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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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401/415

議決権は、銃より重い ――神戸・神港経済戦略研究所、「黙ってほしい会社」の名簿

銃を向けられれば、人は警察を呼ぶ。


財布を奪われれば、被害届を出す。


だが。


「御社には、世間に知られたくないことがありますよね」


そう静かに囁かれた時。


人間は、時として銃口を向けられた時より素直になる。


企業も同じだった。


企業には看板がある。


株価がある。


取引先がある。


銀行がある。


従業員がいる。


そして何より――信用がある。


たった一つの記事。


一枚の怪文書。


株主総会で投げつけられた一つの質問。


それだけで、何十年積み上げた信用が揺らぐこともある。


その恐怖を金へ換える人間がいる。


神戸。


海と山の間に細長く広がる街。


港。


外国文化。


ファッション。


観光客。


高層ホテル。


華やかな顔を持つ街だった。


だが、金が集まる場所には必ず影がある。


企業買収。


株主。


役員人事。


公共事業。


不祥事。


政治との距離。


誰にも知られたくない古傷。


神戸市中心部。


大通りから一本入ったオフィス街。


古いが手入れの行き届いた中層ビルに、その看板は掛かっていた。


神港経済戦略研究所。


企業分析。


株主総会対策。


危機管理。


企業統治。


事業承継。


経営者向け情報提供。


ウェブサイトだけを見れば、企業経営者を支援する堅実なシンクタンク兼コンサルティング会社にしか見えない。


受付には観葉植物。


応接室には経済誌。


書棚には会社法、金融、企業統治に関する専門書。


壁には地元経営者と並んだ所長の写真。


その所長。


久我原征一郎。


六十を少し過ぎた男だった。


濃紺の高級スーツ。


控えめなネクタイ。


白髪交じりの髪を丁寧に整え。


声を荒らげない。


経営者向け講演会では、


「株主は敵ではありません。企業価値を共に考えるパートナーです」


と穏やかに語る。


地方経済誌へ企業統治について寄稿することもあった。


経済団体のパーティーへ出れば、経営者たちが自分から挨拶へ来る。


表向きには。


立派な経済人だった。


だが。


久我原には、別の顔がある。


関西経済界最後の大物総会屋。


古い。


時代遅れ。


そんな言葉で片づけるには、久我原はあまりにも頭が切れた。


昔ながらの総会屋は、株を少数保有し、株主総会へ入り込む。


執拗な質問。


怒号。


議事進行妨害。


経営陣への威圧。


企業が金を出せば黙る。


神港経済戦略研究所も、その古い手口を捨ててはいなかった。


しかし。


それだけではなかった。


時代が変われば、恐喝の服も着替える。


研究所が発行する月刊機関誌――


『神港経済公論』。


地方企業の動向。


景気分析。


経営者インタビュー。


株主総会展望。


一見すれば真面目な情報誌。


だが。


目をつけられた会社には。


数百部単位の大量購読。


高額な広告出稿。


研究会への加入。


経営相談契約。


危機管理コンサルティング。


次々に話が持ち込まれる。


断る。


すると。


翌月。


誌面へ小さな記事が載る。


《某上場企業、過去の品質管理に疑問》


《経営陣の説明責任は十分か》


《子会社取引をめぐる不透明な資金の流れ》


完全な嘘ではない。


そこが久我原のいやらしいところだった。


内部の人間から買った、小さな事実。


古いトラブル。


処理済みの労務問題。


役員の私生活。


昔の接待。


子会社で発生した不祥事。


表へ出れば説明の必要はある。


しかし、犯罪とは限らない。


その程度の火種へ。


憶測を足す。


不安を煽る。


取引先へ機関誌を送りつける。


株主総会では、息の掛かった者が質問する。


企業側へはその前に。


久我原の部下が静かに言う。


「今後のリスク管理について、当研究所がお手伝いできるかもしれません」


恐喝という言葉は使わない。


金を出せとも言わない。


だが。


意味は一つだった。


金を払えば、黙る。


さらに。


内部告発情報を企業へ売り戻す。


金を出した会社には他の総会屋を近づけない。


逆に拒んだ企業には、株主総会へ複数の関係者を送り込む。


情報誌。


ネット上の匿名情報。


外部コンサルタント。


企業説明会。


使えるものは何でも使う。


古い総会屋の体質と。


現代型の企業恐喝。


両方を扱う。


久我原征一郎は。


時代遅れなのではない。


時代が変わるたび、古い悪意を新しい形へ着替えさせてきた男だった。


その久我原へ。


黒鷹が接近していた。


兵庫県警が追っていた一本の資金線。


黒鷹。


神港経済戦略研究所。


そして。


かつて兵庫県政の頂点に立ち、その後、政治資金や県発注事業をめぐる一連の疑惑から県民の強い反発を招き、リコールによって職を追われた元県知事。


三者は。


表では無関係だった。


だが。


裏で一本につながっていた。


元県知事が在任中に築いた。


企業。


建設業者。


外郭団体。


県政関係者。


久我原は、その人脈の「弱み」を握っていた。


黒鷹は、その弱みを使って人間を動かそうとしていた。


企業が黙ってほしいこと。


元行政関係者が掘り返されたくないこと。


黒鷹が協力させたい人物。


すべてが記録された名簿がある。


県警は、その存在まで突き止めた。


通称――


沈黙名簿。


企業名。


役員名。


弱点。


情報源。


過去に支払った金額。


交渉履歴。


拒絶した者。


すでに黒鷹側へ転んだ者。


まだ脅せる者。


行政時代の人脈。


それは。


総会屋の顧客台帳ではない。


黒鷹にとって。


関西経済界を内側から操作するための地図だった。


だが。


