第17話
灯り石は売れた。
だが、売れたからこそ問題が増えた。
王都の外れにあるロイドの店は、昨日までとは明らかに違う空気をまとっていた。
朝の時点で、すでに通りを歩く者たちの視線が店へ向く。
中には、わざとゆっくり歩いて看板を見る者もいる。
買いに来た者。
噂を確かめに来た者。
ただ覗きに来ただけの者。
そして――監視に来た者。
セドは店の奥から、それらを一つずつ見ていた。
「……客じゃないのが混じってるな」
ロイドが低く言う。
彼も気づいていた。
昨日までなら、ただ人が来ただけで浮かれていたかもしれない。
けれど今は違う。
売れたからこそ、見られている。
その怖さを、肌で理解し始めている。
「はい」
セドは短く答えた。
「右手の煙草屋の前にいる男。三度目の通過です」
「買う気は?」
「ありません」
「だろうな。ああいう目は、客の目じゃねぇ」
ロイドは苦い顔で笑った。
「店やってると分かるんだよ。買うやつは商品を見る。迷うやつは値段を見る。疑うやつは俺を見る」
「では、あの男は?」
「全部じゃない。店の奥を見てる」
ロイドの声が低くなる。
「つまり、何を売ってるかより、誰が動いてるかを見てる」
「正解です」
「嬉しくねぇ正解だな」
ロイドは肩をすくめた。
その奥では、ミラとガルドが作業台を挟んでまた小さく言い合っていた。
「だから、その削り方だと光が散る」
「散らした方が広がるんだよ」
「広がるのと逃げるのは違う」
「分かってる。逃がさないために、この角度にしてる」
「その角度だと耐久が落ちる」
「落ちねぇ。石の目を見ろ」
「見てる」
「見てねぇ。設計図じゃ分からない癖があるって昨日も言っただろ」
「だから三段階に分けた」
「分けた上で言ってるんだよ」
ロイドがちらりとそちらを見る。
「……あいつら、本当に大丈夫か?」
「大丈夫です」
セドは即答した。
「言い合っているうちは、品質は落ちません」
「黙ったら?」
「危険です」
「なるほどな。じゃあ、うるさい方がマシか」
「はい」
ロイドは小さく笑った。
だが、すぐに表情を引き締める。
「で、材料はどうする」
それが今日の問題だった。
客は来る。
商品も売れる。
職人も増えた。
だが、材料が足りない。
下級魔石。
工房端材。
廃棄扱いになる小さな欠片。
それらは一見、価値が低いように見える。
けれど、今の灯り石には必要不可欠だった。
「材料屋に行きます」
セドが言う。
ロイドの顔が険しくなる。
「正面からか?」
「はい」
「止められるぞ」
「止められるでしょう」
「じゃあ、どうする」
「止められる理由を確認します」
ロイドは眉をひそめた。
「買いに行くんじゃなくて?」
「買えれば買います」
「買えなかったら?」
「相手が何を理由に断るかを持ち帰ります」
ロイドは少し黙った。
それから、呆れたように息を吐く。
「……お前、最初から喧嘩する気じゃないんだな」
「今はまだ」
「今は、か」
「はい」
ロイドはその言葉の意味を理解して、少しだけ口元を歪めた。
「分かった。なら一つ教えてやる」
「お願いします」
「王都西区の材料屋、ベンソン商店には気をつけろ」
「理由は?」
「表向きは誰にでも売る。だが、組合の息がかかってる」
「証拠は」
「ない」
ロイドは即答した。
「でも、分かる。俺も昔、値段を吊り上げられた。理由を聞いたら、在庫不足だの品質調整だの言われたが、翌日には大手商会へ普通に流してた」
「なるほど」
