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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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403/415

六甲の夜は、エンジン音で嘘を吐く ――神戸北、秘密試験車を奪った黒鷹

六甲の山は、神戸の背骨である。


南を向けば港がある。


異国の船が着き、街の灯が大阪湾へ流れ込む。


北へ越えれば、景色は変わる。


深い緑。


谷。


急勾配。


幾重にも折れ曲がる山道。


そして、その山裾へ張りつくように、工場と研究施設が点在している。


海から山までが近い神戸では、数十分走るだけで道路の顔が変わる。


高速域。


市街地。


長い登り。


急な下り。


低速のヘアピン。


雨。


霧。


冷えた路面。


機械を試すには、実に都合のいい土地だった。


神戸市北部。


六甲山麓の広大な敷地に、その会社の研究施設があった。


摂津重工業六甲技術研究センター。


摂津重工業。


明治末期、神戸港に小さな船舶機械工場を構えたことを起源とする老舗総合重工メーカーである。


造船。


産業機械。


鉄道車両。


航空関連。


そして戦後、機械技術を生かして大型自動二輪へ進出。


今や世界各国へ高性能モーターサイクルを送り出す、日本を代表する重工メーカーの一角だった。


六甲技術研究センターは、その二輪部門の頭脳だった。


高速周回路。


山岳試験路。


急勾配。


低速旋回区画。


荒れた舗装。


人工ウェット路面。


耐久試験区間。


研究棟。


試作工場。


そして、外部には存在すら公表されていない試験車両。


ここで生まれた技術が、数年後には世界中の道路を走る。


黒鷹が欲しがったのは、その未来だった。


摂津重工業が極秘開発していた次世代大型電動二輪。


その心臓部は、単なる高出力モーターではない。


前後輪への駆動力配分。


車体姿勢。


加速。


減速。


回生制動。


路面状態。


傾斜角。


ライダーの入力。


膨大な情報を瞬時に処理し、車体を最適に制御する統合システム。


量産されれば、大型電動二輪の常識を一世代進める。


黒鷹は、その制御データを盗もうとしていた。


しかも。


データだけではない。


最終評価用の秘密試験車そのものを奪い、国外へ持ち出す。


兵庫県警は内部協力者の存在を掴んでいた。


しかし、誰なのか。


いつ動くのか。


どの輸送経路を使うのか。


決定的な証拠がない。


そこで。


表には存在しない県警の切り札が呼ばれた。


西日本特別諜報班――NST。


ヒロ室西日本分室。


大型モニターへ、一人の女のプロフィールが表示された。


河合美音。


静岡県浜松市出身。


長身。


細身。


どこか近寄りがたいほど端正な顔立ち。


最大の特徴は、鮮やかなバイオレットカラーのショートカット。


無口。


感情を必要以上に表へ出さない。


だが、一度動けば大胆。


勇猛果敢。


だから人は、彼女をこう呼ぶ。


遠州の勇者。


岡本玲奈が言った。


「美音には、外部契約の車両評価エンジニア兼テストライダーとして入ってもらいます」


西川彩香が資料をめくる。


「まあ……これ以上ない人選ですね」


美音は黙って画面を見ていた。


大型自動二輪。


船舶操縦免許。


機械知識。


ピアノ。


ハーモニカ。


さらに。


運転技術。


彩香の手が止まった。


「……これ、ほんまです?」


玲奈。


「何が?」


「浜松のオートレース場で、現役オートレーサー相手のエキシビションレースに勝ったって」


美音。


「昔の話だに」


「いや昔の話で済ませたらあかんでしょう」


資料には、その時の現役トップレーサーのコメントまで記録されている。


――本気で転向すれば、年間賞金一億円以上を狙える。


彩香は美音を見た。


「美音さん」


「何?」


「NSTよりオートレーサーなった方が、絶対稼げますよね?」


「そうけ」


「一億ですよ?」


「別に興味ないに」


彩香の眉が上がる。


