第27話
黒い鳥の紋章。
それが刻まれた荷車は、その日から何度か工房街で見かけるようになった。
毎日ではない。
だが、一定の間隔で現れる。
荷を運び、奥へ入り、いつの間にか消えている。
目立つようで、目立たない。
そんな動き方だった。
「……嫌な感じしかしねぇ」
ロイドが店先から荷車を見送りながら言う。
今日で三回目だ。
同じ紋章。
同じ黒い荷布。
同じ無音に近い動き。
「工房街の連中も知らねぇってよ」
ガルドが腕を組む。
「最近入ってきた商会か?」
「分かりません」
セドは荷車の車輪を見る。
泥の付き方。
荷の重さ。
護衛の位置。
全部を観察していた。
「ですが、普通の運搬ではありません」
「分かるのか?」
ロイドが聞く。
「はい」
「何で」
「荷車が静かすぎます」
「……?」
ロイドが首を傾げる。
セドは淡々と続けた。
「普通の運搬は、もっと音がします。積み荷の揺れ、金具、木材の軋み」
「……あぁ」
ガルドが小さく頷いた。
「確かに静かだな」
「荷を固定しすぎています」
「それの何が変なんだ?」
「高価な物を運ぶ時の固定です」
ロイドの顔が少し変わる。
「つまり?」
「少なくとも、“ただの廃材”ではありません」
ミラが小さく言った。
「隠してる」
「はい」
店の空気が少し重くなる。
黒外套の男。
黒い鳥の紋章。
そして、最近増え始めた妙な流れ。
組合とは別の何かが、王都の裏側で動いている。
「……面倒なことになる前に逃げるか?」
ロイドが冗談っぽく言った。
「今ならまだ田舎でパン屋とかできるかもしれねぇ」
「向いてない」
ミラが即答する。
「なんでだよ」
「朝弱い」
「致命的」
ガルドが吹き出す。
ロイドが頭を抱えた。
「くそっ、反論できねぇ……」
セドは少しだけ口元を緩めた。
ほんの僅か。
だが、ロイドは見逃さなかった。
「おい」
「?」
「今、笑っただろ」
「笑っていません」
「いや笑った」
「気のせいです」
「お前、最近ちょっと表情出るようになったよな」
その言葉に、セドが少しだけ止まる。
ミラも頷いた。
「前より動く」
「……」
「眉間も増えた」
「それ褒めてます?」
「普通になった」
ガルドが低く笑う。
「前は人形みてぇだったからな」
「失礼です」
「否定できねぇのがまたな」
ロイドが笑う。
以前なら、こういう会話自体なかった。
店を開けるだけで精一杯だった。
誰も未来の話をしなかった。
笑う余裕もなかった。
だが今は違う。
問題は増えている。
危険も増えている。
それでも、止まってはいない。
「セド!」
元気な声が飛ぶ。
ニコだった。
今日も袋を抱えている。
リナとトマも一緒だ。
「お前らほんと毎日来るな」
ロイドが呆れ半分で言う。
「だってお金になるし!」
「正直でよろしい」
「あと、ちょっと楽しい」
ニコが笑う。
その言葉に、ロイドは少しだけ目を細めた。
楽しい。
それは、以前のこの店にはなかった言葉だ。
「今日はすごいの拾った!」
トマが得意げに袋を置く。
ガチャ、と重い音。
セドが視線を向ける。
「……大きいですね」
「だろ!」
袋から出てきたのは、大人の拳ほどある魔石片だった。
ただし、綺麗ではない。
表面はかなり荒れている。
だが、内部にまだ光が残っていた。
ミラが近づく。
石を持ち上げ、光へ透かす。
「……」
「どう!?」
「半分死んでる」
「言い方!!」
ロイドが吹き出す。
ミラは淡々と続けた。
「でも、芯は生きてる」
「つまり?」
「加工できる」
トマの顔が一気に明るくなる。
「よっしゃ!!」
「ただし」
ミラが石を軽く叩く。
「危ない」
「え?」
「熱残りある」
セドが石へ触れる。
確かに微かに熱い。
「どこで拾いましたか」
「工房街の裏」
「具体的には」
「えーっと……」
トマが説明しようとした、その時だった。
「おい」
低い声。
全員が振り向く。
店の外。
そこに、二人の男が立っていた。
見覚えがある。
組合の人間だ。
以前来た男ではない。
だが、腕章は同じ。
王都商業組合。
空気が一気に変わる。
「……また来たか」
ロイドが低く呟く。
組合の男たちは店内を見回した。
子供。
魔石片。
加工道具。
灯り石。
全部を確認するように。
「営業中失礼します」
片方が言う。
笑顔。
だが、冷たい。
「本日は確認事項がありまして」
「確認ばっかだな」
ロイドが吐き捨てる。
男は笑みを崩さない。
「最近、王都内で未登録加工品の流通が増えております」
「……」
「安全確認のため、一部商品の提出をお願いしたい」
ミラの空気が少し変わる。
ガルドも目を細めた。