久我原は尻尾を出さない。


何年も県警が追った。


金は直接受け取らない。


請求書がある。


契約書がある。


広告費。


情報誌購読料。


研究会費。


危機管理コンサルティング料。


形だけ見れば。


商取引だった。


そして。


恐喝された側も警察へ行かない。


被害を届ければ。


自分たちの隠したかった話まで表へ出る。


久我原は。


法律の隙間ではなく。


人間の羞恥と恐怖の隙間


へ住んでいた。


その案件が。


ヒロ室西日本分室へ降りてきた。


大型モニター。


玲奈が資料を閉じた。


いつもより。


少し長い沈黙があった。


「今回の相手は、これまでとは違います」


西川彩香も。


軽口を挟まなかった。


久我原。


黒鷹。


企業恐喝。


反社会的勢力。


人間の弱点だけを何十年も見てきた連中。


嘘。


金。


裏切り。


恐怖。


そこに敏感な人間。


潜入者の僅かな違和感が。


命取りになる。


玲奈。


「無理に内部へ入る必要はありません」


彩香が顔を上げた。


「玲奈さん」


「はい」


「ウチが行きます」


即答だった。


玲奈の眉が。


ほんの僅かに動いた。


「彩香」


「麻衣は若すぎる。あかりは……」


あかり。


「何?」


彩香。


「こういう腹の探り合い無理やろ」


「多分無理やに」


「即答すんな」


美音は車両監視。


迫田ツインズは目立つ。


内部へ入り。


久我原本人から信頼を取る。


その役は。


彩香が一番向いていた。


玲奈。


「危険です」


「分かってます」


「相手は久我原です」


「はい」


「身元を疑われた場合、普通の企業への潜入とは違います」


「分かってます」


玲奈は。


普段より少しだけ強く言った。


「くれぐれも慎重に」


「はい」


「少しでも危険を感じたら撤退」


「はい」


「証拠を取り損ねても構いません」


「はい」


「任務そのものを放棄してもいい」


彩香。


一拍。


「……はい」


玲奈。


「今、一拍ありましたね」


彩香。


「気のせいです」


「彩香」


「分かってますって」


玲奈は黙って彩香を見る。


以前の彩香なら。


危険と言われれば。


むしろ前へ出た。


燃やすべきものも。


守るべきものも。


全部同じ火力で焼こうとしていた。


だが。


今は違う。


何を壊していいか。


何を残すべきか。


どこまで追うか。


いつ引くか。


現場責任者として。


覚えてきた。


だから。


任せられる。


だからこそ。


怖い。


責任感まで。


昔より強くなっている。


「あなたは責任感が強すぎます」


彩香。


「玲奈さんにだけは言われたないですけど」


玲奈。


「……それは否定しません」


彩香が少し笑う。


「必ず帰ってきます」


玲奈は。


返事をしなかった。


一秒。


二秒。


そして。


「お願いします」


それだけ言った。


彩香は。


名前を捨てた。


川瀬紗季。


髪型を変え。


髪色も僅かに落ち着かせる。


薄い縁の眼鏡。


メイクで輪郭の印象を変える。


播州弁も少し抑える。


派手な変装ではない。


昔からの知人なら気づく。


だが。


初対面の人間なら。


別人として記憶する程度。


肩書きは。


企業リスク分析会社から転職してきた危機管理コンサルタント。


株主総会対策。


企業情報分析。


経営リスク調査。


その経歴で。


彩香は。


一人。


神港経済戦略研究所へ入った。


初日。


久我原は。


自分から面接へ出てきた。


「川瀬さん」


「はい」


「株主総会で、会社にとって一番怖い株主は何だと思います?」


彩香は。


すぐには答えなかった。


「大声出す株主やないでしょうね」


久我原の目。


僅かに細くなる。


「では?」


「会社側が、自分から怯える理由持っとる時です」


「ほう」


「何もない会社やったら、何聞かれても堂々と答えたらええ」


彩香は資料を閉じる。


「でも」


久我原を見る。


「『これだけは聞かれたない』いうネタが一個あったら」


低く。


「相手一人でも怖い」


沈黙。


久我原が。


笑った。


「面白いね、あなた」


その瞬間。


彩香は。


一歩。


懐へ入った。


久我原は。


頭の切れる男だった。


人をすぐには信用しない。


仕事を与える。


わざと。


古い資料を混ぜる。


彩香が気づくかを見る。


「この会社、次の総会は荒れる」


古参の男が資料を出す。


彩香。


数ページ。


「役員構成、去年のですね」


男。


「何?」


「財務担当、今年変わってます」


ページを開く。


「この資料のまま話進めたら、こっちが恥かきますよ」


男。


黙る。


別の日。


久我原。


「この社長、どう落とす?」


彩香。


「社長は無理でしょうね」


「なぜ?」


「気ぃ強すぎる。追い込んだら金払うより警察行くタイプや」


「なら?」


「専務」


久我原。


「……」


「家族会社との取引がある。会社本体の話より、そっち突かれる方が嫌でしょう」


久我原は。


それ以上訊かなかった。


しかし。


翌日から。


彩香へ渡される資料が変わった。


より深い。


より危険な。


企業名。


役員名。


表には出ていない話。


そして。


彩香は。


そこで初めて。


久我原の本当の怖さを見る。


古い総会屋のように。


怒鳴る必要がない。


久我原は。


企業へ言う。


「当方としても、この話を公にするつもりはありません」


安心させる。


続けて。


「ただ、次の株主総会で第三者から質問が出た場合、当研究所として止める術はありません」


さらに。


「危機管理契約を結んでいただければ、事前に情報を収集し、総会運営をお手伝いできます」


脅迫とは言わない。


恐喝とも言わない。


だが。


断ればどうなるか。


相手に想像させる。


恐怖を。


本人の頭の中で完成させる。


そして金を払わせる。


彩香は。