「興味ない?」


「うん」


「一億に?」


「お金、困っとらんもんで」


彩香は天井を仰いだ。


「出た……お嬢様の発言や……」


美音は、実際に育ちが良かった。


大手楽器メーカー創業家の遠縁。


家柄を鼻へ掛けるような性格ではない。


むしろ自分から話すことはほとんどない。


ただ。


金で人生を選ぶ必要がなかった。


それだけだった。


彩香。


「ギャラ安いNSTで、命張っとる場合ちゃいますよ」


玲奈。


「彩香」


「いや、待遇改善の参考資料として――」


「作戦に戻ります」


「はい」


美音がぽつり。


「今の方がおもろいに」


彩香が見る。


「……そう言われると引き止めたくなるから困るんですよ」


美音は少しだけ笑った。


潜入初日。


摂津重工業六甲技術研究センター。


美音はライディングスーツを着込み、試験区画へ入った。


技術者たちは最初、彼女を外部から来た評価要員としか見ていなかった。


それでよかった。


試験車。


最新型大型スポーツモデル。


美音が跨る。


ヘルメット。


バイザー。


エンジン始動。


一本目。


高速周回路。


加速。


第一コーナー。


美音は無理に突っ込まない。


制動。


荷重。


旋回。


立ち上がり。


一つ一つが滑らかだった。


見た目には派手ではない。


しかし。


計測室。


技術者がラップを見る。


「……速いな」


別の技術者。


「初走行だよな?」


二周目。


さらに速い。


だが。


操作は荒くならない。


三周。


戻る。


美音がヘルメットを脱ぐ。


鮮やかなバイオレットの髪が、汗を含んで少しだけ額へ張りついた。


主任テストライダーが訊く。


「河合さん、レースやってました?」


「やっとらんに」


「本当に?」


「うん」


「じゃあ何でこんな走れるんです?」


美音はバイクを見る。


「バイク好きだもんで」


技術者。


「好きだけでは無理です」


美音。


「そうけ?」


通信越し。


彩香。


『もう本職困らせとる……』


次。


別車両。


美音は走り出して二周目で戻ってきた。


「どうしました?」


「六千回転過ぎた辺りで、右側だけ細かい振動出るに」


技術者。


「右?」


「ステップから来る感じ」


分解。


点検。


小さな固定部品の緩み。


見つかった。


技術者たちが美音を見る。


「……音で?」


「音と足」


「足?」


「感じるら」


彩香。


『本職顔負けどころか、本職泣かせに入っとるやないですか』


美音。


『聞こえとるに』


彩香。


『すんません、美音さん』


年長の美音に対して、彩香は一応、言葉を選ぶ。


一応だった。


数日後。


主任テストライダーが美音へ言った。


「山岳コース、一緒に走りません?」


「いいに」


二台。


スタート。


先行。


本職。


後ろ。


美音。


序盤。


美音は追わない。


見る。


相手のブレーキ。


ライン。


車体。


癖。


三つ目のカーブ。


距離を詰める。


五つ目。


背後。


そして。


安全に前へ出られる短い直線。


美音。


加速。


すっと。


前。


無理がない。


相手がラインを譲る。


そこから。


差が開く。


一本終わる。


本職テストライダーはヘルメットを脱ぎ。


しばらく。


何も言わなかった。


美音。


「何?」


「……河合さん」


「うん」


「うちへ転職しません?」


通信。


彩香。


『来たぁ……』


美音。


「せんに」


「即答ですか」


「うん」


彩香。


『良かった……』


玲奈。


『彩香、任務中です』


『すんません』


摂津重工業の技術者たちの間で。


いつしか。


一つの疑問が共有されるようになった。


河合美音とは何者なのか。


テストライダー。


それだけならまだ分かる。


機械にも詳しい。


それも分かる。


だが。


社内懇親会。


研究棟ホール。


グランドピアノ。


誰かが言った。


「河合さん、ピアノ弾けるって本当ですか?」


美音。