セドは静かに前へ出る。
「提出義務の法的根拠を伺っても?」
男の目がわずかに動く。
「……随分詳しいですね」
「必要ですので」
「その言葉、好きですね」
「よく言われます」
男は小さく笑う。
「組合安全規定、第七条。未登録加工品について、危険性が疑われる場合は提出を求めることができます」
「“危険性が疑われる場合”の定義は」
「最近、処理場で魔力暴走事故がありました」
空気が少し凍る。
処理場。
事故。
タイミングが良すぎる。
「関連付けですか」
セドが静かに聞く。
「確認です」
男は即答した。
「事故後、未登録加工品の流通確認を強化しております」
「つまり難癖だな」
ガルドが低く言う。
男は視線を向けた。
「元登録職人のガルド氏ですね」
「……」
「お噂は聞いております」
「嬉しくねぇな」
「優秀な職人だったとか」
ガルドの空気が冷える。
ロイドが一歩前へ出た。
「おい」
「何でしょう」
「うちの職人に変な探り入れんな」
男は少しだけ肩をすくめた。
「失礼しました」
だが、目は笑っていない。
セドは静かに言った。
「提出自体は可能です」
「セド」
ロイドが眉をひそめる。
「ただし」
セドは続けた。
「検査内容、保管期間、返却条件を書面化してください」
男の笑みが少し薄くなる。
「……慎重ですね」
「商品ですので」
「組合を信用していない?」
「信用と記録は別です」
男は数秒、セドを見ていた。
それから、小さく笑う。
「分かりました。後日、正式書類を持参します」
「お願いします」
「では、本日は失礼を」
二人は軽く頭を下げ、店を出ていった。
扉が閉まる。
沈黙。
数秒後。
「……胃が痛ぇ」
ロイドが本気で言った。
「分かる」
ガルドが珍しく即答する。
ミラは小さく息を吐いた。
「面倒」
「ほんとにな」
ロイドは椅子へ座り込む。
「お前らよく平然としてられるな」
「慣れです」
セドが言う。
「慣れたくねぇよ!」
ロイドが叫ぶ。
ニコたちは少し不安そうだった。
「……大丈夫なの?」
リナが聞く。
セドは頷く。
「今のところは」
「今のところって怖い」
「ですが、こちらも準備しています」
トマが腕を組む。
「でも、組合って強いんだろ」
「強いです」
「勝てんの?」
セドは少しだけ考えた。
「正面からは無理です」
「おい」
ロイドが顔をしかめる。
「そこはもう少し希望持たせろ」
「ですが、正面から戦う必要はありません」
セドは静かに続ける。
「こちらは小さい」
「うん」
「だからこそ、隙間を通れます」
「隙間?」
「組合が拾わないもの。見落とすもの。価値なしと切り捨てたもの」
一拍。
「そこを繋げる」
ロイドは少し黙った。
それから、小さく笑う。
「……ほんと、お前らしいな」
「そうでしょうか」
「真正面からぶつからずに、横から道作る」
「潰されないためです」
「でも、それだけじゃねぇだろ」
ロイドは店を見る。
灯り石。
魔石片。
子供たち。
ミラ。
ガルド。
「お前」
一拍。
「ちゃんと、この店を大きくしようとしてる」
セドは少しだけ止まった。
言葉が、静かに胸へ落ちる。
「……はい」
短い返答。
だが、そこには確かな意志があった。
以前は違った。
最初は、ルイスのためだった。
外へ繋ぐ道を作るため。
王城の外に居場所を作るため。
けれど今は。
この店そのものを守りたいと思っている。
ロイドの笑い声。
ミラの検品。
ガルドの文句。
子供たちの声。
全部が、少しずつ積み上がっていた。
その時。
店の外を、また黒い鳥の紋章の荷車が通った。
だが今回は、一台だけではない。
五台。
しかも護衛付き。
「……増えてる」
ミラが小さく言う。
セドの目が細くなる。
荷車は工房街の奥――組合本部側へ向かっていた。
「組合と繋がってるのか?」
ロイドが聞く。
「分かりません」
セドは静かに答える。
「ですが」
一拍。
「嫌な流れです」
荷車は静かに通り過ぎていく。
音が少ない。
静かすぎる。
まるで、王都の裏側を滑る影みたいだった。
そして。
セドは気づいていた。
最後尾の荷車の横。
黒い外套の男が、こちらを見ていたことに。
目が合う。
ほんの一瞬。
男は、わずかに笑った。
次の瞬間には、荷車と共に消えていた。
ロイドが顔をしかめる。
「……いたな」
「はい」
「絶対関わりたくねぇ」
「同感です」
だが、向こうはもうこちらを見ている。
組合。
黒い鳥の紋章。
黒外套。
王都の流れが、確実に動き始めていた。
そして、その流れの中に。
小さな灯り石の店も、もう巻き込まれ始めていた。