内心。


吐き気がした。


だが。


顔には出さない。


久我原。


「川瀬さん」


「はい」


「この仕事、嫌いですか?」


彩香。


「好き嫌いで給料出る仕事ばっかりちゃうでしょう」


久我原。


「いい答えだ」


彩香。


「ありがとうございます」


笑う。


心の中では。


ほんま腐っとるな。


そう呟いた。


さらに数日。


会議。


久我原の側近が口にする。


「例の黒い鳥の案件――」


彩香の指。


止まらない。


資料へ書き込み続ける。


聞こえなかった。


それでいい。


久我原は。


彩香の横顔を見ていた。


彩香は。


見返さない。


それも。


潜入だった。


陰では。


NSTが。


彩香を一人にしなかった。


麻衣。


ビル周辺。


裏口。


非常階段。


非常用通路。


隣接ビル。


構造を頭へ入れる。


どの部屋からなら。


何秒で彩香へ届くか。


紀州の舞姫は。


戦う前から。


戦場の形を覚える。


あかり。


配送補助。


段ボール箱を抱えて。


「神港経済戦略研究所さん、お届け物やに」


人当たり。


笑顔。


受付と普通に世間話。


疑われない。


美音。


地下駐車場。


車。


ナンバー。


出入り。


停車時間。


黒鷹関係車両を追う。


迫田ツインズ。


別々の企業関係者。


秘書。


広報担当。


ホテルラウンジ。


高級レストラン。


経済人の会合。


同じ顔の二人が。


別方向から久我原の人脈を削る。


一人で敵の中にいる彩香。


しかし。


決して。


一人ではない。


十二日目。


久我原が。


彩香を執務室へ呼んだ。


机。


専用端末。


書棚。


そして。


古い革表紙の分厚いファイル。


久我原。


「川瀬さん」


「はい」


「これからは、もう少し深い仕事を任せたい」


彩香。


「光栄です」


久我原は。


端末へ認証。


画面。


企業名。


役員名。


金額。


情報源。


彩香の目。


動かさない。


さらに。


書棚から。


紙。


久我原は。


重要なものほど。


紙で残していた。


古い男だった。


だが。


賢い。


デジタルは便利だ。


同時に。


痕跡も残る。


だから。


最後の核心だけは。


紙。


彩香は。


見た。


企業。


黒鷹。


元県知事周辺。


元秘書。


行政時代の人脈。


資金。


全部。


一本。


沈黙名簿。


あった。


あと一日。


黒鷹の責任者が来る。


現物。


人間。


通信記録。


全部。


一度に取れる。


玲奈。


『あと一日です』


彩香。


『はい』


『絶対に無理をしないで』


『分かってます』


玲奈。


『本当に?』


彩香。


『しつこいですよ』


玲奈。


『しつこく言います』


彩香。


一瞬。


笑った。


『了解』


翌日。


窓。


一台のCS放送ロケ車。


彩香。


「……」


嫌な予感。


ドア。


開く。


明るい色のツインテール。


彩香。


目を閉じる。


通信。


麻衣。


『彩香さん?』


彩香。


『……来た』


『何が?』


『アホツインテール』


赤嶺美月。


経済学部学生。


今回は。


珍しく。


いや。


本人に失礼だが。


本当にテーマへ合っていた。


CS放送の経済企画。


『美月が聞く! 株主総会ってなんやねん?』


株主とは。


議決権とは。


企業統治とは。


IRとは。


大学生目線で学ぶ。


取材協力。


神港経済戦略研究所。


表向きは。


まさに専門家。


研究所側も。


テレビへ出れば。


信用が上がる。


久我原。


笑顔。


快諾。


彩香。


『何で今回に限って経済学部が完璧に仕事すんねん……』


玲奈。


『正式な取材です』


『分かってます!』


美月。


カメラ。


スタッフ。


明るい声。


「今日は株主総会について勉強しまーす!」


彩香。


奥。


資料。


顔を上げない。


来るな。


気づくな。


そのまま帰れ。


祈り。


しかし。


願いほど。


叶わない。


美月。


「あれ?」


彩香。


無視。


「あれれ?」


近づく。


覗き込む。


彩香。


資料。


美月。


数秒。


そして。


大声。


「彩香~! 何してん?」


室内。


止まる。


彩香。


ゆっくり。


顔。


「……人違いですよ」


美月。


「何言うてんねん」


「人違いです」


「間違える訳ないやろ」


カメラまで。


寄る。


彩香。


「似た方でしょう」


美月。


「どれだけ長い時間一緒に居ると思うねん」


彩香。


笑顔。


引きつる。


美月。


顔を見る。


「あ、この辺り」


目元。


「彩香の怖いオバハンの感じ出とる」


彩香。


「……」


通信。


麻衣。


『耐えて』


彩香。


『分かっとる……!』


美月。


「怒る直前、眉毛こうなるやん」


真似。


あかり。


通信。


『彩香さん、頑張って』


彩香。


『あかりは黙っといて!』


美月。


「ビジネススーツ似合うやん。転職したん?」


彩香。


「人違いです」


「声も彩香」


「似ている方でしょう」


「その言い方も彩香」


「違います」


「怖い顔も同じ」


彩香。


限界。


普段なら。


一秒。


「やかましいわ、このアホツインテール!」


と。


叩き返す。


だが。


潜入。


彩香は。


笑う。


「お客様、取材はこちらです」


美月。


「何その喋り方。気持ち悪っ」


彩香。


「……」


麻衣。


『彩香さん』


彩香。


『分かっとるわ……!』


美月。


「なあ彩香――」


彩香。


ついに。


小さく。


「……やかましいわ、このアホツインテール」


美月。


顔。


輝く。


「ほら彩香やん!」


彩香。


心の中。


しまったぁぁぁ……!


