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未来郵便図書館  作者: 明石竜


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7/12

第七話 古本屋さんの町のひみつ

 八月に入って何日かが過ぎました。

 夏休みも半ばだというのに、つむぎにはまだ、時間がたっぷりある気がしていました。未来郵便図書館に通うようになってから、一日がなんとなく充実している感じがするのです。

 あおいとは、ほぼ毎日メッセージのやりとりをするようになっていました。みなととは、工作教室で週に何度か顔を合わせます。みなとはあいかわらず言葉が少ないけれど、つむぎが話しかけると「まあ」とか「そうかもね」とか、少しだけ前よりやわらかい返事をしてくれるようになっていました。

 そんなある日の午前中、あおいから連絡が来ました。

『今日、みなとも誘って三人で坂の上の方歩かない? この前言ってた古い図書館っぽい場所の近くに、風見さんっていうおじいさんの古本屋があるんだって。なんか面白いものいっぱいあるらしいよ』

 つむぎは、すぐに『行く』と返しました。

 

 三人で集まったのは、商店街のはずれでした。

 あおいは麦わら帽子、みなとは地図を印刷したらしい紙を手に持っています。

「なんでその紙持ってるの?」

あおいが聞きました。

「この辺、まだ歩いてないから。模型に必要」

 みなとが言いました。

「几帳面だなあ」

「そういうことじゃない」

 つむぎはふたりの横を歩きながら、このやりとりが少しおかしくて、口元がゆるみました。あおいとみなとの会話は、いつもこういう感じです。あおいが話しかけて、みなとが短く返して、あおいがまた何か言う。それでもふたりは、なんとなく仲よさそうです。

 未来郵便図書館の近くまで来ると、細い路地の手前に小さな店がありました。

 看板には『風見書房』と書いてあります。ガラス戸の向こうに、本がぎっしり並んでいるのが見えました。

「ここだ」

あおいが言いました。

 三人でガラス戸を引くと、ちりんと小さなベルが鳴りました。


 中は、外から見た印象よりさらにせまくて、でもすみずみまで本が詰まっていました。

 新しい本はほとんどなく、どれも年季の入った本ばかりです。棚と棚のあいだが狭くて、三人で並んで歩くと少し大変なくらいです。

 奥のカウンターから、「いらっしゃい」と声がしました。

 白髪のおじいさんが、ゆったりとした動きで立ち上がりました。丸い眼鏡、やわらかそうなベスト。よく日に焼けた顔に、にこにこと笑いじわがあります。

「お客さんは久しぶりだな。子どもさんたちか」

「こんにちは」

あおいが元気よく挨拶しました。

「石崎あおいです。この辺に古本屋があるって聞いて、来てみました」

「そうか、そうか。ゆっくり見ていきなさい。値段はだいたい安くしてあるから、気に入ったものがあれば」

 つむぎは本棚を見まわりました。

 文学、歴史、図鑑、詩集。子ども向けの本もあれば、難しそうな大人向けの本もある。ぱらぱらめくってみると、前の持ち主の名前が書いてあるものもありました。この本にも、読んだ人がいたんだな、と思います。

 みなとは地図の棚のそばに行って、古い地図の本を何冊か手にとっています。

 あおいはすぐにおじいさんに話しかけていました。

「風見さんって、ここ、長いんですか?」

「もう四十年になるかな。この店を開く前は、別のことをしていたけれど」

「四十年! じゃあこの町のこと、なんでも知ってる?」

「なんでも、というわけにはいかないが、だいたいのことは」

 つむぎはその会話を聞きながら、本棚の間を歩いていました。

 そして、ふと思いました。

 この店は、未来郵便図書館のすぐそばにある。

 風見さんは、あの図書館を知っているのでしょうか。


「あの」

つむぎは言いました。

 あおいと話していた風見さんが、つむぎの方を向きます。

「この近くに、未来郵便図書館っていう建物があるんですけど、知ってますか?」

 風見さんは、驚きませんでした。

 驚かない、ということが、つむぎには少し驚きでした。普通、そんな名前の図書館を聞いたら、何それ、という顔をするはずです。

「ああ。あそこか」

「知ってるんですか!」

あおいが目を丸くしました。

「知ってるとも。わしが子どものころにも、一度だけ見たことがある」

 みなとが地図の本を手にしたまま、こちらに近づいてきました。

「子どものころに? じゃあ、ずっと前からあるんですか?」

 つむぎは聞きました。

「あの図書館はな」

風見さんは、椅子に腰かけながら言いました。

「昔から、この町にときどき現れては消えると言われとった。わしが子どものころは、まだそういう話をする大人がいたんだが、今はもう、知っとる人はほとんどおらんだろうな」

