第15話
王城の朝は、いつも通りだった。
それが逆に、不気味だった。
王都では灯り石が動き始めている。
ロイドの店には客が集まり、ミラとガルドは工房で火花を散らし、ダリオ側もこちらを認識した。
確実に流れは変わり始めている。
なのに。
王城だけは、何も変わらない顔をしていた。
「……変な感じだな」
ルイスは廊下を歩きながら、小さく呟いた。
「何がでしょうか」
後ろを歩くセドが答える。
「世界が動いてるのに、ここだけ止まってる感じ」
「王城は変化を嫌いますので」
「嫌いすぎじゃない?」
「だから王城です」
ルイスは苦笑した。
妙に納得してしまう。
貴族たちは、変化を“面倒”として扱う。
特に自分たちに不利益がない限り、現状維持を選ぶ。
それが悪いとは言わない。
実際、それで安定してきたのも事実だ。
けれど。
「……そのせいで、埋もれる人もいるんだろうね」
ぽつりと漏れる。
ガルドの話を思い出していた。
安くて良いものを作ろうとして、潰された職人。
使われない技術。
押し込められた人間。
「はい」
セドは短く答える。
「ですが、王城の人間はそれを“必要な犠牲”として処理します」
「……嫌な言い方だ」
「現実です」
ルイスは少し黙った。
その現実が、少しずつ分かり始めている。
以前なら気づかなかった。
いや、気づこうとしなかった。
自分は王族だったから。
守られる側だったから。
「ルイス様」
「ん?」
「考え込みすぎです」
「顔に出てた?」
「少し」
ルイスは軽く息を吐く。
「難しいな。知れば知るほど、簡単に割り切れなくなる」
「はい」
「……セドは平気なの?」
その問いに、セドは少しだけ間を置いた。
「平気ではありません」
「え」
予想外だった。
思わず足が止まりそうになる。
「君、もっとこう……全部割り切ってるのかと思ってた」
「割り切れるなら、もっと楽です」
セドの声は静かだった。
「ですが、割り切れないから動いています」
ルイスは少しだけ目を見開く。
「……そっか」
初めて聞いた気がした。
セド自身の感情。
いつも必要なことしか言わないから、余計に重い。
「なら」
ルイスが少し笑う。
「僕たち、案外似てるのかもね」
「否定はしません」
「否定しないんだ」
「事実かもしれませんので」
そこで、前方から笑い声が聞こえた。
貴族子弟たちだ。
年齢は少し上。
第一王子派の人間。
ルイスを見る。
そして、露骨に笑った。
「おや、ルイス殿下ではありませんか」
「……おはよう」
ルイスは穏やかに返す。
「朝から書庫通いですか?」
「まぁ、そんな感じかな」
「熱心ですねぇ」
声色は柔らかい。
だが、含まれるものは明確だった。
嘲笑。
「今さら勉強しても、光の精霊は手に入りませんよ?」
周囲が小さく笑う。
セドの空気がわずかに冷える。
だが、ルイスは止めない。
「そうだね」
穏やかに返す。
「でも、勉強は無駄にならないから」
その返答が気に入らなかったのか、男の笑みが少し歪んだ。
「はは、さすがです。余裕がありますね」
「余裕というか、諦めてるだけかも」
ルイスは苦笑した。
それを見て、男たちはさらに笑う。
「でしたら、あまり無理はなさらず」
「期待されるのも疲れるでしょうし」
「……」
去っていく。
笑いながら。
ルイスはその背中を見送った。
「……すごいね」
「何がでしょう」
「露骨すぎて逆に感心する」
セドは小さく息を吐いた。
「以前より悪化しています」
「やっぱり?」
「最近、第一王子殿下への支持が強まっていますので」
「兄上が優秀だからね」
「それもあります」
セドはそこで言葉を切った。
「それ“も”?」
「比較対象が必要です」
ルイスは少しだけ黙る。
「あぁ」
理解した。