カメラマン。


なぜか満足。


ディレクター。


笑いを堪える。


スタッフ。


いい画が撮れた顔。


だが。


一人。


笑っていない。


久我原。


遠くから。


彩香を見る。


その目だけが。


冷たかった。


CS放送。


収録終了。


美月。


「ほな彩香、またな!」


彩香。


「人違いや言うてるでしょう」


「まだやるん?」


「帰れ!」


美月。


「あ、戻った」


ドア。


閉まる。


彩香。


笑顔。


消える。


通信。


麻衣。


『お疲れさまです』


彩香。


『まだ任務中や』


本当だった。


危険は。


これから。


夕方。


「川瀬さん」


「はい」


「所長がお呼びです」


彩香は。


分かっていた。


執務室。


久我原。


一人。


窓側。


「座って」


彩香。


座る。


ドア。


閉まる。


鍵。


別の扉。


男。


一人。


二人。


三人。


黒鷹。


久我原。


「川瀬紗季さん」


彩香。


「はい」


久我原。


微笑む。


「いや」


少し間。


「西川彩香さん」


彩香。


表情。


変えない。


「誰です、それ」


久我原。


「さっきのお嬢さんが、随分親しげだった」


「人違いですよ」


「では」


机。


写真。


県警関係施設付近。


彩香。


写っている。


久我原。


「これは?」


彩香。


写真を見る。


「随分似た人ですね」


久我原。


笑う。


「最後までそう来るか」


声。


穏やか。


だから。


怖い。


「君は優秀だった」


「ありがとうございます」


「久しぶりに、本気で雇いたいと思ったよ」


「光栄です」


「だから残念だ」


彩香。


黙る。


久我原。


「何を探していた?」


「企業情報です」


「誰のために?」


「顧客です」


「警察か」


彩香。


無言。


久我原。


「黒鷹を追っているのか」


無言。


男が。


一歩。


近づく。


久我原。


「警察に雇われた女か。あるいは、もっと別の何か」


彩香。


「想像力豊かですね」


久我原。


「人間の嘘を見るのが仕事でね」


彩香。


「人を脅すの間違いやろ」


空気。


変わる。


久我原。


「ようやく素が出た」


彩香。


眼鏡を外す。


机へ。


「もうええやろ」


播州。


戻る。


「こっちも十二日間、丁寧な言葉使うん疲れたわ」


久我原。


「逃げられると思うか?」


彩香。


ゆっくり。


立つ。


「逃げる?」


目。


鋭くなる。


「誰が?」


久我原。


「賢い女だと思っていたが、最後は馬鹿だったな」


彩香。


「よう言われるわ」


「一人で何ができる」


彩香。


少し笑う。


「一人?」


袖を軽く直す。


「誰が一人や言うた?」


頭。


玲奈の声。


安全第一。


危険なら撤退。


証拠より自分。


分かっている。


本当に。


分かっている。


だが。


目の前。


久我原。


沈黙名簿。


黒鷹。


県警が。


何年も。


掴めなかった尻尾。


ここで手を離せば。


また闇へ潜る。


そして。


もう一つ。


父。


西川剛史。


社会人野球。


名外野手。


日の丸。


国際大会。


彩香は。


現役時代を直接知らない。


だが。


子供の頃から。


父の昔話だけは。


嫌というほど聞かされた。


終盤。


一点差。


長打。


抜ければ終わる。


誰もが。


無理だと思う。


それでも。


外野手は走る。


父は。


何度も言った。


「諦めるんは、終わってからでええ」


ボールが落ちる前に。


自分からヒットにするな。


試合終了の声が出る前に。


自分から負けにするな。


届くかどうかは。


走った後に決めろ。


その精神。


娘にも。


間違いなく。


入っていた。


男。


彩香の腕へ。


伸びる。


彩香。


半歩。


外。


手首。


取る。


「悪いけどな」


男の身体。


机とは逆。


証拠から離す。


「ウチの親父」


重心。


崩す。


床。


「往生際悪い人やってん!」


二人目。


横。


拳。


彩香。


身を沈める。


避ける。


肩。


返す。


「娘も」


踏み込む。


「似てもうたわ!」


播州の烈火。


燃えた。


だが。


昔の炎とは違う。


何でも焼かない。


机。


端末。


紙。


沈黙名簿。


全部。


守る。


男だけ。


崩す。


一人。


前。


拳。


彩香。


外側。


腕。


肩。


反対方向。


壁。


寸前。


止める。


床。


二人目。


椅子を蹴る。


彩香。


避ける。


椅子は。


端末方向。


彩香。


瞬時。


手を伸ばす。


軌道を変える。


机には当てない。


「高い資料壊したら」


男の腕。


取る。


「証拠隠滅で追加やぞ!」


男。


「黙れ!」


彩香。


「総会屋いうから」


一撃。


外す。


「口だけで仕事しとるんか思ったら」


