第16話
王都の朝は、昨日より少しだけざわついていた。
それは大きな騒ぎではない。
誰かが叫んでいるわけでも、兵士が走っているわけでもない。
ただ、いつもより人の流れが一方向へ寄っている。
ほんの少し。
けれど、見る者が見れば分かる程度には。
「……来てるな」
ロイドは店の奥から外を見て、低く呟いた。
まだ販売時間前だというのに、店の前にはすでに数人が立っていた。
昨日買った者が、誰かに話したのだろう。
それとも、近所の誰かが明るさの違いを見て気づいたのか。
理由は一つではない。
だが、結果は同じだ。
人が来ている。
買うかどうかは、まだ分からない。
けれど、足を運ばせることには成功していた。
「……昨日まで閑古鳥だった店とは思えねぇな」
ロイドが自嘲気味に笑う。
その横で、ミラは灯り石の検品を続けていた。
返事はない。
作業台の上に並べられた改良型灯り石を一つずつ確認し、光量、魔力の通り、外殻の歪みを見ている。
「おい、聞いてるか?」
「聞いてる」
「なら何か言えよ」
「手を止めたら数が減る」
「……正論だな」
ロイドが苦笑すると、別の場所からガルドの声が飛んできた。
「おい、ミラ。こっちの三つ、外殻の癖が違う。お前の設計通りに削ったら割れるぞ」
「見せて」
「ほら」
ガルドが石を渡す。
ミラはそれを受け取り、光にかざした。
わずかに目を細める。
「……確かに違う」
「だろ」
「でも、割れるほどじゃない」
「割れる。お前は流れだけ見すぎだ。石そのものの癖を見ろ」
「見てる」
「見てねぇから言ってんだよ」
空気が少し熱くなる。
ロイドが顔をしかめた。
「朝からやめろ。客が外にいるんだぞ」
「客に聞かせるつもりはない」
ミラは淡々と答える。
「でも、間違ったまま出すつもりもない」
「俺は間違ってるとは言ってねぇ。量産にそのまま流すと危ねぇって言ってる」
ガルドが石を指で叩く。
「同じ形に削ればいいってもんじゃねぇ。魔石は生き物じゃないが、全部が同じでもねぇんだよ。癖がある。割れ方も、光り方も、魔力の抜け方も違う」
「それは分かってる」
「なら手順を増やせ」
「増やせば数が落ちる」
「落ちても不良を出すよりマシだ」
「不良は出さない」
「出る前提で仕組み作れって話だ!」
ミラの手が止まった。
数秒、沈黙が落ちる。
それからミラは、ガルドを見た。
「……それは正しい」
「だろ?」
「でも、言い方が悪い」
「内容が正しけりゃいいだろ」
「作業場の空気が悪くなる」
「お前が言うな」
ロイドが思わず吹き出しそうになったが、すぐに咳払いで誤魔化した。
「お前ら、ほんと相性悪いのか良いのか分からねぇな」
「悪い」
「悪いな」
二人が同時に言った。
セドはそれを横目で見ていた。
止めない。
今の衝突は必要なものだ。
ミラは設計で全体を整える。
ガルドは素材の癖を手で読む。
ぶつかるのは当然だった。
むしろ、ぶつからない方が危険だ。
互いに遠慮すれば、不良が出る。
粗が残る。
そして、それはすぐに客へ届く。
今、この店が売っているのは単なる灯り石ではない。
信用だ。
一度でも粗悪品を出せば、安物だからその程度だと言われる。
それだけは避けなければならない。
「では、手順を一つ増やしましょう」
セドが静かに口を開いた。
三人の視線が向く。
「下処理の段階で、ガルドさんが石の癖を三段階に分けてください」
「三段階?」
「はい。標準、調整必要、廃棄候補」
ガルドは少し考える。
「……悪くねぇ。全部同じ棚に置くよりはマシだ」
ミラが頷く。
「調整必要分は、私が見る」
「いや、そこは俺が見る。お前は最終確認に集中しろ」
「私の設計に関わる」
「だから俺が下処理で整えるって言ってんだろ」
「信用できない」
「お前なぁ」
また空気が熱くなる。
セドはわずかに目を細めた。
「二人で確認してください」
二人が同時にセドを見る。
「時間がかかる」
ミラが言う。
「喧嘩している時間よりは短いです」
数秒。
ロイドが今度こそ笑った。
「セド、お前たまに容赦ねぇな」
「必要ですので」
「出たよ」
ガルドが肩をすくめる。
「まあ、いい。最初だけ二人で見る。それで基準を合わせる」
「……分かった」
ミラも頷いた。
セドはそれを確認してから、ロイドへ視線を向ける。
「販売開始まで、あとどれくらいですか」
「半刻もねぇな」
「本日の販売数は制限します」
「やっぱりか」
「はい。在庫をすべて出す必要はありません」
「出した方が金になるぞ」
「今日だけなら」
セドの返答に、ロイドは黙る。
もう理解している顔だった。
「……明日も売るためか」
「はい」
「品切れを演出するのか?」
「半分はそうです」
「半分?」
「もう半分は、品質維持です」