兄を持ち上げるために、自分が使われている。
「……便利だなぁ、僕」
「そういう立場です」
「君、たまに容赦ないよね」
「必要ですので」
いつもの返答。
でも、少しだけ空気が柔らかかった。
夜。
訓練場。
月明かりだけが石床を照らしている。
ルイスは木剣を握っていた。
「……今日は絶対一本取る」
「無理です」
即答だった。
「即答しないでよ」
「現実を述べています」
「少しは夢見せて」
「努力次第です」
「それ夢じゃなくて根性論だよね?」
セドは構える。
空気が変わる。
昼間とは別人。
ルイスも深く息を吐いた。
「……行くよ」
「はい」
踏み込む。
以前より速い。
足運びも少し良くなっている。
だが。
「甘いです」
木剣が弾かれる。
「っ……!」
「目線が上」
「分かってる!」
「分かっているなら修正を」
「簡単に言わないで!」
もう一度。
打ち込む。
避けられる。
返される。
脇腹に衝撃。
「ぐっ……!」
「反応が遅い」
「容赦ないなぁ……!」
「本番はもっと容赦ありません」
セドの木剣が止まらない。
速い。
重い。
正確だ。
ルイスは防ぐので精一杯だった。
「っ……!」
木剣同士がぶつかる。
腕が痺れる。
「……なんでそんな冷静なの」
「慣れていますので」
「その慣れ怖いんだけど!」
押される。
下がる。
息が乱れる。
でも。
前より見える。
「……っ!」
セドの剣筋。
足。
重心。
全部は無理だ。
でも、少しだけ。
以前より読める。
「お?」
セドの声がわずかに変わる。
次の瞬間。
ルイスの木剣が、初めてセドの服を掠めた。
「……!」
ルイスの目が見開く。
セドも止まる。
数秒。
沈黙。
「……今の」
「はい」
セドが静かに答える。
「悪くありません」
ルイスが笑った。
「初めて褒めた」
「褒めてはいません」
「今のは褒めてた!」
「基準が低いです」
「ひどいな!?」
だが、嬉しかった。
ほんの少し。
本当に少しだけ。
でも届いた。
その感覚があった。
「……なるほど」
息を整えながら、ルイスが呟く。
「積み上げるって、こういう感じなんだ」
「はい」
セドは木剣を下ろした。
「急には変わりません」
「うん」
「ですが、積み重なります」
ルイスは木剣を握り直す。
汗が手に張り付く。
息も苦しい。
腕も痛い。
でも。
「……もう一本」
「まだやりますか」
「せっかく少し届いたから」
ルイスは笑う。
「ここで終わりたくない」
セドは数秒、ルイスを見ていた。
そして。
「……分かりました」
再び構える。
「来てください」
ルイスは頷いた。
踏み込む。
何度でも。
転んでも。
弾かれても。
積み上げるために。
その頃。
王都。
ロイドの店の奥。
ミラとガルドは、作業台を挟んで睨み合っていた。
「だから違う」
「違わねぇ」
「魔力の流れが詰まる」
「その程度なら誤差だ」
「誤差じゃない」
「量産するなら必要だ」
「質が落ちる」
「落とさねぇ範囲でやるんだよ!」
ロイドが頭を抱えていた。
「……うるせぇ」
「黙って」
「邪魔」
「俺の店なんだけど!?」
セドは静かにその様子を見ていた。
だが。
「……悪くない」
小さく呟く。
ぶつかっている。
だが、止まってはいない。
前へ進む衝突だ。
「セド!」
ロイドが助けを求める。
「何とかしろ!」
「無理です」
「即答!?」
「必要な工程ですので」
「便利だなお前のその言葉!」
ミラが工具を置く。
「……もう一回やる」
「今度は俺が削る」
「ズレたら捨てる」
「捨てんな!」
火花が散る。
言葉もぶつかる。
だが、その手は止まらない。
灯り石は、少しずつ完成へ近づいていた。
そして。
誰も気づいていない場所で。
王都の流れもまた、静かに変わり始めていた。




