第31話
黒外套の男が、店の前に立っている。
それだけで、空気が変わっていた。
扉一枚隔てているだけなのに、妙な圧迫感がある。
静かだ。
威圧しているわけじゃない。
怒鳴っているわけでもない。
なのに、空気だけが重い。
「……」
ロイドの喉が小さく鳴る。
ミラは無言で工具を握っていた。
ガルドも椅子から立ち上がっている。
フィリアは静かに男を見ていた。
そしてセドは。
扉の前で、黒外套の男を見返していた。
男は薄く笑う。
「入っても?」
「用件次第です」
即答。
ロイドが内心で思う。
お前、よくそんな冷静に返せるな。
普通もっと怖がるだろ。
だが、セドは動じていなかった。
警戒はしている。
だが、怯えてはいない。
「冷たいな」
黒外套の男は肩をすくめる。
「客だよ」
「名前のない客は通していません」
「へぇ」
男は少しだけ目を細めた。
「ちゃんと線引くんだ」
「当然です」
「面白い店だな、本当に」
ロイドは心の中で叫ぶ。
いや全然面白くないから帰ってくれ。
「……名前は」
セドが聞く。
男は少しだけ笑った。
「クロウ」
「本名ですか」
「さぁ?」
「……」
「そういう顔するなよ。警戒されると傷つく」
「傷つく人間は、そんな目をしません」
空気が少し変わる。
クロウの笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「観察眼、鋭いな」
「必要ですので」
「その言葉、本当に好きだな」
「よく言われます」
ロイドが頭を抱えた。
このやり取り、胃が痛い。
互いに笑っているのに、全然和やかじゃない。
「……店の前で立ち話も何です」
フィリアが静かに口を開いた。
全員の視線が向く。
「最低限の話だけなら、中で聞きます」
ロイドがギョッとした。
「えっ」
フィリアは冷静だった。
「ここで騒ぎになる方が危険」
クロウが少しだけ感心したように目を細める。
「お嬢さん、賢いね」
「ありがとうございます」
「……」
ロイドは思う。
この人も普通じゃねぇ。
セドと会話できてる時点で普通じゃない。
セドは数秒考えたあと、静かに扉を開いた。
「短時間だけです」
「ありがとう」
クロウはゆっくり店へ入る。
歩き方が静かすぎる。
気配が薄い。
ロイドは本気で嫌な感じがしていた。
クロウは店の中を見回した。
灯り石。
加工道具。
棚。
帳簿。
全部を確認するように。
「……いい店だ」
「営業妨害なら帰ってください」
ロイドが即座に言う。
クロウが少し笑った。
「店主か」
「そうだ」
「良い顔してる」
「褒めても安くなんねぇぞ」
「ははっ」
クロウは楽しそうに笑った。
だが、やはり目だけは笑っていない。
「じゃあ本題だ」
空気が変わる。
セドが静かに前へ出た。
「伺います」
「旧東工房区画には近づくな」
店の空気が、一瞬で冷えた。
「……」
ロイドが思わずセドを見る。
クロウは続けた。
「昨日、行こうとしてただろ」
図星。
セドは否定しなかった。
「何故それを?」
「見てたから」
さらりと言う。
ロイドの背筋が寒くなる。
「……お前ら、何なんだよ」
「ただの運び屋だよ」
クロウは肩をすくめる。
「少なくとも、表向きは」
「信用できません」
「だろうな」
クロウはあっさり頷いた。
「でも、本当に死ぬぞ」
その言葉だけ、妙に重かった。
脅しじゃない。
実感がある声。
「旧東工房区画で何が起きているんですか」
セドが静かに聞く。
クロウは少し黙った。
それから、店の灯り石を一つ手に取る。
「……綺麗だな」
「質問に答えてください」
「焦るな」
クロウは淡い光を見つめる。
「お前ら、“価値なし”を拾ってるんだろ?」
セドの目がわずかに細くなる。
「……」
「捨てられた魔石。潰れかけの店。組合から外れた職人」
クロウは笑う。
「面白いことするよな」
「何が言いたいんですか」
「旧東工房区画も、同じだ」
空気が止まる。
「……同じ?」
ロイドが聞き返す。
クロウは頷いた。
「あそこも、“価値なし”として捨てられた」
「十年前の事故区域だぞ」
ガルドが低く言う。
「知ってる」
「なら何で今さら動いてる」
「価値があったからだよ」
短い返答。
だが、その一言が重い。
セドは静かに聞く。
「何の価値ですか」
「それはまだ言えない」
