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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第50話



 朝のロイドの店には、いつもより早く人が来ていた。


 まだ開店前だ。


 扉には鍵がかかっている。


 棚の灯り石も、まだ整えきれていない。


 ロイドは奥で帳簿を開き、眠そうな顔で数字と睨み合っている。


 ミラは作業台で、昨夜調整した職人灯りの光を確認している。


 ガルドはハインツ魔導加工所の端材分類表を見直していた。


 セドは、壁に並んだ紙を一枚ずつ確認している。


 中傷紙。


 訂正文。


 東水路注意。


 子供向けの約束。


 買い取りルール。


 そして、新しく追加された工房端材に関する小さな覚書。


 工房端材は、店頭では受け付けません。


 端材取引は事前相談制。


 危険品の持ち込み禁止。


 端材の処分・相談は店主または職人担当へ。


 また紙が増えた。


 ロイドはそれを見て、昨夜しばらく天井を見上げていた。


 だが、今朝になってみると、その紙は不思議と壁に馴染んでいた。


 この店はもう、ただ商品を並べるだけの場所ではない。


 紙がある。


 人が来る。


 話が集まる。


 不安も、怒りも、疑いも、希望も、ここへ持ち込まれる。


 ロイドの店は、いつの間にか王都の外れにできた小さな交差点になっていた。


「……朝から多いな」


 ロイドが窓の外を見て言った。


 店の前には、すでに数人の職人が立っている。


 全員が店へ入ろうとしているわけではない。


 貼り紙を見ている者。


 壁の紙を写している者。


 ただ様子を見ている者。


 その中には、昨日来たレム工房の男もいた。


 他にも、見覚えのない職人らしき者が二人。


 さらに、ニコたちも少し離れた場所で、子供向けの約束を別の子供へ読ませている。


 朝の通りは、まだ冷たい。


 けれど、そこには確かな熱があった。


「……店、開ける前から店みたいだな」


 ロイドが呟く。


「店ですので」


 セドが答える。


「そうだけど、そういう意味じゃなくてな」


 ロイドは少し笑った。


「昔は開けても誰も来なかった」


 その声には、少しだけ遠い響きがあった。


「棚の商品も動かない。帳簿は赤字。俺は毎日、今日こそ閉めるかって考えてた」


 ミラが手を止める。


 ガルドも顔を上げた。


 ロイドは外を見たまま続ける。


「それが今じゃ、開ける前から人がいる。灯り石を買いに来る奴もいる。相談に来る奴もいる。心配してくれる奴もいる。中傷紙を見て怒ってくれる奴もいる」


 一拍。


「変わったな」


 セドは何も言わなかった。


 ロイドは振り返る。


「お前が来たからだぞ、セド」


 静かな声だった。


 セドは少しだけ目を伏せた。


「私は、きっかけの一つです」


「お前、そういうとこだよな」


 ロイドは苦笑する。


「前なら、それでもいいって思ったかもしれねぇけど」


 彼は壁の紙を見る。


 棚の灯り石を見る。


 ミラを見る。


 ガルドを見る。


 外の子供たちを見る。


「今は、確かにそうだと思う」


 ロイドは言った。


「お前だけじゃない」


 セドは顔を上げる。


「ミラがいなきゃ、夜間用灯り石はできなかった。ガルドがいなきゃ、職人灯りも端材ルートもできなかった。ニコたちがいなきゃ、子供向けの約束はここまで広がらなかった。街の人がいなきゃ、貼り紙も守れなかった」