「弾けるに」


彩香。


『何でそこまで情報回っとるんです?』


「一曲お願いしますよ」


美音。


「別にええよ」


椅子へ。


座る。


鍵盤。


指。


最初の音。


ホール。


静かになる。


研究者。


技術者。


テストライダー。


皆。


黙る。


美音の演奏は。


走りと似ていた。


余計な力がない。


急ぐ場所。


溜める場所。


強く出る場所。


流す場所。


全部。


分かっている。


演奏終了。


拍手。


若い技術者が。


隣の同僚へ。


「なあ」


「何?」


「あの人何者?」


「テストライダー」


「違うやろ」


「昨日は不具合、音だけで当てた」


「だから何者???」


通信。


彩香。


『それ、ウチもずっと聞きたいです』


美音。


『聞こえとるよ』


『すんません』


だが。


目立ったことは。


必ずしも任務の失敗ではなかった。


美音は、研究センター内で急速に信用を得た。


だから。


通常の外部評価要員なら入れない場所へ。


自然に入れる。


秘密試験車。


開発棟。


テストデータ。


夜間車両管理。


そして。


美音が気づく。


試験車一台。


走行距離。


管理記録。


合わない。


『玲奈さん』


『はい』


『秘密試験車、夜に動いとるに』


『確認できますか』


『距離増えとる。走行記録ない』


玲奈の声。


静か。


『内部協力者ですね』


数日。


監視。


夜。


一人の技術者。


黒鷹工作員。


接触。


輸送計画。


秘密試験車を夜間に持ち出す。


山麓の一般道。


別の輸送車へ積む。


玲奈。


『明日の夜、現場を押さえます』


美音。


『了解』


あと一日。


だった。


翌朝。


神戸放送の取材車。


彩香。


監視映像。


「……また?」


麻衣。


「誰です?」


彩香。


「さつきさんです」


三好さつき。


神戸放送。


情報番組。


『神戸発! 世界へ走るモーターサイクル――女性技術者たちの挑戦』


当然。


正式取材。


NSTの任務など。


一切知らない。


さつきは。


いつもの冷静沈着なレポート。


「今日は六甲山麓にある二輪開発の最前線へお邪魔しています」


技術者。


研究者。


試験設備。


安全技術。


順調。


そこへ。


センター担当者。


「せっかくですので、最近加わった非常に優秀な女性テストライダーの走行をご覧いただきましょう」


彩香。


「誰や! 余計なこと言うたん!」


スタート地点。


美音。


ライディングスーツ。


ヘルメット。


バイザー。


さつきは。


まだ気づかない。


走行開始。


直線。


加速。


第一コーナー。


美音。


制動。


身体。


バイク。


一体。


さつき。


「現在、テストライダーの方が――」


切り返し。


次。


上り。


美音。


一気。


さつき。


「……速いですね」


さらに。


急制動。


立ち上がる。


高速コーナー。


さつき。


「えっ」


普段。


落ち着いている。


カメラの前でも。


言葉を乱さない。


そのさつきが。


「凄い!」


次の瞬間。


「凄い! 凄すぎます!」


彩香。


頭。


抱える。


「さつきさんまで壊れた!」


カメラマン。


追う。


ズーム。


走行。


完璧。


ディレクター。


満足。


「これは撮れ高あります!」


彩香。


「美音さん、やりすぎや……」


走行終了。


美音。


停車。


ヘルメット。


脱ぐ。


バイオレットカラー。


風。


さつき。


目。


大きくなる。


「……美音さん!?」


美音。


「さつきさん」


「美音さんだったんですか!」


「そうだに」


「ちょっと待ってください!」


さつき。


珍しく。


完全に興奮している。


「こんな運転できるんですか!」


美音。


「まあ」


「“まあ”じゃないですよ!」


カメラマン。


無言。


親指。


上。


美音。


僅かに。


笑う。


さつき。


