高架の影で、風は止まらない
神戸市西区の夜は、妙に明るい。
住宅地の灯りでも、港の照明でもない。高速道路の高架だ。
高架下に落ちるオレンジ色の街灯、一定のリズムで流れるタイヤ音。
誰も見上げない場所に、誰よりも“動き”が集まっている。
NSTが追っている新しい資金洗浄ルートは、ここへ戻ってきた。
表向きは物流。裏では武器と爆薬。
そして、玲奈を繋ぐ細い線。
彩香は地図の上で指を止めた。
「西区の倉庫群。ここが“箱”の集積点や。
第三国へ流す前に、一回ここで組み替えとる。
……玲奈さんの痕跡も、たぶんここを通っとる。」
迫田ツインズが無言で頷き、美咲は端末を操作する。
あかりだけが落ち着かない。
身体が先に走りたがる。
彩香はあかりを見た。
「今日の主役はあんたや。
突っ込むな。まず“見て”、拾え。
……走るのは、必要な時だけや。」
あかりは唇を噛み、頷いた。
「……わかった。今日は、ちゃんとする。」
その言葉が可笑しくも頼もしい。
“ちゃんとする”が課題になるヒロインは貴重だ。だが、今夜はそれが武器になる。
――――
高架下の物流倉庫。
昼はトラックが出入りし、夜はシャッターが閉まる。
だが完全には眠らない。
暗い角でフォークリフトの音がする。誰かが動いている。
あかりは作業員に偽装し、倉庫街を歩いた。
帽子を深く被り、明るい髪は隠す。
普段なら反射でキョロキョロしてしまうところを、今日は抑える。
ちゃんとする。
倉庫のひとつ。外壁に貼られた輸送ラベル。
積み替えの記録。
そこに“国交のない権威主義国家”へ繋がる暗号形式と同じ癖があった。
あかりは無線を押す。
「彩香さん、当たりっぽい。
ラベルの印字、前に見たやつに似てる。」
彩香の声が返る。
「よし。箱の中身は見えるか?」
あかりはシャッター脇の隙間に目を寄せる。
人影は二人。
荷は黒いケース。
そして――白い布が一瞬見えた。
心臓が跳ねる。
(白……玲奈さんの、グローブ?)
だが確証がない。
あかりは、息を殺して観察を続けた。
その時だった。
少し離れた別の倉庫の前に、照明がついた。
カメラ。マイク。スタッフ。
ロケ車両。
見覚えのある、品のいい声。
「はい、こちら神戸放送です。物流の最前線を――」
さつきだ。
神戸放送の情報番組。準レギュラー。
今日は“別の物流倉庫”の取材らしい。
場所が近すぎる。運が悪い。いや、運が良い時ほど怖い。
あかりは顔を伏せた。
バレるな。ここで話しかけられたら終わる。
ロケが一通り終わり、スタッフが休憩に入る。
さつきが温かい飲み物を持って、倉庫街の隅に歩いてくる。
そして、あかりを見つけた。
「あかりちゃん?」
最悪の声。
年上の落ち着いた声音は、逃げ道を塞ぐ。
あかりは固まった。
無線を押したいが、動けば怪しい。
彩香の“突っ込むな”が頭の中で鳴る。
さつきはにっこりして近づく。
「こんなところで珍しいね。お仕事?」
あかりは咄嗟に作業員のフリを続けたが、演技が下手だ。
「え、えっと……うん。仕事……みたいな。」
さつきが首を傾げる。
「“みたいな”って何それ。ふふ。」
あかりは焦る。
年上のさつきを雑に切れない。
普段なら彩香が助け舟を出すが、今日は単独行動だ。
結果、あかりは雑談に付き合ってしまった。
「今日ね、倉庫特集で。
物流って、見えないけど街を支えてるでしょう?
……あかりちゃん、そういうの好きそう。」
さつきは悪気ゼロで話す。
あかりは上の空で相槌を打つ。
「うん……すごい……」
さつきは続ける。
「さっき取材したところ、面白かったよ。
“白い手袋”が落ちててさ。作業員さんが『最近、変なことが多い』って。」
あかりの背筋が凍る。
白い手袋。
「……え?」
あかりが反応した瞬間、さつきは目を丸くする。
「ん?白い手袋に反応した?
