海峡は静かに揺れる
神戸市垂水区。
海と山に挟まれた街だ。明石海峡大橋が夜空に白く浮かび、その足元では潮が静かに流れている。舞子公園の芝生には観光客、少し離れれば住宅地の灯り。穏やかに見えるが、海は昔から、密やかな取引の舞台でもあった。
その夜、NSTは海沿いの高級マンションを監視していた。
元県知事一派と海外ルートを繋ぐ資金移動の接触地点。証拠を押さえるには、波の揺れほどの誤差も許されない。
主役は迫田ツインズ。
澄香と澪香。撹乱と分断の専門家。息も視線も揃う双子は、NSTの精密機械だ。
「風向き、三度変わりましたわ」
「想定内やね。接触は予定通り二十二時」
声の高さまで似ている。いつも通り、完璧だった。
――そこへ、白いワゴンが滑り込む。
「この角度、橋が一番きれいに映りますね!」
聞き覚えのある声。三好さつき。取材の下見だ。
地元情報番組の企画で、海峡の夜景特集。悪気はない。だが最悪のタイミング。
照明機材が組まれ、リハーサルの掛け声が響く。
「本番いきまーす!」
強烈なライトが海面を照らし、マンションのバルコニーを白く切り裂いた。
接触予定の男が一瞬で警戒に入る。
スマートフォンを懐に戻し、室内へ消える。
任務、停止。
迫田ツインズが同時に息を呑む。
「……え?」
「……え?」
きれいに揃った声だった。
澄香が一歩出る。
「予定外の光源ですわ」
澪香が続く。
「完全に露見しましたわ」
二人同時に無線へ手を伸ばすが、指先がぶつかる。
「すみません」
「すみません」
同時謝罪。
その瞬間、二人とも我に返る。
「わたくしとしたことが」
「わたくしとしたことが」
また揃った。
冷静沈着な双子が、上品な口調のまま混乱している。
完璧なシンクロが、今回は裏目に出た。
その横で、ただ一人、波のように静かな女が立っている。
岡本玲奈。
長身の影が、海風に揺れる。
切れ長のアーモンドアイが、ライトとマンションと取材クルーの動きを一瞬で測る。
「……任務は中断や」
低い神戸訛り。声を荒げない。
玲奈は歩き出す。
まず一本、電話。
「巡回ルート、五分だけ延ばしてくれ。観光客トラブルでええ」
次に海保へ。
「海上ドローンの誤作動、確認頼むわ」
最後に、匿名通報。
「高級マンションで不審人物がうろついとる」
五分後、現場は別の騒ぎで埋まる。
接触は“内部の警戒強化”として流れ、NSTの痕跡は消えた。
任務は成功でもない。失敗でもない。
致命傷にはならない。
玲奈が双子の横に立つ。
「焦らんでええ。潮が引いただけや」
澄香が小さく頭を下げる。
「申し訳ございません、玲奈さん」
澪香も続く。
「完全に計算外でした」
玲奈は海を見る。
「計算外はある。問題は、その後どう動くかや」
双子は息を揃えて頷く。
だが澪香の口から、思わず地元の諸県弁がこぼれる。
「……なんでこげんことになるとやろか」
澄香が一瞬目を丸くする。
「澪香、方言が出ていますわ」
「しまったわ」
二人の声がまた揃う。
玲奈の口元が、ほんの少しだけ緩む。
「ええやないか。揺れるときもある。橋も波も、揺れながら立っとる」
明石海峡大橋の灯りが、海面に伸びる。
さつきは何も知らず、カメラ前で微笑んでいる。
「やっぱり垂水の夜景は最高ですね!」
玲奈は振り返らない。
任務は未達。だが組織は崩れていない。
それがボスの仕事だ。
澄香が静かに言う。
「私たちは、まだ未熟ですね」
澪香が頷く。
「玲奈さんがおる限り、崩れへん」
玲奈は歩き出す。
「崩れへんのは、あんたらが立っとるからや」
海風がコートを揺らす。
怒鳴らない。
焦らない。
揺れても沈まない。
静かなる美貌のボス。
岡本玲奈は、波を荒立てずに組織を守る女だった。
海峡は揺れる。
だが橋は、落ちない。




