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未来郵便図書館  作者: 明石竜


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12/12

最終話 未来へとどく手紙

 夏休み最後の日になりました。

 朝、目が覚めたとき、空はよく晴れていました。カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に細長い四角を作っています。つむぎはしばらく、その光を見ていました。

 最後の日だ、と思いました。

 でも、終わりの日、という感じはしませんでした。何かがここで終わるのではなくて、何かがここからはじまる、そういう日のような気がしました。

 起き上がって、窓を開けると、風がすっと入ってきました。もう夏の盛りの暑さではなくて、朝の空気に秋のにおいが混じっています。

 台所ではお母さんがごはんを作っていました。

「おはよう、つむぎ」

「おはよう、お母さん」

 昨日の夜に話してから、お母さんとの空気が少し変わった気がします。重くなったわけではなくて、むしろ軽くなった。言えなかったことを言えたから、お互いにそれを持ったまま話せるようになった、そういう感じです。

 朝ごはんを食べながら、お母さんが言いました。

「今日、どうする? 夏休み最後だけど」

「午前中、友だちと会う。午後は、ひとりで行きたいところがあって」

「いいね。夕ごはん、何か好きなもの作ろうか」

「カレー、また食べたい」

「また? 昨日作ったばかりじゃない」

「好きだから」

 お母さんが笑いました。つむぎも、笑いました。

 こういう、何でもない会話が、今日は少し特別に思えます。


 午前中、つむぎとあおいは商店街を歩きました。

 夏休みの最後の日だからか、商店街には家族連れが多く、どこかのんびりとした空気が流れています。

 二人でたい焼きを買いました。最初にいっしょに食べた、あのたい焼き屋さんです。つむぎはカスタード、あおいはあんこ。それはあのときと同じでした。

「もうここに来て一ヶ月以上になるんだね」

あおいが言いました。

「うん。はじめてたい焼き食べたの、夏休みの最初の方だったもんね」

「つむぎちゃん、あのとき、もっとしゃべるの難しそうだった」

「そうだった?」

「うん。なんか、ちょっと聞いたらちょっとだけ答えてくれる感じで。でも、いやそうじゃなかったから、もっと話したいのかな、って思ってた」

 つむぎは、そのころの自分を思い浮かべました。言いたいことがのどにつかえて、でも言えなくて、あおいのテンポについていくのが精一杯だった。

「あのころから、あおいちゃんはそんなこと考えてたんだ」

「考えるよ。あたし、人のこと気になるタイプだから」

「知ってる。おせっかいだけど、それがいいところだと思ってる」

 あおいが少し驚いた顔をして、それからにっと笑いました。

「つむぎちゃん、そういうことさらっと言うようになったよね」

「そう?」

「そうだよ。前はそういうの飲みこんでた感じがした。今は、ちゃんと出てくる」

 つむぎはたい焼きをひとくち食べました。カスタードの甘さが、舌の上に広がります。

「出せるようになってきた、って感じかな」

「それって、どうしてそうなったの?」

 つむぎは少し考えました。

 どうして、と聞かれると、一つの答えではうまく言えません。手紙のおかげ、というのは本当のことですが、それだけではありません。

あおいが話しかけてくれたから。みなとが言葉が少ないなりに、そこにいてくれたから。お母さんに言えたから。風見さんの話を聞いたから。そのひとつひとつが、積み重なっているのだと思います。