 つむぎは、みなととあおいと顔を見合わせました。

「どういうときに現れるんですか?」

つむぎは聞きました。

「言えなかったことばが集まるところだと、昔から言われとる」

 その言葉が、つむぎの胸に静かに落ちました。

 言えなかったことば。

「言えなかった、というのは」

「そのままの意味じゃよ。だれかに言いたいのに言えなかった気持ち、伝えたかったのに伝えられなかった言葉。そういうものが、あの場所に集まると、昔から言われとった。なぜそうなるのかは、わしにもわからんが」

 風見さんはそう言って、熱いお茶をすすりました。

「現れるのと消えるのは、決まってるんですか?」

あおいが聞きました。

「決まっとらんと思う。ただ、言えなかった言葉が、ちゃんと届くようになったとき、消えると聞いたことはある。いつまでもあるわけじゃない、ということじゃな」

 みなとがぽつりと言いました。

「条件があるってことか」

「賢いな」

風見さんはそう言って、笑いました。

「まあ、そういうことかもしれん。ただ、わしにはそれ以上のことはわからんよ。子どものころに一度見て、入ろうとしたら、翌日には消えていた。それだけじゃ」


 三人は、それからしばらく風見書房で過ごしました。

 つむぎは薄い詩集を一冊買いました。百円でした。みなとは古い地図の載った本を、あおいは動物の写真集を買いました。

「また来なさい。子どもが来てくれると、店が明るくなる」

 風見さんは優しい笑顔でそう言いました。


 外に出ると、空は青く、入道雲がもくもくと立ち上がっています。

「すごい話だったね。風見さん、あの図書館のこと知ってた」

 あおいが言いました。

「昔からある、ってことは、つむぎたちより前にも、使った人がいるってことだよね」

みなとが言いました。

「そうだね」

つむぎはうなずきました。

 つむぎは、風見さんの言葉をもう一度心の中でくりかえしました。言えなかったことばが集まるところ。ちゃんと届くようになったとき、消える。

 ということは、あの図書館は今も消えていないから、まだ届いていない言葉が、この町に残っているということでしょうか。

 そして、つむぎが受け取った手紙も、そのひとつ、ということなのかもしれません。

 あおいは坂の上を指さしました。

「ねえ、せっかくだから行ってみようよ。未来郵便図書館! 名前からして気になるじゃん!」

「本当にあるなら」 

 みなとはノートを開きました。

「このあたりのはずだよね?」

 つむぎはうなずきました。

「うん。いつもは、この坂をのぼって、細い路地を曲がると……」

 けれど、その日は、路地の先に白い花の庭はありませんでした。

 古い塀と、小さな空き地があるだけです。

 つむぎは何度か道を見直しました。

 坂道も、曲がり角も、たしかに見覚えがあります。

 でも、未来郵便図書館だけが、どこにもありませんでした。

「……ここだったと思うんだけど」

 つむぎは小さく言いました。

「思う、じゃ困る」 

 みなとは言いました。

「建物が消えるわけない」

「でも、ほんとにここだったの」

「見間違い」

 みなとは短く言いました。

 あおいは、つむぎと空き地を交互に見ました。

「でも、つむぎちゃん、嘘ついてる感じじゃないよ」

「嘘とは言ってない。記憶がずれてるだけかもしれない」

「それ、けっこう失礼じゃない?」

「事実の確認をしてる」

 つむぎは何も言えませんでした。

 たしかに、今日は見つからない。

 けれど、あの図書館で手紙を受け取ったことまで、なかったことになるわけではありません。

 でも、つむぎは少しだけ思いました。

 もしかすると、今日は「行く日」ではなかったのかもしれません。

 あの図書館は、いつでも誰にでも見つかる場所ではない。

 来られるときに、来られる人が来られる場所。

 だとしたら、今日の三人は、まだその「来られるとき」ではなかったのかもしれません。

 あおいが明るい声で言いました。

「また来ようよ。今日は見つからなかっただけかもしれないし」

「建物は、今日見つからなかったら明日も見つからない」

 みなとは言いました。

「でも、確認は続ける」

「それ、また来るってことじゃん」

「場所の確認」


 その午後、つむぎはひとりで坂道をのぼりました。

 三人で歩いたときと同じ道です。

 同じ坂で、同じ曲がり角のはずなのに、ひとりで歩くと、路地の奥の空気が少しだけちがって見えました。

 白い花の咲いた庭が、そこにありました。

 未来郵便図書館も、見つかりました。