カメラへ向き直る。


まだ。


興奮。


残っている。


「私も戦隊ヒロインの活動を通じて、美音さんとはご一緒していますが――」


監視側。


彩香。


「……ん?」


さつき。


「仲間として、美音さんのこのドライビングテクニックは本当に誇りに思います!」


彩香。


「言うてもたぁ……!」


美音。


「大げさだに」


さつき。


「大げさじゃありません!」


いい話だった。


普通なら。


だが。


黒鷹の工作員が。


それを聞いていた。


戦隊ヒロイン。


仲間。


最近突然現れた。


異様に優秀なテストライダー。


技術へ詳しい。


研究棟へも入れる。


危険。


判断。


即座。


計画変更。


今すぐ試験車を出す。


夕方まで待たない。


内部協力者。


秘密試験車。


起動。


ゲート。


開く。


先導車。


支援車。


研究センターを出る。


美音は。


エンジン音で。


気づいた。


振り向く。


『玲奈さん』


『こちらでも確認しました』


『出たに』


『追えますか』


美音。


ヘルメット。


被る。


『追う』


彩香。


『美音さん、無茶せんといてくださいよ!』


『分かっとる』


大型自動二輪。


始動。


低い排気音。


遠州の勇者。


走り出す。


最初。


研究施設内。


高速周回路。


逃げる秘密試験車。


先導車。


美音。


追う。


黒鷹運転手。


バックミラー。


大型二輪。


距離。


詰まる。


「速い……!」


美音。


第一コーナー。


ブレーキ。


荷重。


旋回。


アクセル。


立ち上がり。


無駄。


ない。


次。


下り。


秘密試験車。


速い。


美音。


さらに。


詰める。


彩香。


『もう一般道出ます!』


美音。


『分かっとる』


玲奈。


『一般車両優先。無理に詰めないで』


『了解』


ゲート。


一般道。


六甲山麓。


夕暮れ。


ここから。


景色が変わる。


山。


谷。


カーブ。


急勾配。


木々。


時折。


開けた視界。


遠く。


神戸の市街地。


大阪湾。


山の斜面へ。


エンジン音が響く。


黒鷹。


下り。


美音。


追う。


ただし。


闇雲ではない。


見えないカーブには。


飛び込まない。


一般車。


最優先。


センターライン。


越えない。


速度。


必要な場所だけ。


上げる。


それでも。


追いつく。


彩香。


『美音さん、速いですって!』


美音。


『まだ余裕あるに』


彩香。


『それ言われる方が怖いんですよ!』


玲奈。


『美音』


『はい』


『安全優先』


『分かっとるって』


玲奈。


『返事が軽い』


美音。


少し。


笑う。


『玲奈さんまで』


黒鷹の支援車。


動く。


美音を塞ぐ。


幅。


寄せる。


美音。


減速。


一度。


距離。


取る。


次。


右カーブ。


四輪。


旋回。


大きい。


美音。


外。


安全なライン。


前へ。


黒鷹。


焦る。


もう一度。


塞ぐ。


美音。


また。


引く。


相手が。


前。


次。


加速。


背後。


戻る。


まるで。


糸で繋がれている。


黒鷹。


振り切れない。


『玲奈さん』


『はい』


『こいつら焦っとる』


『分かります?』


『運転雑になったに』


美音には。


車の動きが。


言葉に見えていた。


ブレーキ。


急。


車線変更。


遅い。


加速。


乱れる。


焦り。


そのもの。


美音は。


試験車の特性まで。


潜入中に。


覚えている。


バッテリー。


熱。


回生。


重量。


長い下り。


『玲奈さん』


『何?』


『こいつら、北側管理道路へ行くに』


『根拠は?』


『このまま長い下り続けたら、試験車のバッテリー温度上がりすぎる。知っとる奴なら北へ逃げる』


数十秒。


黒鷹。


右。


北側管理道路。


彩香。