「こっちの足元を見るのが上手い。あと、店主が笑う時は大体ろくでもない」
「覚えておきます」
「セド」
ロイドの声が、少しだけ低くなる。
「一人で行くのか」
「その予定です」
「危なくないか」
「危険はあります」
「それでも行く?」
「はい」
即答。
ロイドはしばらくセドを見ていた。
「……お前、たまに怖いな」
「よく言われます」
「そうじゃねぇ」
ロイドは腕を組んだ。
「無茶を無茶って顔でしないところが怖いんだよ」
「無茶ではありません」
「お前にとっては、だろ」
セドは答えなかった。
ロイドは小さく息を吐く。
「まあいい。止めても行くだろうしな」
「はい」
「そこは否定しろ」
「嘘になります」
「本当に面倒なやつだな」
ロイドは笑った。
その笑いには、少しだけ親しみが混じっていた。
セドはそれを受け流し、店の奥へ向かう。
「ミラ」
「何」
「材料屋へ行きます。必要な石の条件をもう一度」
ミラは手を止めずに答えた。
「粒が均一すぎるものはいらない」
「理由は」
「高いから」
「他には」
「多少ばらつきがあってもいい。でも中に濁りが強いものは駄目。光が鈍る」
ガルドが横から口を挟む。
「濁りは多少なら削れる」
「削る時間が増える」
「全部捨てるよりマシだろ」
「量産には向かない」
「だから下処理で分けるって言ってんだよ」
「……」
ミラは一瞬黙った。
そして、小さく頷く。
「濁り小なら可」
ガルドがにやりと笑う。
「ほら見ろ」
「調子に乗らないで」
「乗るほどじゃねぇよ」
セドは二人のやり取りを聞きながら、簡潔に紙へ記録した。
必要条件。
許容範囲。
避けるべき品。
量。
価格上限。
それらをまとめ、懐へしまう。
「では行ってきます」
「セド」
今度はミラが呼び止めた。
「はい」
「高く買わないで」
「承知しています」
「でも、安く買い叩かないで」
ロイドとガルドが少しだけ目を向ける。
ミラは表情を変えない。
「材料にも、出した人にも価値がある。安くしすぎると、どこかが歪む」
セドは一瞬だけ沈黙した。
そして、静かに頷く。
「覚えておきます」
「うん」
ミラはそれだけ言うと、また作業へ戻った。
ロイドが小さく笑う。
「お前も大変だな、セド」
「はい」
「否定しねぇんだな」
「事実ですので」
そのやり取りを最後に、セドは店を出た。
ベンソン商店は、王都西区の中でも表に近い場所にあった。
裏通りの埃っぽさは少ない。
だが、完全に綺麗というわけでもない。
表と裏の境目。
そういう場所だ。
店の前には、材料箱が整然と並んでいる。
魔石片。
鉱石。
魔導金属の小片。
高価なものは奥にしまわれ、安価なものほど表に置かれている。
セドは一目で分かった。
並びが整いすぎている。
客に選ばせているようで、実際には店側が見せたいものしか見せていない。
「いらっしゃいませ」
店内から、柔らかな声がした。
中年の男。
身なりは整っている。
人当たりの良さそうな笑み。
だが、目は笑っていない。
「何をお探しで?」
「下級魔石の欠片を」
「用途は?」
「灯り石です」
男の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「灯り石ですか。最近、よく聞きますね」
「そうですか」
「ええ。外れの方で、少し面白いものが出ているとか」
「詳しいですね」
「商売ですから」
男は笑う。
「情報は大切です」
「同感です」
セドは店内を見回す。
「小粒でばらつきのあるものを探しています。濁りが強すぎるものは避けたい」
