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未来郵便図書館  作者: 明石竜


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11/12

第十一話 ちゃんと、言う

 八月の最後の週になりました。

 カレンダーを見ると、夏休みが終わるまであと五日しかありません。つむぎは毎朝、その数字を確認してから、一日を始めるようになっていました。

 明日になれば、あと四日。

 その次の日には、あと三日。

 そうやって数字が減っていくたびに、胸の中に何かが積み重なっていく気がします。重いわけではないのに、気にならずにはいられない、そういう感じです。

 あおいとは、毎日のように会っていました。あおいの転校が決まってから、二人でいる時間が自然と増えていました。特別なことをするわけではなく、商店街を歩いたり、川沿いに座ったり、かき氷を食べたりするだけです。でも、その一つひとつが、今年の夏のこととして、つむぎの中にたまっていきます。

 みなとは工作教室で、模型をほぼ完成させていました。

 田辺さんが「すごいわねえ」と言うと、みなとは「まだ細かいところが」と言いました。でも、つむぎが見ても、じゅうぶんすごいと思いました。町の形が、小さな木の板の上にちゃんとある。坂道も、商店街も、川沿いも。

「図書館のあたりは?」とつむぎが聞くと、みなとは模型の一角を指さしました。路地の入口のあたりに、小さな建物の形があります。

「ちゃんと入れたんだ」

「位置は少し自信がない。でも、あるとわかるくらいにはした」

 つむぎはその小さな建物を見つめました。

 模型の中の図書館は、本当に小さくて、でもちゃんとそこにあります。

 本物も、まだそこにある。


 夏休み残り四日の朝、つむぎは朝早く目が覚めました。

 窓の外がまだ薄暗い時間です。でも、眠れませんでした。

 お母さんに、言わなくてはいけない。

 未来の自分からの手紙を受け取ってから、そのことはずっと頭にありました。言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。しまっておくと、なくなることばもある。

 手紙はずっと、同じ方向を向いていました。

 でも、言葉がまだ見つかりません。さみしかった、と言うだけなら言えます。でも、それだけでは足りない気がします。さみしかっただけじゃなくて、それでもお母さんのことが好きだということも、ちゃんと言いたい。

 そういう言葉が、まだうまく形にならないのです。

 つむぎは布団の中で、手さげを引き寄せました。暗がりの中で封筒を取り出して、手で触れてみます。

 言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。だから、今のわたしが言って。だいじな人に、ちゃんと。

 だいじな人。

 つむぎにとって、お母さんは、大事な人です。それは迷いなく、そう思います。

 だから言える、のかもしれない。

 つむぎは目を閉じました。

 今日ではないかもしれない。でも、今日かもしれない。準備ができたときに、言葉は出てくる、とユエは言っていました。

 もうすぐ、その準備ができる気がします。


 その日の午後、あおいから『今日、川沿いに行かない? みなとも誘う』とメッセージが来ました。

 三人で川沿いに集まるのは、夏祭り以来でした。

 川沿いには、背の高い草が生えていて、その隙間から川が見えます。流れはゆっくりで、水が光を受けてきらきらしています。石の上に腰をおろして、三人でしばらく川を見ていました。

「ねえ、正直に聞いていい?」

 あおいが言いました。

「うん」

つむぎは答えました。みなとも黙ってあおいの方を見ます。

「二人は、あたしが引っこすの、さみしい?」

 つむぎは、少しだけ間を置きました。

 ここで「さみしくない」と言うのはうそです。「大丈夫だよ」と言ってごまかすのも、ちがう。

「さみしい。すごく、さみしい」

 つむぎははっきり言いました。声が少し震えました。でも、言えました。

 あおいが目を細めました。泣くのをこらえているような顔です。

「みなとは?」と聞くと、みなとはしばらく川の方を見ていました。

「ぼくも」 

みなとは短く言いました。

「さみしい」

 それだけでしたが、みなとにとってそれは、ものすごく大きな言葉だとつむぎにはわかりました。みなとが自分の気持ちを、そのまま言葉にして口から出したのを、つむぎははじめて聞いた気がします。

