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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第29話



 旧東工房区画。


 その名前が出た瞬間から、店の空気はどこか張り詰めていた。


 ロイドは帳簿を開いていても集中できていない。


 ガルドは工具を磨きながら、ずっと無言。


 ミラは検品作業を続けているが、時折視線がセドへ向いている。


 そしてセドは。


 表情こそ変わらないものの、確実に考え込んでいた。


「……」


 旧東工房区画。


 十年前の魔力暴走事故。


 閉鎖区域。


 黒い鳥の荷車。


 黒外套。


 点が増えている。


 まだ線にはなりきっていない。


 だが、感覚が告げていた。


 これは、偶然ではない。


「セド」


 ロイドが低く呼ぶ。


「何でしょう」


「お前、行く気だろ」


 即答だった。


「現時点では未定です」


「だからその言い方やめろって言ってんだよ!」


 ロイドが机を叩く。


「未定って言うやつは、頭の中で八割決めてんだ!」


 ガルドが鼻を鳴らした。


「まぁ間違ってねぇな」


「お前も止めろよ!」


「止めてるだろ」


「止めてる感じしねぇんだよ!」


 ミラが静かに言う。


「ロイド、声大きい」


「今は大きくなるだろ!!」


 ロイドは本気だった。


 旧東工房区画。


 名前だけで危険だと分かる。


 しかも、黒外套と黒い鳥が絡んでいる。


 絶対にろくな話じゃない。


「セド」


 ロイドが少し真面目な声になる。


「俺ら、今までギリギリでやってきたよな」


「はい」


「組合相手も、処理場も、“商売”の範囲だった」


「……」


「でも今回は違う気がする」


 店が静かになる。


 ロイドは続けた。


「俺、戦えるタイプじゃねぇ。頭回る方でもねぇ。だけどな」


 一拍。


「“やばい空気”くらいは分かる」


 セドは黙って聞いていた。


「今のこれは、やばい」


「はい」


 肯定。


 迷いのない返答だった。


 だからこそ、ロイドは頭を抱えたくなる。


「分かってんのかよ……」


「理解はしています」


「理解した上で突っ込みそうだから怖ぇんだよ!」


 ガルドが低く笑う。


「まぁ、こいつだからな」


「笑い事じゃねぇ!」


 ミラは静かにセドを見る。


「行くなら、一人は駄目」


「……」


「絶対」


 セドは少しだけ視線を落とした。


「危険です」


「だから」


 ミラは短く言う。


「一人で行くな」


 その言葉に、セドは少しだけ止まった。


 以前の自分なら、たぶん何も言わずに一人で動いていた。


 必要なら、危険でも。


 ルイスのためなら。


 それだけで十分だった。


 だが今は違う。


 ロイドたちの顔が浮かぶ。


 止める声。


 怒る声。


 呆れる声。


 全部が、自分を“残す”方向へ向いている。


「……検討します」


「だからその返事は信用ならねぇんだよ!!」


 ロイドが叫んだ。


 


 その頃。


 王城では、ルイスが珍しく落ち着かない様子だった。


 書庫。


 机の上には開かれた本。


 だが、視線は文字を追っていない。


「……」


 嫌な感覚がある。


 理由は分からない。


 でも、胸の奥が妙にざわつく。


 最近、こういう感覚が増えていた。


 セドが外で動き始めてからだ。


「……何か、起きてる」


 小さく呟く。


 足元の影が揺れる。


 ノクス。


 ――繋がり始めている。


「何が?」


 ――流れ。


 相変わらず抽象的だ。


 ルイスは苦笑した。


「分かりづらいよ」


 ――まだ、見えていないから。


「……」


 ルイスは窓の外を見る。


 夜の王都。


 遠くに工房街の灯りが見える。


 あのどこかで、セドたちは動いている。


 そして、自分の知らない何かに近づいている。


「……セド」


 ぽつりと名前が漏れる。


 最近、分かるようになってきた。


 セドは、自分のためなら危険へ入る。


 躊躇なく。


 自分より先に、“やるべきこと”を置く。


 だから怖い。


「……止まってくれるかな」


 ――無理。


 即答だった。


 ルイスが思わず吹き出す。


「だよね」


 笑ったあと、少しだけ表情が曇る。


「でも、無茶してほしくない」


 ――なら、強くなりなさい。


 ルイスの目が少し動く。


「……僕が?」


 ――止める側になりたいなら。


 その言葉は、妙に胸へ落ちた。


 今までの自分は、守られる側だった。


 期待されない第二王子。


 後ろに立つだけの存在。


 でも、今は違う。


 少しずつ、自分で選んでいる。


 動いている。


 そして――。


「……守る側、か」


 木剣を握る感触を思い出す。


 まだ弱い。


 セドには遠く及ばない。


 兄にも。


 それでも。


「……なりたいな」


 小さな呟き。


 ノクスは何も言わなかった。


 だが、影が少しだけ揺れた。


 