『予言者ですか、美音さん』


美音。


『機械見りゃ分かるら』


彩香。


『それが普通分からんのです!』


玲奈。


『北側出口へ県警を回します』


『頼むに』


ここから。


美音の走り。


変わる。


追いつくため。


ではない。


追い込むため。


距離。


一定。


黒鷹が。


後ろを怖がる距離。


離れすぎない。


近づきすぎない。


右へ行けば。


左の逃走路を削る。


左へ行けば。


前へ圧。


かける。


黒鷹自身が。


安全そうな道を。


選ぶ。


その「安全そうな道」が。


県警の包囲地点へ続く。


玲奈。


『美音』


『何?』


『誘導していますね』


『途中から』


彩香。


『追跡任務から牧羊犬みたいになっとるやないですか!』


美音。


『誰が犬だに』


彩香。


『すんません、美音さん』


山。


さらに。


暗くなる。


街。


灯る。


秘密試験車。


先導車。


支援車。


そして。


大型二輪。


左。


右。


左。


ヘアピン。


美音。


ブレーキング。


バイク。


深く。


傾く。


路面。


捉える。


立ち上がる。


加速。


黒鷹の支援車。


最後の妨害。


美音へ。


寄せる。


美音。


一度。


下がる。


男。


勝った。


そう思う。


次の短い直線。


美音。


加速。


一気。


車体横。


ただし。


無理に並ばない。


相手のドライバー。


ミラー。


美音。


バイザーの奥。


静かな目。


男。


焦る。


さらに。


速度。


上げる。


それが。


罠。


前。


管理区画。


広い。


出口。


黒鷹。


飛び込む。


そして。


ブレーキ。


前。


県警車両。


左。


特殊部隊。


右。


別動隊。


後方。


美音。


完全包囲。


先頭。


岡本玲奈。


「そこまでです」


黒鷹。


車。


捨てる。


工作員。


複数。


森側。


走る。


美音。


大型二輪。


安全な位置。


停車。


エンジン。


切る。


ヘルメット。


外す。


その瞬間。


山から吹き下ろした風が。


鮮やかなバイオレットカラーのショートカットを。


大きく。


揺らした。


何十ものカーブ。


急勾配。


妨害車。


秘密試験車。


激しい追走。


その全てを越えてきたとは思えないほど。


河合美音の顔は。


涼しい。


息。


少し。


上がっている。


それだけ。


工作員。


一人。


美音へ。


「邪魔だ!」


美音。


ヘルメットを。


バイクへ。


置く。


「まだやるだか」


男。


拳。


美音。


半歩。


外。


腕。


取る。


身体。


返す。


地面。


一人。


もう一人。


来る。


美音。


今度は。


前。


勇猛。


迷い。


ない。


腕。


受ける。


脚。


踏み込む。


肩。


重心。


男。


崩れる。


遠州の勇者。


車両だけではない。


相手が人間でも。


怯まない。


特殊部隊。


一斉。


展開。


残り。


確保。


内部協力者。


黒鷹工作員。


秘密試験車。


制御データ。


通信端末。


海外搬出計画。


全て。


押収。


任務。


完了。


玲奈が。


美音へ。


近づく。


「怪我は?」


「ないに」


「本当に?」


「ないって」


「バイクは?」


「大丈夫」


「無茶は?」


美音。


一瞬。


考える。


「……してないら」


玲奈。


「その間は何です?」


美音。


口元。


僅か。


「安全運転だに」


玲奈は。


美音を見る。


「走行記録は確認します」


「厳しいに」


「当然です」


そこへ。


彩香。


「玲奈さん、美音さんには若干甘ないです?」


玲奈。


「甘くありません」


美音。


「甘い方がええに」


玲奈。


「駄目です」


美音。


「そうけ」


また。


風。


吹く。


