第四話 ことばの足りない男の子
夏休みが始まって、一週間が経ちました。
つむぎの毎日は、少しずつ変わってきていました。
朝、お母さんを見送ってから宿題をして、本を読む。昼ごろ、外に出てみる。あおいからメッセージが来ることもあるし、みつきたちと公園で会うこともある。夕方、坂道を歩いて未来郵便図書館に寄ることもある。
全部がうまくいっているわけではありません。あおいとの会話で、また言葉がつまることもあります。みつきたちとうまく話せない日もあります。でも、にげないようにしよう、とは思うようになりました。
そんなある日の午前中、あおいからメッセージが届きました。
『ねえ、今日ひま? 工作教室に行くんだけど、いっしょに来ない?』
工作教室、という言葉に、つむぎは少し首をかしげました。
『工作教室って?』
『駅の近くにある、古い建物の一室でやってる教室。夏休みだけ開いてて、自分が好きなものを作っていい感じのやつ。あたしは絵を描くだけだけど、面白いよ』
つむぎはしばらく考えてから、『行く』と返信しました。
どんな場所かはわかりません。でも、新しい場所を知りたい気持ちが、少しずつ芽生えていました。
工作教室は、駅前の古い雑居ビルの二階にありました。ドアを開けると、木のにおいと、何かの接着剤のにおいが混ざったような空気がします。
部屋は広くはなく、長いテーブルが二つ。壁際に道具棚があって、のこぎりややすり、糸や布やビーズなど、いろいろなものが並んでいます。
先生は、眼鏡をかけた若い女の人でした。名前は田辺さんといいます。
「いらっしゃい。今日は、好きな席に座ってね」
つむぎが棚の方を見ると、そこに男の子がひとりいました。
窓際のテーブルに座って、細い木の板を並べています。
短く切った黒い髪の男の子で、白いTシャツの袖には、木の粉が少しついていました。
背すじをまっすぐにして、定規の目盛りをじっと見ています。
つむぎたちが入ってきても、ふりかえりませんでした。
「あ、みなと。また来てるじゃん」
あおいが言いました。
男の子はちらっとだけ顔を上げました。
「石崎か」
それだけ言って、また手元に目を戻しました。
つむぎはあおいのとなりで、小声で聞きました。
「知り合いなの?」
「同じクラス。久保田みなとっていうんだけど、ちょっとぶっきらぼうだからびっくりしないでね。悪い子じゃないから」
あおいは普通の声で言ったので、聞こえてしまったかもしれません。でもみなとは何も言いませんでした。
つむぎは席を決めて、田辺さんに今日は何を作るか相談しました。まだ慣れていないので、つむぎはとりあえず、木の板に好きな絵を書いて色を塗る、という簡単なものにしました。あおいは大きめの白い紙に、色鉛筆で絵を描き始めました。
みなとは、端のテーブルで黙々と作業をしています。
つむぎは絵を描きながら、ときどきみなとのほうをちらっと見ました。細い木の板を何枚か並べて、定規で測って、また並べ直して。何を作ろうとしているのかはわかりませんが、丁寧な手の動きです。
「みなとくんって、いつもここに来てるの?」
つむぎはあおいに聞きました。
「夏休みはほぼ毎日みたい。去年もそうだったって、田辺さんが言ってた」
「何を作ってるのかな」
「さあ。聞いても教えてくれないし」
あおいはさらっと言いました。
つむぎはもう一度、みなとの方を見ました。
みなとは今、細い板の端に何か測って印をつけています。その横に、小さなノートがあって、何か書き込んであります。
几帳面な人なのかな、とつむぎは思いました。
一時間ほど経ったころ、田辺さんが出ていきました。
「ちょっと電話してきます。なにかあれば呼んでください」
三人だけになると、部屋が静かになりました。
あおいは絵を描くのに集中しています。つむぎも板に色を塗っていました。みなとは板を並べたり測ったりを続けています。
しばらくして、あおいが声を上げました。
「あ! 赤が終わった。田辺さんのところに替えあるかな」
あおいは道具棚のほうへ行きました。
つむぎとみなとだけになります。
つむぎは少し緊張しました。どちらも黙っているので、会話しなくてもいいのですが、なんとなく黙っているのも落ち着きません。
「何を作ってるんですか」
声に出してみると、思ったより普通に聞けました。
みなとはちらっとつむぎを見ました。
「町の模型」
「模型?」
「うん」
それだけです。
つむぎはもう少し聞いてみました。
「この町の?」
「そう」
「縮尺とか決めてるの?」
今度は、みなとが少しだけ間を置きました。
「五百分の一」
「五百分の一……じゃあ、一センチが五メートルってことか」
「そう」
短い言葉ですが、否定はされませんでした。つむぎはそれを、続けていいサインだと思いました。
「全部、自分で測って作るの?」
「地図も使う。でも、細かいところは歩いて確かめてる」
「それは大変そう」
「べつに」
みなとはまた手元に目を戻しました。
つむぎはなんとなく、みなとが嫌がっているわけではないとわかりました。ただ、余分なことを言わない人なのだと思います。自分が言いたいことだけ言って、あとは黙る。それがみなとのやり方なのかもしれません。
あおいが戻ってきて、「あったあった」と言いながら赤の色鉛筆を持って席に着きました。
「二人、話してたの? 仲よくなった?」
「べつに」
みなとは答えました。
「してたよ」
あおいは笑いました。
「みなとが『べつに』以外のこと言うの、珍しくない?」
「余分なことは言わない」
「それ! それが感じ悪いって言われるやつだよ」
「感じが悪いとは思ってない」
「そういうところが感じ悪いって言われるんだって」
あおいはけらけら笑っています。みなとは怒っていませんでしたが、もう返事をしませんでした。
つむぎは絵を塗りながら、みなとのことを少し考えました。
言葉が少ない、というのは、つむぎとは少しちがいます。つむぎは言いたいことがのどにつかえる。でもみなとは、つかえているわけではなくて、もともと少ない言葉で足りていると思っているみたいです。
どちらが正しいというわけでもないだろうな、とぼんやり考えていました。
教室が終わって、三人で外に出ました。
あおいは「じゃあね」と言って反対方向へ走っていきました。
つむぎとみなとは、同じ方向に歩くことになりました。
つむぎの家は坂の上の方で、みなとの家はその手前あたりだということがわかりました。
しばらく、二人は黙って歩きました。
つむぎは、話しかけようかどうか迷いました。
でも、静かでも気まずくない人がいる、ということを、最近少しわかってきていました。みなとはそういう人かもしれないと思ったので、無理に話さなくてもいいかと思い直しました。
「さっき」
みなとが言いました。
「うん?」
「五百分の一、ってすぐわかった。計算が早いんだね」
つむぎは少し驚きました。
「本をよく読むから、数字は少し得意かも」
「本か」
「うん。みなとくんは、本は読む?」
「地図の本は読む。あとは設計図みたいなやつ」
「ふつうの物語は?」
「あんまり。でも嫌いじゃない」
つむぎはうなずきました。少ない言葉でしたが、みなとがちゃんと答えてくれていることはわかります。
「模型、完成したら見せてほしいな」
みなとは少し間を置いてから、「完成したら」と言いました。
それが「見せてもいい」という意味なのか、「完成するかどうかわからない」という意味なのか、つむぎにはわかりませんでした。でも、悪い返事ではないと思いました。
みなとは自分の家の前で「じゃあ」とだけ言って、中に入っていきました。
つむぎはその後ろ姿を見てから、坂道をのぼりました。




