第14話
ガルドは、しばらく路地の奥を睨んでいた。
さっきまで人影があった場所。
今はもう、誰もいない。
けれど、見られていた気配だけは残っている。
気持ちの悪い余韻だった。
「……お前、面倒なの連れてきたな」
ガルドが低く言う。
その声には怒りがある。
ただし、セドだけに向けたものではない。
長く積もった苛立ち。
諦めきれなかった人間特有の、刺々しい熱。
「否定はしません」
セドは静かに返した。
「ですが、元から貴方も見られていた可能性があります」
「あ?」
「使われていない職人。組合から外れた者。そういう人間は、放置されているようで、完全には放置されません」
ガルドの眉間に皺が寄る。
「……嫌なこと言うな」
「事実です」
「知ってるよ」
ガルドは吐き捨てるように言った。
「何度も仕事を潰された。小さい工房に声かけても、翌日には断られる。材料屋に行けば値段を吊り上げられる。客を取ろうとすれば、妙な噂が流れる」
手の中の削り石を強く握る。
「それでも、食うためにやるしかなかった」
「だから道端で?」
「工房を借りる金も惜しい」
ガルドは笑った。
乾いた笑いだった。
「笑えるだろ。昔は俺も、まともな工房で働いてたんだぜ」
「辞めた理由は」
「辞めたんじゃねぇ」
声が低くなる。
「追い出された」
セドは黙って続きを待った。
ガルドは一度、言うか迷ったように口を閉じた。
だが、すぐに舌打ちする。
「……俺はな、貴族向けの飾り魔道具が嫌いだった」
「飾り魔道具」
「ああ。光るだけの指輪。花の形した灯り。見栄のためだけの魔石細工。高く売れる。利益もある。職人として名も売れる」
「悪いものではないのでは」
「悪くはねぇよ」
ガルドは即答した。
「作れる奴が作ればいい。欲しい奴が買えばいい。そこに文句はねぇ」
そこで声が少し荒くなる。
「だがな、日々の灯りに困ってる連中がいる横で、貴族の馬車に飾るためだけの魔道具を作らされ続けるのは、俺には合わなかった」
セドの目がわずかに細くなる。
ガルドは続けた。
「だから言ったんだ。もっと安く、もっと丈夫で、普通の家でも使える灯りを作れないかってな」
「それで?」
「笑われた」
短い言葉。
けれど、その中に全部が詰まっていた。
「“貧民向けの細工に職人の手を使うな”ってよ」
「……」
「“安物を作れば工房の格が落ちる”とも言われた」
ガルドは削り石を机の上へ投げる。
音が乾いて響いた。
「それで、俺も馬鹿だった」
「何をしたのですか」
「試作品を勝手に作った」
セドはわずかに目を伏せる。
なるほど、と言わなくても伝わる。
「結果は」
「売れた」
ガルドは笑う。
今度は少しだけ、悔しさの混じった笑いだった。
「近所の連中にはな。安くて、壊れにくくて、明るい。そりゃ売れる」
「では、なぜ」
「工房に潰された」
ガルドの声が平坦になる。
「材料を勝手に使った。許可なく外へ流した。工房の信用を傷つけた。理由はいくらでもついた」
「……」
「それからは、どこへ行っても同じだ。俺は面倒な職人ってことになった」
セドは静かに言った。
「面倒ではあります」
「おい」
「ですが、使えます」
ガルドが一瞬黙り、それから鼻で笑った。
「お前、ほんと遠慮ねぇな」
「必要ありませんので」
「必要ない?」
「はい。貴方も私を信用していない。私も貴方をまだ信用していない。なら、遠慮より条件です」
「……気に入らねぇが、分かりやすい」
ガルドは椅子に深く座り直した。
「で、その条件ってやつを聞こうか」
「まず、貴方にはミラ・カートンの下で補助に入ってもらいます」
「あ?」
ガルドの目が険しくなる。
「下?」
「はい」
「俺がか?」
「はい」
「お前、喧嘩売ってんのか」
「売っていません」
セドは淡々としている。
「現状、改良型灯り石の構造を最も理解しているのはミラです。量産へ移すなら、彼女の設計に合わせる必要があります」
「職人に、他人の設計の下で動けってか」
「必要なら」
「……気に食わねぇな」
「でしょうね」
「分かってて言うな」
「分かっているから言っています」
ガルドは机を指で叩く。
カン、カン、と乾いた音が続いた。
「俺が断ったら?」
「別を探します」