バイオレット。


揺れる。


その姿は。


勝者というより。


ただ。


仕事を終えた人間の顔だった。


強さを。


誇らない。


速さを。


語らない。


一億円を稼げると言われても。


興味がない。


本職から転職を誘われても。


「せんに」


で終わる。


それが。


河合美音だった。


数日後。


ヒロ室西日本分室。


事件。


終了。


報告書。


提出。


平和。


西川彩香。


美音を。


ずっと見ている。


美音。


コーヒー。


「何?」


彩香。


「いや……」


「何だに」


「美音さん」


「うん」


彩香。


指を折る。


「大型二輪、めちゃくちゃ速い」


「うん」


「船操縦できる」


「うん」


「機械分かる」


「まあ」


「エンジンの異常、音で分かる」


「そうけ」


「ピアノ上級者」


「うん」


「ハーモニカほぼプロ」


「昔からやっとるだけ」


「オートレーサーになったら一億以上稼げるって太鼓判」


「言われたに」


「メーカーから本職以上って評価」


「そうけ?」


彩香。


我慢できない。


「美音さん」


「何?」


「苦手な事あらへんの?」


部屋。


静か。


麻衣。


あかり。


美咲。


迫田ツインズ。


なんとなく。


全員。


聞き耳。


美音。


黙る。


一秒。


二秒。


三秒。


視線。


少しだけ。


上。


「……あるに」


彩香。


身を乗り出す。


「何です!?」


美音。


真顔。


「……人気がないことかやあ」


彩香。


「え?」


美音。


コーヒー。


置く。


「イベント終わった後のサイン会な」


少し。


間。


「私んとこだけ、いつも列が短いだに」


彩香。


「ぶっ!」


ほぼ同時。


少し離れた席。


玲奈。


「ふっ……!」


彩香。


目。


見開く。


「玲奈さんまで噴いた!」


玲奈。


口元。


押さえる。


「すみません」


美音。


涼しい。


「別にええに」


麻衣。


「でも美音さん、人気ありますよ」


澪香。


「そうですよ。格好いいですし」


澄香。


「むしろ熱心なファンが多そう」


美音。


頷く。


「全国じゃ、そんな人気ないけどな」


彩香。


「自己分析冷静やな……」


美音。


「でも」


少し。


遠州の柔らかいイントネーション。


「応援してくれとる人らは、でら……じゃないな。かなり熱心だに。地元じゃ結構人気あるでね」


彩香。


「そこはちゃんと誇るんですね!」


美音。


「浜松じゃ割と声掛けられるに」


あかり。


「ええやん」


美音。


「全国イベント行くと列短いけど」


彩香。


「まだ気にしとる!」


美咲。


「広く浅くというより、狭く深く支持されるタイプでしょうか」


麻衣。


「分かる人にはすごく分かる、という感じですね」


迫田澪香。


「一回好きになった人は離れなさそう」


迫田澄香。


「熱量高そう」


彩香。


少し考える。


そして。


「ああ……」


全員。


見る。


「何やろ」


彩香。


「美音さんって、往年の阪急ブレーブスみたいなんや」


美音。


「何それ」


彩香。


「めちゃくちゃ強い」


「うん」


「実力ある」


「うん」


「玄人が見たら惚れる」


「うん」


「地元の人は熱い」


「うん」


「でも全国区の人気だけ妙に伸びへん」


美音。


少し。


考える。


「……褒めとる?」


彩香。


「めちゃくちゃ褒めてます!」


玲奈。


また。


口元。


緩む。


美音。


「ならええに」


彩香。


「そこも阪急っぽい!」


あかり。


「でも美音さん強いし綺麗やし、人気出そうやに」


美音。


「そうかやあ」


あかり。


「もっと喋ったら?」


美音。


「喋ることないもんで」


彩香。


「そこや!」


全員。


笑う。


美音。


首。


少し傾ける。


何が面白いのか。


本人だけ。


いまひとつ。


分かっていない。


それも。


また。


