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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第8話



 夜の王都は、静かに腐っている。


 灯りの届かない場所ほど、金と欲と恐怖が濃くなる。


 その中心へ向かうように、セドは歩いていた。


 足音は消す。


 視線は動かす。


 影と同じ速度で進む。


 ここは王城ではない。


 礼も、建前も、いらない場所だ。


「……ここか」


 細い路地の奥。


 看板もない扉。


 だが、人の気配は濃い。


 セドは扉を叩いた。


 三回。


 間を置いて二回。


「……誰だ」


「客だ」


「帰れ」


「ダリオに用がある」


 沈黙。


 やがて、扉がわずかに開く。


 覗く目。


 値踏み。


 そして軽い侮り。


「名は」


「セド」


「知らねぇな」


「これから覚えろ」


 短く返す。


 空気が張る。


 だが、扉は閉まらない。


「……入れ」


 中へ。


 煙。


 酒。


 金の匂い。


 中央に座る男。


「ダリオだ」


 目が合う。


 笑っているが、底は濁っている。


「用件は?」


 セドは歩く。


 止まらない。


 机の前まで来て、ようやく止まる。


「ロイド・ターナーの借金だ」


「……ああ?」


 ダリオが片眉を上げる。


「あのボロ店か」


「そうだ」


「もうすぐ回収だ。邪魔するな」


「返す」


 短く言う。


 空気が一瞬で冷える。


「……は?」


「借金は完済する」


 ダリオが笑う。


 相手を試す笑い。


「できると思ってんのか?」


「できる」


「証拠は?」


 セドは答えない。


 代わりに袋を机に置く。


 重い音。


 金が混ざっている。


 ダリオの目がわずかに動く。


「前金だ」


「……ほぉ」


「残りは三十日」


「三十日?」


 ダリオは笑う。


「無理だな」


「やる」


「できなかったら?」


 セドは一歩踏み込む。


 近い。


 普通なら引く距離。


 だが引かない。


「その時は好きにしろ」


 低く言う。


「だが、その三十日は――手を出すな」


 ダリオの指が止まる。


 護衛がわずかに動く。


 空気が変わる。


「……命令か?」


「違う」


 セドは目を逸らさない。


「提案だ」


「気に入らねぇな」


「だろうな」


「断ったら?」


 セドは視線をわずかに動かす。


 梁。


 影。


 刃の位置。


 全部見えている。


「……この店、静かだな」


 ぽつりと言う。


「悲鳴も外に出にくい」


 ダリオの笑みが消えた。


「……お前」


「理解させてるだけだ」


 沈黙。


 数秒。


 先に折れたのはダリオだった。


「……いいだろう」


「三十日だ」


「決まりだな」


「だが覚えとけ」


 ダリオが身を乗り出す。


「この街で金を舐めるな」


「舐めてない」


「だから来た」


 セドは背を向ける。


「終わったら忘れろ」


 そのまま外へ出る。


 扉が閉まる。


 夜の空気。


「……第一段階、終わりだ」


 小さく呟く。


 だが、これは始まりだ。



 王城。


 昼。


 使用人控えの前。


 空気は張り詰めていた。


「――おい、顔を上げろ」


 乱暴な声が落ちる。


 床に膝をつく使用人が、びくりと震えた。


 声の主は、上級貴族の男だった。


 王城内の監督官。


 規律を司る立場。


 だが、その振る舞いは――


 明らかに、傲慢だった。


「聞こえていないのか?」


 杖で床を叩く。


 乾いた音が響く。


「返事をしろと言っている」


「……は、はい……!」


 使用人が慌てて顔を上げる。


 その目に浮かぶのは恐怖だけだ。


「規律違反だ」


 男は鼻で笑った。


「勝手に物資を動かすなど、身の程を弁えろ」


「ち、違います……あれは……」


「口答えするな」


 即座に遮る。


 聞く気はない。


 最初から結論は決まっている。


「お前のような下の者が、判断すること自体が間違いだ」


 吐き捨てる。


 その言葉に、周囲の使用人たちが小さく肩を震わせた。


 誰も何も言えない。


 言えば、自分も同じになる。


「……処分は鞭打ち十」


 軽く言った。


 まるで雑事のように。


「見せしめとしては十分だろう」


 その瞬間。


「待ってください」


 声が入る。


 全員が振り向く。


 ルイスだ。


「……殿下?」


 男は一瞬だけ驚いた顔をした。


 だがすぐに、口元を歪める。


「どうされましたか。お遊びの時間ではありませんよ」


 言葉は敬語。


 だが、態度は明らかに軽い。


「その人は悪くありません」


 ルイスは言った。


 震えている。


 だが、引いていない。


「僕が見ていました」


「ほう?」


 男は笑う。


「では証明できますか?」


 詰まる。


 証拠はない。


 だが――


「……それは……」


「できませんね」


 男はあっさり言った。


