灰の成果と、回転する甘さ
北播磨のセメント工場は、表向きの顔を最後まで崩さなかった。
役所への届出、帳簿、協力会社の名義――全部が“それっぽく”整っていた。
だがNSTが押さえたのは、粉塵の下に隠れていた本当の流れだ。
違法建材の偽装ラベル。
架空法人を通した資金の循環。
第三国経由の送金ルート。
そして、工場に出入りする“物流”が、県知事一派のクーデター計画の資金源と繋がっている証拠。
あの夜の突入から三日後、資金の川は一部が干上がった。
表で笑っていた連中が、裏で青ざめる。
金が止まれば、計画は鈍る。
NSTの勝利だった。
――勝利のはずだった。
ヒロ室西日本分室。大阪府内の、表向きはただの事務所。
蛍光灯の光が白く、窓の外は雨模様。
机の上には解析結果の束。
セメント製品のサンプル。粉の成分表。
それらが、冷たく“結論”だけを告げていた。
「該当なし。」
玲奈の痕跡は、確認できなかった。
“材料”という最悪の可能性は、ひとまず否定された。
それは救いだ。だが同時に、手がかりが消えたということでもある。
彩香は椅子にもたれず、背筋を伸ばして資料を眺めていた。
その姿勢は、玲奈に似てきた。
背中で引っ張る、というやつだ。
迫田ツインズは窓の方を見ている。
澄香は無言。澪香はさらに無言。
あかりは落ち着きなく足を揺らし、
美咲は静かにファイルを整え、言葉を飲み込んでいる。
重苦しい空気。
“勝ったのに、負けたみたいな部屋”だった。
彩香が低く言う。
「資金は止めた。
せやけど……玲奈さんには届かんかった。」
その瞬間、あかりがぽつりと漏らした。
「……生きてるの、分かったのに。」
生存確認という希望は、同時に焦りを増幅させた。
救うべき人が“確かに存在している”からこそ、救えない現実が刺さる。
美咲は顔を上げた。
「今日止めた資金の流れ、あれが“全部”じゃない。
向こうはまだ動きます。
……だから、次も止めるしかない。」
彩香は頷く。
だが目だけが、疲れていた。
暫定リーダー。いや、もう“暫定”なんて響きは虚しい。
背負っているのは、玲奈の不在そのものだ。
ドアが開く。
場違いな明るさが、部屋に流れ込んだ。
「おーい!おるかー!」
美月だった。
そして、その後ろにさつき。
二人の腕には紙袋。甘い匂いが漂う。
美月が袋を掲げる。
「買ってきたで!今川焼き!……言うか、あれや、例のやつ!」
さつきは上品に笑っている。
「出来たてだよ。温かいうちに食べよ?」
NSTの空気が一瞬、固まる。
極秘任務の事情を知らない二人は、単純に“最近険しい顔の仲間”を心配しているだけだ。
美月が彩香の顔を覗き込み、ぶっきらぼうに言った。
「最近、あんたらなぁ、何してるんか知らんけど、
眉間にしわ寄せて難しい顔ばっかりして。どないしたんや。
戦隊ヒロインは笑顔が大事や。
そない小難しい顔ばっかりしとったら彼氏できんで、なぁ彩香。」
彩香の眉がピクリと動く。
「あんたにだけは言われたないわ。」
美月はケロッとして続ける。
「それより、回転焼き買ってきたで。みんなで食べよ。」
彩香が反射で噛みつく。
「回転焼きってなんや?御座候やろ?」
美月が眉を吊り上げる。
「御座候でなんや?回転焼きやろ?」
空気が、一気に“いつものやつ”になる。
重苦しさが、くだらなさに押し流されかける。
さつきが穏やかに割り込む。
「大判焼き、じゃない?」
彩香が即座に食いつく。
「ほら見い!さつきは賢い!」
美月が睨む。
「賢いとか関係あるか!呼び方の問題や!」
澪香がぽつり。
「……回転焼きだよね。」
澄香が同時に頷く。
「回転焼き。」
美咲も静かに言う。
「回転焼きやわ。奈良でもそう言う。」
彩香が机を軽く叩く。
「なんでやねん!西宮でも御座候や!」
美月が腕を組む。
「そら店の名前やろ!
商品名みたいに言うなや!」
議論は不毛に燃え上がる。
戦隊ヒロインプロジェクトの一角に、なぜか法廷が開かれる。
争点は“あれ”の呼称。
あかりは、空気の隙間を見つけて、紙袋から一個取り出した。
そして、何の躊躇もなく食べる。
「……大判焼き、美味しい。」
二口目。
三口目。
さらに、彩香の机の前に置かれていた分にも手が伸びる。
彩香が気づく。
「おい、あかり。それ、私の――」
あかりは無邪気に笑う。
「彩香、元気ないから、食べたほうがいいと思って。」
理屈がまるで合っていない。
だが善意だけは満点だ。
彩香の額に青筋が浮く。
「……あかり、後で話がある。」
あかりは全く効いていない顔で、もぐもぐ続ける。
美月が勝手にまとめに入る。
「ほらほら!甘いもん食べて、元気出せ!
人生、回転焼きや!回っとけ回っとけ!」
「意味分からん!」と彩香が叫び、
さつきが笑い、
迫田ツインズがなぜか真顔で頷き、
美咲が小さく息を吐く。
その瞬間だけ、部屋の空気が軽くなった。
玲奈の不在が消えたわけじゃない。
怖さも、怒りも、焦りも、何一つ終わっていない。
でも――
重さの中に、ほんの少しだけ“人間の温度”が戻った。
彩香は紙袋を覗き込み、最後の一個を見つけた。
あかりに取られていない、奇跡の一個。
彩香はそれを手に取り、黙ってかじった。
甘い。熱い。
生きている味がした。
美月がニヤニヤする。
「ほら、食べたら顔ちょっとマシや。」
彩香は顔を上げずに言う。
「……マシやない。
任務中や。甘いもんで誤魔化すな。」
美月が笑う。
「誤魔化せる時は誤魔化しとき。
それも才能やで。」
彩香は返さなかった。
返せなかった。
玲奈はまだ戻らない。
クーデターは具体化していく。
NSTは次の夜も、同じように動く。
でも彩香は知った。
背中で引っ張るリーダーは、孤独を噛み砕くだけじゃなく、
時には“くだらなさ”を受け入れて隊を保つ。
回転する甘さの匂いが、雨の大阪に残った。
灰の成果は確かにあった。
そして、次の手がかりへ向かうための、ほんの小さな燃料にもなった。