「では、何故こちらへ来たんですか」
クロウは少しだけ笑みを消した。
「お前らが“流れ”を作り始めたからだ」
店の空気が変わる。
「小さい流れだと思ってた」
クロウは灯り石を戻す。
「でも、思ったより面白い」
「監視ですか」
「半分」
「残り半分は」
「警告」
クロウはセドを見る。
「旧東工房区画には、今のお前じゃ届かない」
「……」
「死ぬだけだ」
静かな声。
だが、そこに嘘は感じなかった。
「……お前らは何を運んでる」
ロイドが低く聞く。
クロウは少しだけ視線を向けた。
「知りたい?」
「知りたくねぇ。でも気持ち悪い」
「正直だな」
クロウは少し笑う。
「でも、まだ知らない方がいい」
「信用できるか」
「できないだろうな」
即答。
ガルドが舌打ちする。
「じゃあ帰れ」
「怖いな元職人」
「お前よりはまともだ」
クロウは少しだけ目を細めた。
「……組合、嫌いか?」
「好きな理由がねぇ」
「だろうな」
クロウは淡々と言う。
「組合も、“流れ”を握ってる側だから」
セドの視線が鋭くなる。
「あなた方もですか」
「さぁ?」
「答える気は」
「今はない」
沈黙。
ロイドは改めて思う。
会話してるのに、何も見えない。
煙みたいな男だ。
「……一つだけ教える」
クロウが言った。
「旧東工房区画へ近づくなら、“十年前の事故”を調べろ」
ガルドの目が変わる。
「何?」
「表に出てる情報だけじゃ足りない」
クロウは静かに笑う。
「死んだ人数、工房名、原因。全部ズレてる」
「……」
「あと」
クロウの目が少し細くなる。
「“誰が助かったか”を調べろ」
その言葉に、セドの空気が変わった。
助かった人間。
つまり、生存者。
十年前の事故に、まだ続きがある。
「どうしてそれを教える」
セドが聞く。
クロウは少しだけ考えた。
「お前らが止まらないから」
「……」
「だったら、せめて死にに行くな」
店が静かになる。
その言葉だけ、妙に本音っぽかった。
ロイドが眉をひそめる。
「お前、本当に何者だよ」
クロウは少し笑った。
「運び屋だよ」
「信用できねぇ」
「だろうな」
クロウは立ち上がる。
「今日はそれだけ」
「待ってください」
セドが呼び止める。
クロウが振り返る。
「何故、私たちを気にするんですか」
数秒、沈黙。
クロウは少しだけ視線を細めた。
「……お前らの灯り」
一拍。
「嫌いじゃない」
それだけ言って、クロウは店を出ていった。
静かに。
気配を溶かすように。
扉が閉まる。
数秒の沈黙。
「……はぁぁぁぁ……」
ロイドが盛大に息を吐いた。
「寿命縮んだ……」
「分かる」
ガルドも珍しく同意する。
ミラは静かに言う。
「でも」
「?」
「あの人、少しだけ本気だった」
セドは黙っていた。
クロウの言葉を整理している。
十年前の事故。
生存者。
旧東工房区画。
価値なし。
全部が、少しずつ繋がり始めている。
「……セド」
フィリアが静かに呼ぶ。
「何でしょう」
「行くの?」
短い質問。
だが、重い。
セドは少しだけ目を伏せた。
「……今すぐではありません」
「でも、行く気はある」
「はい」
ロイドが頭を抱える。
「知ってたよ!!」
ガルドは深く息を吐いた。
「なら先に調べる」
「調べる?」
「十年前の事故だ」
ガルドの顔が少し険しくなる。
「俺も当時はまだ若かったが、噂くらいは聞いてる」
「何を」
「妙だったんだよ」
店の空気が静かになる。
「事故の処理が、異常に早かった」
「……」
「工房ごと吹っ飛んだのに、三日で封鎖。七日で立入禁止。生き残りの話もほとんど出なかった」
セドの目が細くなる。
「隠蔽」
「可能性はある」
ロイドが顔をしかめる。
「おいおい……」
「しかも」
ガルドは低く言う。
「当時、組合が急激に力持ち始めた時期とも重なる」
沈黙。
全部が繋がり始めている。
旧東工房区画。
組合。
黒い鳥。
黒外套。
そして、“価値”。
セドは静かに窓の外を見た。
王都の灯りが見える。
綺麗だ。
だが、その裏側には、まだ見えていない流れがある。
「……調べます」
小さな声。
でも、確かな意志。
ロイドが深くため息を吐いた。
「まぁ、そうなるよな……」
もう止まれない。
小さな灯り石の店は。
王都の裏側へ、さらに深く踏み込み始めていた。