「この夏のおかげかな」

「この夏の?」

「この夏に、いろいろあったから。あおいちゃんと会えたことも、含めて」

 あおいが少し目を赤くしました。でも泣きませんでした。

「あたしも、この夏よかった。つむぎちゃんと友だちになれて」

「わたしも」

 二人でしばらく、たい焼きを食べながら歩きました。

 商店街の端まで来たとき、あおいが言いました。

「つむぎちゃん、午後ひとりで行きたいとこがあるって言ってたじゃん。図書館?」

「うん」

「行ってきな。あたしは、みなとと模型見せてもらう約束してるから」

「そっか」

「ユエに、よろしく言っといて」

 つむぎはうなずきました。

「言っておく」

 あおいと別れて、つむぎは坂道の方へ歩きました。


 昼を過ぎたころ、つむぎは路地に入りました。

 白い花は、もう少し少なくなっていました。夏の終わりだからかもしれません。でも、庭はいつものように静かで、看板の字もそのままです。

 未来郵便図書館

 つむぎはドアに手をかけました。

 ぎいっという音とともに開いて、木と紙のにおいが包んできました。

 でも、何かが違いました。

 いつもと同じ本棚、同じテーブル、同じ引き出しの棚。でも、部屋全体の空気が、少し違います。

 光が、やわらかい。

 窓から差し込む外の光ではなくて、棚の方から、引き出しの間から、本棚の隙間から、やわらかな光がにじみ出ています。

 ユエはいつもの場所に立っていました。

「いらっしゃい」

「こんにちは」

 つむぎは部屋を見まわしました。

「なんか、今日はちがう感じがする」

「そうですね。今夜、役目が終わると思います」

 つむぎは、ユエのその言葉を静かに受け取りました。

 今夜。

「消えるの?」

「消える、というより。届く、という方が近いかもしれません」

 ユエが棚の方を見ました。つむぎもいっしょに見ました。

 引き出しのひとつひとつから、本当にかすかに、光が漏れています。全部の引き出しではないけれど、たくさんの引き出しが、同じようにやわらかく光っています。

「あの中に入っている手紙が」

「はい。この町の、言えなかった言葉たちが、ちゃんと届く準備ができてきています」

「わたしが届けたわけじゃないのに、どうして?」

「つむぎさんが、自分の言葉を届けたからだと思います。一人がちゃんと届けると、その周りにも伝わっていく。ことばはそういうものだと、ぼくは思っています」

 つむぎは引き出しの棚の前に立ちました。

 光はやわらかく、でもあたたかい。怖くはありません。むしろ、手を当てたくなるような光でした。

「あおいちゃんから、よろしくって言っといてって言われました」

「ありがとう、あおいに伝えてください」

「みなとくんも、今日は友だちと模型を見せ合ってます」

「そうですか。みなとは、ことばが届きやすくなりましたね」

「うん。さみしいって、言えてた」

「それは大きなことです」

 つむぎはカウンターのそばの椅子に座りました。ユエはその向かいに来て、テーブルを挟んで立っています。

「ユエ、最後に聞いてもいいですか?」

「はい」

「ユエは、この図書館が終わったら、どこへ行くんですか?」

 ユエは少し考えました。

今まで見た中で、いちばん長い時間、ユエは考えていました。

「わかりません。でも、ここが終わっても、ぼくが見てきたことは、どこかに残ると思っています。つむぎさんたちのことも」

「忘れないってこと?」

「忘れるかどうかとは、少しちがいます。つむぎさんたちが手紙を読んで、言葉を受け取った。それは、ほんとうにあったことです。だから、なくならないと思います」 

つむぎはユエの言葉を、ゆっくり頭に入れました。

 あったことは、なくならない。 

「わかった。わたしも、この夏のことは忘れない」

「覚えていてくれると、うれしいです」

 ユエが「うれしい」という言葉を使ったのを、つむぎははじめて聞いた気がしました。


 しばらく、二人で静かに話しました。

 ユエが図書館に来てから、今までにどんな人が訪れたか。言葉が届いた瞬間はどんな感じがするか。つむぎはこの夏に受け取った手紙のことを、一つひとつ話しました。

 最初の手紙、「ちがう」って言って。

あおいと会ったときの手紙、にげなくていい。

みなとのことを考えながら読んだ手紙、ことばが少ないのはやさしくないからじゃない。

あおいとひなちゃんのことを思った手紙、先に言うのはまけじゃない。

風見さんの話を聞いた日の手紙、しまっておくと、なくなることばもある。

夏祭りの前の手紙、こわい気持ちはいっしょに行く。

未来の自分からの手紙、言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。

そして、ユエからの手紙。

「全部、つながってた気がします」

つむぎは言いました。

「そうかもしれません」

「最初から、お母さんに言えるようになるための手紙だったのかな」

「最初からそう決まっていたかどうかはわかりません。でも、つむぎさんが受け取るたびに、少しずつそちらへ向かっていったのは確かだと思います」

「手紙が決めたんじゃなくて、わたしが動いたから、そうなった?」

「そうだと思います。手紙はほんの少しだけ、方向を教えるだけです。進んだのは、いつもつむぎさんでした」

 つむぎは、それを聞いて、胸の中に何かがあたたかく広がりました。

 自分で進んだ。

 そうかもしれない。こわかったけど、逃げなかった。うまく言えなかったけど、にげなかった。それの積み重ねが、今日につながっている。

「ユエ、今までありがとう」

 つむぎはテーブルの前に座ったまま、ユエにそう言いました。

「手紙のことも、話を聞いてくれたことも、ここに来させてくれたことも」

「こちらこそ。来てくれて、ありがとう」

 二人でしばらく黙っていました。

 棚の方から、光がゆっくりと強くなってきていました。引き出しのひとつひとつが、やわらかく輝いています。光は金色ではなくて、白に近い、やさしい色です。

 やがて、引き出しのひとつから、ふわっと光が浮かびました。

 小さな光の粒が、引き出しから出てきて、空気の中をゆっくり漂います。それがまた別の引き出しに触れると、そこからも光が出てきました。ひとつ、またひとつと、光が増えていきます。

 つむぎは立ち上がって、棚の前に行きました。

 光の粒は、蛍のように、でも蛍よりもっとやわらかく、部屋の中を漂っています。壁に触れると、そのまま壁をすり抜けて、外へ出ていくようでした。

「届いてるの?」

「はい。それぞれの場所へ」

 