 ロイドは少し照れくさそうに頭を掻く。


「もちろん、俺も頑張ってる」


「はい」


 セドがすぐに頷いた。


 ロイドは目を丸くする。


「そこ即答されると恥ずかしいな」


「事実です」


「お前、最近そういうの真っ直ぐ言うから困る」


 ミラが短く言う。


「ロイド、頑張ってる」


「ミラまで」


 ガルドも鼻を鳴らす。


「店主らしくはなってきた」


「ガルドまで言うのかよ」


「褒めてる」


「分かりにくいんだよ」


 店の中に小さな笑いが生まれた。


 その笑いは、第一章の終わりに相応しいほど大きなものではない。


 けれど、この店らしい笑いだった。


 派手ではない。


 だが、確かに温かい。


「……開けるか」


 ロイドが言った。


 その声には、迷いが少なかった。


「はい」


 セドが頷く。


 ミラが棚の灯り石を整え、ガルドが端材箱を奥へ移す。


 ロイドは扉へ向かい、鍵を外した。


 鈴が鳴る。


 朝の光と、人の声が流れ込む。


「おはよう、店主さん」


「職人灯りってやつ、聞きたいんだけど」


「夜間用、まだあるかい?」


「東水路の紙、もう一枚写していいか?」


「買い取りは午後だよな?」


 声が重なる。


 ロイドは一瞬だけ圧倒され、それからいつもの調子で手を上げた。


「順番!」


 店の前が少し静まる。


「灯り石は右。職人灯りの相談はまだ試験中だから焦るな。東水路の紙は写していい。買い取りは午後。俺は一人しかいねぇから、全員いっぺんに喋るな」


 笑いが起きる。


 それで空気がほどけた。


 ロイドの店の一日が始まった。


 


