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未来郵便図書館  作者: 明石竜


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第一話 ふしぎな図書館は、町のはずれに

 夏休みが始まって二日目のことでした。

 小学四年生の朝倉つむぎは、町はずれの細い坂道を、ひとりでのぼっていました。

 新しい家の近くを歩いてみようと思ったのです。

 知らない町は、まだ少しだけ、よその国みたいでした。道ばたの花屋さんも、赤いポストも、角を曲がるたびに見える小さな公園も、つむぎにはまだ「自分の町」には思えません。

 六月の終わりに引っこしてきてから、学校には通っているけれど、よく話す友だちと呼べる子はまだいませんでした。休み時間は図書室にいることが多くて、それはつむぎが本好きだからでもあるけれど、だれに話しかければいいのかわからないからでもありました。

 だから夏休みは、少しほっとします。

「おはよう」と言ったあとに何を話せばいいか、考えなくてすむからです。

でも、夏休みが終われば、また学校が始まります。

そのとき、この町に「おはよう」と言える友だちができているのか、つむぎにはまだわかりませんでした。


 今日も、お母さんは朝からお仕事に出かけていました。

「朝ごはんはテーブルに置いてあるから。暑いから、あまり遠くに行かないでね」

 そう言って、バッグを肩にかけたお母さんの背中を、つむぎはひとりで見送りました。

 さみしい、とは思いません。お母さんが忙しいのはわかっているし、つむぎもひとりで過ごすことには慣れています。

 ただ、部屋が静かすぎるときだけ、なんとなく胸のあたりがすわりわるくなります。

 だから今日は、外に出てみることにしたのでした。

 肩にかかるくらいの黒い髪は、歩くたびに少しだけゆれました。

 手には、図書室に行くときも使っている布の手さげを持っていました。 

 坂道をのぼりながら、つむぎは手さげのなかの文庫本のことを考えていました。昨日、読みかけのところで終わってしまったのです。本の中の女の子は、大事な友だちに言いたいことがあるのに、ずっと言えないままでいます。

 つむぎには、その気持ちがよくわかりました。

 自分だって、言いたいことはいつもたくさんあります。でも、言葉にしようとすると、のどのあたりでつかえてしまうのです。そのまま飲みこんで、なかったことにしてしまうのが、いつものつむぎのやり方でした。

 坂の途中に、細い路地がありました。

 つむぎはなんとなく、そちらへ曲がりました。地図で確かめたわけではないけれど、なんとなく、その路地のむこうに何かあるような気がしたのです。

 路地はしばらく続いて、それから少し開けた場所に出ました。

 そこで、つむぎは立ち止まりました。

 見たことのない建物があったのです。

 つるのからまった古い門。小さな庭には、名前のわからない白い花がぽつぽつと咲いています。白かったはずの壁は、長いあいだ雨や風にさらされて、やわらかな灰色になっていました。建物そのものは小さくて、本屋か、それとも古い民家か、パッと見ただけでは判断がつきません。

 その建物の前に、木の看板がひとつ立っていました。

 字は少しかすれていたけれど、読むことはできました。


 未来郵便図書館


 つむぎは、思わず声に出して読みました。

「みらい……ゆうびん、としょかん?」

 図書館なのに、郵便?

 郵便なのに、未来?

 へんな名前、と思ったのに、なぜかその場をはなれたい気持ちにはなりませんでした。むしろ、胸の奥が、ほんの少しだけそわそわします。

 入口のドアは、きちんと閉まっていました。でも、古びたガラスのむこうに、あたたかな色の光が見えました。だれかいるのかもしれません。

 つむぎは、手さげをぎゅっとにぎりました。

 知らない場所に入るのは苦手です。知らない人に話しかけるのも、もっと苦手です。

 けれど、そのときのつむぎは、なぜだか帰る気になれませんでした。看板の字を、もう一度見ます。


 未来郵便図書館


 まるで、本の題名みたいでした。

 本の題名みたいな名前の場所なら、入ってみてもいいかもしれない。

 そんなことを思ったのは、あとにも先にも、その日が初めてでした。

 つむぎは、そっとドアに手をかけました。


 ドアは、ぎいっという小さな音を立てて開きました。

 中は、外から見た印象よりずっと広い場所でした。

 天井まで届くほどの本棚がいくつも並んでいて、そのあいだに読書用のテーブルがひとつ、椅子がふたつ置いてあります。本棚には古い本がぎっしり並んでいましたが、ほこりっぽいにおいはしません。むしろ、木と紙とインクのまじったやさしいにおいがして、つむぎは一瞬、学校の図書室を思い出しました。

