?」

 つむぎは、ユエの言葉を思い出しました。

「たぶん、そういうことなんだと思う」

 つむぎがそう答える横で、みなとはノートを開き、坂道の曲がり角を確認していました。 

 あおいが笑いました。

「みなと、信じてないわりに本気じゃん」

「信じてないから、確認する」

つむぎは、そのやりとりを聞きながら、少しだけ笑いました。

ひとりで来たときとは、坂道の感じがちがっていました。

こわいわけではありません。

でも、自分だけの秘密の場所を、友だちに見せる前みたいに、胸がそわそわしていました。

 みなとは建物をじっと見ました。外観を確かめるように、視線をゆっくり動かしています。メモ帳を出して、何かを書きはじめました。

「入らないの?」

あおいが聞きました。

「先に外を確認する」

 つむぎとあおいは先に中に入りました。

 ユエはいつものように棚の整理をしていました。

「こんにちは。今日、友だちもいっしょに来ました。外にいるんですけど」

 つむぎは伝えました。

「どうぞ。来られた方は、みなさん歓迎します」


 しばらくして、みなとが入ってきました。ドアを開けて、中を見回して、それから棚に近づいて、また寸法を確かめるように視線を動かしています。

 ユエがみなとを見て、言いました。

「はじめまして」

「……はじめまして」

みなとはぶっきらぼうに言いましたが、ユエの方をきちんと見ていました。

「工作が好きなんですね」

 みなとは少し目を細めました。

「なんでわかるの?」

「手を見ました。やすりの跡がある」

 みなとは自分の手を見てから、またみなとらしい短さで「そう」と言いました。でも、嫌そうではありませんでした。

 あおいがこそっとつむぎに言いました。

「なに今の。あの人、観察力すごくない?」

「うん。ユエは、よく見てるんだと思う」

「ユエ?」

「あの人の名前。ここの司書さん」

「司書さん……って、あたしたちと同じくらいに見えるけど」

 あおいが首をかしげました。

「うん。でも、ここでは司書なんだって」

 みなとは、棚を見たまま言いました。

「司書なら、図書館の管理者ってことか」

「たぶん」

「たぶん?」 

「わたしも、まだ全部はわかってない」


 みなとはそのあと、黙って棚を見まわりました。

引き出しの並びを確認して、また外に出て、建物の大きさを測って、また戻ってくる。ユエは何も言わずに、みなとがやっていることを妨げませんでした。

 つむぎはその様子を見ながら、ユエとみなとが、少し似ているかもしれないと思いました。余分なことを言わない。でも、必要なことはちゃんと見ている。


 帰り道、みなとがぽつりと言いました。

「ユエって、何者なんだろう」

「ふしぎな人だよね。でも、なんか安心する感じがする」

あおいが言いました。

「ぼくには、よくわからない」

「みなとでもわからないことあるんだ」

「わからないことの方が多い。ただ、うそはついてなさそう」

 つむぎは、その言葉が正しいと思いました。ユエはいつも、はっきりとは答えてくれません。でも、答えないときもちゃんと「今はわからない」と言う。わからないことを、知っているふりはしない人です。

