落ちても、四日市の女は立ち上がる ――神戸映像特区、偽装スタント班に潜む黒鷹
映画では、人は何度でも死ねる。
撃たれる。
殴られる。
階段から転げ落ちる。
車にはねられる。
ビルから落ちる。
そして監督が叫ぶ。
「カット!」
その一言で、死んだはずの人間が立ち上がる。
服についた埃を払い。
水を飲み。
笑いながら次のテイクへ向かう。
虚構の世界では、それが許される。
だが――。
現実の失敗には、カットの声はかからない。
自分で立つしかない。
神戸湾岸部。
海からの風を受ける広大な敷地に、巨大な倉庫のような建物がいくつも並んでいた。
神戸ベイ・フィルムスタジオ。
通称――
神戸映像特区。
神戸は、昔からカメラに好かれる街だった。
海。
港。
煉瓦倉庫。
坂。
洋館。
高架道路。
近代的なビル群。
古い商店街。
少しカメラの角度を変えるだけで、外国にも未来都市にも昭和の港町にもなる。
その地の利を最大限に生かすために整備された大型映像制作拠点が、ここだった。
巨大な屋内スタジオ。
街路を再現したオープンセット。
撮影専用道路。
特殊効果棟。
ワイヤーアクション設備。
車両ヤード。
衣装倉庫。
大道具工房。
撮影用ドローン。
映画。
ドラマ。
CM。
配信作品。
学生映画まで。
朝から夜まで、どこかで誰かが芝居をしている。
華やかなのは画面の中だけだった。
その裏では、数百人の裏方が動く。
照明。
録音。
美術。
大道具。
小道具。
衣装。
特殊効果。
そして。
危険を、安全に見せる人間たち。
スタントパフォーマー。
彼らは転ぶために立つ。
落ちるために登る。
殴られるために間合いを測る。
危険な仕事だった。
だからこそ。
誰より安全にうるさかった。
黒鷹は、その世界へ紛れ込んだ。
兵庫県警が追っていたのは、高性能小型ドローンの制御部品。
暗号通信モジュール。
軍民両用の精密電子機器。
国外へ出れば、金になる。
用途によっては、人を殺す道具にもなる。
だが普通の物流へ載せれば足がつく。
税関。
運送会社。
輸出書類。
監視カメラ。
だから黒鷹は、映画業界を使った。
撮影用ドローン。
ワイヤー制御装置。
カメラリグ。
衝撃吸収器具。
海外ロケへ向かう撮影隊には、見慣れない機材ケースが山ほどある。
その中へ数個、別の物を混ぜる。
外から見れば。
ただの映画機材だった。
ヒロ室西日本分室。
大型モニターへスタジオの構内図が映っていた。
岡本玲奈はいつもの静かな声で言った。
「黒鷹と繋がる人物が、スタント部門に出入りしています」
西川彩香が資料をめくる。
「証拠は?」
「次の海外ロケ用機材へ、対象部品を混ぜると見ています」
「搬出時に押さえる?」
「ええ。ただし、ケースだけ確保しても末端しか取れません」
玲奈は一枚の写真を表示した。
スタントコーディネーターの補助スタッフ。
表向きには何の問題もない男。
「内部で接触先まで追います」
彩香が頷いた。
「潜入は?」
玲奈。
「山本あかり」
彩香が一瞬止まった。
「……あかり?」
「はい」
「あの?」
山本あかりが横から眉を寄せた。
「どのあかりやに」
「一人しかおらんわ」
四日市の突貫娘。
身体能力。
体力。
度胸。
人懐っこさ。
どれも高い。
ただし。
彩香が資料を指で叩く。
「スタントって身体強いだけで務まらんでしょう」
「もちろんです」
玲奈。
「座学、安全管理、殺陣、受け身、ワイヤー。事前研修を行います」
彩香はあかりを見た。
あかりも彩香を見る。
「……何?」
「座学」
「やるに」
「寝んなよ」
「寝えへんに!」
数日後。
研修施設。
講師がホワイトボードへ図を書いていた。
「ここがカメラ。相手がこの位置。実際の拳はここを通す」
あかり。
「はい」
「顔から最低これだけ距離を空ける」
「はい」
「受ける側はカメラから見える方向へ反応する」
「はい」
十分後。
講師。
「ここまで分かった?」
あかり。
「半分ぐらい」
見学していた彩香が額を押さえた。
「半分で現場出んな!」
あかりは真顔だ。
「身体動かした方が分かるに」
講師が笑った。
「じゃあ、やってみよう」
マット。
走る。
転倒。
一回目。
あかりは勢いが強すぎた。
「違う。肩から落ちると痛める。背中全体で受けて」
「はい!」
二回目。
転ぶ。
転がる。
講師の目が変わった。
「今の感じ」
