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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第47話



 朝の店には、紙の匂いと、温め直したスープの匂いが混じっていた。


 ロイドの店の壁には、昨日よりもさらに紙が増えている。


 中傷紙。


 訂正文。


 子供向けの約束。


 買い取りルール。


 東水路注意。


 そして、新しく一枚。


 廃棄魔石の持ち込みについて。


 持ち込みは午後のみ。


 拾った場所を必ず伝えること。


 東水路付近、旧東工房区画周辺、夜間回収品は買い取り不可。


 危険な魔石片は持ち込まず、近くの大人に知らせること。


 店主ロイド。


 壁だけ見れば、もう半分は掲示板だ。


 ロイドはそれを眺め、深く息を吐いた。


「……店の壁、紙で埋まりそうだな」


「必要です」


 セドが答える。


「分かってる。分かってるんだけどよ」


 ロイドは腕を組む。


「昔は商品が少なくて棚が寂しかった。今は紙が多くて壁がうるさい」


「良い変化では?」


「良いのかこれ?」


 ミラが棚を整えながら短く言う。


「分かりやすい」


「ミラが言うならそうなんだろうな」


「うん」


「自信満々だな」


 少しだけ笑いが生まれる。


 だが、その笑いはすぐに落ち着いた。


 今日の店には、昨日とは違う緊張がある。


 中傷紙の件は、街の声でどうにか持ちこたえた。


 だが、黒羽の手は処理場の廃棄魔石にも伸び始めている。


 材料の流れを奪われれば、店の灯り石作りは止まる。


 貼り紙で信用を守っても、商品が作れなければ店は続かない。


 だから今日は、次の流れを作る。


 小規模工房の端材。


 加工で出る欠片。


 割れ石。


 不良品。


 処理場へ集まる前の、小さな流れ。


 黒羽が一括で選別しにくい、細い流れ。


 それを拾う。


「……で」


 ロイドが作業台の前に座るガルドを見る。


「今日はお前が主役だな」


 ガルドは露骨に嫌そうな顔をした。


「やめろ」


「いや、工房と話せるのはガルドだろ」


「話せるのと、話したいのは別だ」


「大人だろ」


「大人でも嫌なものは嫌だ」


 ガルドは腕を組み、深く椅子に座り込んでいた。


 いつもの不機嫌そうな顔。


 だが、今日は少し違う。


 ただ面倒がっているだけではない。


 どこか、古い傷に触れるような硬さがあった。


 セドはそれに気づいていた。


 ガルドは元組合側の職人だ。


 工房街に顔が利く。


 同時に、組合から外れた人間でもある。


 小規模工房との交渉は、彼にとってただの仕事ではない。


 過去の自分がいた場所へ、もう一度踏み込むことになる。


「ガルドさん」


 セドが静かに声をかける。


「何だ」


「無理はしないでください」


 ガルドは眉をひそめた。


「お前がそれを言うのか」


「はい」


「……調子狂うな」


 ガルドは顔を逸らした。


 ロイドが小さく笑う。


「言われる側になると変な感じだろ」


「お前ら、最近俺を年寄り扱いしてねぇか」


「してないしてない」


「軽いな」


 ミラが淡々と言う。


「でも、無理は駄目」


「お前までか」


「うん」


 ガルドは数秒黙った。


 そして、観念したように息を吐く。


「分かったよ」


 その声は、少しだけ柔らかかった。


「ただし、工房相手に甘い顔はしねぇ」


「それは必要ありません」


 セドが答える。


「目的は、安く買い叩くことではありません」


「ああ」


「危険な端材を安全に流し、使えるものに価値をつけることです」


「分かってる」