 つむぎは光を見ていました。

 だれかの言えなかった言葉が、今夜、届く場所へ向かっていく。

 それがどこへ届くのかは、つむぎにはわかりません。でも、ちゃんと届くと、わかりました。ユエがそう言ったから、ではなくて、この光を見ていると、そう思えました。

 光は少しずつ増えて、部屋全体がやわらかく明るくなりました。

 窓から外を見ると、光の粒が外の空気の中へ出ていくのが見えました。夕暮れの空に、白い光が少しずつ混じっていきます。


 しばらくして、光が落ち着いてきました。

 引き出しはもう光っていません。でも、部屋の空気はまだあたたかい。

 つむぎはユエの方を見ました。

 ユエは棚のそばに立って、静かにそれを見ていました。

「ユエ」

「はい」

「もうすぐ?」

「はい」

 つむぎは、さよならを言わなくてはいけない、と思いました。

 こわいとか、さみしいとか、そういう気持ちはあります。でも、手紙が言っていたように、こわい気持ちはいっしょに行く。さみしいまま、でも、ちゃんと言う。

「またね、ユエ」

 つむぎは、自分の言葉でそう言いました。

 さよなら、ではなくて、またね、でした。

 ユエは少し目を細めました。今までで、いちばんやわらかい顔でした。

「またね、つむぎ」

 ユエが初めて、つむぎさん、ではなく、つむぎ、と呼びました。

 つむぎは深呼吸をして、ドアに向かいました。

 振り返ると、ユエはまだそこに立っています。白いシャツに、古びたベスト。やわらかな光の中に、静かに立っていました。

 つむぎはもう一度だけ、手を振りました。

 ユエも、小さく手を振り返しました。

 ドアを開けると、夕方の風が入ってきました。

 つむぎはドアをそっと閉めて、路地に出ました。


 坂道を少しくだったところで、つむぎは立ち止まりました。

 振り返ると、路地の入口が見えます。

 しばらく見ていました。

 風が吹いて、木の葉がさわさわと鳴りました。

 もう一度、路地の方を見ました。

 ゆっくりと、図書館のあった方向の空気が、少しだけ変わった気がしました。やわらかい光が、あの路地の奥からふわっと広がって、夕暮れの空に溶けていきました。

 つむぎは、泣かないでいられました。

 さみしいけれど、泣かない。それは、悲しくないからではなくて、ちゃんとさよならを言えたからだと思いました。

 またね、と言えた。ユエも、またね、と言ってくれた。

 それで、じゅうぶんでした。

 つむぎは坂道を下りはじめました。


 次の朝、新学期の朝になりました。

 つむぎはいつもより少し早く起きて、制服に着替えました。筆箱と教科書を確認して、水筒を入れて、手さげを持ちました。

 玄関を出る前に、なんとなく手さげの中を見ました。

 筆箱を取り出したとき、その下に、何かがありました。

 小さな、白い封筒です。

 つむぎは息をのみました。

 手さげの中に、封筒が入っているはずはありません。昨日、全部中身を確認したとき、こんなものはなかった。

 でも、ある。

 つむぎは封筒を開けました。中の便せんを広げると、短い言葉が書いてありました。字は、どこかで見たことのある、やわらかい字でした。


 ちゃんと話せたね。

 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。


 差出人の名前は、ありませんでした。

 でも、つむぎにはわかりました。

 だれからか。

 つむぎはしばらく、その便せんを見ていました。

