第21話
王都の朝は早い。
特に、働く者たちの朝は。
空が白み始める頃には、すでに工房街には金属音が響いている。
荷車が石畳を鳴らし、店主たちは扉を開け、職人たちは火を入れる。
そして、ロイドの店にもまた、朝が来ていた。
「……眠ぃ」
ロイドが机に突っ伏した。
帳簿の上だ。
インクが危ない。
「寝癖つく」
ミラが淡々と言う。
「もうついてる」
ガルドが鼻で笑った。
「ひでぇ顔だぞ」
「うるせぇ……」
ロイドは顔を上げた。
目の下には薄く隈がある。
組合提出用の書類。
販売管理。
買い取り記録。
ここ数日で一気に仕事が増えた。
だが、不思議と嫌ではない。
「……昔は」
ロイドがぼそりと言う。
「店開けるのも面倒だったんだけどな」
ミラが顔を上げる。
「今は?」
「忙しすぎる」
「質問に答えてない」
「……悪くねぇよ」
ロイドは苦笑した。
「忙しいけどな」
ガルドが肩をすくめる。
「止まってるよりはマシだろ」
「まぁな」
そこへ、奥からセドが出てくる。
紙束を抱えていた。
いつも通りだ。
眠そうな様子もない。
疲れている気配も薄い。
だからこそ怖い。
「お前、ちゃんと寝たか?」
ロイドが聞く。
「はい」
「何時間」
「二時間ほど」
「寝てねぇじゃねぇか!!」
ロイドの声が店に響いた。
ミラも眉を寄せる。
「少ない」
「問題ありません」
「ある」
ガルドが即答した。
「倒れたら終わるぞ」
「終わりません」
「終わるんだよ!」
ロイドが机を叩く。
「お前、自分が止まった時の影響軽く見すぎだ!」
セドは少しだけ黙った。
その反応が、逆に周囲を苛立たせる。
「セド」
ロイドが低く言う。
「お前、何でも一人で抱えすぎだ」
「必要なことをやっています」
「それが問題だっつってんだよ」
ロイドは立ち上がった。
「販売管理、買い取り、材料、組合対応、書類整理。全部お前中心じゃねぇか」
「現時点では、それが効率的です」
「効率で人間動かすな」
店の空気が少し静かになる。
ガルドも黙った。
ミラはセドを見ている。
ロイドは続けた。
「今は回ってる。けどな」
一拍。
「お前が倒れた瞬間、全部止まる」
セドの目がわずかに揺れた。
「……」
「だから分けろ」
「分担しろ」
「頼れ」
ロイドの声は強い。
「店ってのは、一人で回すもんじゃねぇ」
その言葉に、セドは少しだけ視線を落とした。
沈黙。
それを破ったのは、ミラだった。
「販売、ロイド」
「おう」
「加工管理、私」
「任せろ」
「材料選別、ガルド」
「やる」
三人の視線が、セドへ向く。
ミラが言った。
「だから、分ける」
セドは少しだけ目を閉じた。
考えている。
いや、迷っている。
ロイドはそれを見逃さなかった。
「お前なぁ……」
苦笑する。
「頼るの下手すぎるだろ」
「……」
「何でも自分で抱えるやつ、商売向いてねぇぞ」
「それはロイドさんもでは?」
「俺は最近学んだ!」
ロイドが即答した。
「学んだから言ってんだよ!」
ガルドが吹き出した。
「説得力あんなぁ」
「うるせぇ」
少しだけ、空気が柔らかくなる。
セドは静かに息を吐いた。
「……分かりました」
「お」
「販売管理をロイドさんへ。加工管理をミラへ。材料分類をガルドさんへ共有します」
「共有じゃねぇ」
ロイドが言う。
「任せろ」
セドは少しだけ止まる。
そして。
「……任せます」
その言葉に、ロイドはようやく満足そうに頷いた。
「よし」
ミラも小さく頷く。
「それでいい」
ガルドは鼻を鳴らした。
「最初からそうしとけ」
セドは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ肩の力が抜けていた。
その日の昼。
買い取り窓口には、また数人の子供たちが来ていた。
ニコ。
リナ。
トマ。
そして、新しい顔もいる。
「並べ」
ガルドが低く言う。
子供たちが慌てて魔石を机へ置く。
「これは駄目」
ミラが即座に弾いた。
「えぇ!?」
「割れ方が危ない」
「でも光るよ!?」
「光るだけ」
ミラは淡々と言う。
「熱暴走する」
子供たちが一斉に引いた。
「ば、爆発するの!?」
「小さい」
「するんじゃねぇか!」
ロイドが吹き出す。
ミラは少し考えた。
「爆発というより、破裂」
「言い換えても怖ぇよ!」
リナが袋を抱えて震える。
「こわ……」
ミラは少しだけ首を傾げた。
「……怖がらせた?」
「今さらかよ」
ガルドが呆れる。
だが、その空気は悪くない。
最初より、ずっと自然だった。
子供たちも、完全には警戒していない。
「これ、どうやって見分けるの?」
トマが聞く。
ガルドが石を持ち上げる。
「ヒビの色」
「色?」