 ガルドは作業台の上の魔石片を一つ摘まむ。


「小規模工房は、端材処理にも金がかかる」


「はい」


「危険な割れ方をした魔石は、処理場へ出すにも手間がいる。組合に任せれば手数料を取られる。放置すれば危ない」


「そこに、こちらが入る」


「そうだ」


 ガルドはセドを見る。


「ただし、工房側にも警戒されるぞ」


「理由は」


「廃棄魔石を使って売れてる店が、端材を買いたいって言うんだ」


 ガルドの声が少し苦くなる。


「儲け話に見える」


 ロイドが顔をしかめる。


「またか」


「仕方ねぇ。実際、商売ではある」


「でも、買い叩くつもりはないぞ」


「そこをどう伝えるかだ」


 ミラが短く言う。


「分かりやすく」


「そうだな」


 ガルドは頷く。


「難しく言えば疑われる。綺麗事だけ言えば笑われる。金の話を避ければ逆に怪しい」


「じゃあ、どう言う?」


 ロイドが聞く。


 ガルドは少し考えた。


 長い沈黙。


 朝の店内に、外から人の声が薄く届く。


 貼り紙を読む子供の声。


 荷車の音。


 遠くの工房から聞こえる金属音。


 ガルドはその音を聞きながら、ゆっくり口を開いた。


「端材を、安全に引き取る」


「うん」


「使えるものは買う。危険なものは買わないが、扱い方は教える」


「うん」


「値段は高くはない。だが、処分費用よりはマシにする」


「……正直だな」


 ロイドが言う。


「嘘ついても職人にはすぐバレる」


 ガルドは短く返す。


「職人相手には、利益も言うべきだ。こっちも灯り石にして売る。だから、無償で寄越せとは言わない」


 セドは頷いた。


「良いと思います」


「お前に許可される筋合いはねぇ」


「失礼しました」


「謝るな。調子狂う」


 ロイドが笑った。


「みんなセドに調子狂わされてるな」


「ロイドさんもです」


 セドが言う。


「俺も?」


「はい」


「お前、そういうこと言うようになったな」


「環境の影響です」


「便利に使ってるな、それ」


 また少し笑いが生まれる。


 重い状況の中でも、会話がある。


 それが今の店だった。


 


 午前の営業が始まると、店の前にはいつものように人が集まった。


 ただ、昨日より少し違う。


 中傷紙を読んだあと、訂正文まで読む者が増えた。


 買い取りルールを声に出して確認する子供もいる。


 夜間用灯り石を買いに来る客も途切れない。


 外の長屋や井戸端にも貼り紙が広がったことで、ロイドの店はますます“情報の出所”として見られるようになっていた。


「店主さん、これ本当に午後だけになったのかい?」


「買い取りはな。販売は朝からやってる」


「子供が午前に持ってきたら?」


「預からない。午後に来いって返す」


「厳しいね」


「安全のためだ」


「そうだねぇ」


 ロイドは何度も同じ説明をした。


 だが、昨日までより説明が少し上手くなっていた。


 言葉に迷いが少ない。


 何を守るためのルールなのか、自分の中で整理できているからだ。


 セドはそれを見て、記録に書いた。


 買い取り午後化への反発は少ない。


 理由説明で納得。


 店主の説明、街に通じる。


 書いたあと、少しだけ筆を止める。


 店主の説明、街に通じる。


 それは、重要なことだった。


 この店の流れは、セドだけでは作れない。


 ロイドがいるから、人が来る。


 ミラがいるから、商品に生活の目線が入る。


 ガルドがいるから、職人の信頼に触れられる。


 子供たちがいるから、注意が子供同士で広がる。


 誰か一人ではない。


 ルイスから届いた言葉が、また胸に浮かぶ。


 灯りは、一人で持つものではない。


「……」


 セドは小さく息を吐いた。


 本当に、その通りだった。


 