 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。

 この夏、つむぎは手紙に助けてもらいました。ユエに話を聞いてもらいました。あおいに話しかけてもらいました。みなとに、そこにいてもらいました。お母さんに、抱きしめてもらいました。

 次は、自分がだれかの力になれる。

 そうか、とつむぎは思いました。

 手紙を届けてもらう側が、手紙を届ける側になる。そういうことなのかもしれない。言葉を受け取る側が、言葉を渡す側になる。

 それが、次のつむぎのすることなのかもしれない。

 つむぎは便せんを折りたたんで、封筒に戻しました。筆箱の横に、そっとしまいます。

 大事に、持っていようと思いました。


 学校に着くと、昇降口の前で、あおいが待っていました。

「つむぎちゃん! 昨日、図書館どうだった?」

「行ってきた」

「ユエは?」

「よろしく、伝えておいたよ」

 あおいは少し目を細めました。

「そっか。図書館は?」

「昨日の夜に、役目が終わったみたい」

 あおいはしばらく黙っていました。それから、「そっか」とだけ言いました。

 そこへ、みなとがやって来ました。

 いつものように、少しだけ眠そうな顔で、でもつむぎたちの前で足を止めます。

「図書館」

 みなとは短く言いました。

「もう、ないみたい」

 つむぎが答えると、みなとは少しだけ目を伏せました。

「……そう」

 それだけでした。

 でも、みなとが何を思っているのか、つむぎには少しだけわかる気がしました。

 チャイムが鳴りました。

「じゃあ、またあとでね」

 あおいが手を振りました。

「うん」

 あおいとみなとは、一組の教室へ向かいました。

 つむぎは、二組の教室へ入りました。

 席に着くと、教室の中はまだ少しざわざわしていました。


 ほどなく先生が来て、朝の会がはじまりました。

 つむぎは、窓の外を少し見ました。

 空は青く、雲が流れています。

 夏休みに受け取った手紙のことを、ひとつ思い出しました。

 ことばが少ないのは、やさしくないからじゃない。

 つむぎの隣に、あおいはいません。

 少し離れた場所に、みなともいません。

 でも、ひとりぼっちだとは思いませんでした。

 一組の教室には、あおいがいます。みなとがいます。

 廊下をはさんだすぐ近くに、ちゃんと言葉を届けたい人たちがいます。

 そして、この教室の中にも言えないことを持っている人が、きっといます。

 つむぎと同じように、言いたいのに言えなくて、飲みこんでいる人が。

 そういう人のほんの少しの力になれたら、と思いました。 

 手紙が教えてくれたように、答えをぜんぶ教えなくてもいい。ほんの少しだけ、方向を示せれば。

 先生の話を聞きながら、つむぎは筆箱をそっと触りました。

 中に、手紙があります。

 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。

 つむぎは前を向きました。

 前より少しだけ、胸を張って。

 窓から光が入ってきて、教室をやわらかく照らしていました。

 ことばは、ちゃんと届くときがあります。

 ユエの声が、どこかから聞こえた気がしました。

 つむぎは小さく、うなずきました。

 新学期が、はじまりました。

(おしまい)


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