セドは作業台を見る。
「今はまだ生産体制が不安定です。売れるだけ売れば、必ず無理が出ます」
「……無理をすれば粗が出る」
「はい」
「粗が出れば信用を落とす」
「その通りです」
ロイドは腕を組み、深く息を吐いた。
「商売ってのは、売れりゃいいってもんじゃねぇんだな」
「売れることは重要です」
「分かってる。けど、売れすぎても怖いって話だろ」
「はい」
ロイドは店の外へ目をやる。
列は少し増えている。
期待。
興味。
それが外にある。
だが、その奥には別のものもある。
噂。
警戒。
監視。
「……セド」
「はい」
「今日、何か来ると思うか」
「来ます」
即答だった。
ロイドの眉が動く。
「断言かよ」
「昨日の段階で、ダリオ側は動きを確認しています。組合側も見ています。今日、何も起きないと考える方が不自然です」
ミラの手が止まる。
ガルドも視線を上げた。
「組合が来るか」
「可能性はあります」
セドは答える。
「直接ではなく、様子見でしょう」
「嫌なやり方だ」
ガルドが吐き捨てる。
「自分の手は汚さず、こっちが転ぶのを待つ。あいつらの好きそうなことだ」
「詳しいですね」
「詳しくもなる。何度も踏まれたからな」
ガルドは石を一つ拾い、指先で転がした。
「来るなら来いって話だ。今度は黙って潰されるつもりはねぇ」
「その気持ちは分かりますが、勝手に動かないでください」
「分かってるよ」
「本当に?」
ミラが横から言う。
「何だよ」
「すぐ怒りそう」
「お前に言われたくねぇ!」
「私は怒らない」
「嘘つけ!」
「怒る前に切る」
「もっと悪いだろ!」
ロイドが額に手を当てる。
「……頼むから客前でやるなよ」
「善処する」
「善処って言うやつは大体やるんだよ」
その時、扉の外で声が上がった。
「開店まだか?」
「今日は買えるんだろ?」
「昨日は売り切れてたって聞いたぞ」
ロイドが顔を引き締める。
「……始めるぞ」
セドが頷いた。
「はい」
ミラとガルドも、それぞれ作業を止める。
店の空気が変わる。
ロイドは扉の前に立ち、深く息を吸った。
昨日までの彼なら、ここで迷っていたかもしれない。
人が来ないことに慣れすぎて、人が来ることに怯えていたかもしれない。
だが今は違った。
彼の目には、確かな火が戻っている。
「開けるぞ」
扉が開いた。
鈴が鳴る。
人の声が流れ込む。
「順番だ! 押すなよ!」
ロイドの声が響く。
「本日の販売数には限りがある! ただし、明日以降も継続して出す! 焦って壊すな、こっちが困る!」
「壊すなってなんだよ!」
「こっちの台詞だ!」
客の一人が笑う。
空気が少し柔らかくなる。
ロイドはうまい。
怒鳴っているようで、客を遠ざけてはいない。
むしろ、その荒さが王都の外れには合っている。
「新しい灯り石ってこれか?」
「ああ。見ていけ。今までのと比べろ」
「安いって聞いたぞ」
「安い。だが雑には作ってねぇ」
「本当か?」
「疑うなら見ろ。ここで点ける」
ロイドが灯り石を点ける。
柔らかい光が広がる。
客の声が変わった。
「……おお」
「明るいな」
「小さいのに」
「これでこの値段か?」
「今はな」
「今は?」
ロイドがにやりと笑う。
「評判が広がったら分からん」
「おいおい、先に買えってことかよ」
「賢いやつはそうする」
笑いが起きる。
売れていく。
一つ。
二つ。
三つ。
金が動く。
品が動く。
人が動く。
ミラは少し離れた場所から、客が手に取る様子を見ていた。
ガルドも同じだ。
「……雑に扱うなよ」
ガルドが小さく呟く。
ミラがちらりと見る。
「心配?」
「当たり前だろ。作ったもんを落とされたら腹立つ」
「分かる」
「……お前もそういう顔するんだな」
「どういう意味」
「いや、職人っぽい顔」
「最初から職人」
「そうだったな」
少しだけ空気が柔らかくなる。
だが、セドの視線は外へ向いていた。
客の中に、買う気のない者がいる。
見るだけの者。
価格を聞くだけの者。
そして、店内の配置や人員を確認する者。
いる。
一人ではない。
「ロイドさん」
「何だ」
「左奥の男には売らないでください」
ロイドは一瞬だけ視線を動かす。
客の中にいる細身の男。
明らかに商品ではなく、店を見ている。
「理由は?」
「買いに来ていません」
「……了解」
ロイドはそれ以上聞かない。
客の対応を続けながら、自然にその男を避ける。
男はしばらく店内を眺めていたが、やがて何も買わずに外へ出た。
セドはその背中を目で追う。
やはり。
動いている。
ダリオか。
組合か。
あるいは両方か。
どちらでもいい。
見られているなら、見せるものを選べばいい。
「……セド」
ガルドが低く声をかける。
「今の、組合の下っ端だ」
「ご存じで?」
