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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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湯煙の向こうにある海

城崎の夜は、音が少ない。

川沿いの柳が風に揺れても、下駄の乾いた音が石畳に消えても、どこか現実感が薄い。湯気だけが白く立ち上がり、提灯の灯りがそれを照らして、街全体が“柔らかい嘘”で包まれているみたいだった。


その柔らかさを、NSTは拠点にした。

老舗旅館の一室。畳はよく手入れされ、襖の紙は薄いのに、ここだけ空気が重い。卓の上には地図と写真と、暗号化された紙片。湯呑みの湯気が立つのに、温まる気配はなかった。


彩香は正座したまま、視線を上げる。

波田顧問が座っていた。年季の入った顔、目の奥だけが冴えている。口を開けば、べらんめぇが畳を叩く。


「いいかい、嬢ちゃんども。こっから先ァ、遊びじゃねぇ。県警と合同でデカい仕事だ。だがよ――表で騒いだら負けだ」


波田は指で地図を叩いた。日本海側へ伸びる線。港、倉庫、道路。点と点が繋がりかけている。


「敵は焦ってやがる。クーデターの“形”を作り始めた。金も人も武器も動く。だからこそ、隠密。目立った瞬間、証拠も人も霧みてぇに消える。わかったな」


迫田ツインズが短く頷く。澄香は冷静に、澪香は鋭く。

あかりは唇を噛んで頷いた。

美咲は目立たないまま、必要な情報だけを頭の中で整理していた。


彩香だけが、一瞬だけ呼吸を忘れる。

“隠密”。その言葉が、玲奈の不在を突きつけるからだ。


玲奈――最年長のリーダー。

多くを語らず、背中で引っ張るタイプ。

その背中が、今はいない。いるはずなのに、いない。


そして、この旅館は因縁の場所だった。


宴会場。

かつてここで「交通安全小劇団」をやった。玲奈が中心で、彩香も、あかりも、美咲も舞台に立った。宿泊客の笑い声と拍手が、畳を震わせた夜。おひねりが雨みたいに飛んで、玲奈が涼しい顔で回収して、経理の妖怪・けちのんが無言で帳簿に叩き込んだ。


「活動費や」


あの一言で全てが決まった。

文句を言いながら、みんな笑っていた。玲奈がいると、そうなる。


今、宴会場は静かだ。

笑い声の代わりに、作戦の言葉だけが落ちる。


彩香は拳を握り、畳に爪を立てそうになるのを堪えた。

ここで情を見せたら、崩れる。

崩れたら、次は誰かがいなくなる。


「……やります」


短く言う。

自分の声が思ったより低くて、彩香は少し安心した。まだ折れていない。


波田が鼻で笑う。


「それでいい。泣くのは仕事が終わってからだ。終わらせりゃ、泣いても誰も文句言わねぇ」


夜が深まり、会議は一区切りついた。

彩香は一人で外に出る。温泉街は観光客で賑わっているのに、どこか遠い。灯りが明るいほど、影が濃く見える。


川面に映る提灯の列を眺めながら、彩香は息を吐いた。


「玲奈さん……」


声に出した瞬間、背後から、場違いなほど元気な声が飛ぶ。


「うわー!城崎テンション上がるわ!外湯、制覇したる!」


見なくても分かる。

明るい色のハーフツインテール、小柄な影。動きがやたら大きい。


美月だった。


大学の友人たちと来ているらしい。浴衣姿で、楽しそうに腕を振り回している。城崎の夜を、全身で喜んでいる。


彩香は目を閉じた。

胃の奥が、じわっと冷える。怒りじゃない。嫌な予感だ。


「……また、あいつや」


大声は武器になる。武器は、敵も拾う。

この街で目立つのは、今いちばんやってはいけない。


彩香は振り返らず、川沿いの暗がりに身を寄せる。

見つかるな。気づくな。頼むから、こっちを見るな。


「今回だけは邪魔せんといて」


口から漏れた声は、湯煙に吸われた。

祈りみたいで、彩香は自分に腹が立った。祈りで仕事は終わらない。


そのとき、美月が友人に向かって笑いながら言う。


「彩香がなぁ、最近めっちゃ眉間にシワ寄せとんねん。似合わんねん、あの顔」


友人たちがどっと笑う。

彩香は歯を食いしばった。


“聞こえてる”と叫びたかった。

でも叫んだら、終わる。


彩香はただ、背中で答えた。玲奈みたいに。


旅館へ戻る道すがら、彩香は決める。

ここからは、運に任せない。偶然に頼らない。邪魔が入る前提で潰す。県警とも揉めるだろう。それでもやる。玲奈がいないことを前提にした瞬間に、玲奈は本当にいなくなる。


宴会場に戻ると、NSTの面々が待っていた。

視線が集まる。彩香は頷く。言葉は少なくていい。


「明日、動く。海まで行く」


湯煙の向こうにある海。

そこに、答えがある。

答えが血でも、泥でも、希望でも――彩香は掴みに行く。


誰にも見えないところで、拳が震えていた。

でも下は向かない。


城崎の夜は静かだった。

静かすぎて、嵐の前の呼吸みたいだった。

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