 あおいが、ぽろっと涙をこぼしました。

「あたしも、さみしい。二人と別れるの、さみしくてたまらない」


 三人ともしばらく黙っていました。川の音だけがしています。

 さみしい、と言ってしまったら、もっとつらくなると思っていました。でも、違いました。言ってしまった方が、胸の中が少し軽くなる気がします。

 さみしいという気持ちを、三人で持てているから、かもしれない。

「でも」

あおいが言いました。涙を拭いてから、あおいらしい顔で続けます。

「ビデオ通話できるじゃん。毎週しよう」

「毎週は難しいかもしれない」

みなとが言いました。

「じゃあ、月一!」

「それならまあ」

「つむぎちゃんは?」

「する。絶対する」

 あおいがまた少し泣きそうな顔になって、でもすぐに笑いました。

「二人とも、ありがとう。さみしいって言ってくれて、うれしかった」

 つむぎはそれを聞いて、少し不思議な気持ちになりました。

 さみしい、という言葉が、うれしい、につながる。

 言葉というのは、思ったよりずっと、いろんな方向に届くのかもしれません。

 川はずっと、ゆっくり流れていました。


 夕方、三人で別れてから、つむぎは家に向かいました。

 今日は、お母さんが少し早く帰る日でした。昨日、そう言っていました。夕ご飯をいっしょに作ろうか、とも言っていました。

 つむぎは坂道を歩きながら、今日のことを考えていました。

 あおいに「さみしい」と言えた。みなとも言えた。三人で、ちゃんと言い合えた。

 だったら。

 お母さんにも、言えるかもしれない。

 言葉は、もうそこにある気がしました。準備ができた、というのは、こういう感じなのかもしれない。

 家に入ると、台所からお母さんの声がしました。

「おかえり、つむぎ。早かったね」

「うん」

 エプロンをつけたお母さんが、にんじんを切っていました。カレーを作るつもりらしく、玉ねぎとじゃがいもがまな板の横に並んでいます。

「いっしょに作る?」

「うん」

 つむぎは手を洗って、お母さんの隣に立ちました。じゃがいもの皮をむく係になりました。

 しばらく、二人でそれぞれ手を動かしていました。台所は、包丁の音と、お母さんが時々鼻歌を歌う声だけです。

 つむぎはじゃがいもを一つむき終えて、次の一つを手にとりました。

 言葉が、来ています。

「お母さん」

「うん?」

「わたし、ずっとだいじょうぶなふりしてた」

 お母さんの手が、少し止まりました。

「ふりしてた?」

「うん。引っこしてきてから、ひとりで過ごすことが多くて、さみしかったんだけど、心配かけたくなくて、だいじょうぶって言ってた」

 言えています。

 声が少し震えていますが、止まりません。

「お母さんが仕事から帰ってきたとき、疲れてるのわかるから、さみしいって言ったら悪いかなって思って。だから、ずっと飲みこんでた」

 じゃがいもを持つ手が、少しだけ強くなりました。

「でも、本当はさみしかった。ひとりのご飯とか、長い夏休みとか。さみしかった」

 お母さんはまな板の前で、つむぎの方を向いていました。包丁を置いて、エプロンで手を拭いています。

「つむぎ」

「ごめんね、急に」

「あやまらなくていい」

 お母さんがつむぎを抱きしめました。

 つむぎは、少しだけびっくりしました。お母さんに抱きしめられるのは、小さいころ以来な気がして。でも、エプロンのにおいと、お母さんのぬくもりが、じわっと体に入ってきました。