 でも、学校の図書室とちがうものが、ここにはありました。

 部屋のいちばん奥に、大きな棚があります。本棚ではありません。もっとこまかく仕切られていて、小さな引き出しがたくさん並んでいるのです。まるで古い薬屋さんの薬箱みたいに。引き出しはどれも、小さな“しんちゅう”とよばれる金色のつまみがついていて、それぞれに小さなラベルがはられていました。

 何かがしまってある、とわかります。でも、何が、とはわかりません。

「いらっしゃい」

 声がして、つむぎはびくっとしました。

 カウンターのうしろに、男の子が立っていました。

 白いシャツに、古びた茶色いベスト。つむぎと同じくらいか、少しだけ年上に見えます。

 髪は少し長めで、目は、なんだかずっと遠くを見ているみたいです。

 服はきちんとしているのに、どこか昔の写真から出てきた人みたいでした。

「びっくりさせてしまいましたか。ごめんなさい」

 男の子はあやまりました。声はとても落ち着いていて、つむぎよりよほど大人びて聞こえます。

「あの」

つむぎはそう言いかけて、一度だまりこみました。

 なんて聞けばいいのかわかりません。ここは何ですか? というのは変でしょうか。看板を読んでから来たのに。

「図書館を見つけてくれたんですね」

 男の子は、つむぎが黙っているのをせかしませんでした。ただ、やわらかく言葉を続けます。

「この図書館は、だれでも入れます。ただ、来られる人はあまり多くないんです」

「なんで……ですか?」

 つむぎは、どうにか言葉を出しました。

「さあ。来られるときに来られる、ということだと思っています。今日、あなたが坂道を歩いてきたのも、たぶんそういうことです」

 よくわからない答えでしたが、つむぎは不思議と、それ以上聞けない気持ちになりました。

「ぼくはユエといいます。ここの司書です」

「司書……」

「本と、手紙を守っています」

ユエはそう言って、奥の引き出しの棚を見ました。

その横顔は、つむぎと同じくらいの年に見えるのに、ずっと長いあいだこの場所にいた人みたいでした。

 つむぎはあたりを見まわしました。本はわかります。でも。

「手紙?」

「ええ」

ユエはうなずいて、奥の大きな棚のほうを見ました。

「ここでは、ふつうの本だけではなく、まだだれにも届いていない手紙を預かっています」

 つむぎは棚を見つめました。引き出しは、ざっと数えても百以上ありそうです。

「あの引き出しの中に、全部……手紙が?」

「そうです。でも。その手紙は、だれにでも読めるわけではありません。ほんとうに必要な人のところへだけ、届くのです」

 必要な人、というユエの言葉が、つむぎの胸の中で少しだけふるえました。

 どういう意味でしょう。つむぎは必要な人、なのでしょうか。

 それとも、ただ迷いこんだだけなのでしょうか。


 つむぎは、おそるおそる本棚の間を歩きました。

 本はどれも古くて、背表紙の字がかすれているものもあります。でも、手にとってみると、紙はしっとりとしていてやわらかい。本の中身は、つむぎの知らないタイトルばかりでした。

「どうぞ、ゆっくり見ていてください」

 ユエはそう言って、本の整理を続けています。

 つむぎは本棚をひとつひとつ見ていきました。文学、詩、昔話、外国の物語。本の種類はばらばらで、でも全部が、ちゃんとした場所に並んでいます。

 しばらくして、つむぎは奥の棚のそばまで来ました。

 近くで見ると、引き出しはどれも小さくて、ちょうど手紙が一通入るくらいの大きさです。ラベルには何かが書いてありますが、読もうとすると文字がぼんやりしてよく見えません。