「ずいぶん具体的ですね」
「必要ですので」
「なるほど」
男は棚の奥へ向かい、箱を一つ出してきた。
蓋を開ける。
中には魔石片が並んでいた。
質は悪くない。
だが、価格次第だ。
「こちらなど、いかがでしょう」
「価格は」
男が提示した金額を聞いて、セドは一瞬だけ沈黙した。
高い。
明らかに。
「相場より高いですね」
セドが言う。
男は笑みを崩さない。
「品質が良いので」
「求めている用途には過剰品質です」
「しかし、良いものを使うに越したことはありません」
「こちらは高級品を作るわけではありません」
「それは、買う側が決めることでは?」
柔らかい言い方。
だが、棘がある。
セドは男を見る。
「では、別のものを」
「申し訳ありません。ただいま在庫が少なくて」
「表に箱がありました」
「あれは予約分です」
「どちらの」
「お客様の情報はお伝えできません」
「では、この店では買えないと?」
「いいえ、買えます」
男は笑う。
「適正な価格であれば」
セドは理解した。
断られている。
ただし、断る形を取っていない。
買いたければ高く買え。
嫌なら帰れ。
そう言われているのと同じだった。
「……なるほど」
セドは箱から一つ石を取る。
指先で軽く転がし、光を見る。
「良い石です」
「ありがとうございます」
「ですが、今の価格では買えません」
「残念です」
「残念そうには見えませんが」
「商人ですので」
男は笑みを保つ。
セドは石を戻した。
「では、本日は失礼します」
「またのお越しを」
セドが出口へ向かう。
その背中に、男が声をかけた。
「若い方」
セドは止まる。
「何でしょう」
「商売は、勢いだけでは続きませんよ」
「承知しています」
「特に、組合の流れを外れた商売は、長続きしない」
セドはゆっくり振り返った。
男はまだ笑っている。
「忠告です」
「ありがとうございます」
「素直ですね」
「必要な情報でしたので」
セドは軽く頭を下げ、店を出た。
外の空気を吸う。
「……確認完了」
小さく呟く。
やはり、材料は止められる。
なら次だ。
正面が駄目なら、横から入る。
大手が押さえる流通ではなく、こぼれ落ちる端材。
工房の廃棄。
地方からの細い流れ。
それらを繋ぐ。
面倒だ。
時間もかかる。
だが、不可能ではない。
その頃。
王城の書庫で、ルイスは同じ問題に辿り着いていた。
「……材料供給」
小さく呟く。
目の前には、王都商業組合に関する古い資料が広げられている。
組合を通すことで、品質と価格を安定させる。
表向きはそう書かれている。
けれど、その横にある過去の苦情記録には別の現実が見えていた。
小規模工房の材料不足。
価格吊り上げ。
特定商会への優先供給。
「……やっぱり」
ルイスは紙に書き込む。
材料屋が止められる可能性。
大手経由の供給は危険。
端材、廃棄、地方商人。
そして、もう一つ。
「王城の廃棄魔石……」
王城では儀式、訓練、照明、魔道具実験などで多くの魔石が使われる。
完全に使い切られないものもある。
欠片として捨てられるものもある。
以前なら、そんなものに目を向けなかった。
価値がないと思っていたからだ。
「でも、価値がないんじゃない」
ルイスは呟く。
「価値を見ていなかっただけだ」
足元の影が揺れた。
ノクスの気配。
――捨てられたものを見るのね。
「うん」
ルイスは影を見る。
「今の僕には、それくらいしかできないから」
――それくらい?