美音だった。


そして。


彩香。


まだ終わらない。


「あとですね」


麻衣。


「来ましたね」


「何が?」


「さつきさんへのボヤキ」


彩香。


「そう!」


美音。


「さつきさん悪くないに」


彩香。


「分かってます!」


美咲。


「正式な取材です」


「分かってます!」


澪香。


「美音さんを褒めただけ」


「それも分かってます!」


あかり。


「『仲間として誇りに思う』って、ええコメントやったに」


彩香。


「分かっとるわ!」


麻衣。


「では何が問題なんです?」


彩香。


両手。


頭。


「何で黒鷹がおる時に限って、あんなええ話するんですか!」


美音。


「知らんら」


「せやから困っとるんです!」


玲奈。


「美月さんの時と違って、さつきさんは本当に取材しただけですよ」


彩香。


「玲奈さんまで正論で追い込まんといてください!」


少し。


間。


彩香。


「決めました」


麻衣。


「またですか」


「何がまたや!」


「意味のない罰です」


「今回はあります!」


全員。


怪しい目。


彩香。


「あの人、次六甲のテストコース来たらな」


美音。


「何する?」


「コース脇に立って」


彩香。


指。


「美音さんが一周するたびラップタイム読み上げてもらいます!」


美咲。


「普通の計測補助ですね」


彩香。


止まる。


「……」


麻衣。


「役に立ちます」


美音。


「私も助かるに」


彩香。


「美音さん喜ばんといてください!」


澪香。


「神戸放送的にも撮れ高がありますね」


澄香。


「さつきさん喜びそう」


彩香。


「また罰がイベント化しとる!」


あかり。


「美音さんの走り見られるしな」


彩香。


「罰受ける人にご褒美与えてどうすんねん!」


美音。


ぽつり。


「ほな、サイン会の列に並んでもらえばええら」


一瞬。


静か。


彩香。


「……美音さん」


「何?」


「それ罰ちゃいます」


「一人増えるに」


玲奈。


「ふっ……」


今度は。


完全に。


噴き出した。


彩香。


指差す。


「玲奈さん! 二回目!」


玲奈。


「すみません」


美音。


「別にええに」


麻衣。


笑う。


あかり。


笑う。


迫田ツインズ。


笑う。


美咲。


笑う。


彩香は。


頭を抱える。


「何で今日、美音さんの一言一言が全部強いんですか!」


美音。


コーヒー。


一口。


「いつも通りだに」


「そこが一番腹立つわ!」


六甲の山では。


その夜も。


どこかでエンジン音が響いていた。


技術者が。


新しい機械へ。


数字を与える。


テストライダーが。


新しい車体へ。


限界を教える。


黒鷹は。


その技術を盗めば。


未来まで奪えると思った。


だが。


追ってきた女は。


彼ら以上に。


機械を知っていた。


道路を知っていた。


バイクを知っていた。


そして。


何より。


速かった。


河合美音。


遠州の勇者。


強い。


美しい。


勇猛果敢。


本職以上の運転技術。


ピアノを弾けば。


技術者が黙る。


オートレーサーになれば。


一億円を狙える。


それでも。


本人は。


どこか掴みどころがない。


全国区では。


本人曰く。


「人気がない」。


だが。


分かっている者は。


よく分かっている。


一度その走りを見た人間。


一度その音を聴いた人間。


一度その静かな強さを知った人間は。


簡単には離れない。


強い。


美しい。


玄人好み。


地元では熱い。


どこか往年の阪急ブレーブスのような女。


そして。


今日も。


イベントの最後。


自分のサイン会の列を見て。


ほんの少しだけ首を傾げる。


「……今日も短いに」


それが。


遠州の勇者。


河合美音の。


数少ない。


そして誰にも深刻には受け取ってもらえない。


悩みだった。

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