静脈の奥の声 ――白衣の権威が飲み込んだ、赤い真実
県内の国立大学医学部。
丘の上に広がるキャンパスは、古い石造りの講堂と、最新の研究棟が同居している。市民にとっては“命の最後の砦”であり、若い医学生にとっては“神殿”だ。
ここで語られる言葉は、いつだって正しい——そう信じられてきた。
だが、白衣は時に、権威の制服にもなる。
ヒロ室西日本分室。
彩香は、机に置かれた一枚の報告書を指で叩いた。
「医療センター、製薬会社……次は大学や」
玲奈の手掛かりは薄いまま。
ただ、資金と物資の流れが、日本海側に“寄っていく”傾向がある。第三国経由、国交のない権威主義国家——その匂いだけが濃くなる。
「主役は美咲。行くで」
春日美咲は小さく頷いた。
地味で、目立たない。だが彼女には武器がある。
倫理。
「私は、医療の“言い訳”が嫌いです。命を守る顔で、命を売る人が一番嫌いです」
彩香は短く息を吐く。
「ええ顔しよるやないか」
迫田ツインズ、あかりも準備に入る。
任務は二つ。常にセットだ。
県知事一派の資金洗浄ルートを叩く。
そして、玲奈の痕跡を拾う。
医学部は、その日「市民公開講座」を開いていた。
テーマは“最新医療と健康寿命”。
司会は、CSの健康情報番組のロケ班。
そして現場にいるのが——美月。
「みなさ〜ん!今日のテーマは健康寿命やで!ほなまずは、血管年齢からいこか〜!」
いつも通り、声がでかい。
衣装も明るい。
この場に似合いすぎて、逆に危ない。
美咲は一般聴講者として紛れ込み、会場内を観察した。
学内の動線、警備、控室、講演者の顔ぶれ。
そのなかで一人、空気が違う男がいた。
医学部長。
名医としてテレビにも出るカリスマ。
市民の拍手を浴び、学生からは神のように崇められる。
だが、視線が“患者”ではなく“値札”を見ている。
美咲のイヤーピースに彩香の声。
「部長の周り、動きが硬い。警備が妙に私設っぽい」
「ええ、学内の警備会社じゃない人が混ざってます。姿勢が違う」
美咲は小さく、深く息を吸う。
倫理の現場は、会議室ではなく、人の挙動に出る。
裏口。研究棟の一角。
美咲は“倫理審査委員会の資料閲覧”という名目で、事務室に入り込んだ。
地味な学生用のスーツ。IDカードは、NSTが用意した“合法ギリギリの偽物”——いや、現場で拾った権限の隙を突いた“本物の穴”だ。
倫理委員会の議事録。
臨床試験。
患者同意。
データの管理。
そこに、部長の署名が並ぶ。
《同意説明は口頭で足りる》
《急を要するため、文書は後日補完》
《外部機関への情報提供は不可》
医療倫理の教科書なら、真っ赤に線が引かれる文言だ。
美咲の手が止まる。
そして、次のページ。
研究資金の提供元——県知事一派に繋がる財団。
名目は“地域医療支援”。
実態は“選挙と権力の補助循環”。
さらに、搬送記録。
“研究資材”として、日本海側の関連施設へ送られた特殊冷蔵コンテナ。
ルートは港へ。第三国経由。
美咲の背筋が冷える。
玲奈の痕跡の匂いが、そこに混じる。
「……人も運べる」
彩香の声が静かに沈む。
「やっぱり、日本海側や」
公開講座の第二部。
医学部長は壇上で語り始めた。
「医療は、倫理と科学の両輪です」
美月が横で頷いている。
「さすがやなぁ、説得力あるわ〜。ほな次は、血圧の話いきましょうか!」
場内が和む。
その和みが、逆に怖い。
善意が、悪意のカーテンになる。
だが、美咲は決めていた。
“ここで”終わらせる。
NSTは表に出ない。
だから失脚は、社会が勝手に起こしたように見えなければならない。
美咲は事務室から持ち出した議事録と、内部告発データを“ある場所”に流した。
学内の監査室、文科省の窓口、そして——報道。
神戸放送ではない。
今回はCSのロケ班の回線が使われた。
美月の番組が、知らないうちに導線になった。
壇上の大型スクリーンに、突然スライドが割り込む。
「……えっ?これ、次の資料?ちゃうやん?」
美月が素で言った。
スクリーンに映ったのは、倫理委員会議事録の該当ページ。
部長の署名。
そして搬送記録。
《日本海側港湾施設へ—冷蔵コンテナ》
会場がざわつく。
部長の顔色が変わる。
しかし彼は権威で押し切ろうとした。
「これは……悪質な捏造です。医療現場を混乱させる——」
だが、次の瞬間。
別画面に、部長が秘書に送ったメールが表示される。
《“同意書は後で”で押し切れ。倫理委員は黙らせろ》
《港の件は、例の筋に任せる》
会場から、笑いとも悲鳴ともつかない声が漏れる。
医学部長が“学内の公開講座”で、公開処刑される。
美月は画面を見上げて、ぽかんとした。
「……え、すご。資料、攻めすぎちゃう?これ新しい演出なん?」
誰もツッコめない。
ここは大学の講堂だ。吉本新喜劇じゃない。
医学部長はマイクを握りしめ、取り繕う。
だが手が震え、壇上の水を倒す。
書類が濡れ、スライドリモコンが滑って床に落ちる。
拾おうとして屈み、カメラに向かって尻を突き出す形になる。
よりによって、CSのロケカメラが真正面。
美月が小声で一言。
「……先生、角度が健康番組に向いてへんで」
笑いが起きる。
不謹慎なのに、止まらない。
権威が崩れる瞬間は、だいたい間抜けだ。
その夜。
学内は緊急会見。
部長は「体調不良により辞任」。
だが監査と捜査は動き始める。県知事一派との資金連鎖も浮上。
NSTは、影のまま去る。
ヒロ室。
美咲は机に置かれた搬送記録の写しを見つめた。
「玲奈さん……やっぱり日本海側に“流される”線が濃いです」
彩香は目を閉じた。
県警幹部の「もう居ないものと思え」という言葉が、喉に引っかかる。
だが、今は吐き出さない。
「……生きとる可能性がある限り、追う」
美咲は静かに頷く。
目立たない彼女の目が、今夜は鋭い。
そのとき、美月がロケ帰りに言った。
「今日の先生、すごい勉強になったわ!ああいうのが“医療の最前線”なんやな!」
彩香のこめかみがピクリと動いたが、飲み込んだ。
説明してはいけない。
だから耐える。暫定リーダーの仕事だ。
美咲がぽつりと呟く。
「……あれは最前線じゃなくて、末期です」
誰も笑わない。
でも、少しだけ救われた気がした。
静脈の奥で、まだ声がする。
玲奈の声か、兵庫の声か。
どっちにせよ——NSTは耳を塞がない。




