第五話 やさしくないからじゃない
それから二日後のことでした。
つむぎがまた工作教室を訪ねると、いつもとようすがちがいました。
入口のそばで、女の子がふたり、田辺さんに何か話しています。
「ぜったいそうですよ。あの子が道具の置き場所を変えたんだと思います」
女の子のひとりが言いました。
「見てたわけじゃないんでしょう?」
田辺さんが、落ち着いた声で聞き返します。
「でも、あの子の机の近くに置いてあったので」
田辺さんは困った顔をしています。
テーブルの方を見ると、みなとが座っていました。
作りかけの模型の一部が外れて、細い板が数枚、テーブルに散らかっています。
つむぎはあおいのそばへ行きました。あおいは小声で教えてくれました。
「昨日、他の子が使ってた道具の置き場所が変わってたんだって。それを、あの二人がみなとのせいにしてる」
「みなとくんが、道具を勝手に使ったってこと?」
「わかんない。あの子たちが言うには、みなとが他の子の道具を勝手に使ったから注意したんだって。そしたら、みなとが言い返してきたって。でも、みなとはそれもちがうって言ってる。あと、そのときに机にぶつかって、みなとの模型も少し壊れちゃったみたい。田辺さんが間に入ってるんだけど、みなとがうまく説明できないから、なんか話がまとまらなくて」
つむぎはみなとの方を見ました。
みなとは黙って座っています。女の子たちがまだ何か田辺さんに言っている。田辺さんはみなとに向かって「みなとくん、自分の言葉で話してみて」と言いますが、みなとはうつむいたまま何も言いません。
黙っているのは、言いたいことがないからではないとわかります。
言葉がうまく出てこないだけです。
つむぎはそのとき、手さげの中の封筒のことを思いました。
今日は図書館に寄ってから来ていました。ゆうべ、引き出しがまた光っていたのです。
ことばが少ないのは、やさしくないからじゃない。
それが、三通目の手紙に書いてあった言葉でした。
つむぎはそれを読んだとき、みなとのことを思い浮かべたわけではありませんでした。自分のことかな、とも思いました。でも今、この場面を見ていると、この手紙の言葉がみなとのことを言っているような気がしてなりません。
つむぎは、田辺さんのそばへ行きました。
「あの、少し聞いてもいいですか」
田辺さんとあの二人が振り返ります。
「はい、どうぞ」
田辺さんは言いました。
「みなとくんが道具を勝手に使った、っていうのは、見ていたんですか?」
女の子のひとりが、ちょっとむっとした顔をしました。
「見てたわけじゃないけど、置き場所が変わってたんです。みなとくんしかそっちに行かないから」
「置き場所が変わってた、というのは、もしかして誰かが間違えて戻したんじゃないかな。道具棚、みんな使うし」
「でも……」
「あと、みなとくんの模型が壊れたのは、言い合いになったときですか?」
「だって、あの子が怒ってきたから」
「怒ってきたのは、なんで?」
女の子は少し黙りました。
「自分の模型が壊れてたからだって言って」
「だったら」
つむぎは言いました。声が少し震えましたが、続けました。
「みなとくんの模型が誰かにぶつかられて壊れて、それでみなとくんが怒ったのかもしれない。その方が、本当のことに近い気がする」
静かになりました。
田辺さんが「そうね」と言いました。
「実際のところをきちんと確認しましょう。みなとくん、昨日来た子たちのこと、覚えてる?」
みなとはうなずきました。
「昨日、別の子が道具棚のそばにいた。ぼくじゃない」
短い言葉でしたが、それだけ言えればじゅうぶんでした。
田辺さんが調べると、昨日来ていた別の子が道具を使ったあとに戻す場所を間違えたことがわかりました。それをみなとのせいだと思った女の子たちが、みなとに強く言ってきて、みなとの机をちょっとぶつけてしまい、作っていた模型の一部が壊れた、というのが本当のことでした。
女の子たちは、しぶしぶながらも「ごめんなさい」と言いました。
みなとは「わかった」とだけ言いました。
昼すぎに教室が終わると、つむぎとあおいとみなとはいっしょに外に出ました。
あおいが「よかったね、みなと」と言いました。
「べつに」
「また『べつに』。もう少し感謝してよ、つむぎちゃんが言ってくれなかったら、まだもめてたかもよ」
みなとはつむぎを見ました。つむぎはどう反応すればいいかわからなくて、少し目をそらしてしまいました。
「なんで言ったの?」
みなとは聞きました。
つむぎは少し考えました。
「みなとくんが、言いたいことがあるのに言えてないんだなって、わかったから」
みなとは黙っています。
「わたしも、言葉がうまく出てこないことがあって。だから、わかった気がして」
「……ぼくとはちがう」
みなとは言いました。
「え?」
「朝倉は、言いたいことがのどにつかえる感じがする。ぼくは、言葉にするのがめんどうだと思ってる。似てるようでちがう」
つむぎは、それを聞いて少し驚きました。
みなとは自分のことを、ちゃんと把握しているのです。言葉が少ないのは、言葉を嫌っているわけでも、不器用なわけでもなく、みなとなりの判断でそうしているのだと、初めてわかりました。
「そうなんだ。でも、必要なときは言えるじゃないですか。さっきも、昨日の子がいたって言えてたし」
「あれは、朝倉が言ったから」
「どういうこと?」
「朝倉が聞き方を整理してくれたから、ぼくも答えやすかった」
つむぎは、しばらく考えました。
そういうことか、と思います。