「普通は白っぽい。危ないやつは青黒い」
「ほんとだ……」
「あと、触った時に妙に熱いのも捨てろ」
「熱いってどれくらい?」
「火傷する前くらい」
「分かんないよ!」
ロイドが笑った。
「そりゃそうだ」
ガルドも少しだけ笑う。
「まぁ、慣れだな」
「それ職人の言い方!」
ニコが言う。
ガルドは肩をすくめた。
「職人だからな」
ミラが別の石を見る。
「これは良い」
「ほんと!?」
リナの顔が明るくなる。
「うん。光の通りが綺麗」
「……光の通りって何?」
ミラは少し黙った。
言葉を探している。
「……綺麗に光る」
「最初からそう言って!」
ロイドが吹き出した。
ミラは少し不満そうだった。
「同じ意味」
「違ぇよ」
その時。
店の表側で、小さなざわめきが起きた。
ロイドの顔が引き締まる。
「……来たか?」
セドが静かに表へ向かう。
扉を開ける。
そこには、見覚えのある男が立っていた。
組合の男。
だが、今日は一人だった。
「お忙しいところ失礼します」
笑み。
相変わらず崩れない。
「本日は書類の途中確認に」
「予定より早いですね」
セドが言う。
「仕事が早いもので」
「そうですか」
男の視線が店内を滑る。
そして、子供たちを見た。
「……なるほど」
その一言だけで、空気が変わる。
ニコたちが緊張する。
ロイドが一歩前へ出た。
「何だ」
「いえ」
男は笑う。
「随分と、地域に根差した活動をされているようで」
「嫌味か?」
「まさか」
男は穏やかに答える。
「子供に仕事を与えるのは、立派なことです」
ガルドの空気が一瞬で冷えた。
「おい」
低い声。
「言い方気をつけろ」
「事実では?」
「違う」
今度はセドが答えた。
「こちらは材料買い取りです。労働契約ではありません」
「ですが、継続的な金銭授受があります」
「買い取りですので」
「継続的に」
「はい」
男の笑みが深くなる。
「ならば、組合管理外の未成年労働と解釈される可能性があります」
空気が止まった。
ロイドの顔が険しくなる。
ガルドが今にも前へ出そうになる。
ミラは静かに子供たちを後ろへ下げた。
「……つまり」
ロイドが低く言う。
「難癖つけに来たってことか」
「確認です」
男は笑う。
「市場の健全化のための」
セドは男を見ていた。
静かに。
冷静に。
そして、ゆっくり口を開く。
「では、こちらも確認します」
男の眉がわずかに動く。
「何をでしょう」
「未成年労働の定義です」
「……」
「組合規定の何条に該当しますか」
男の笑みが、ほんの少しだけ止まる。
セドは続けた。
「こちらは雇用契約を結んでいません。勤務時間指定もありません。加工作業への従事もありません。あくまで、拾得物の買い取りです」
「継続性があります」
「継続性だけでは労働契約になりません」
静かな声。
だが、一歩も引かない。
「それとも組合は、子供が廃品回収をして換金する行為すべてを規制しているのでしょうか」
男の目が細くなる。
「……お詳しい」
「必要ですので」
またその言葉。
だが今度は、ロイドが少し笑いそうになった。
組合の男は数秒沈黙した。
それから、また笑みを戻す。
「確認ですよ」
「こちらも確認です」
「警戒心が強い」
「子供を巻き込みたくありませんので」
男はニコたちを見る。
ニコは少し怯えていた。
リナはミラの後ろへ隠れている。
トマは睨み返していた。
男は小さく息を吐く。
「……本日は確認のみです」
「そうですか」
「ただし、正式な判断は組合上層部になります」
「承知しています」
「では」
男は軽く頭を下げ、店を出ていった。
鈴の音。
沈黙。
数秒後。
「はぁぁぁぁ……」
ロイドが盛大に息を吐いた。
「胃が痛ぇ」
「軟弱」
ガルドが言う。
「うるせぇ、お前は血の気が多すぎんだよ」
ミラは静かに子供たちを見る。
「怖かった?」
リナがこくこく頷く。
「うん……」
ニコも小さく言った。
「あの人、笑ってるのに怖い」
「分かる」
ロイドが即答した。
「すげぇ分かる」
トマがぼそりと言う。
「でも、セドの方が怖かった」
「え?」
ロイドが吹き出した。
「分かるわ」
「なんでですか」
セドが珍しく本気で不思議そうな顔をした。
ガルドが笑う。
「お前、自覚ねぇのか」
「ありません」
「そこが怖ぇんだよ!」
店の中に、小さな笑いが広がった。
組合は厄介だ。
圧も強い。
だが。
少なくとも今、この店はまだ折れていない。
セドは静かに扉を見る。
組合は、まだ来る。
もっと強く。
もっと深く。
なら。
こちらも、準備を進めるだけだ。
小さな灯りは、もう一つではない。
人が集まり始めている。
そして、その中心は。
少しずつ、“店”になり始めていた。




