灰にならなかった影
宍粟市の山奥は、夜になると音が消える。
林道のアスファルトは途中で途切れ、あとは砂利と泥だけだ。街灯はない。風が杉林を揺らす音だけが低く鳴っている。その奥に、朽ちかけた林業作業小屋が一棟。窓は割れ、壁は歪み、灯りはわずかに漏れている。
玲奈はそこにいる。
NSTが辿り着いた結論だった。
彩香は手信号を出す。
迫田ツインズが左右へ散開。美咲が後方警戒。あかりが裏手へ回る。拳銃は持てない。持てるのは警棒とスタンガン、そして覚悟だけだ。
彩香の声は低い。
「今日で終わらせる。
玲奈さんを連れて帰る。」
扉が破られる。短い衝突。違法拳銃を持つ見張りが一人、乾いた銃声を放つ。弾丸が壁を削る。澄香が素早く死角を取り、あかりが背後から体当たりで制圧。拳銃が床に転がる。
中は暗く、湿った匂いがする。
その部屋の中央に、椅子に縛られた女性。
濃紺のジャケットは泥と血で汚れ、ミニスカートの裾は裂けている。白いパレードブーツは山土で茶色に染まり、傷だらけだ。それでも姿勢は崩れていない。
玲奈。
あかりが駆け寄る。
「玲奈さん……!」
玲奈は目だけを動かす。
「……遅い。」
その一言で、空気が締まる。
あかりが拘束具を切る。ワイヤーカッターの金属音が部屋に響く。腕が解放され、玲奈がゆっくり立ち上がる。
その瞬間、微かな電子音。
ピッ、ピッ、ピッ。
全員が凍る。
彩香がジャケットをめくる。
胴体に巻き付けられた黒いベルト。爆薬。デジタルタイマーが赤く点滅している。
残り四分。
玲奈が叫ぶ。
「近づくな!
みんな吹っ飛ぶ!」
外で、通信機の微かなノイズ。遠隔起動。犯行グループはこの瞬間を待っていた。
彩香の顔色が変わるが、声は冷静だ。
「解除する。
美咲、構造確認。
澄香、時間読め。
あかり、振動抑えろ。」
美咲が膝をつく。汗が額を伝う。
「二重構造……衝撃トラップあり。
配線が逆。間違えたら即爆発。」
残り三分。
玲奈の呼吸は荒いが、目は鋭い。
「置いていけ。」
彩香が睨む。
「ふざけるな。」
爆薬は巧妙だった。切断順を誤れば感圧センサーが反応する。
外せば爆発。触れなくても爆発。
敵は冷酷だった。
救出させ、絶望を与え、仲間ごと吹き飛ばすつもりだった。
残り二分。
美咲の手が震えない。
澪香が秒を刻む。
「一分四十……一分三十……」
あかりの目に涙が滲む。
「私が……私が抱えて走る!」
玲奈が制する。
「馬鹿か。爆薬抱えてどうする。」
残り一分。
美咲が歯を食いしばる。
「解除コードが……足りない……!」
玲奈が一瞬、彩香を見る。
その目は命令だった。
“判断しろ”。
残り四十秒。
彩香の脳裏に、父の背中が浮かぶ。
最後まで諦めるな。
だが今は違う。
全員を守る選択をしなければならない。
残り三十秒。
玲奈が動いた。
あかりを突き飛ばし、扉へ走る。
泥に滑る白いパレードブーツ。それでも止まらない。
「来るな!」
夜の山に響く声。
彩香が叫ぶ。
「玲奈さん!」
残り十五秒。
玲奈は廃屋から離れ、山道の奥へ。
暗闇に濃紺の背中が吸い込まれる。
閃光。
轟音。
衝撃波が山を揺らす。
廃屋の壁が吹き飛び、炎が上がる。杉の枝が燃え、夜空が赤く染まる。
しばらく誰も動けない。
やがて、彩香が立ち上がる。
「探せ!」
瓦礫を掻き分ける。
焦げた木片。崩れた柱。黒煙。
だが、遺体はない。
白いブーツも、濃紺の布も、何も。
爆発規模は大きすぎる。
生存は絶望的。
そう結論づけるには十分な光景だった。
あかりが泣き崩れる。
「私が……もっと早く……!」
彩香は炎の向こうを見つめる。
山道に、わずかな轍があった。
爆発直前に動いた車両の跡かもしれない。
だが確証はない。
敵は冷酷だった。
救出させ、希望を見せ、絶望で潰す。
それが奴らのやり方だ。
彩香は呟く。
「……玲奈さんは、こんなんで終わらへん。」
風が灰を巻き上げる。
炎はやがて鎮まる。
宍粟の山に残ったのは、焼け焦げた廃屋と、灰にならなかった疑問だけだった。
玲奈は爆死したのか。
それとも――。
答えはまだ、闇の中だ。