肩。


崩す。


「結構身体張るんやな!」


黒鷹。


三人目。


後ろ。


彩香。


振り返らず。


足音。


読む。


半歩。


男の腕が空を切る。


彩香。


「遅い!」


肘。


身体。


反転。


男が。


書棚の前。


止まる。


彩香。


さらに。


前。


久我原。


そこだけは。


動かない。


見ている。


彩香。


「さすが大物やな」


久我原。


「何がだ」


「自分では手ぇ汚さん」


久我原。


「汚す必要がない」


「せやろな」


彩香。


「ずっと他人の弱みだけ使って生きてきたんやもんな」


久我原の笑み。


初めて。


少し消える。


外。


麻衣。


通信。


雑音。


そして。


途切れる。


「彩香さん?」


返答。


なし。


玲奈。


一秒。


判断。


「強制突入へ切り替えます」


麻衣。


「了解」


あかり。


「行くに!」


美音。


「地下車両動いた」


澪香。


「黒鷹二名、裏口へ」


澄香。


「こちらも追う」


玲奈。


低く。


「全員、予定変更」


一拍。


「彩香を最優先」


麻衣。


もう走っていた。


非常階段。


狭い。


小柄。


軽い。


足音。


最小限。


踊り場。


一段飛ばし。


手すり。


身体を小さく返す。


紀州の舞姫。


狭いところほど。


速い。


角。


黒鷹工作員。


麻衣を見る。


「止まれ!」


麻衣。


止まらない。


男。


腕を伸ばす。


麻衣。


その内側。


滑り込む。


腕。


肩。


男の力を。


階段の外ではなく。


壁側へ流す。


転落させない。


一回転。


床。


「危ないので、ここで寝ててください」


次。


上。


走る。


裏口。


工作員。


ケース。


出る。


目の前。


作業服。


山本あかり。


「あ」


男。


「どけ!」


あかり。


「嫌やに」


男。


「どけ!」


突進。


あかり。


足。


開く。


腰。


落とす。


真正面。


受ける。


一歩。


靴底。


床へ。


止まる。


男。


「何だこいつ!」


あかり。


「通したら彩香さんに怒られるに!」


四日市の突貫娘。


前。


一気。


肩。


相手の中心。


崩す。


男。


後退。


二人目。


あかり。


「二人おるん?」


「邪魔だ!」


「一人ずつ来てくれた方が楽やに!」


拳。


外す。


腕。


押す。


真正面。


突破。


逃げる男。


あかり。


追う。


「待て!」


「来るな!」


「待て言うとるやろ!」


駐車場。


美音。


車の動き。


読む。


出口。


塞がない。


一般車両を巻き込まない。


黒鷹車が。


安全な方向へ出るしかないよう。


逃走路を削る。


迫田ツインズ。


右。


左。


同じ顔。


別方向。


黒鷹。


一瞬。


混乱。


その隙。


澪香。


「そっちは無理」


澄香。


「こっちも」


車。


止まる。


建物内。


彩香。


肩。


息。


上がっている。


だが。


目。


死んでいない。


久我原。


「もういい」


男たちへ。


「片づけろ」


彩香。


「雑な言い方やな」


一人。


前。


彩香。


構える。


「企業には丁寧に『危機管理のお手伝い』とか言うくせに」


拳。


外す。


「部下には片づけろ、か!」


蹴り。


避ける。


身体。


返す。


男。


机へ。


行かせない。


横。


床。


彩香。


一歩。


「ほんま」


息。


整える。


「外面だけはええ会社やな!」


久我原。


「馬鹿な女だ」


彩香。


「よう言われる」


「ここで耐えて何になる?」


彩香。


笑う。


「もうすぐ分かるわ」


廊下。


音。


男が振り返る。


扉。


開く。


白浜麻衣。


「彩香さん」


彩香。


一瞬。


顔。


緩む。


「遅い」


麻衣。


「すみません」


黒鷹。


麻衣へ。


大柄。


腕。


麻衣。


小さく。


沈む。


腕の下。


一歩。


肩。


手首。


相手の力。


全部。


横へ。


床。


もう一人。


背後。


麻衣。


見る。


いや。


見る前に。


身体が動く。


短い回転。


脚。


足元。


バランス。


崩す。


腕。


決める。


紀州の舞姫。


狭い執務室。


大きく動かない。


机を倒さない。


書棚を揺らさない。


精密。


静か。


華麗。


彩香。


「相変わらず狭いとこ強いな」


麻衣。


「褒めるの後でお願いします」


彩香。


「了解」


その後ろ。


大きな足音。


「あっ、彩香さん!」


あかり。


飛び込む。


彩香。


「おっそい!」


あかり。


「走ってきたに!」


「知っとる!」


黒鷹。


あかりへ。


男。


真正面。


あかり。


真正面。


「そこ通るん?」


「どけ!」