 昼前。


 ガルドは外套を羽織り、工具袋を持った。


 処理場へは行かない。


 今日向かうのは、工房街の裏手にある小さな加工工房だ。


 古くからあるが、大手ではない。


 組合には登録しているが、強い後ろ盾はない。


 端材処理に困っている可能性が高い。


 ガルドがまず選んだのは、そこだった。


「俺も行く」


 ロイドが言った。


 ガルドが嫌そうに見る。


「店は」


「ミラとセドで何とかなる」


「店主が抜けるのか」


「交渉に店主がいない方が変だろ」


 ガルドは黙った。


 ロイドの言う通りだった。


 今回は端材ルートを作る交渉だ。


 職人としての話はガルドがする。


 だが、取引の顔はロイドだ。


「分かった」


 ガルドは渋々頷く。


「ただし、余計なことは言うな」


「俺にそれ言う?」


「言う」


「ひどくねぇか」


「お前は勢いで喋る」


「否定できねぇ……」


 ミラが短く言う。


「ロイド、怒鳴らない」


「分かってる」


「顔も」


「顔も!?」


「顔に出る」


 ロイドは自分の頬を押さえた。


「そんなにか」


「うん」


 セドも頷く。


「出ます」


「お前まで」


「交渉では重要です」


「分かったよ。顔も気をつける」


 ガルドはため息を吐きつつ、少しだけ口元を緩めた。


 緊張している。


 それを隠すために不機嫌そうにしているのだと、今なら少し分かる。


 セドはガルドへ一枚の紙を渡した。


「条件案です」


「……細けぇな」


「必要最低限です」


「これで最低限かよ」


 ガルドは紙を読む。


 引き取り対象。


 危険品不可。


 持ち込み場所記録。


 少量から開始。


 価格は品質ごとに三段階。


 不良端材については無償処理ではなく、安全確認協力。


 長期契約はしない。


 最初は試験的取引。


「……悪くねぇ」


 ガルドは低く言った。


「ありがとうございます」


「ただ、職人相手には全部読み上げるな」


「理由は」


「眠くなる」


 ロイドが笑う。


「確かに」


「要点だけでいい。詳細は後で紙にすりゃいい」


「分かりました」


 セドは頷いた。


 ガルドが紙を懐にしまう。


「じゃあ、行ってくる」


「気をつけて」


 ミラが言う。


「おう」


「一人で怒らない」


「子供扱いか」


「ロイドもいる」


「それ、余計心配だな」


「おい」


 ロイドが抗議する。


 ミラは少しだけ目元を柔らかくした。


「二人とも、気をつけて」


 今度は、はっきりと。


 ロイドとガルドは一瞬黙った。


 そして、同時に頷いた。


「行ってくる」


 二人は店を出た。


 セドとミラは、その背中を見送った。


 店の扉が閉まる。


 鈴の音が、小さく残る。


「……」


 セドは扉を見ていた。


 自分が行かない。


 任せる。


 それが必要だと分かっていても、胸の奥が落ち着かない。


 ミラが横から言う。


「不安?」


「はい」


「でも、行かない」


「はい」


「えらい」


 セドは少しだけ目を瞬いた。


「……子供扱いでしょうか」


「違う」


 ミラは短く答える。


「仲間扱い」


 その言葉に、セドはすぐ返せなかった。


 仲間。


 その言葉は、まだ少し照れくさい。


 だが、否定したくはなかった。


「……ありがとうございます」


 ミラは小さく頷いた。


「うん」


 


