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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第32話



 十年前の事故。


 旧東工房区画。


 生存者。


 黒外套――クロウの残した言葉は、店の空気を確実に変えていた。


 ロイドは朝からずっと難しい顔をしている。


 帳簿を開いても、ほとんど進んでいない。


「……なぁ」


 ぽつりと呟く。


「俺、最近ずっと“やばい”しか言ってなくね?」


「言ってる」


 ミラが即答した。


「しかも大体合ってる」


 ガルドまで頷く。


 ロイドが机へ突っ伏した。


「嬉しくねぇぇ……」


 店の空気は、少しだけ和らぐ。


 だが、重さは消えていない。


 セドは机へ紙を並べていた。


 工房街の地図。


 旧東工房区画の封鎖記録。


 組合設立時期。


 処理場事故。


 全部を整理している。


 ロイドが顔を上げた。


「……お前、ほんと切り替え早ぇな」


「整理しないと見えませんので」


「頭疲れねぇ?」


「疲れます」


「疲れるんだな」


「人間ですので」


 ガルドが吹き出した。


「最近ほんと変わったな」


「そうでしょうか」


「前なら“問題ありません”で終わってた」


 セドは少しだけ黙る。


 以前の自分なら、確かにそうだったかもしれない。


 疲れも、痛みも、必要なことの前では後回し。


 でも今は違う。


 ロイドたちは、それを許さない。


「……環境の影響かもしれません」


 ロイドがニヤッと笑う。


「良い環境だろ?」


「騒がしいです」


「褒め言葉だな」


「違います」


 即答。


 だが、店の空気は少し柔らかかった。


 