 翌朝。


 ロイドの店には、朝から妙な空気が流れていた。


 客は来る。


 灯り石も売れる。


 買い取りもある。


 だが、皆どこか落ち着かない。


「……また来てる」


 ミラが窓の外を見る。


 黒い鳥の荷車。


 今日は二台。


 工房街の奥へ向かっていく。


「堂々としてんなぁ……」


 ロイドが顔をしかめる。


「隠す気あるのか?」


「あるからこそ、堂々としている可能性があります」


 セドが答える。


「普通の人間は、“堂々としているもの”を疑いません」


「……嫌な話だな」


「はい」


 その時。


 店の扉が勢いよく開いた。


「セド!!」


 ニコだった。


 息を切らしている。


 後ろにはトマもいる。


「どうしました」


「変な奴いた!」


 空気が変わる。


「どこですか」


「裏路地!」


 トマが続ける。


「黒い鳥の荷車見てたら、変な奴らがいた!」


「どんな」


「黒い外套!」


 ロイドが頭を抱えた。


「もう嫌だぁぁぁ……」


 セドの目が鋭くなる。


「何をしていましたか」


「分かんねぇ。でも、旧東工房区画の方見てた」


「……」


「あと」


 ニコが少しだけ不安そうな顔をした。


「あいつら、“灯り石の店”って言ってた」


 店の空気が止まる。


「聞き間違いじゃないか?」


 ロイドが聞く。


 ニコは首を振った。


「違う。絶対言ってた」


 トマも頷く。


「“小さい流れが邪魔だ”って」


 ガルドの空気が一気に冷える。


「……チッ」


 ミラも静かに言う。


「見られてる」


「はい」


 セドは短く答えた。


 黒外套側も、こちらを認識している。


 しかも、“流れ”として。


 つまり、ただの小店ではなく、動きの一部として見始めている。


「おいセド」


 ロイドが低く言う。


「これはもう、本当にやばいだろ」


「可能性は高いです」


「可能性じゃなくて確定にしてくれ。そっちの方がまだ心構えできる」


 ロイドは深く息を吐く。


「……どうする」


 その質問に、全員の視線がセドへ向く。


 セドは少しだけ黙った。


 考える。


 逃げるか。


 隠れるか。


 止まるか。


 それとも――。


「確認します」


 静かな声。


 ロイドが顔を覆った。


「言うと思ったよ!!」


「ですが」


 セドは続ける。


「今のままでは危険の正体が分かりません」


「だからって近づくか普通!?」


「近づかないと見えないことがあります」


「その理屈で毎回危険地帯行ってんだよお前は!」


 ガルドが低く言う。


「どこまで行く気だ」


「旧東工房区画周辺まで」


「中には入るな」


「現時点では予定していません」


「だから信用ならねぇんだよ」


 ミラが立ち上がる。


「私も行く」


「駄目です」


 即答。


「目立ちます」


「セド一人の方が目立つ」


「……否定できません」


 ロイドが吹き出した。


「そこは認めるんだな」


 ミラは腕を組む。


「じゃあロイド」


「えっ、俺!?」


「店主」


「そうだけど!」


「顔普通」


「褒めてる?」


「隠れやすい」


「褒めてねぇな!?」


 ガルドが笑う。


「確かにお前、どこにでもいそうだしな」


「お前ら俺の扱い雑じゃね!?」


 だが、ロイドも分かっていた。


 一人で行かせるのは危険だ。


「……分かったよ」


 ロイドが頭を掻く。


「行く」


「本当ですか」


「嫌だけどな!!」


 ロイドが叫ぶ。


「でも、お前放っといたら絶対一人で行くだろ!」


 セドは少しだけ黙った。


 そして、静かに目を伏せる。


「……ありがとうございます」


 ロイドが一瞬止まる。


 この言い方。


 少し前までのセドなら、もっと事務的だった。


 最近、少し変わった。


「……お前」


「?」


「ちゃんと礼言うようになったな」


「以前も言っていました」


「前より、人っぽくなった」


 ミラが言う。


 ガルドも頷く。


「まぁな」


 セドは少しだけ困ったように目を伏せた。


「……よく分かりません」


「そこがまたお前らしいんだよ」


 ロイドが笑う。


 その時だった。


 外。


 遠くの方から、鈍い音が響く。


 ドォン――。


 地面が、微かに揺れた。


 店の空気が止まる。


「……今の」


 ロイドが顔を上げる。


 セドは即座に窓へ向かった。


 工房街の奥。


 黒煙が上がっている。


 方向は――。


「旧東工房区画」


 ガルドが低く言った。


 空気が一気に張り詰める。


 直後。


 外から怒鳴り声が聞こえた。


「火事だ!!」


「離れろ!!」


「魔力漏れしてるぞ!!」


 人々のざわめき。


 走る音。


 鐘の音。


 ロイドが青ざめる。


「お、おいおい……」


 セドの目が鋭く細まる。


 偶然じゃない。


 タイミングが良すぎる。


 黒い鳥。


 黒外套。


 旧東工房区画。


 そして爆発。


「……行きます」


「待て!!」


 ロイドが即座に腕を掴む。


「今行くのは絶対駄目だ!!」


「ですが」


「絶対駄目だ!!」


 ロイドの声は本気だった。


「今のは“誘ってる”感じがする!」


 セドが止まる。


 ガルドも低く言った。


「……俺もそう思う」


「……」


「タイミングが露骨すぎる」


 ミラも頷く。


「見てる」


 セドは窓の外を見る。


 黒煙。


 ざわめき。


 騒ぎ。


 そして。


 遠くの建物の屋根。


 そこに、一瞬だけ黒い外套が見えた気がした。


 こちらを見ている。


 笑っている。


 そんな錯覚。


「……」


 セドは静かに息を吐いた。


「今日は動きません」


 ロイドが本気で安堵した顔をする。


「よし……!」


「ですが」


「“ですが”を付けるな!!」


 店の中に声が響く。


 だが、その騒がしさの裏で。


 皆、理解していた。


 もう戻れない。


 灯り石の小さな店は。


 王都の裏側の流れへ、完全に踏み込み始めていた。

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