 つむぎは中に入ってユエに今日あった話をすると、ユエはじっくり聞いていました。

「風見さんのことは、知っていますか?」

「名前は知っています。ここに来たことのある人のことは、少しだけわかります」

「あの人が子どものころに、ここへ来たって言っていました」

「そうみたいですね」

「さっき、あおいちゃんとみなとくんと来ようとしたんです。でも、見つかりませんでした」 

「そうでしたか」

 ユエは驚いた様子もなく、静かにうなずきました。

「わたしひとりだと、見つかったのに」

「この図書館は、いつでも同じように見つかる場所ではありませんから」

「どうして?」

「必要な言葉があるときに、道が開くことがあります。今日は、つむぎさんに届く言葉があったのでしょう」

 つむぎは、奥の引き出しの棚を見ました。

 風見さんは、子どものころにこの図書館へ来たと言っていました。

 それなら、ユエはそのころからここにいたのでしょうか。

 それとも、別のだれかが司書をしていたのでしょうか。 

「ユエは、ずっとここにいるんですか?」

 ユエは少しだけ間を置きました。

「ぼくは、この図書館に必要なあいだ、ここにいます」

 それ以上は教えてくれませんでした。

 つむぎはいつものように棚を見まわりました。

 今日は光っている引き出しがひとつあって、開けると手紙が入っていました。


 しまっておくと、なくなることばもある。


 つむぎはその言葉を読んで、そっと息を吸いました。

 しまっておくと、なくなる。

 言えないままにしていると、いつか言葉そのものが消えてしまうことがある。そういうことかもしれません。

 お母さんのことが、頭に浮かびました。

 さみしいということ。だいじょうぶなふりをしてきたこと。

 それを言わないままでいたら、いつかその言葉は、自分の中からなくなってしまうのでしょうか。

 つむぎは封筒を手さげにしまいました。

 そのとき、棚の端の方を見て、足が止まりました。

 以前から気になっていた、ラベルのない引き出し。

 今日も光ってはいません。でも、以前と少しだけちがう気がします。

 引き出しのふちに、ほんのわずか、何かが見えます。

 白い紙のかど、でしょうか。

 以前は、引き出しのすき間からは何も見えなかった気がします。

「ユエ」

「はい」

「あの引き出し、前より少し……何か、見えてる気がするんですが」

 ユエが来て、引き出しのそばに立ちました。しばらく見てから、ゆっくりと言いました。

「そうですね。少しずつ、届く準備が整ってきているのかもしれません」

「中に手紙があるんですよね。差出人も受取人も、まだわからない?」

「今は、まだ」

「いつかわかりますか?」

「届くべきときが来れば、ことばは、ちゃんと届くときがあります」

 つむぎはもう一度、その引き出しを見ました。

 白い紙のかどが、ほんの少しだけ見えています。

 だれかの言葉が、あの中で、まだ届く場所を探しているのかもしれない。

 つむぎはその引き出しが、なぜか他人事に思えませんでした。

 言えないままの言葉が、だれかの中にある。その言葉が届かないままでいる。

 それは、つむぎ自身のことでもあるような気がしました。


 図書館を出て、坂道をくだりながら、つむぎは今日知ったことを整理しました。

 未来郵便図書館は、昔からこの町にあった。言えなかった言葉が集まる場所。届くようになったとき、消える。

 しまっておくと、なくなることばもある。

 ユエはずっとここにいるわけではない、とも言っていました。図書館に必要なあいだだけ、ここにいる。

 ということは、図書館がなくなるとき、ユエともお別れになるのかもしれません。

 つむぎは足を止めました。

 その考えは、今まで頭になかったことでした。

 図書館は、ずっとあるわけじゃない。

 わかってはいました。風見さんも言っていたし、ユエも「必要なあいだ」と言っていました。でも、それが本当に終わる日のことを、つむぎはちゃんと考えていなかったのです。

 夏はまだ続いています。入道雲が、空の高いところにとどまっています。

 でも、夏はいつか終わります。

 つむぎはもう一度、坂の上を振り返りました。

 図書館のある路地の入口は、木のかげになって見えません。

 でも、そこにある、とわかっています。

 まだ、ある。

 つむぎはそれだけ確かめてから、坂道をくだりはじめました。今日のことは、もう少し時間をかけて、考えようと思いました。


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