 三人で商店街を抜けて、それぞれの方向へ別れました。


 その夕方、つむぎはもう一度、図書館へ向かいました。

 ひとりで来るのは、今日で何度目でしょう。ユエは「またひとりで来ましたね」と言う代わりに、いつものように静かに迎えてくれます。

 棚の前に立ちました。

 引き出しが光っています。いつもより、少し強い光のような気がしました。

 封筒を取り出して、開きました。 

 便せんを広げたとき、つむぎは息をのみました。

 差出人の欄に、名前が書いてありました。

 今までの手紙には、差出人の名前がありませんでした。でも今日の手紙には、はっきりとした字で、名前が書かれています。

 あさくら つむぎ

 自分の名前でした。

 つむぎはしばらく、その名前を見つめました。

 手がかすかに震えています。気のせいかもしれないし、気のせいじゃないかもしれない。

 便せんの本文を、ゆっくり読みました。


 言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。

 だから、今のわたしが言って。だいじな人に、ちゃんと。


 つむぎは何度も読みました。

 一度目は、意味がうまく入ってきませんでした。二度目に、少しだけわかってきました。三度目に、胸がぎゅっとなりました。

 少し先の未来の自分が、今の自分に書いた手紙。

 言えないままだと、あとでかなしくなる。

 だから、今のわたしが言って。

 つむぎは便せんを持ったまま、しばらく動けませんでした。


「ユエ」

 声が、少しかすれていました。

 ユエが来ました。便せんを見て、言いました。

「読みましたか」

「うん」

「どう思いましたか」

 つむぎは考えました。どう思ったか。

「こわいと思いました」

「こわい?」

「未来の自分が書いた手紙、ということが。つまり、このまま言えないでいたら、未来のわたしが後悔する、ということじゃないですか。それが、こわい」

 ユエはすぐには答えませんでした。

「何を言えないでいるか、わかりますか」

 つむぎは、うなずきました。

 お母さんのことでした。

 引っこしてきてから、お母さんはずっと忙しそうで、つむぎはずっとだいじょうぶなふりをしてきました。さみしいと言えば、お母さんに心配をかける。忙しいのに、余計な荷物を増やしたくない。

 でも本当は、さみしかった。

 朝、お母さんが出かけていく背中を見るたびに。夜、ひとりで電気を消すたびに。夏休みの晴れた日に、どこにも行けないでいるたびに。

 ずっと飲みこんできた気持ちが、今日の手紙を読んで、あらためてそこにあることがわかりました。

「お母さんに、言えていないことがあります」

「そうですか」

「さみしいって。でも、心配かけたくなくて」

「言ったら、心配をかけますか」

 つむぎは少し考えました。

「かけるかもしれない。でも……かけてもいいかもしれない。わからない」

「わからなくていいと思います。でも、言えないままだと、なくなることばもある、という手紙を、前に受け取りましたよね」

 つむぎは、古本屋さんを訪れた日の午後に受け取った手紙を思いました。しまっておくと、なくなることばもある。

「つながってるんですか、手紙が」

「ぼくにはわかりません。でも、つむぎさんが受け取ってきた手紙は、ばらばらではないような気がします」

 ユエはそう答えました。

 つむぎは便せんを折りたたんで、封筒に戻しました。

 今まで受け取った手紙を、頭の中で並べてみました。

 ちゃんと「ちがう」って言って。

うまく話せなくても、にげなくていい。

ことばが少ないのは、やさしくないからじゃない。

先に言うのは、まけじゃない。

しまっておくと、なくなることばもある。

たのしい場所にも、こわい気持ちはいっしょに行く。

そして今日、言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。

 それぞれが、つむぎのそのときそのときに届いていました。でも、こうして並べてみると、どれも同じ方向を向いている気がします。

 言葉は、言っていい。言えなくても、逃げなくていい。言えないままにしていたら、いつかなくなる。

 そしてそれは、全部、お母さんへの言葉につながっていく。

「まだ、すぐには言えないかもしれないです。でも、言わなくちゃいけないとは、わかった」

「それで大丈夫です。ことばは、準備ができたときに出てきます」


 その日の夜、つむぎがお母さんと夕ご飯を食べているとき、お母さんが言いました。

「最近、外に出てることが多いね。友だちできた?」

「うん。あおいちゃんと、みなとくん」

「よかった」

お母さんは、ほっとしたように笑いました。

「引っこしてきてから、友だちができるか心配してたの」

「心配してたの?」

「してたよ。つむぎは、自分から言わないから」

 つむぎは、少し驚きました。

 お母さんは、気づいていなかったと思っていました。つむぎがひとりでいることも、さみしいと思っていることも、だいじょうぶなふりをしていることも。

 でも、心配してたと言いました。

 ということは、気づいていたのかもしれない。ただ、どう聞けばいいかわからなかったのかもしれない。

 つむぎは、今がその「準備ができたとき」かもしれないと思いました。

 でも、言葉が出てきません。

 さみしかった、という言葉が、のどのあたりにあるのに、形にならない。

 結局その夜は、「うん、心配かけてごめん」とだけ言いました。

 お母さんは「あやまらなくていいよ」と言いました。

 それだけの会話でしたが、つむぎにとっては、今まで飲みこんできた言葉の、ほんの入口に立てた気がしました。


 次の日、あおいから電話がかかってきました。

 声が、少しちがう感じがしました。

「ねえ、つむぎちゃん。ちょっと聞いてほしいことがあって」

「どうしたの?」

「実はさ……うちのお父さんが、転勤になるかもしれないって」

 つむぎは、何も言えませんでした。

「転勤って、遠くに?」

「たぶん。まだ決まってないんだけど、決まったら引っこしになるって。年内か、来年の春くらいかな、って話で」

 来年の春。

 五年生になったときのことが、頭に浮かびました。もしかしたら、あおいと同じクラスになれるかもしれない。またいっしょに夏祭りに行けるかもしれない。来年もここで、三人で過ごせると思っていた。