「俺じゃなくてもいいってか」
「はい」
即答だった。
ガルドの目が鋭くなる。
だが、セドは引かない。
「貴方の腕は必要です。ですが、貴方一人でなければならない、という段階ではありません」
「……」
「だからこそ、今話しています」
「どういう意味だ」
「貴方が乗るなら、早い」
セドは言った。
「乗らないなら、遅くなる。それだけです」
沈黙。
ガルドはじっとセドを見る。
その視線には苛立ちと、わずかな興味が混ざっていた。
「……お前の後ろにいる奴は、何者だ」
セドの表情は変わらない。
「答えられません」
「だろうな」
「ですが、一つだけ言えます」
「何だ」
「安い日用品を作ることを、恥とは思わない人です」
ガルドの目が止まった。
「……」
「それどころか、そこに意味を見出す人です」
「……貴族か?」
「答えられません」
「王城絡みか?」
「答えられません」
「チッ」
ガルドは舌打ちした。
「怪しさが増しただけじゃねぇか」
「その通りです」
「認めるなよ」
「嘘をついても意味がありません」
ガルドはしばらく黙っていた。
そして、不意に笑った。
「……いいぜ」
「受けますか」
「ただし、条件がある」
「聞きましょう」
「俺を道具扱いするな」
ガルドの声が低くなる。
「使うのはいい。仕事もする。金も受け取る。だが、俺の手と目をただの部品みたいに扱うなら、その場で抜ける」
「当然です」
セドは即答した。
「当然?」
「はい。使うのは技術です。潰すのではなく、活かす」
「……」
「そのために貴方へ声をかけています」
ガルドは目を細めた。
今度は、ただの警戒ではない。
見極める目だ。
「……本当に変な奴だな」
「よく言われます」
「それ三回目だ」
「便利ですので」
ガルドは苦笑し、椅子から立ち上がった。
「分かった。話に乗る」
「では、今から移動します」
「今から?」
「はい」
「早ぇよ」
「時間がありませんので」
「三十日だったか」
「はい」
ガルドは眉をひそめる。
「誰に追われてる」
「金です」
「……なるほど。分かりやすく最悪だな」
「はい」
ガルドは工具を手早くまとめ始める。
無造作に見えて、道具の扱いは丁寧だった。
それだけで、職人としての性質が分かる。
「おい、セド」
「はい」
「ミラ・カートンって言ったな」
「はい」
「噂は聞いたことある。貴族向けの装飾魔道具を蹴った女だろ」
「その認識で問題ありません」
「気が合わなそうだ」
「でしょうね」
「止めろよ」
「止めません」
「なんでだよ」
「必要な衝突なら、した方が早い」
ガルドは呆れた顔をした。
「お前、案外ひでぇな」
「必要ですので」
「便利だな、その言葉」
「はい」
ガルドはまた笑った。
その笑いは、少しだけ軽くなっていた。
ロイドの店に戻ると、店内は相変わらず人の気配で揺れていた。
販売時間を区切ったことで、客の流れは集中している。
それは成功でもあり、問題でもあった。
「遅ぇぞ」
ロイドがセドを見るなり言った。
「申し訳ありません」
「謝るくらいなら手を貸せ」
「すぐに」
ロイドの横では、ミラが灯り石の検品をしていた。
その手元は速い。
だが、表情は明らかに不機嫌だった。
「足りない」
ミラが言う。
「材料も、人も、全部」
「承知しています」
セドは頷き、背後のガルドを示した。
「ですので、連れてきました」
ミラの視線がガルドへ向く。
ガルドもミラを見る。
数秒。
空気が固まる。
「……誰」
ミラが言う。
「ガルドだ」
「知らない」
「俺もお前を詳しくは知らねぇよ」
「じゃあ帰って」
「早いな」
ロイドが思わず突っ込んだ。
ミラは真顔だった。
「知らない人間を作業場に入れたくない」
「正論ではあるな」
ガルドが肩をすくめる。
「でもな、こっちも急に連れてこられてんだ。少しくらい話せ」
「腕は?」
ミラが即座に問う。
「見れば分かる」
「見せて」
「お前、本当に容赦ねぇな」
「時間がない」
ガルドは小さく笑った。
「そこは同感だ」
持っていた小さな石片を取り出し、作業台に置く。
ミラが手に取る。
見る。
触る。
黙る。
その沈黙を、ロイドが不安そうに見る。
「……どうなんだ」
ミラは答えない。
もう一度、角度を変えて見る。