 工房街の裏手は、表通りよりもずっと音が近い。


 金属を打つ音。


 魔導炉の低い唸り。


 職人の怒鳴り声。


 荷車を押す音。


 焦げた油の匂い。


 熱された金属の匂い。


 石粉の乾いた匂い。


 ロイドは久しぶりにこの辺りを歩き、少しだけ肩を縮めた。


「……やっぱ工房街って圧あるな」


「店主が気圧されるな」


 ガルドが前を歩きながら言う。


「俺、灯り石屋だぞ。工房の親方たちとは迫力が違うだろ」


「胸張れ。お前も店主だ」


「最近それ、重いんだよなぁ」


 ロイドは苦笑する。


 通りの端では、職人たちが二人を見ている。


 ガルドに気づいた者もいるようだった。


 目が合う。


 すぐに逸らす者。


 小さく頷く者。


 露骨に顔をしかめる者。


 ガルドは何も反応しない。


 だが、その背中は少し硬い。


「……大丈夫か」


 ロイドが小声で聞く。


「何が」


「いや、知り合い多そうだから」


「知り合いと味方は違う」


「……そうか」


「だが、敵ばかりでもない」


 ガルドは低く言った。


「工房街の連中は、組合に文句があっても逆らえねぇ奴が多い」


「怖いから?」


「それもある。だが、それだけじゃない」


 ガルドは足を止めずに続ける。


「材料も流通も組合頼りだ。逆らえば仕事が止まる」


「……うちと同じか」


「ああ」


「材料を握られると、店は止まる」


「そうだ」


 ロイドは拳を握った。


 黒羽が処理場の廃棄魔石を抜き始めたこと。


 それは、ただの嫌がらせではない。


 流れを握るということ。


 店の呼吸を止めるということだ。


「……絶対、別ルート作るぞ」


 ロイドが低く言った。


 ガルドが横目で見る。


「勢いはいい」


「中身は?」


「これからだ」


「だよな」


 二人は工房街の奥へ進んだ。


 目的の工房は、表通りから少し外れた場所にあった。


 大きくはない。


 だが、入口の工具は丁寧に並べられ、炉の音も安定している。


 看板には、古い文字で“ハインツ魔導加工所”とある。


「ここか」


「ああ」


 ガルドが扉を叩く。


 中から、低い声が返ってきた。


「開いてる!」


 扉を開けると、熱気が押し寄せた。


 ロイドは思わず一歩引きそうになる。


 中には数人の職人がいた。


 炉の前で作業する者。


 石を削る者。


 記録をつける若い見習い。


 その奥から、大柄な男が出てきた。


 髭。


 太い腕。


 鋭い目。


 いかにも親方という風貌だった。


 男はガルドを見るなり、眉を上げた。


「……ガルドか」


「久しぶりだな、ハインツ」


「生きてたか」


「勝手に殺すな」


 ハインツと呼ばれた男は、低く笑った。


「組合から外れた職人は、だいたい半分死んだようなもんだろ」


「口の悪さは変わらんな」


「お前に言われたくない」


 ロイドは二人を見比べた。


 空気は悪くない。


 だが、柔らかくもない。


 職人同士の距離感だ。


 ロイドには少し怖い。


「で」


 ハインツはロイドを見る。


「そっちは?」


「ロイドです。灯り石の店をやってます」


「……ああ」


 ハインツの目が少し細くなる。


「最近、貼り紙だらけの店か」


「その覚え方やめてほしいんですが」


「間違ってるか?」


「間違ってないのが嫌ですね」


 ハインツは少し笑った。


「噂は聞いてる。廃棄魔石で妙な灯りを作ってる店だろ」


「妙って」


「悪い意味じゃない」


 ハインツは腕を組む。


「夜間用灯り石、うちの婆さんが買った」


 ロイドが目を丸くする。


「本当ですか」


「ああ。夜中に転ばなくなったって喜んでた」


 その言葉に、ロイドの胸が少し温かくなる。


 ここでも届いている。


 自分たちの灯りが。


「それは……良かったです」


「で、今日は何だ」


 ハインツは本題へ入る。


「まさか灯り石の営業じゃないだろ」


 ガルドが前へ出た。


「端材の話だ」


 工房内の空気が少し変わる。


 周囲の職人たちも、手を動かしながら耳を向けている。


「端材?」


「ああ。加工で出る割れ石、不良片、処理に困る魔石片。使えるものを買いたい」


 ハインツの目が鋭くなる。


「廃棄魔石の次は、工房端材か」


「そうだ」


「儲かってるらしいな」


「儲かってるなら、こんな顔してねぇ」


 ガルドが即答した。


 ロイドが小声で言う。


「俺の顔のこと?」


「店主の顔だ」


「やっぱ俺か」


 ハインツが少し笑う。


 だが、すぐに真面目な顔に戻る。


「理由は」


「処理場の流れに、黒い鳥が混ざり始めた」


 ハインツの顔が変わった。


 周囲の職人たちも手を止める。


「……その名を工房内で出すな」


 ハインツの声が低くなった。


「分かってる」


 ガルドも声を落とす。


「だが、お前らも気づいてるだろ」


 沈黙。


 炉の音だけが響く。


 ハインツはしばらくガルドを見ていた。


 そして、奥の職人たちへ言う。


「少し外せ」


「親方」


「いいから」


 職人たちは不安そうにしながらも、奥へ下がった。


 見習いも連れていかれる。


 工房の入口近くには、ハインツ、ガルド、ロイドだけが残った。


「話せ」


 ハインツが言う。


 ガルドは、処理場の廃棄魔石の一部が抜かれ始めたことを話した。


 黒い鳥の荷箱。


 東水路。


 不安定な冷却石。


 ただし、黒羽の名は出さない。


 ロイドの店が安全のために買い取りルールを変えたこと。


 端材を直接小さく拾う流れを作りたいこと。