「嫌やに!」


肩。


衝突。


あかり。


止まらない。


一歩。


二歩。


押す。


四日市の突貫娘。


力任せではない。


相手の足。


腰。


重心。


現場で身につけた。


身体の使い方。


前へ。


相手の形を。


壊す。


男。


横へ逃げる。


麻衣。


すっと。


立つ。


逃げ道。


消える。


反対。


彩香。


「どこ行くん?」


男。


止まる。


三人。


彩香。


麻衣。


あかり。


一瞬。


空気。


変わる。


播州の烈火。


紀州の舞姫。


四日市の突貫娘。


全員。


違う。


だから。


強い。


黒鷹工作員。


二人。


同時。


一人は麻衣。


一人はあかり。


彩香。


中央。


麻衣。


一撃を外し。


相手の腕を流す。


その先。


あかり。


「おかえりやに!」


男。


「誰が帰った!」


あかり。


肩。


止める。


彩香。


横から。


「漫才しとる場合か!」


男が向きを変える。


彩香。


踏み込む。


腕。


取る。


「燃え尽きろ言うとるんちゃう」


重心。


崩す。


「ここで止まれ言うとんねん!」


床。


もう一人。


麻衣を押そうとする。


麻衣。


狭い隙間。


滑る。


背後。


腕。


固定。


あかり。


前。


「逃げ道ないに」


三人。


完全に。


押し返す。


そこへ。


階下。


音。


重い。


揃っている。


兵庫県警特殊部隊。


一斉。


階段。


廊下。


ドア。


指示。


統制。


そして。


先頭。


黒いジャケット。


岡本玲奈。


冷たいほど整った顔。


だが。


その目だけは。


最初に。


彩香を探した。


見つける。


立っている。


無事。


一瞬。


ほんの一瞬。


玲奈の肩から。


見えない力が抜けた。


次。


指揮官へ戻る。


「全員、その場を動かないでください」


特殊部隊。


展開。


銃口。


制圧。


黒鷹。


久我原一派。


逃走役。


全員。


止まる。


久我原。


最後まで。


椅子から動かなかった。


「証拠があると思うのか」


玲奈。


「あります」


短い。


麻衣。


専用端末。


あかり。


紙資料。


美音。


地下車両から暗号媒体。


迫田ツインズ。


別会場で押さえた黒鷹連絡役の通信端末。


そして。


彩香。


久我原の机。


厚い。


革表紙。


原簿。


手に取る。


「これやろ?」


久我原。


初めて。


顔。


崩れる。


沈黙名簿。


そこには。


企業の秘密があった。


久我原の恐喝があった。


黒鷹への情報提供があった。


元県知事時代に形成された人脈と、そこから伸びる資金の流れがあった。


人間が。


人間の弱みへ。


値札を付けた記録。


全部。


あった。


玲奈。


「確保してください」


特殊部隊。


動く。


久我原。


立つ。


手錠。


最後に。


彩香を見る。


「君のような女は、長生きしない」


彩香。


笑わない。


「余計なお世話や」


一拍。


「長生きするから覚えとけ」


久我原は。


連れていかれた。


任務。


完了。


数時間後。


ビルの外。


夜。


赤色灯。


捜査車両。


特殊部隊。


証拠品搬出。


彩香。


少し乱れたスーツ。


眼鏡。


もう掛けていない。


玲奈が。


近づく。


第一声。


「怪我は?」


彩香。


「ないです」


玲奈。


全身。


見る。


「本当に?」


「ほんまです」


「痛いところは?」


「ないですって」


「頭は?」


彩香。


「頭?」


玲奈。


「久我原に何かされていませんか」


彩香。


「そこまで心配せんでも」


玲奈。


「します」


即答。


彩香。


少し。


黙る。


玲奈。


息。


吐く。


「……よくやりました」


彩香。


顔。


上げる。


「沈黙名簿の確保」


玲奈。


「久我原と黒鷹を同じ場所へ留めた判断」


そして。


「見事でした」


彩香。


少し照れる。


「玲奈さんにそこまで言われたら」


口元。


「悪い気せえへんな」


玲奈。


「ただし」


彩香。


「あ、来た」


「安全第一です」


「分かってます」


「危険なら撤退」


「分かってます」


「証拠より自分の安全」


「分かってますって」


玲奈。


じっと。


彩香を見る。


「……分かってないやろ」


彩香。


「分かってます!」


「今回、逃げませんでした」


「逃げる必要なかったでしょう」


「そういうところです」


「勝算ありました!」


「結果としてです」


「麻衣ら絶対来る思ってましたし」


「通信は切れていました」


「でも来ると思ってました」


玲奈。


「それを無茶と言います」


彩香。


「信頼です」


玲奈。


「言い方を変えない」


彩香。


「……すんません」


玲奈の表情。


少し。


柔らかくなる。


「彩香」


「はい」