「どのくらい遠くに?」

「飛行機の距離になるかもしれない、って」

 つむぎは、胸の中に何かがぎゅっと集まる感じがしました。

 さみしい、という気持ちが、今すぐそこにあります。

 でも、あおいに「さみしい」と言っていいのかどうか、わかりませんでした。あおいの方が、もっとつらいかもしれないから。

「あおいちゃんは、どうしたいの?」

「どうしたいって言っても……決まったら行くしかないし。でも、なんか、うまく気持ちの整理がつかなくて」

「うん」

「つむぎちゃんも引っこしてきたじゃん。どうだった?」

 つむぎは少し考えました。

「最初は、よその国みたいだった。でも、少しずつ自分の町になってきた」

「そっか」

「あおいちゃんがどこに行っても、あおいちゃんはあおいちゃんだと思うし」

「……そういうこと言うんだ、つむぎちゃんって」

「変だった?」

「変じゃない。なんか、ありがとう」

 電話を切ったあと、つむぎはしばらく窓の外を見ていました。

 あおいが引っこすかもしれない。

 来年の夏祭りの約束が、できないかもしれない。

 ユエが言っていた言葉が、今になってじわりと広がってきました。

 約束は、言葉にしただけでは届かないこともあります。

 あの夜、三人で来年もここに来ようと言いました。でも、言葉にしただけでは、届かないこともある。

 つむぎはひざを抱えて、少し考えました。

 届かせるために、できることが、あるのでしょうか。


 夕方、つむぎは坂道を歩いて、未来郵便図書館へ向かいました。

 今日はユエに話を聞いてもらいたいと思っていました。あおいのこと、お母さんのこと、未来の自分からの手紙のこと。

 路地に入って、庭の前に来ました。

 いつものように、ドアを開けました。

 ユエはカウンターのそばに立っていました。つむぎを見て、いつものように「いらっしゃい」と言いました。

 つむぎは棚の方を見ました。

 あの、ラベルのない引き出し。

 今日は、光っていました。

 はじめて見たときは光っていなくて、次に来たときは白い紙のかどが少し見えて。今日は、やわらかな光がにじみ出ています。

「ユエ、あの引き出し、今日は光ってる」

「そうですね」

「開けてもいいですか?」

 ユエはしばらく、引き出しを見ていました。

「今日は、まだかもしれません」

「まだ?」

「届く準備が、もう少しだけ必要みたいです。でも、もうすぐだと思います」

 つむぎはその引き出しを見つめました。

 光はやわらかくて、でも今日はたしかにそこにあります。

 もうすぐ、あの中の手紙の差出人と受取人が、わかるのかもしれない。

「ユエ」

つむぎはもう一つのことを聞きました。

「今日、友だちから聞いた話があって」

「あおいさんのことですか」

 つむぎは少し驚きました。

「知ってるんですか」

「はい。あおいさんも、言えないことを持っているとは感じていました」

 あおいも、言えないことがある。転校になるかもしれないことを、つむぎにもみなとにも、ずっと言えないでいたのだとわかりました。

「あおいちゃんに、何か言えることがあるでしょうか」

「つむぎさんが言える言葉が、いちばん届くと思います。手紙の言葉ではなく、つむぎさん自身の言葉が」

 つむぎはうなずきました。

 自分の言葉。

 それが何かは、まだわかりません。でも、考えてみようと思います。

 帰り際、つむぎはもう一度、ラベルのない引き出しを見ました。

 光は、さっきより少しだけ強くなった気がしました。

 あの中に何があるのか、もうすぐわかる。

 つむぎはそのことが、なぜかとても大事なことのような気がして、引き出しをもう一度だけ見てから、図書館をあとにしました。

 坂道を下りながら、空を見上げました。

 夏の終わりの夕空は、昼間の青より少し深い色をしています。

 言わなくてはいけないことが、いくつかあります。お母さんに。あおいに。

 でも、言葉はまだ準備中です。

 もう少し。もう少しだけ、時間をください。

 つむぎは空にそう言いながら、家への道を歩きました。


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