 午前の店は、まるで小さな市場のようだった。


 だが、騒がしさの質は以前と違う。


 ただ商品を求める声だけではない。


 相談。


 確認。


 報告。


 噂。


 そして、約束。


 それらが店の中と外を行き来している。


「昨日、東水路の近くで子供を見かけたけど、貼り紙を読んで戻っていったよ」


「うちの見習いにも、光る石を拾うなって言っておいた」


「処理場の方、黒い荷箱がまた入ったらしい」


「工房端材の話、本当か?」


「レム工房の者だ。端材の相談をしたい」


 ロイドはそれらを受け止め、必要なものをセドへ渡す。


 セドは記録する。


 ミラは灯り石を売りながら、客の用途を聞く。


 ガルドは職人相手に端材の危険性を説明する。


 それぞれが、自分の役割を持って動いていた。


 セドは、ふとその光景を見て思う。


 分担。


 それは、ただ仕事を分けることではない。


 自分が持てないものを、誰かが持つこと。


 誰かが見落とすものを、自分が見ること。


 それぞれの場所から同じ灯りを支えること。


 ルイスから届いた言葉が、胸の奥で静かに光っていた。


 灯りは、一人で持つものではない。


「セド」


 ロイドが呼ぶ。


「はい」


「レム工房の人、奥で話聞けるか?」


「はい」


「ただし、端材を持ってきたわけじゃない。相談だけだ」


「分かりました」


 レム工房の男は、昨日より少し緊張した様子だった。


 名前はオルド。


 細工工房の職人で、装飾用の魔石加工をしているらしい。


 小規模だが、繊細な加工が得意。


 そのぶん、細かな端材が多く出る。


「処理場へ出すと、まとめて扱われる」


 オルドは低く話した。


「危険なものも、使えそうなものも、全部一緒だ」


「それが不満ですか」


 セドが聞く。


「不満というより、気持ちが悪い」


 オルドは手元を見る。


 職人の手だった。


 細かな傷がある。


 爪の間に石粉が入っている。


「自分が削ったものの残りだ。完全に使えないなら仕方ない。でも、まだ使えるかもしれないものまで、黒い箱に入れられるのは嫌だ」


「黒い箱」


 セドの目がわずかに細くなる。


「見たのですか」


「ああ」


 オルドは声を落とす。


「処理場へ出す前、組合の回収係が来た。黒い鳥の印があった」


「何を持っていきましたか」


「良い端材だけだ」


 やはり。


 黒羽は細い流れにも手を伸ばし始めている。


「では、こちらへ相談に来た理由は」


「ハインツのところで職人灯りを見た」


 オルドは言った。


「あれは、端材から作ったのだろう?」


「はい」


「なら、うちの端材も何かになるかもしれない」


 その声には、商売以上のものがあった。


 捨てられるはずの自分の仕事の欠片が、別の形で生きるかもしれない。


 職人として、それを見たい。


 セドは静かに頷いた。


「確認から始めましょう」


「買い取るとは言わないのか」


「見ていないものは判断できません」


 オルドは少し笑った。


「正直だな」


「必要ですので」


「噂通りだ」


「どのような噂でしょうか」


「細かい。冷静。少し怖い」


「……」


 ロイドが横で小さく吹き出した。


 セドは少しだけ目を伏せる。


「改善します」


「いや、そのままでいい」


 オルドは言った。


「端材を預けるなら、怖いくらい見る奴の方がいい」


 ガルドが低く笑う。


「分かってるな」


 オルドはガルドを見る。


「元組合のガルドだろ」


「そうだ」


「噂は聞いてる」


「悪い噂か」


「半分は」


「残りは」


「腕は確か」


 ガルドは鼻を鳴らした。


「なら十分だ」


 そのやり取りに、ロイドは少しだけ安心した。


 職人同士は、言葉が少し荒い。


 だが、その中に信用の種がある。


 セドは条件を説明した。


 最初は少量。


 危険品不可。


 見習いや子供に持たせない。


 端材の由来を記録する。


 加工結果は可能な範囲で共有する。


 長期契約ではなく試験取引。


 オルドはすべて聞き、頷いた。


「分かった」


「よろしいのですか」


「ああ」


 一拍。


「黒い鳥に黙って持っていかれるよりはいい」


 同じ言葉。


 昨日に続いて、また聞いた。


 セドはその言葉を記録する。


 黒い鳥に持っていかれるくらいなら。


 それは工房街に生まれ始めた感情だった。


 恐怖だけではない。


 反発。


 意志。


 そして、別の流れへの期待。


 