みなとが言葉を出せないのは、どこから言えばいいかわからないから、かもしれません。つむぎが問いかけを整理したから、みなとは答える場所を見つけられた。
「じゃあ、わたしがよかったんじゃなくて、いっしょによかったってことだね」
みなとは少し間を置きました。
「……まあ」
あおいが笑いました。
「みなとが『まあ』って言うの、初めて聞いた。それ、『そうかもね』ってことだよね?」
「うるさい」
でも、みなとの口元が、ほんのすこしだけゆるんだのを、つむぎは見ました。
帰り道、あおいがふと思い出したように言いました。
「そういえば、つむぎちゃん。前に言ってた坂の上の古い建物、見たことある?」
つむぎは、少しだけ返事につまりました。
見たことがある、どころではありません。
あの場所で、つむぎは何通もの手紙を受け取っています。
「……ある、と思う」
「え、ほんとに? どんなところ?」
つむぎは迷いました。
未来郵便図書館のことを、そのまま話していいのかはわかりません。
でも、あおいにも、みなとにも、少しだけなら話してみたいと思いました。
「古い図書館みたいな場所で、手紙を預かってるの」
「手紙?」
あおいが目を丸くしました。
「図書館なのに?」
あおいは、ますます不思議そうに首をかしげます。
「うん。未来から来る手紙、みたいな……」
そこまで言ったところで、みなとが短く言いました。
「ありえない」
つむぎは、みなとを見ました。
「やっぱり、そう思う?」
「未来から手紙が来るなら、時間の流れがおかしい。そんな場所が町にあるなら、もっと知られてる」
「みなと、そこまで考えるんだ」
あおいが感心したように言いました。
「ふつうに、へえ面白そう、でよくない?」
「よくない」
みなとはそう言いましたが、少しだけ考えるように目を細めました。
「でも、坂の上の古い建物は、模型に入れる予定だった。場所は気になる」
あおいがぱっと笑いました。
「じゃあ、三人で行ってみようよ。今日じゃなくてもいいけど、できるだけ早く!」
「決断が早いな」
みなとが言いました。
「気になるじゃん。未来から手紙が来る図書館なんて」
「信じてない」
「信じてなくても、見に行くくらいはできるでしょ」
「……場所の確認なら」
その日の夕方、つむぎは一人で未来郵便図書館に寄りました。
ユエはいつものように棚の整理をしていました。
「今日はどうでしたか?」
ユエが聞きました。
つむぎは今日のことを話しました。みなとのこと。言葉が少ないのは冷たいからじゃないかもしれないと思ったこと。手紙の言葉が、みなとのことを言っているみたいだったこと。
「手紙は、いつも自分のためだとは限らないんですか?」
ユエはすこし考えてから言いました。
「手紙は、受け取った人に届きます。でも、その人がどう使うかは、その人が決めることです。今日のつむぎさんは、自分のための言葉を、だれかのために使った」
「それって、いいことでしたか」
「ぼくにはわかりません。でも、みなとが今日より少しだけ話せるようになったなら、それは悪いことではないと思います」
つむぎは、棚の引き出しをながめました。
今日は光っている引き出しはありませんでした。
「手紙が届かない日もあるんですね」
「そうです。必要なときに届く、というのはそういうことです」
つむぎはしばらく、本棚の間を歩きました。
今日借りていた『言葉をなくした日の話』は、読み終わっていました。棚に戻しながら、またほかの本を探します。
ふと、引き出しのひとつに目が止まりました。
光ってはいません。でも、ラベルが、他のものと少しちがう気がします。ほかの引き出しのラベルは読もうとするとぼんやりするのに、その引き出しだけ、文字がはっきり見えません。どころか、ラベル自体がないようです。
「ユエ、あの引き出し」
「どれですか?」
「あそこの、一番端の。ラベルがないやつ」
ユエが来て、その引き出しを見ました。
「ああ」
「なんですか、あれ」
「まだ届いていない手紙です。差出人も受取人も、今はまだ読めない」
「読めない?」
「まだ、その手紙が届く準備ができていないのかもしれません」
ユエの声は、いつもより少しだけ小さく聞こえました。
つむぎは顔を上げました。
「ユエは、その手紙のこと、知ってるの?」
「いいえ」
ユエは首をふりました。
「でも、待っている手紙を見ると、少しだけ落ち着かなくなるんです」
「どうして?」
「ぼくにも、まだ届いていない言葉があるのかもしれません」
つむぎは、その言葉の意味をすぐには聞けませんでした。
ユエの横顔が、ほんの少しだけさみしそうに見えたからです。
つむぎはその引き出しをじっと見ました。
差出人も受取人もわからない手紙が、あの中に入っている。
「気になりますか」
ユエが聞きました。
「……うん、なんか、気になる」
「そうですか」
ユエはそう言って、また整理に戻りました。
つむぎはしばらくその引き出しを見ていました。
引き出しは、ただそこにあるだけです。光ってもいないし、動きもしません。
でも、なぜか目がはなせませんでした。
あの中に何が入っているのか、今はまだわかりません。
でも、いつかわかるときが来るかもしれない。
つむぎは手さげを持ち直して、図書館をあとにしました。
夕暮れの坂道を下りながら、今日出会ったことを、ひとつひとつ頭の中で確かめていきました。
みなとのこと。言葉の少なさが、やさしくないことではないということ。そして、誰かの言葉を助けることが、自分にもできるということ。
手紙は今日も、答えをぜんぶは教えてくれませんでした。
でも、気づくための場所に、ちゃんと連れてきてくれた気がします。