「ああ。材料屋に圧かける時に何度か見た」
「なるほど」
「どうする」
「何もしません」
「放置かよ」
「はい」
セドは静かに言う。
「今動けば、こちらが警戒していると伝わります」
「もう伝わってるだろ」
「程度の問題です」
ガルドは舌打ちした。
「面倒くせぇ」
「商売とはそういうものです」
「職人に向いてねぇ世界だな」
「だから、売る側が必要です」
その言葉に、ガルドは少しだけ黙った。
「……なるほどな」
販売時間が終わる頃には、用意した分のほとんどが売れていた。
残した分は、品質確認と翌日の見本用。
ロイドはカウンターに手をつき、深く息を吐いた。
「……売れたな」
「はい」
「怖いくらいだ」
「怖がってください」
「お前なぁ」
「売れた時こそ危険です」
セドは店内を見る。
「増産、品質維持、監視への対応。やることが増えました」
「喜んでる暇もねぇか」
「少しは喜んでください」
「どっちだよ」
ロイドが笑う。
その笑いには疲れもあるが、確かな熱もあった。
「……でも、悪くねぇな」
ぽつりと言う。
「久しぶりだ。客の声を聞いて、商品を渡して、金を受け取って……店をやってるって感じがした」
ミラが小さく頷く。
「作ったものが使われるのは、悪くない」
ガルドも肩をすくめた。
「俺はまだ半分も納得してねぇけどな」
「半分はしてるんだ」
ミラが言う。
「うるせぇ」
その時、店の奥の影から、セドが静かに口を開いた。
「次に必要なのは、記録です」
「記録?」
ロイドが顔を上げる。
「はい。今日、何人来たか。何人が買ったか。何を聞かれたか。どこで迷ったか。誰が買わずに帰ったか」
「……また細けぇな」
「必要です」
「だろうと思ったよ」
ロイドは紙を取り出す。
「覚えてる限り書く」
「お願いします」
「セド」
ガルドが声をかける。
「材料屋の件はどうする」
「こちらで動きます」
「俺も行く」
「駄目です」
「なんでだ」
「顔が割れています」
「割れてるからこそ話が早いんだよ」
「揉めるだけです」
「……否定できねぇ」
ミラがぼそりと言う。
「絶対揉める」
「お前まで言うな」
「事実」
ガルドは顔をしかめるが、反論できなかった。
「では、誰が行く」
ロイドが聞く。
セドは少しだけ考える。
「私が行きます」
「一人でか」
「はい」
「危なくねぇか」
「危険はあります」
「おい」
「ですが、必要です」
いつもの言葉。
だが、この場の全員がもう、その重さを分かり始めていた。
セドは必要なら動く。
必要なら危険にも入る。
そして、必要なら引かない。
「……無茶すんなよ」
ロイドが言った。
セドは少しだけ意外そうに目を向ける。
ロイドは照れ隠しのように顔を背けた。
「勘違いすんな。お前が潰れたら、こっちも困るってだけだ」
「承知しています」
「本当に分かってんのかねぇ」
ロイドは苦笑した。
その日の夕方。
王城の書庫で、ルイスは一枚の紙に目を落としていた。
セドから直接届いたものではない。
安全な経路を通した、短い報告。
販売数。
客の反応。
監視の存在。
人材の追加。
材料不足。
文字は簡潔。
だが、そこから伝わるものは多かった。
「……動いてる」
ルイスは小さく呟く。
紙を握る指に、少しだけ力が入る。
自分は城を出ていない。
表には立っていない。
それでも、自分が選んだ一手は確かに外で形になっている。
嬉しい。
同時に怖い。
「……僕も止まれないな」
机の上には、商業組合に関する資料が置かれていた。
今日、気になった箇所には印をつけてある。
材料供給。
下請け職人。
組合による優先販売権。
「材料屋が押さえられるなら、別経路が必要」
小さく呟く。
「廃棄魔石、工房端材、地方商人……」
まだ知識は足りない。
でも、考えることはできる。
その時、足元の影がわずかに揺れた。
ノクスの気配。
――火は広がる。
声が落ちる。
「うん」
ルイスは影を見る。
「でも、広がれば見つかる」
――それでも、灯すのね。
「灯したいんだと思う」
ルイスは静かに答えた。
「王城の光じゃなくて」
一拍。
「誰かの家で使われる、小さな灯りを」
ノクスは答えなかった。
けれど、影がほんの少しだけ柔らかく揺れた気がした。
ルイスは紙を丁寧に折り、机の引き出しへしまう。
そして、もう一度本を開いた。
外ではセドが動いている。
ロイドが売っている。
ミラとガルドが作っている。
なら、自分も。
自分の場所で、積み上げる。
まだ、誰にも知られない。
まだ、誰にも認められない。
それでいい。
今は。
静かな書庫の中で、ルイスは再び文字へ向かった。
小さな灯りは、もう動き始めている。
その光がどこまで届くのか。
誰にも、まだ分からなかった。




