第二話 ちゃんと「ちがう」って言う日
翌日の午後のことでした。
つむぎは、家の近くの小さな公園にいました。
きのう坂道を歩いていたときに見かけた公園で、中央にさくらの木が一本あります。葉が夏の日差しをさえぎって、ベンチには木陰ができていました。つむぎはそこで本を読もうと思っていたのです。
公園には、つむぎのほかにも子どもたちが何人かいました。近所に住んでいる子たちのようで、ボールで遊んだり、ゲームで遊んでいたり、おにごっこをしたりしています。つむぎは彼女たちの名前を知りません。知らないまま、ベンチに座って本を開きました。
しばらくして、ボールが転がってきました。
つむぎの足もとまで来て、止まります。
見ると、女の子が三人、こちらに走ってきました。つむぎと同じくらいの年に見えます。
「あ、ごめん」と、いちばん前の子が言いました。
「ボール、取ってもらえる?」
「うん」
つむぎはボールを拾って、渡しました。
「ありがとう。あなた、この近くに住んでるの?」
「うん。引っこしてきたばかりで」
「あ、そうなんだ」
女の子は言いました。それから、少し考えてから、「いっしょに遊ぶ?」と声をかけてくれました。
つむぎは、驚きました。でも、うれしかったので、「うん」とうなずきました。
女の子たちはつむぎをグループに入れてくれて、しばらくいっしょにボール遊びをしました。名前はみつき、りか、はる、という子たちでした。
遊んでいるうちに、ボールが木のかげに転がりました。
「あ、ボール」
みつきが走っていって、ボールを取ろうとしました。
りかとはるは、そのとき別の方を向いて、次に投げる順番のことで話していました。
ちょうどそこに小石があって、みつきはつまずき、ころんでしまいました。
「大丈夫?」
「いたたた……」
みつきは立ちあがりました。ひざに小さな傷がついています。
そのとき、りかが言いました。
「つむぎちゃんが強く投げすぎたんじゃないの?」
え、とつむぎは思いました。
さっき投げたのは、確かにつむぎでした。でも、ボールは真っすぐ転がっていました。みつきが追いかけて、そこにあった石につまずいたのです。つむぎのせいではありません。
「ち、ちが……」
みつきも何か言おうとしました。でも、転んだばかりでびっくりしているのか、うまく言葉になりません。
りかとはるが、つむぎのほうを見ました。
つむぎはいつも、こういうとき、だまってしまうのです。
ちがう、と言えばよかった。でも、言えなくて。そのまま「ごめんね」と言ってしまうのが、いつものつむぎでした。
そのとき、ポケットの中の封筒のことを思い出しました。
今朝、なんとなく持ってきていたのです。気がついたら手さげに入れていました。
あした、ちゃんと「ちがう」って言って。
この手紙の「あした」は、今日のことでした。
そして、この場面のことだったのかもしれません。
つむぎの胸が、どきどきしました。
こわい。言ったら、気まずくなるかもしれない。せっかく話しかけてくれたのに、いやな空気になってしまうかもしれない。
でも。
ちがう、という気持ちは、本当にありました。
つむぎは、口を開きました。
「……それ、ちがうよ」
声が、思ったよりちゃんと出ました。
りかとはるが、つむぎを見ます。つむぎは続けました。
「さっき、ボールは真っすぐ転がったよ。みつきちゃんがそっちに走っていって、石につまずいたんだと思う。わたしのせいじゃない、と思う」
静かになりました。
つむぎは、胸がどきどきしすぎて、次の言葉が出てきません。
怒られるでしょうか。それとも黙られてしまうでしょうか。
みつきは、ひざの傷を見てから、こくりとうなずきました。
「……うん。わたし、石につまずいたの。つむぎちゃんのせいじゃない」
みつきは、小さな声で言いました。
りかは、はっとしたようにみつきを見ました。
「そうだったんだ。ごめん、ちゃんと見てなかった。ごめんね、つむぎちゃん」
「わたしも、ごめん」
はるも言いました。
つむぎは、しばらく何も言えませんでした。
思っていたより、ずっと普通に話が通じたのです。
怖いことは、何もありませんでした。みんな、ちゃんと聞いてくれました。
「だいじょうぶ。ありがとう」
つむぎは言いました。
そのあとはまた、みんないっしょに遊びました。
別れるとき、みつきが「また明日も来る?」と聞いてくれました。つむぎは、「うん」と答えました。
家に帰ってから、つむぎはずっと、胸がゆっくりどきどきしていました。
ちがう、と言えた。たった一言でしたが、言えた。
そして、こわくはなかった。
つむぎはポケットから封筒を取り出して、もう一度開きました。
あした、ちゃんと「ちがう」って言って。
この手紙は、本当に本物だったのかもしれません。
でも、それよりも、と思いました。
手紙は、「ちがうと言ったら全部うまくいくよ」とは書いていませんでした。「必ず友だちができるよ」とも書いていませんでした。ただ、「ちゃんと言って」と書いてあっただけです。
最後に言えたのは、つむぎ自身でした。
つむぎは窓の外を見ました。夕暮れの空がオレンジ色になっています。
あの図書館に、また行ってみようと思いました。
ユエは、「この手紙は今のきみに必要だ」と言っていました。
じゃあ、まだ必要な手紙が、あの棚の中にあるのでしょうか。
つむぎはそっと、封筒を手さげのいちばん奥にしまいました。大事に、していたいと思ったのです。
外はまだ、夏の空気が残っていました。
長い夏休みは、始まったばかりです。