 その時。


 表の扉が開く。


「おはようございます!」


 ニコだった。


 いつも通り元気だ。


 後ろにはリナとトマもいる。


 だが今日は、三人とも少し眠そうだった。


「お前ら、朝早ぇな」


 ロイドが言う。


「寝不足!」


 ニコが即答した。


「昨日ずっと旧東工房区画の話してた!」


「子供がそういう話すんな!」


 ロイドが頭を抱える。


 トマが腕を組む。


「でも気になるだろ」


「まぁ分かるけどな……」


 リナが少し不安そうに聞く。


「ほんとに幽霊出るの?」


「誰が言った」


「工房街の人」


 ガルドが鼻を鳴らした。


「噂だ」


「でも、事故は本当」


 ミラが静かに言う。


 空気が少し止まる。


 ニコがセドを見る。


「セド、行くの?」


 短い質問。


 だが、真っ直ぐだった。


 セドは少しだけ考える。


「……可能性はあります」


「やっぱ行くんだ」


 ロイドが机を叩いた。


「だからお前はそういう言い方をするな!!」


 ニコたちは笑う。


 少しだけ空気が軽くなる。


 だが、セドは真面目だった。


「ただし、まだ情報不足です」


「何調べてるんだ?」


 トマが机を覗き込む。


 セドは紙を指で示した。


「十年前の事故です」


「そんな前のこと分かるの?」


「組合記録は難しいでしょう」


 ガルドが低く言う。


「当時の情報、かなり消えてるはずだ」


「だから別経路を探します」


「別経路?」


「人です」


 短い返答。


 ロイドが少し眉をひそめた。


「生存者か」


「はい」


 クロウの言葉。


 “誰が助かったかを調べろ”。


 あれが鍵だ。


 事故そのものではない。


 事故のあと、誰が残ったか。


 そこに何かある。


「でもよぉ」


 ロイドが腕を組む。


「十年前だぞ? そんな簡単に見つかるか?」


「普通なら難しいです」


「普通じゃない方法あんのか」


 セドは少しだけ考えた。


「処理場側から辿ります」


 ディム。


 処理場。


 廃棄物流れ。


 王都の“捨てられる側”は、意外と繋がっている。


 表の記録が消えても、裏の記憶は残ることがある。


「……ほんと、お前そういうの得意だな」


 ロイドが呆れ半分で言う。


「見落とされる場所を見るだけです」


「普通見ねぇんだよ」


 その時だった。


 コン、コン。


 扉が叩かれる。


 全員の空気が変わる。


「……またか」


 ロイドの声が死んでいる。


 セドが静かに扉を開けた。


「……ディムさん」


「おう」


 処理場の男、ディムだった。


 だが今日はさらに疲れている。


 目の下が酷い。


「悪ぃ、朝から」


「何かありましたか」


「ある」


 ディムは店へ入り、周囲を確認した。


 それから低く言う。


「昨日、旧東工房区画の近くで人が消えた」


 空気が凍る。


「……消えた?」


 ロイドが聞き返す。


「工房街の運搬屋だ」


 ディムは椅子へ腰を下ろす。


「夜、爆発の様子見に行って、そのまま戻ってねぇ」


「遺体は」


「見つかってない」


 ガルドの顔が険しくなる。


「……最悪だな」


「しかも」


 ディムは続ける。


「組合が異様に静かだ」


「静か?」


「普通なら封鎖だの注意喚起だの騒ぐ」


「……確かに」


「でも今回は、ほぼ何も出してねぇ」


 セドは静かに目を細める。


「隠していますね」


「たぶんな」


 ディムが深く息を吐いた。


「で、ここからが本題だ」


「?」


「十年前の事故、生き残りが一人いる」


 店の空気が止まる。


 ロイドが勢いよく顔を上げた。


「は!?」


「生存者って……本当にいたのか」


「いた」


 ディムは低く言う。


「ただ、今はほとんど表に出てこねぇ」


 セドの視線が鋭くなる。


「名前は」


「エルマ」


 一拍。


「元工房技師だ」


 ガルドの目が変わった。


「……待て」


「知ってるのか?」


 ロイドが聞く。


 ガルドは少しだけ眉をひそめる。


「噂だけな。確か、魔導炉関係の技師だったはずだ」


「魔導炉?」


「工房の中心部だ」


 ガルドが低く言う。


「魔力を安定循環させる装置。暴走したら工房ごと吹っ飛ぶ」


 ロイドが青ざめる。


「つまり、事故の中心にいた可能性があるってことか」


「高い」


 セドは静かに聞く。


「現在はどこに」


「東外れ」


 ディムが答える。


「廃工房跡地の近くで、一人で暮らしてる」


「会えますか」


「分からん」


 ディムは苦い顔をした。


「かなり偏屈で有名だ」


「職人っぽいな」


 ロイドがぼそっと言う。


 ガルドが即座に返す。


「職人全員を偏屈扱いするな」


「お前見てると説得力ねぇ!」


 少しだけ空気が緩む。


 だが、セドは考えていた。


 エルマ。


 生存者。


 魔導炉技師。


 十年前の事故の中心人物に近い。


「……行く気だろ」


 ロイドが嫌そうな顔で言う。


「必要ですので」


「知ってた!!」


 店に声が響く。


 ニコたちは少しワクワクした顔になっていた。


「え、じゃあ聞き込み!?」


「冒険みたい!」


「違うからな!?」


 ロイドが全力で否定する。


「危ない話だからなこれ!」


 トマが腕を組む。


「でも、行かなきゃ進まないんだろ」


「……まぁ、そうなんだけどよ」


 ロイドは深くため息を吐いた。


「絶対平和に終わらねぇ……」


 ミラが静かに言う。


「ロイド」


「ん?」


「慣れてきた」


「嫌な慣れ方だよ!」


 ガルドが笑う。


「まぁでも、今回は価値ある情報だ」


「はい」


 セドも頷いた。


 十年前の事故。


 生存者。


 ここが大きな分岐になる。


 クロウがわざわざ口にした理由も分かる。


「……セド」


 ディムが低く呼ぶ。


「何でしょう」


「一応言っとく」


 ディムの顔が少し険しくなる。


「エルマに会うなら、“事故の真相”を聞くな」


「?」


「嫌う」


 短い言葉。


「昔、何人も聞きに行った」


「結果は」


「追い返された」


 ロイドが眉をひそめる。


「そんなにか」


「それだけじゃねぇ」


 ディムは低く言う。


「中には、事故の話した直後に工房街から消えた奴もいる」


 空気が静かに冷える。


 セドは黙って聞いていた。


 消えた。


 最近よく出る言葉だ。


 黒外套。


 旧東工房区画。


 十年前。


 全部に、“消える”が繋がっている。


「……分かりました」


 セドが静かに言う。


「慎重に接触します」


「そうしてくれ」


 ディムは立ち上がる。


「俺もこれ以上は深入りしたくねぇ」


「それでも来てくれるんですね」


 ディムは少しだけ苦笑した。


「お前ら見てると、放っとけねぇんだよ」


 ロイドが吹き出す。


「分かる」


「お前もか」


「だってこいつ危なっかしいだろ」


 ロイドがセドを指差す。


 セドは少しだけ眉を寄せた。


「否定は?」


「しません」


「しろよ!!」


 店の中に笑いが広がる。


 重い話のはずなのに。


 不思議と、この店では少しだけ空気が柔らかくなる。


 そしてセドは思う。


 昔なら、こういう場所はなかった。


 情報だけを拾い。


 必要だけを選び。


 一人で進んでいた。


 でも今は違う。


 騒がしくて。


 面倒で。


 感情が増えて。


 止める声がある。


「……」


 悪くない。


 そう思ってしまった自分に、少しだけ驚いていた。

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