そして。
「悪くない」
短く言った。
ガルドの眉が動く。
「悪くない、か」
「良いとは言ってない」
「いい性格してるな」
「普通」
「どこがだ」
ミラは石片を置く。
「手は使える」
「手は、ねぇ」
「でも癖が強い」
「職人に癖がない方がおかしいだろ」
「量産には邪魔」
ガルドの目が鋭くなる。
「……言うな」
「言う」
「俺の癖が邪魔だって?」
「邪魔になる」
「作るものによるだろ」
「だから、灯り石では邪魔」
空気が少し熱を帯びる。
ロイドが小さく頭を抱えた。
「……始まったな」
セドは二人を止めなかった。
見ている。
必要な衝突だ。
ミラは設計を守る職人。
ガルドは手で調整する職人。
どちらも必要だ。
だが、最初にぶつかる。
「俺は安物作るために腕を殺せって言われるのが嫌いなんだよ」
ガルドが低く言う。
ミラの目が細くなる。
「安物じゃない」
「価格は安いんだろ」
「価格が安いだけ」
ミラは即座に返した。
「粗悪品とは違う」
「……」
「安くするために質を落とすなら、私はやらない」
ガルドの表情が変わる。
少しだけ。
「……へぇ」
ミラは続ける。
「買う人間が貴族じゃなくても、手を抜く理由にはならない」
その言葉で、ガルドの目から敵意が少し抜けた。
「……お前」
「何」
「思ったより、まともだな」
「失礼」
「褒めてる」
「分かりにくい」
「お互い様だろ」
二人はしばらく睨み合った。
そして、同時に視線を逸らす。
ロイドがぽつりと言った。
「……いけそうか?」
ミラは答える。
「使える」
ガルドも答える。
「組めなくはねぇ」
ロイドは深く息を吐いた。
「素直に言えねぇのか、お前ら」
「無理」
「無理だな」
同時だった。
ロイドはもう一度ため息をついた。
「セド、こいつら面倒だぞ」
「承知しています」
「本当に?」
「予想よりは少し」
「少し?」
「かなり」
「だろうな」
それでも、空気は悪くなかった。
むしろ、動き始めていた。
セドは静かに言う。
「では、役割を分けます」
全員の視線が向く。
「ミラは設計と最終確認」
「当然」
「ガルドは下処理と調整」
「俺を下処理係にする気か」
「最初は」
「最初は?」
「腕を見てから増やします」
ガルドは鼻で笑った。
「上等だ」
「ロイドさんは販売と客の反応の記録」
「記録?」
「何を聞かれたか。何で迷ったか。どこで買ったか」
「……細けぇな」
「必要です」
ロイドは少し考え、頷いた。
「分かった。やる」
「私はこちらで全体を見ます」
セドが締める。
その時、扉の鈴が鳴った。
客かと思った全員の視線が向く。
だが、入ってきたのは客ではなかった。
身なりの整った男。
昨日、ダリオの名を出した男と同じ匂い。
ロイドの顔が硬くなる。
ミラが無言で工具を置く。
ガルドが目を細める。
セドだけが、一歩前に出た。
「ご用件は」
男は店内を見回した。
灯り石。
作業台。
ガルド。
そしてセド。
「……人が増えたな」
「商売ですので」
「ふうん」
男は笑う。
「ダリオ様から伝言だ」
空気がさらに冷える。
「“三十日、楽しみにしている”」
それだけ言って、男は肩をすくめた。
「あと」
一拍。
「“あまり派手に動くな”とも」
セドの目が細くなる。
「警告ですか」
「親切心だ」
「不要です」
男は楽しそうに笑った。
「そう言うと思った」
視線がガルドへ移る。
「組合も見てるぞ」
ガルドの表情が変わる。
「……」
「せいぜい気をつけろ」
男は踵を返す。
店を出ていく。
鈴の音が、やけに大きく響いた。
しばらく誰も喋らなかった。
最初に口を開いたのは、ロイドだった。
「……どうする」
セドは静かに答える。
「予定通りです」
ミラが頷く。
「作る」
ガルドも口元を歪める。
「上等だ。見てるなら、見せてやるよ」
ロイドは苦笑した。
「頼もしいのか、無謀なのか分かんねぇな」
「両方です」
セドが言う。
その答えに、三人が一瞬だけ黙り――
ロイドが笑った。
「じゃあ、やるか」
店は再び動き出す。
人が増えた。
目も増えた。
敵も動き出した。
だが、それでも止まらない。
小さな灯り石が、王都の流れを変え始めている。
その火はまだ小さい。
だが、確かに燃えていた。