「あなたが頼もしくなればなるほど」


一拍。


「私は心配になるんです」


彩香。


顔から。


笑いが消える。


玲奈。


「あなたは、もう十分に強い」


「……」


「だから、自分が強いことを証明するために無茶をする必要はありません」


彩香。


「証明するつもりなんかないです」


「なら」


「はい」


「次はもっと慎重に」


彩香。


「分かりました」


玲奈。


「本当に?」


彩香。


「……たぶん」


玲奈。


「ほら」


彩香。


「今のなし!」


二人。


目。


合う。


少しだけ。


笑う。


師弟。


上司。


部下。


その言葉だけでは。


少し足りなかった。


玲奈は。


自分の背中を追ってきた若い女が。


いつの間にか。


仲間の前へ立ち。


自分で現場を背負える人間になったことを。


誇らしく思っていた。


だから。


失いたくない。


彩香も。


分かっていた。


玲奈の小言が。


命令以上の意味を持つことを。


だから。


本気では。


嫌ではない。


事件は。


表向き。


兵庫県警による大規模企業恐喝・不正情報取引事件摘発


として発表された。


神港経済戦略研究所。


久我原征一郎。


幹部。


黒鷹関係者。


一斉摘発。


機関誌を利用した恐喝。


高額広告の強要。


危機管理契約名目の金銭要求。


株主総会妨害。


内部情報売買。


企業への風評圧力。


黒鷹への情報提供。


そして。


かつて県政の中枢で形成された企業・行政人脈を利用した資金と情報の流れ。


長年。


県警が追い続け。


それでも。


決定的証拠を取れなかった大物総会屋。


ようやく。


終わった。


NSTの名前は。


表へ出ない。


県警内部ですら。


存在を知る者は。


一部。


だが。


その一部の中では。


評価が変わった。


「NSTが久我原を取ったらしい」


「本当に?」


「何年追っても落ちなかった奴だぞ」


「西川が中へ入った」


「単独で?」


「途中から特殊部隊まで動いたらしい」


県警上層部。


一人の幹部が。


玲奈へ言った。


「西川は大したものだ」


玲奈。


短く。


「ええ」


それだけ。


しかし。


少しだけ。


声が柔らかかった。


――数日後。


ヒロ室西日本分室。


久我原。


逮捕。


黒鷹の企業工作網。


大打撃。


元県知事周辺への捜査も。


別線で進む。


重い任務だった。


危険だった。


命の瀬戸際もあった。


だからこそ。


平穏な分室へ戻った今。


少しくらい。


静かに休めばいい。


そのはずだった。


西川彩香。


朝から。


「あのアホツインテール、もう堪忍ならん」


麻衣。


「始まりました」


彩香。


「何が!」


美咲。


「久我原事件、第二部」


「勝手に続編作んな!」


あかり。


「美月さん、今回はちゃんと経済学部らしい仕事しとったやん」


彩香。


「そこが腹立つねん!」


美音。


「株主総会の企画なら専門に近いですね」


「何で今回に限って専攻が綺麗に噛み合うねん!」


澪香。


「偶然?」


彩香。


「その言葉ほんま嫌いや!」


澄香。


「でも美月、彩香さんすぐ分かったね」


彩香。


机。


「そこや!」


全員。


見る。


「あいつな」


彩香。


「『間違える訳ないやろ。どれだけ長い時間一緒に居ると思うねん』とか言いよって!」


あかり。


「仲良しやな」


「どこが!」


麻衣。


「ちょっと嬉しかったんじゃないですか?」


「一ミリも!」


美咲。


「髪型も顔の印象も変えていたんですよね」


「そうや!」


美音。


「よく見てる」


「見んでええ!」


澪香。


「『このあたりが怖いオバハン』」


彩香。


「再現すんな!」


澄香。


眉。


少し寄せる。


「こう?」


彩香。


「姉妹で再現精度上げんな!」


あかり。


笑う。


彩香。


「しかもカメラ回っとる前でやぞ」


麻衣。


「声大きかったですね」


「デカいねん!」


美音。


「フロア全体に聞こえてました」


「実況すんな!」


美咲。


「でも彩香さん、よく我慢しましたね」


彩香。


少し。


胸。


張る。


「せやろ?」


麻衣。


「普段なら三秒で『やかましいわ、このアホツインテール』ですから」


彩香。


「今回は耐えた!」


あかり。


「最後言うたけど」


彩香。


「……」


一同。


爆笑。


「そこ忘れろ!」


澪香。


「美月がすぐ『ほら彩香やん!』って」


彩香。


「再現せんでええ!」


澄香。


「完全に答え合わせだったね」


「分析すんな!」


美音。


「あそこで黙っていれば」


「分かっとる!」


麻衣。


「でも美月さん、嬉しそうでした」


「知らん!」


あかり。


「彩香さん見つけたからな」


「迷子の犬みたいに言うな!」


分室。


笑い。


彩香。


腕。


組む。


「決めた」


麻衣。


「また罰ですか?」


「何がまたや!」


美咲。


「美月さんへの、だいたい意味のない罰です」