 ハインツは黙って聞いていた。


 途中で口を挟まない。


 ただ、目だけが鋭くなる。


 話が終わると、しばらく沈黙した。


「……お前ら」


 ハインツが低く言った。


「面倒な流れに足突っ込んだな」


「分かってる」


 ガルドが答える。


「分かってねぇ顔だ」


「なら教えろ」


「相変わらず腹立つな、お前」


 ハインツは舌打ちした。


「端材を売るのは構わん」


 ロイドの顔が少し明るくなる。


 だが、ハインツはすぐに続けた。


「だが、条件がある」


「聞きます」


 ロイドが答える。


「買い叩くな」


「もちろんです」


「危険品を無理に持っていくな」


「それも」


「うちの見習いを巻き込むな」


 ロイドは真剣に頷いた。


「約束します」


「あと」


 ハインツは少しだけ声を低くした。


「この話を表に出すな」


「黒い鳥に知られるとまずいからですか」


 ロイドが聞く。


 ハインツは睨むように見る。


「分かってるじゃないか」


「最近、嫌でも分かるようになりました」


「ならいい」


 ガルドが口を開く。


「最初は少量でいい。使えるか確認する。値段は品質で分ける。危険なものは買わねぇが、処分前の見分けは手伝う」


「……悪くない」


 ハインツは少し考える。


「端材箱を一つ用意する。週に二度、取りに来い」


「誰が」


「そこの店主以外」


 ロイドが傷ついた顔をする。


「何でですか」


「顔に出る」


「今日それ何回言われるんだ」


 ガルドが低く笑う。


「俺か、店の者が行く」


「店の者?」


「セドという男がいる」


「噂の黒髪か」


 ハインツが言う。


 ロイドが目を瞬いた。


「セドの噂?」


「ああ。貼り紙の横で、やけに冷静に喋る黒髪の男」


「……有名になってるな」


「良い意味かは知らん」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「悪目立ちだな」


「本人に言ったら微妙な顔しそうだ」


 ロイドが少し笑った。


 ハインツは腕を組み、最後に言った。


「一つだけ忠告する」


「何でしょう」


「小さい流れを作るなら、欲張るな」


 その声は重かった。


「大きくすれば、すぐ見つかる。見つかれば潰される」


「……」


「細く、いくつも作れ」


 ロイドはその言葉を胸に刻んだ。


 細く、いくつも。


 それは、今のロイドの店に必要な考え方だった。


「ありがとうございます」


 ロイドは頭を下げた。


 ハインツは少し居心地悪そうに顔を逸らす。


「礼を言うな。取引だ」


「それでもです」


「……変な店主だな」


「最近よく言われます」


 ガルドがぼそっと言う。


「変な店だからな」


「おい」


 だが、ロイドは笑っていた。


 初めての小規模工房との端材交渉。


 それは、大きな成功ではない。


 ただ一つの工房から、週二度、少量の端材を受け取るだけ。


 けれど。


 確かに、新しい流れが一本生まれた。


 


 夕方。


 ロイドとガルドが店に戻ると、セドはすぐに二人を迎えた。


「どうでしたか」


 ロイドは疲れた顔で、しかし少し誇らしげに笑った。


「一本、繋がった」


 セドの目がわずかに動く。


「本当ですか」


「ああ。ハインツ魔導加工所。週二回、端材箱を確認させてもらえる」


 ガルドが補足する。


「少量だ。だが、質は悪くないはずだ」


「条件は」


「買い叩かない。危険品を無理に持ち出さない。見習いを巻き込まない。話を広げすぎない」


 セドは頷く。


「妥当です」


「あと、細くいくつも作れって言われた」


 ロイドが言う。


 その言葉に、セドは静かに目を伏せた。


「重要ですね」


「だろ」


「はい」


 ミラが小さく言う。


「一本目」


「そうだな」


 ロイドは店の中を見る。


 壁の紙。


 棚の灯り石。


 作業台の魔石片。


 そして、仲間たち。


「一本目だ」


 その声には、確かな熱があった。


 黒羽に処理場の流れを奪われ始めた。


 だから、別の流れを作る。


 大きくなくていい。


 細くていい。


 いくつも作れば、簡単には止められない。


 それは、ロイドの店らしい反撃だった。


 剣も魔法もない。


 ただ、話し、繋ぎ、拾い、灯す。


 そうやって進む。


「セド」


 ロイドが言う。


「はい」


「明日から、工房端材ルート作るぞ」


「はい」


「ただし、一人で行かない」


「はい」


「店も回す」


「はい」


「飯も食う」


「はい」


「よし」


 ロイドは満足そうに頷いた。


 セドは少しだけ目元を緩める。


 その表情を見て、ミラが短く言った。


「笑った」


「笑っていません」


「少し」


「気のせいです」


「セド、それ私の台詞」


 ミラが淡々と言う。


 ロイドが吹き出した。


 ガルドも低く笑う。


 店の中に、柔らかな空気が戻る。


 外にはまだ悪意の紙が貼られている。


 黒羽は動いている。


 組合も黙っていない。


 処理場の流れは奪われ始めている。


 それでも。


 今日、新しい流れが一本生まれた。


 小さく、細く、頼りない一本。


 だが、それは確かにロイドの店へ繋がっていた。


 そしてその夜、店の灯り石はいつもより少しだけ明るく見えた。


 強くなったわけではない。


 ただ、見る者の心が、少しだけ前を向いたのだ。

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