「……言い方が悪かった」
少しだけ苦笑する。
「捨てられたものの中に、使えるものがあるなら、それを見つけたい」
影が静かに揺れる。
――人も、石も。
「そうかもしれない」
ルイスは筆を握り直す。
「埋もれた人。捨てられた材料。見向きもされない店」
一拍。
「それを繋げたら、何かになる」
ノクスは答えない。
ただ、影はそこにあった。
ルイスは紙に一つ書き足した。
王城廃棄魔石の管理記録。
「……調べよう」
その声は小さい。
けれど、迷いはなかった。
夕方。
ロイドの店に戻ったセドは、状況を短く報告した。
「材料屋は駄目です」
開口一番だった。
ロイドは「ああ」と頷く。
「やっぱりか」
「価格を吊り上げられました」
「ベンソンだろ」
「はい」
「あの野郎、変わってねぇな」
ガルドが苛立ったように工具を置く。
「俺も昔やられた。必要な時に限って在庫がないって言いやがる」
ミラが静かに言う。
「じゃあ、別経路」
「はい」
セドは頷く。
「工房端材、廃棄魔石、地方商人を探ります」
「時間かかるな」
ロイドが言う。
「かかります」
「三十日しかねぇぞ」
「承知しています」
「……その上でか」
「はい」
空気が重くなる。
だが、誰も止めようとは言わなかった。
止めるという選択は、もうこの場にはない。
その時、店の裏口が小さく叩かれた。
全員の動きが止まる。
ロイドが声を潜める。
「……客じゃねぇな」
セドが頷く。
「私が出ます」
裏口へ向かう。
開ける。
そこにいたのは、小柄な少年だった。
服は粗末。
年は十歳前後。
抱えている袋は重そうだった。
「……ここ、灯り石の店?」
少年が警戒しながら聞く。
「そうです」
セドは答える。
「何の用ですか」
少年は袋を少しだけ持ち上げた。
「これ、買ってくれる?」
袋の中には、小さな魔石の欠片が入っていた。
セドの目が細くなる。
「どこで手に入れました」
「言わなきゃ駄目?」
「盗品なら買えません」
「盗んでない!」
少年が慌てて言う。
「拾ったんだ。廃棄場で。王城じゃないよ。工房の外」
ガルドが後ろから覗き込む。
「見せろ」
少年は一瞬怯えたが、袋を開けた。
ガルドが一つ取り出す。
見る。
「……使える」
ミラも近づき、一つ手に取る。
「濁りはある。でも、小さい灯りなら可能」
ロイドがセドを見る。
「……来たな」
「はい」
偶然ではない。
噂が広がった結果だ。
売れる店がある。
買ってくれるかもしれない場所がある。
そう思った者が、材料を持ってきた。
流れが、逆に生まれ始めている。
セドは少年を見る。
「名前は」
「……ニコ」
「ニコ。これは買います」
少年の顔が明るくなる。
「本当!?」
「ただし、次からはどこで拾ったかを確認します。危険な場所なら止めます」
「……危険でも?」
「命の方が高い」
セドの声は静かだった。
少年は少し黙った。
そして、小さく頷く。
「分かった」
セドは適正より少し高い額を渡した。
ロイドが目を向ける。
セドは静かに言う。
「情報料込みです」
「なるほどな」
ニコは金を握りしめ、何度も頭を下げて走っていった。
裏口が閉まる。
しばらく沈黙。
最初に口を開いたのは、ミラだった。
「拾う人がいるなら、集まる」
ガルドが頷く。
「でも、放っておくと怪我人が出る」
ロイドが腕を組む。
「買い取り窓口を作るか」
セドは静かに頷いた。
「はい。ただし、条件付きで」
「盗品禁止」
「危険区域禁止」
「品質別価格」
「持ち込み記録」
全員が次々に言う。
そして、顔を見合わせた。
ロイドが笑う。
「……なんか、商会っぽくなってきたな」
セドは少しだけ目を伏せる。
「まだ名前もありません」
「名前か」
ロイドが呟く。
「必要だな、そのうち」
セドは答えなかった。
けれど、頭の中に一つの言葉が浮かんでいた。
灯火。
ルイスが書いた、あの言葉。
まだ表には出さない。
だが、確かにそこにある。
小さな灯りは、売れるだけでは終わらない。
人を呼び、材料を呼び、流れを作り始めている。
それはまだ細い。
すぐ切れるほど細い。
だが、確かに繋がった。
セドは静かに息を吐く。
「では、次の仕事です」
ロイドが苦笑した。
「休む暇ねぇな」
「三十日しかありませんので」
「はいはい、分かってるよ」
ミラはすでに魔石を選別し始めていた。
ガルドは少年が持ってきた石を見ながら、低く呟く。
「……捨てられた石が、灯りになるか」
その声に、少しだけ感情が混じっていた。
セドはそれを聞いていた。
そして、思う。
捨てられたものを拾い、磨き、灯す。
それは、きっとこの商いの芯になる。
ルイスが目指す王の形にも、近い。
外で灯りが集まり始めた頃。
王城の書庫でも、一人の少年が同じ答えに近づいていることを、セドはまだ知らなかった。