「今回は意味ある!」


全員。


疑う顔。


彩香。


立つ。


「あのアホツインテールな」


あかり。


「うん」


「次の株主総会で」


一拍。


「議決権行使書、一万枚並べる」


美音。


「一万枚」


「全部!」


澪香。


「何をするの?」


彩香。


「ハンコが真っ直ぐ押されとるか」


指。


目。


「宝石鑑定用みたいなルーペで、一枚ずつ確認させたる!」


麻衣。


「なぜ宝石鑑定用ルーペなんです?」


彩香。


「細かい方が腹立つやろ!」


美咲。


「斜めだった場合は?」


彩香。


「別の山!」


澄香。


「別の山にして、どうするの?」


彩香。


「知らん!」


美音。


「最終的に何が分かるんです?」


彩香。


「知らん!」


麻衣。


真顔。


「それって意味ありますか?」


彩香。


胸。


張る。


「大ありや! オオアリクイや!」


沈黙。


三秒。


あかり。


「……オオアリクイ?」


彩香。


「そこ拾うな!」


麻衣。


「大ありなんですか?」


「大ありや!」


美咲。


「具体的には?」


彩香。


「……」


全員。


待つ。


彩香。


小さく。


「ない」


爆笑。


麻衣。


「さっき大ありって」


「勢いや!」


あかり。


「オオアリクイ関係ないやん」


「分かっとる!」


美音。


「美月ちゃん、途中からハンコの模様で遊び始めそう」


澪香。


「『これ顔みたい』とか」


澄香。


「真央ちゃん呼びそう」


彩香。


「巻き髪まで呼ぶな!」


あかり。


「二人で『こっちのハンコ可愛い』とかやりそうやに」


彩香。


「株主総会をスタンプラリーにすんな!」


麻衣。


「一万枚終わったら美月さん、『株主になれた?』って聞きそう」


彩香。


「なれへん!」


美咲。


「経済学部ですから、途中から議決権行使について真面目に勉強する可能性も」


彩香。


「罰がゼミになっとるやないか!」


美音。


「単位もらえたりして」


「大学教育に貢献する気ないねん!」


あかり。


「先生は彩香さん?」


彩香。


「何でウチが講師や!」


澪香。


「講義名は?」


澄香。


「『西川彩香の実践株主総会論』」


美音。


「シラバスに『受講条件・ツインテール禁止』」


彩香。


「誰が開講すんねん!」


麻衣。


「人気出そうです」


「出んでええ!」


あかり。


「私も受けたいに」


「お前はまず議決権の意味から勉強せえ!」


あかり。


「そこから?」


彩香。


「そこからや!」


笑い。


部屋。


いっぱい。


数日前。


彩香は。


人間の弱みを金へ換える男たちの真ん中にいた。


今。


議決権。


ハンコ。


オオアリクイ。


全部。


同じ口から出ている。


少し離れた机。


玲奈。


報告書。


いつもの静かな顔。


だが。


口元。


僅かに。


緩む。


彩香。


即座。


「玲奈さん!」


「はい」


「今笑いました?」


「いいえ」


「絶対笑った!」


玲奈。


「気のせいです」


あかり。


「笑っとったに」


麻衣。


「私も見ました」


迫田ツインズ。


同時。


「うん」


美音。


「私も」


彩香。


「ほら!」


玲奈。


少し。


困ったような顔。


そして。


書類。


置く。


「それより彩香」


「はい?」


「次の任務も」


彩香。


嫌な顔。


玲奈。


「安全第一で」


彩香。


「分かってます」


玲奈。


即答。


「分かってないやろ」


分室。


一瞬。


そして。


大爆笑。


彩香。


「玲奈さんまでオチに参加せんといてください!」


玲奈。


「私は真面目に言っています」


「余計たち悪いわ!」


玲奈。


ほんの少し。


笑う。


彩香。


それを見て。


何も言わなかった。


今度は。


見逃してやった。


銃は。


人を脅す。


金は。


人を縛る。


秘密は。


時として。


その両方より重い。


久我原征一郎は。


何十年も。


人間の秘密へ値段をつけて生きてきた。


黒鷹は。


その秘密を。


企業を動かす武器へ変えようとした。


だが。


最後まで。


値札をつけられないものがあった。


仲間を信じること。


最後まで諦めないこと。


危険な場所へ入った一人を。


必ず連れて帰ること。


議決権は。


銃より重い。


だが。


NSTには。


それより重いものがある。


西川彩香は。


今日も。


師匠に心配され。


仲間に笑われ。


「あのアホツインテールに一万枚ハンコ確認させたる!」


「意味ないですよ」


「大ありや! オオアリクイや!」


「さっきないって言いましたよね」


「細かいこと覚えんな!」


と。


いつものように。


元気にボヤいていた。


その声を聞きながら。


岡本玲奈は。


この日だけは。


口元の笑みを。


少しだけ。


隠さなかった。

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