 昼過ぎ。


 店の外には、さらに人が集まっていた。


 オルドが店を出る時、何人かの職人がそれを見ていた。


 声はかけない。


 だが、視線が動く。


 レム工房が相談に入った。


 その情報は、きっとすぐに工房街へ流れる。


 ロイドはそれを見て、胃のあたりを押さえた。


「……二本目、か」


「まだ相談段階です」


 セドが言う。


「でも、向こうから来た」


「はい」


「それは大きいよな」


「はい」


 ロイドは少しだけ笑った。


「嬉しいけど、怖いな」


「私もです」


「お前も?」


「はい」


 セドは素直に答えた。


「大きくなりすぎると、黒羽に見つかります」


「もう見つかってる気もするけどな」


「はい」


「でも、細くいくつも」


「はい」


「焦らない」


「はい」


「一人で持たない」


「はい」


 ロイドは頷いた。


「よし」


 その時、通りの奥から黒い鳥の荷車が現れた。


 一台。


 ゆっくりと。


 黒い布で覆われている。


 護衛は二人。


 そして、その横にはクロウがいた。


 黒外套。


 相変わらず静かな足取り。


 人々はすぐに距離を取った。


 子供たちは大人の後ろへ下がる。


 ニコも、リナも、トマも、ちゃんと下がった。


 セドはそれを確認し、わずかに息を吐く。


 約束は守られている。


 通りはざわめいたが、誰も追わない。


 誰も近づかない。


 黒い鳥の荷車は、店の前で止まった。


 空気が凍る。


 クロウが、ゆっくり店を見る。


 ロイドの顔が強張る。


 セドは前へ出ようとして、ロイドに軽く腕を止められた。


「俺が前」


 ロイドが小さく言った。


「店主だから」


 セドは一瞬黙り、頷いた。


「お願いします」


 ロイドは店の前に立った。


 怖い。


 黒外套の男は、やはり怖い。


 何を考えているか分からない。


 敵なのか味方なのかも分からない。


 だが、今この店の前に立つのはロイドだ。


 クロウは薄く笑った。


「貼り紙、増えたな」


「増えたな」


 ロイドは答えた。


「店というより、掲示板だ」


「よく言われる」


「嫌じゃないのか?」


「嫌だよ」


 ロイドは正直に言った。


「でも、必要なら貼る」


 クロウの目が少し細くなる。


「必要、ね」


 その視線がセドへ向く。


「君の言葉が移った?」


「かもな」


 ロイドは引かなかった。


「で、今日は何の用だ」


 クロウは荷車を軽く叩いた。


「通り道だよ」


「それだけか?」


「それだけ」


「信用できねぇな」


「だろうね」


 クロウは楽しそうに笑う。


 だが、すぐに声を落とした。


「細い流れを作り始めたな」


 ロイドの背筋に冷たいものが走る。


 やはり、見られている。


 セドも表情を硬くした。


 クロウは続ける。


「処理場から工房へ。大きな流れが握られるなら、小さな流れを拾う」


 一拍。


「悪くない」


「褒めに来たのか?」


 ロイドが聞く。


「警告に来た」


 通りの空気がさらに冷える。


「黒羽は、細い流れを嫌う」


「黒羽?」


 ロイドは聞き返す。


 あえて知らないふりではない。


 まだその名を表に出していないからだ。


 クロウは少し笑った。


「もう知ってるだろ」


「名前を出す場所は選んでる」


 ロイドの返答に、クロウは少しだけ目を丸くした。


 そして、笑った。


「店主、成長したな」


「お前に言われても嬉しくねぇ」


「だろうな」


 クロウはセドを見る。


「彼が教えた?」


「いいえ」


 セドが答える。


「ロイドさん自身の判断です」


 ロイドは少しだけ照れくさそうにしながらも、前を向いたままだった。


 クロウはしばらく二人を見ていた。


「旧東工房区画が動く」


 短い言葉。


 通りの喧騒が消えたように感じた。


 実際には、人々が息を潜めただけだ。


「いつ」


 セドが問う。


「近い」


「何が起こりますか」


「水が戻る」


 それだけ。


 セドの目が鋭くなる。


 東水路。


 水の逆流。


 魔導炉の吸引。


 冷却石。


 旧東工房区画の炉。


 すべてが繋がる。


「東水路ですか」


 クロウは答えない。


 だが、沈黙が答えだった。


「何故教える」


 ロイドが低く聞いた。


 クロウは少しだけ視線を街へ向けた。


 貼り紙を読む人々。


 子供を下げる親。


 距離を取る若者。


 ロイドの店。


 灯り石。


「流れが変わるのを見たい」


「面白がってるのか」


「半分」


「残りは」


「嫌いなんだよ」


 クロウは小さく言った。


「選んだ顔で、捨てる連中が」


 その声は、ほんの少しだけ本音に聞こえた。


 ロイドは何も言えなかった。


 クロウはすぐにいつもの笑みに戻る。


「水路へ人を近づけるな」


「もうやってる」


「もっとだ」


「……」


「今度は、貼り紙だけじゃ足りない」


 その言葉を残し、クロウは歩き出した。


 荷車も動く。


 通りの人々は道を開ける。


 黒い鳥の荷車は、ゆっくりと遠ざかっていった。


 ロイドはしばらくその背中を見ていた。


 そして、小さく呟く。


「……次は水路か」


「はい」


 セドが答える。


「第一章の終わりに、でかいの来そうだな」


「第一章?」


「いや、何となく」


 ロイドは苦笑した。


「一区切りの前って、こういう空気するだろ」


 セドは少しだけ考える。


「確かに、流れが一度集まっています」


 店。


 工房。


 処理場。


 東水路。


 王城。


 黒羽。


 全てが、同じ場所へ向かい始めている。


「セド」


 ロイドが言う。


「はい」


「一人で水路へ行くなよ」


「行きません」


 即答だった。


 ロイドは少し驚いた。


「本当に?」


「はい」


「成長したなぁ」


「皆さんに言われ続けましたので」


「いいことだ」


 ロイドは店の方を向いた。


「全員で考えるぞ」


「はい」


 