「ごめんね、つむぎ。わたしも、気づいてたのに、ちゃんと聞けなかった。つむぎがだいじょうぶそうだから、甘えてた。本当はずっと、つむぎが心細くないか心配だったのに」

「お母さんも、心配してたの?」

「してた。でも、つむぎに心配をかけたくなくて、わたしもだいじょうぶなふりしてた」

 つむぎは、それを聞いて少し笑ってしまいました。

「おんなじだ」

「おんなじだね」

お母さんも笑いました。でも、目が赤くなっていました。

 二人でしばらく、台所の真ん中で抱き合っていました。

 にんじんとじゃがいもは、まな板の上でそのままです。カレーは、もう少しあとになりそうでした。

 つむぎは、胸の中にあったものが、少しずつほどけていく感じがしました。

 さみしかった、と言えた。

 お母さんも、心配してた、と言ってくれた。

 言葉は、ちゃんと届いた。


 夜、カレーを食べながら、お母さんがいろいろなことを話してくれました。

 新しい職場でのこと、この町に来てから感じたこと、つむぎのことをどれだけ考えてきたか。つむぎも、あおいのこと、みなとのこと、工作教室のことを話しました。

 二人で話しながら、つむぎは気づきました。

 こんなふうに、お母さんとゆっくり話したのは、引っこしてきてから初めてかもしれない。

「つむぎ、変わったね」

「変わった?」

「なんか、前より顔がやわらかくなった気がする。引っこしてきたとき、笑ってるけど、どこかこわばってる感じがあって。今はそれがない」

 つむぎは少し考えました。

「友だちができたからかも」

「そうかもね。でも、友だちができたから変わったんじゃなくて、つむぎが変わったから友だちができたんじゃないかな、ってお母さんは思うけど」

 つむぎは、お母さんの言葉をゆっくり受け取りました。

 自分が変わったから、友だちができた。

 それは、未来郵便図書館のおかげです。手紙のおかげです。ユエのおかげです。でも、手紙を読んで、最後に声を出したのは、いつも自分自身でした。

「お母さん、ありがとう」

「何が?」

「引っこしてきて、大変だったのに、毎日ご飯作ってくれて、夜は帰ってきてくれて」

 お母さんが少し目を細めました。

「つむぎがいてくれたから、お母さんもがんばれたんだよ」

 そういう言葉が、今日はちゃんと受け取れる気がしました。以前なら、そうなのかな、と流していたかもしれない。でも今日は、ちゃんと胸の中に入ってきます。


 その夜、つむぎは坂道を歩いて、未来郵便図書館へ向かいました。

 夜の坂道は少し暗くて、でも月が出ていたので足元は見えました。

 路地に入ると、図書館の窓から光が漏れています。ユエはまだいるようでした。

 ドアを開けると、ユエが振り返りました。

「こんな時間に」

「お母さんに、言えました」

 ユエは少しだけ表情をやわらかくしました。

「そうですか」

「さみしかったって。だいじょうぶなふりをしてた、って。お母さんも、心配してたって言ってくれて」

「届きましたね」

「うん」

 つむぎは棚の方を見ました。

 ラベルのない引き出しが、今夜はひときわ強く光っていました。今まで見た中で、いちばん強い光です。

「ユエ」

「はい」

「あの引き出し、今夜は」

「そうですね。今夜、届くと思います」

 つむぎは引き出しのそばへ歩きました。

 光は、やわらかくて、でもたしかに強い。

 つむぎはつまみに手をかけました。ユエは何も言いません。

 引いてみると、引き出しはすっと開きました。

 中に、白い封筒が一通。

 今までの封筒と少しちがって、少し古びた色をしています。差出人の欄を見ると、ぼんやりとした字が、少しずつはっきりしてきます。

 受取人の欄には、つむぎ自身の名前がありました。

 でも差出人は、つむぎではありませんでした。

 読めるかどうか、もう一度見ます。

 ユエ

 つむぎは、動けませんでした。

 ユエからの手紙。

 差出人はユエで、受取人はつむぎです。

 封を開けました。中の便せんを広げると、ユエの話し方に少し似た、静かな文字が並んでいました。


つむぎへ。

 この夏、来てくれてありがとう。

 あなたが来てから、この町の言葉は少しずつ、届くようになりました。

 図書館はもうすぐ役目を終えます。

 でも、あなたが持ち帰った言葉は、ここを出てからも、ずっとあなたの中にあります。

 ことばは、届いたとき、なくならない。

 こんどは、きみがだれかの力になれる。


 つむぎはしばらく、便せんを持ったまま立っていました。

 涙が出るかと思ったのに、出ませんでした。その代わり、胸の中がじんわりとあたたかくなりました。

 ふりかえると、ユエが静かに立っていました。

「これ、いつ書いたんですか?」

「わかりません。気づいたら、あの引き出しの中にありました」

「未来のユエが書いたってこと?」

「そうかもしれません。あるいは、ことばそのものが、そういう形をとったのかもしれません」

 つむぎはもう一度、手紙を読みました。

 この夏、来てくれてありがとう。

「わたしこそ、ありがとう。来て、よかった。この図書館に来て、ユエに会えて、よかった」

「ぼくも、よかったと思っています」

ユエの声は、いつものようにおだやかでした。でも、いつもより少しだけ、やわらかい気がしました。

 つむぎは、便せんをそっと胸に当てました。

受け取ってばかりだった、と思いました。

この夏、つむぎは何通もの手紙を受け取りました。

でも、言葉は受け取るだけのものではありません。

誰かに渡すことも、できるのです。

「ユエ」

「はい」

「わたしも、手紙を書いてもいいですか」

ユエは少しだけ目を見開きました。

それから、ゆっくりとうなずきました。

「もちろんです。ここは、届くべき言葉を預かる場所ですから」

ユエは、カウンターの引き出しから、白い封筒と便せんを出しました。

「どなたに書きますか?」

つむぎは少し考えました。

あおい。みなと。お母さん。未来の自分。

書きたい人は、たくさんいました。

でも、いちばん最初に浮かんだのは、夏休みが始まったばかりの日の自分でした。

「少し前の、わたしに書きます」

ユエは何も言わず、便せんをつむぎの前に置きました。

つむぎは鉛筆を持って、ゆっくり書きました。


だいじょうぶ。

ちゃんと、言葉は届くから。


書いてから、つむぎは少しだけ笑いました。

夏休みのはじめの自分がこの手紙を読んだら、きっと何のことかわからないでしょう。

でも、それでいいと思いました。

すぐにはわからなくても、いつか届く言葉がある。

つむぎはこの夏、それを知ったのです。


 図書館を出ると、夜の空に星が出ていました。

 夏の星座が、はっきりと見えます。

 つむぎは少し立ち止まって、空を見上げました。

 明日、あおいに会おうと思いました。そして、もう一度ちゃんと話をしよう。さみしい、ということと、それでも友だちだということと、来年も会いたいということ。

 みなとにも、何か言えることがあるかもしれない。みなとは「さみしい」と言えた。それがどれだけのことか、つむぎにはわかります。だから、それをちゃんと受け取ったよ、と伝えたいと思いました。

 お母さんには、明日の朝、おはようと言いたいと思いました。それだけでいい。でも、ちゃんと、言いたいと思いました。

 言葉は、小さくても届く。

 この夏に、それをいちばん教えてもらいました。

 つむぎは手さげをにぎって、坂道をくだりはじめました。

 夜風が、もう完全に夏ではない涼しさを持っていました。

 夏が、終わろうとしています。

 でもつむぎの中には、この夏に受け取った言葉が、全部残っています。


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