 そのとき、引き出しのひとつが、ほんのすこし、光を帯びました。

 つむぎは息をのみました。

 ほたるの光みたいな、やわらかい、ほんのかすかな光です。でも、たしかに光っています。

「あの」

つむぎはふりかえって、ユエを呼びました。

「これ、光ってる……」

 ユエは歩いてきました。引き出しを見て、それからつむぎを見ます。

「そうですね。その引き出しは、今日あなたが来たから光っているんだと思います」

「わたしが来たから?」

「手紙が、受け取る人を呼ぶんです。その引き出しの中にある手紙は、つむぎさんのための手紙です」

 つむぎはしばらく、引き出しを見つめていました。

 中に何があるのかはわかりません。

でも、なぜか見ないまま帰ることはできない気がしました。

つむぎは引き出しのつまみに手をかけました。

 引いてみると、引き出しはすっと開きました。

 中には、一通の封筒が入っていました。

 白い、小さな封筒です。宛名も差出人も書かれていません。

 でも、自分のものだとわかります。

「開けていいですか」

「どうぞ。ここにある手紙は、受け取った人のものです」

 つむぎは封筒をそっと開けました。

 中には、便せんが一枚。折り目をひらくと、短い文章がひとつだけ書いてありました。

 文字は、どこかで見たことがある気がする、やわらかい字でした。

   

あした、ちゃんと「ちがう」って言って。

 

それだけでした。

 つむぎは何度も読みました。

 あした、ちゃんと「ちがう」って言って。

 何がちがう、というのでしょう。どんな場面で言えばいいのでしょう。

 だれかに言われる、ということでしょうか。

 わかりません。でも、手紙はそれしか言っていません。

これは、ただの手紙ではない。

そんな気がしました。

看板には、未来郵便図書館と書いてありました。

もしかして、これは――。

「これは……未来からの手紙、ですか?」

 つむぎは、ユエに聞きました。

 ユエはすぐには答えませんでした。少し考えてから、おだやかな声で言います。

「少し先の未来から来た手紙、と思っていただければだいじょうぶです。ぼくにも、仕組みは全部はわかりません。ただ、この手紙が、今のあなたに必要だということはわかります」

「必要……」

 つむぎはもう一度、便せんの文字を見ました。

 あした、ちゃんと「ちがう」って言って。

 自分のことを思います。つむぎはずっと、ちがうと思ってもだまってきました。自分のせいじゃないことも、よくわからないことも、全部飲みこんで、顔には出しませんでした。だって、言っても変わらない気がして。言ったら、変なふうに思われる気がして。

 あした、何かあるのでしょうか。

「信じられなくてもかまいません。ただ、持っていてください」

「……はい」

 つむぎは便せんをていねいに折りたたんで、封筒に戻しました。手さげのなかに、そっとしまいます。


 図書館を出ると、外の空気は夏の暑さに満ちていました。

 つむぎは坂道をおりながら、手さげのなかの封筒のことを考えていました。

 ふしぎな場所でした。ふしぎな男の子でした。

 信じていいのかどうか、わかりません。未来の手紙なんて、現実にあるわけがないとも思います。

 でも、あの光が見えたのは本当のことです。引き出しを開けたら手紙があったのも。

 つむぎはしばらく歩いてから、ふと足を止めました。

 後ろをふりかえると、さっきの路地の入口が見えます。

 でも、坂道からは、建物の屋根が見えません。木のかげになっているのかもしれないし、見る角度がちがうのかもしれません。そのまま角を曲がって路地に入れば、また見えるはずです。

 つむぎはもう一度、手さげをぎゅっとにぎりました。

 あした、ちゃんと「ちがう」って言って。

 あした、何かあるとしたら。

 つむぎは「ちがう」なんて、言ったことがあるでしょうか。

 あまりない気がします。言いかけて、飲みこんで、そのままにしてきたことのほうが多い。

 暑い夏の道を歩きながら、つむぎは手紙のことばを、もう一度心の中でくりかえしました。



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