 その夜。


 王城の書庫で、ルイスはフィリアと向かい合っていた。


 窓の外には王都の灯りが広がっている。


 机の上には、直接的な名前を伏せた資料。


 廃棄物処理契約。


 再委託先省略。


 旧東工房区画事故。


 黒い鳥の紋章。


 すべてではない。


 だが、必要な一部。


 フィリアは黙ってそれを読んでいた。


 いつもの穏やかな表情は少し薄れ、真剣な目をしている。


 読み終えたあと、長い沈黙があった。


「……ルイス」


「うん」


「これ、危ない話だよね」


「うん」


「セドも関わってる?」


 ルイスは少し迷った。


 だが、逃げなかった。


「関わってる」


 フィリアは目を閉じた。


「やっぱり」


「全部は言えない」


「うん」


「でも、一人で持つのは違うと思った」


 フィリアはゆっくり目を開けた。


 そして、少しだけ笑った。


「やっと言ってくれた」


 ルイスの胸が詰まる。


「ごめん」


「謝らなくていいよ」


「でも」


「心配はしてた」


 フィリアは正直に言った。


「最近のルイス、ずっと何か抱えてる顔してたから」


「……分かりやすかった?」


「うん」


「セドと同じこと言われた気がする」


「似てきたんじゃない?」


 ルイスは少し笑った。


「それ、良いのかな」


「良いところだけなら」


 二人の間に、少しだけ柔らかい空気が戻る。


 けれど、すぐにフィリアは真面目な顔になった。


「私は何をすればいい?」


 ルイスは息を呑む。


 責めるでもなく。


 怖がるでもなく。


 フィリアは、そう聞いた。


「……まだ、分からない」


「うん」


「でも、王城の中で変な動きがないか見てほしい」


「噂とか?」


「そう。備品、工房、契約、旧東工房区画の話に反応する人」


「分かった」


「無理はしないで」


「それはルイスも」


 即答だった。


 ルイスは言葉に詰まる。


 フィリアは少しだけ目を細めた。


「私に無理するなって言うなら、ルイスも守って」


「……うん」


「約束」


「約束する」


 その言葉を口にした時、ルイスは不思議な感覚を覚えた。


 軽くなった。


 危険は減っていない。


 黒羽は近づいている。


 旧東工房区画は動き始めている。


 それでも、一人で持たなくていいというだけで、少し呼吸がしやすくなった。


 灯りは、一人で持つものではない。


 やっと、自分もその意味を少し理解できた気がした。


 


 同じ夜。


 ロイドの店では、全員が作業台を囲んでいた。


 セド。


 ロイド。


 ミラ。


 ガルド。


 そして、呼ばれて来たディム。


 さらに、ニコたちはいない。


 子供は帰らせた。


 今から話すことは、子供には重すぎる。


「水が戻る」


 ロイドが言う。


「クロウはそう言った」


 ディムの顔が険しくなる。


「東水路の逆流が大きくなるってことか」


「可能性が高いです」


 セドが答える。


「旧東工房区画の冷却炉が吸うなら、水路周辺に魔力流が発生します」


 ガルドが言う。


「人が近づけば危ない」


「貼り紙だけじゃ足りない」


 ミラが短く言う。


「はい」


 セドは頷いた。


「水路周辺の住人へ直接伝える必要があります」


「誰が行く」


 ロイドが聞く。


「班を分けます」


 セドは迷わず言った。


「ロイドさんは町内の人へ。ディムさんは処理場側へ。ガルドさんは工房街へ。ミラは店に残り、来る人へ対応を」


「お前は」


 ロイドが聞く。


 セドは少しだけ間を置いた。


「私は、全体の情報整理と、エルマさんへの連絡を」


「一人で行かないな?」


「はい」


「エルマさんへは?」


「ガルドさんと一緒に」


 ガルドが頷く。


「それならいい」


 ロイドは深く息を吐いた。


「……本当に、分担できるようになったな」


「必要ですので」


「うん」


 ロイドは笑った。


「それでいい」


 ミラが夜間用灯り石を一つ、机の真ん中に置いた。


 柔らかな光が、全員の顔を照らす。


 強くはない。


 だが、闇を完全には許さない。


「第一章の締め前って感じだな」


 ロイドがぽつりと言う。


「またそれですか」


 セドが言う。


「何となくだよ」


「ですが」


 セドは灯り石を見る。


「確かに、一つの区切りには近いと思います」


 ロイドは目を細める。


「この店、ここまで来たんだな」


「はい」


 ミラが頷く。


「まだ途中」


「そうだな」


 ガルドが言う。


「むしろ、ここからだ」


 ディムも低く笑う。


「巻き込まれた気分だが、もう降りられねぇな」


「すみません」


 セドが言う。


 ディムは首を振った。


「謝るな。自分で来た」


 その言葉に、店の中が少し静かになる。


 皆、自分で選んでここにいる。


 誰かに命じられたわけではない。


 黒羽のように選別されたわけでもない。


 自分の意思で、この小さな灯りの周りに集まっている。


 セドは、その事実を深く胸に刻んだ。


「……明日」


 ロイドが言った。


「水路周辺へ、直接伝える」


「はい」


「怖がらせすぎず、でも甘く見させない」


「はい」


「子供を近づけない」


「はい」


「誰も一人で動かない」


「はい」


「飯も食う」


「はい」


 全員が少し笑った。


 その笑いは小さい。


 だが、確かにそこにあった。


 第一章の終わりは、まだ訪れていない。


 けれど、その直前の夜。


 ロイドの店には、確かな灯りがあった。


 価値なしと呼ばれたものから生まれた灯り。


 捨てられた端材から生まれた灯り。


 人の言葉で守られた灯り。


 そして、一人では持たないと決めた灯り。


 王都の裏側で、黒い鳥が羽ばたいている。


 旧東工房区画の奥で、十年前の水が戻ろうとしている。


 だが、小さな店もまた、動き始めていた。


 もう、ただ流されるだけではない。


 自分たちの手で、細い流れを作るために。


 柔らかな夜間用灯り石の光が、作業台の上で静かに揺れていた。


 それは弱い光だった。


 けれど。


 誰も、その光を消そうとはしなかった。

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