「ならば発言に価値はありません」


 冷たい。


 そして、容赦がない。


「ですが――」


「殿下」


 少しだけ声を強める。


「これは規律です」


 見下すような視線。


「情で覆るものではありません」


 その言葉に、ルイスは一瞬だけ黙る。


 正論。


 だからこそ、押し返せない。


 だが。


 ルイスは、前に出た。


「……分かりました」


 顔を上げる。


「なら、僕が罰を受けます」


 空気が止まる。


「……は?」


 男の顔から、笑みが消えた。


「何を言っているのか分かっていますか?」


「分かっています」


 即答。


「その人の代わりに、僕が責任を取ります」


 ざわめき。


 誰も止めない。


 止められない。


 王子が、自分で踏み込んだ。


 男の顔が歪む。


 苛立ち。


「ふざけるな」


 低く吐き捨てる。


「王子であれば何でも通ると思うな」


 完全に、敬意が消えた。


「規律は平等だ」


「なら」


 ルイスはさらに一歩出る。


「僕も処罰してください」


 その瞬間。


 空気が凍る。


 本気だ。


 このままでは、壊れる。


 そこで。


「――いい加減にしろ」


 低い声が落ちた。


 全員の視線が動く。


 ルイスの後ろ。


 セドだ。


「その処分、少し待て」


 声は低いが、はっきりしている。


 男が睨む。


「貴様は誰だ」


「ブルーム公爵家、四男」


 短く答える。


「セドリック・エル・ブルームだ」


 名を出した瞬間、空気がわずかに揺れる。


「……公爵家でも、口を出す権限はない」


「ある」


 即答。


 男の眉が跳ねる。


「管理の不備だ」


 セドは言う。


「個人の問題じゃない」


「何を――」


「物資の流れ、確認したか?」


 遮る。


「管理がザルだから起きてる」


 言い切る。


 周囲が息を呑む。


 誰も言えなかったことを、真正面から叩きつけた。


「……言葉を慎め」


「慎んでる」


 セドは一歩出る。


「慎まなきゃ、もっと酷いぞ」


 完全に空気が変わる。


 男が黙る。


 計算している。


 立場。


 責任。


 そして、公爵家。


「……本件は再調査とする」


 やがて言う。


「処分は保留」


 決まった。


 空気が緩む。


 使用人が崩れる。


 だが、セドはそちらを見ない。


 代わりに、冷たく言った。


「おい」


 使用人がびくりとする。


「助かったと思うな」


 容赦がない。


「次やったら終わりだ」


「……っ、はい……!」


「分かったか」


「は、はい……!」


 それでいい。


 甘やかさない。


 助けるなら、叩き込む。


 それが現実だ。


 男は舌打ちし、去った。


 空気が解ける。


 ルイスは、その場で立ち尽くしていた。


「……僕」


 声が震える。


「何もできなかった」


「十分だ」


 即答。


「前に出た」


「でも――」


「お前は王子だ」


 遮る。


「前を見る役目だ」


 ルイスが黙る。


 迷い。


 悔しさ。


 全部出ている。


「このままだと潰れる」


 はっきり言う。


「分かるか」


「……うん」


「なら決めろ」


 セドは言う。


「どうする」


 少しの沈黙。


 そして。


「……助けたい」


 小さく、でも確かに言う。


 それでいい。


 セドは一歩近づく。


「なら簡単だ」


 低く言う。


「汚いことは全部、俺がやる」


 空気が止まる。


「お前は前だけ見てろ」


 それが答えだった。


 ルイスは何も言えない。


 でも、理解している。


 この言葉の重さを。


「……いいの?」


 やっと出た言葉。


 セドは笑う。


「最初からそのつもりだ」


 そして、小さく呟く。


「こいつは王の器じゃない」


 だが――


 目を細める。


「王にしなきゃならない」



 夜。


 王都。


 セドは歩く。


 迷いなく。


「……これでいい」


 小さく呟く。


 ルイスは弱い。


 甘い。


 放っておけば潰れる。


 だが。


「だからいい」


 静かに笑う。


「お前じゃなきゃダメだ」


 それが答えだ。


 必要なら汚れる。


 必要なら壊す。


 必要なら――


 全部背負う。


「お前が前を見るなら」


 足を止める。


 闇の中で。


「後ろは全部、俺がやる」


 誓い。


 揺るがない。


「……任せとけ」


 低く呟く。


「全部、ひっくり返してやる」


 ロイドの店。


 ミラの工房。


 ダリオの裏。


 全部繋がる。


 まだ小さい。


 だが確実に。


 やがて。


 誰も止められない形になる。


 その中心にいるのは――


 笑われている王子。


 だが、いずれ。


 その評価は崩れる。


 気づいた時には遅い。


 その時、セドは笑っている。


 後ろで。


 静かに。


 確実に。


 主を王にするために。

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