あかりちゃん、手袋フェチ?」
冗談の言い方が上品すぎて、逆に刺さる。
「ち、ちがう!
……えっと、白い手袋、どこで?」
さつきは飲み物を片手に、何気なく指をさした。
「向こうの倉庫の裏。
取材とは別の場所だけど、搬入口の近く。
スタッフが“映えないから”ってカットしたの。」
――映えない、で救われた。
あかりは心の中で叫ぶ。
神戸放送の低俗さが、今だけはありがたい。
あかりは無線を押したい。
でもさつきが目の前にいる。
さつきはさらに雑談を続ける。
「そういえばね、さっき変なトラック見たよ。
高架の下を抜けて、ぐるっと回って――
ナンバー、妙に泥で隠れてた。」
あかりの目が鋭くなる。
さつきは気づかず、雪のように滑らかに語る。
「カメラマンが『怪しいな』って言ったけど、
私は“怪しいもの”見慣れてるから。
ほら、テレビ局って変な人いっぱい来るし。」
あかりは、もう耐えきれず笑いそうになった。
この人、今、任務の重要情報を“雑談”で渡している。
彩香ならキレる。
「なんで毎回お前ら絡んでくんねん」と。
でも、今日はあかりが受け止める番だ。
あかりは必死で平静を装い、さつきに合わせた。
「へぇ……そうなんだ。
さつきさん、すごい。よく見てるね。」
さつきは照れたように笑う。
「ありがとう。
女子アナ志望だから、観察は大事なの。」
その瞬間、あかりの耳に遠いエンジン音。
さつきが言った“泥で隠れたナンバーのトラック”が、今まさに動いている。
あかりは、雑談を切り上げる口実を探した。
だがさつきはまだ話す。
「ねえ、今度ロケ一緒に――」
あかりは、年上をあしらえない性格が災いして、一歩遅れた。
その一歩が、致命傷になりかける。
トラックが高架下を抜ける。
尾行するなら今だ。
あかりは笑顔を作り、無理やり言った。
「ごめん!ちょっとトイレ!」
さつきがきょとんとする。
「え、こんなところに――」
あかりは走った。
“ちゃんとする”はどこへいったのか。
でも走るべき時が来た。彩香の言葉どおりだ。
――――
あかりの無線が鳴る。
彩香が低い声で詰める。
「何してる。位置がずれた。」
あかりは息を切らしながら答えた。
「さつきさんが……雑談で、トラックの情報くれた。
白い手袋、落ちてた場所も!」
彩香が一瞬沈黙し、吐き捨てる。
「……あの子、ほんま。
邪魔なんか味方なんか、わからん。」
迫田ツインズが左右から回り、あかりが追尾。
美咲が端末で道路状況を拾い、彩香が判断する。
トラックは倉庫街の裏口へ入った。
NSTはそこを叩く。
短い制圧。
荷台から出たのは拘束具の予備と、梱包材。
その中に、白い布片――カラーガード隊の衣装素材に近い繊維。
玲奈がここを通った。
少なくとも、敵は玲奈の“象徴”を捨てていない。
政治的カードとして生かす気がある。
あかりは小さく呟いた。
「……玲奈さん、まだ……」
彩香は答えない。
答えない代わりに、拳を握る。
――――
夜明け前。
さつきはロケ車両に戻りながら、ふと振り返った。
高架下の影の中で、誰かが動いている気配がする。
だが彼女は、それを“街の裏側の忙しさ”として飲み込んだ。
あかりは遠くから頭を下げるように、軽く手を振った。
さつきは笑って手を振り返す。
それが、どれほど危うい“挨拶”だったか。
さつきは知らない。
あかりも、たぶん全部は分かっていない。
でも一つだけ確かなのは――
高架の下には、眠らない影がいるということだ。
玲奈の影。
そしてNSTの影。
風は止まらない。
影も止まらない。