三回目。
完璧に近い。
次。
階段落ち。
あかりは上から下を見る。
「結構あるな」
「怖かったら無理しなくていい」
「怖くはないに」
「勢いで行くなよ。決めた位置で身体を丸めて――」
「はい」
落ちる。
一段。
二段。
三段。
身体が回る。
マット。
停止。
すぐ立った。
講師が眉を上げる。
「……初めて?」
「初めてやに」
ワイヤー。
身体が吊られる。
急激に後方へ引かれる。
普通なら一度目は姿勢を失う。
あかりは宙へ浮いた。
「うわぁ!」
着地。
笑顔。
「おもろい!」
彩香。
「遊園地ちゃうぞ!」
だが。
身体はぶれていなかった。
講師が感心する。
あかりは頭で覚えるのが遅い。
けれど身体は早い。
一度。
二度。
三度。
やれば感覚が残る。
重心。
速度。
床との距離。
自分がどこまで動けば安全か。
身体が勝手に覚えていく。
研修最終日。
ベテランのスタントコーディネーターが、あかりを呼んだ。
「山本」
「はい」
「お前、器用ちゃうな」
「やっぱり?」
「でもな」
男は笑った。
「現場向きや」
あかりが首を傾げる。
「褒めとる?」
「めちゃくちゃ褒めてる」
返事がいい。
指示を守る。
勝手な冒険をしない。
何度同じテイクを頼んでも嫌な顔をしない。
失敗すればすぐ聞く。
手が空けば他人を手伝う。
何より。
疲れない。
「東京来ても食えるぞ」
あかり。
「ご飯?」
「仕事でや!」
通信越しの彩香。
『頼むから潜入先で天職見つけんといてくれ……』
潜入は始まった。
新人スタントパフォーマー兼アクション補助員。
山本あかり。
最初は雑用だった。
巨大マットを運ぶ。
ワイヤーの確認。
小道具の整理。
衣装を運ぶ。
俳優の代わりに立ち位置へ入る。
「あかりちゃん、これ第三へ!」
「はいに!」
「その前にワイヤーリハ!」
「どっち先?」
「ワイヤー!」
「分かった!」
決して器用ではない。
一度に三つ言われれば、一個飛ぶ。
それでも。
「あ、ごめん。もう一回言って」
と素直に聞く。
誰も嫌な顔をしなかった。
むしろ。
「あの子、頼みやすいな」
「返事いいし」
「変に知ったかぶりせえへんから楽や」
「体力だけ異常やけど」
ある日。
四度目の転倒テイク。
ベテランスタントマンが訊いた。
「もう一回いける?」
あかり。
「六回ぐらいいけるに」
「四回で終わるわ!」
現場に馴染むのは早かった。
そして。
人当たりの良さは潜入捜査でも効いた。
昼休み。
紙コップのコーヒー。
大道具スタッフが何気なく言った。
「最近、第三倉庫だけ変なんよ」
あかり。
「何が?」
「撮影予定ないのに、夜中に機材入っとる」
「へえ」
「しかも触るな言われるし」
あかりは身を乗り出さない。
「何入っとるん?」
「知らん。海外ロケ用やって」
別のスタッフ。
「あれ、スタント班の荷物ちゃうやろ」
「何で?」
「管理番号違うもん」
「そうなん?」
ただの雑談。
あかりは賢そうに質問しない。
疑っている顔もしない。
だから。
相手も警戒しない。
その夜。
第三倉庫。
あかりは遠くから管理番号を確認した。
無線。
『玲奈さん』
『はい』
『あったに』
『番号は?』
読み上げる。
数秒。
玲奈。
『一致します』
黒鷹の機材ケース。
海外搬出は二日後の深夜。
県警も待機。
出入口も押さえる。
内通者が接触すれば、まとめて取れる。
彩香。
『あかり』
「はい」
『あと二日。普通に働くだけでええ』
「分かった」
『余計なことせんでええから』
「分かったに」
『誰か知り合い見つけても――』
少し間。
「何?」
彩香。
『……何でもない』
胸騒ぎがした。
翌日。
別のスタジオへ大学生が大勢入ってきた。
学生映画。
自主制作。
低予算。
しかし熱気だけは商業映画に負けていない。
ジャンルは軽快なアクションコメディ。
そして。
その出演者。
明るい色のツインテール。
赤嶺美月。
監視モニターを見た彩香が固まった。
「……」
玲奈。
『どうしました?』
「アホツインテールがおる」
『美月さんですね』
「他に誰がおるんです」
大学の映画サークルから、
「本物の戦隊ヒロイン経験者に出てもらいたい」
と頼まれた友情出演だった。
美月は意外なほど張り切っている。
脚本片手。
学生監督へ質問。
「ここでウチ、悪者蹴るん?」
「蹴るふりです」
「ほんまに蹴った方が迫力あるで」
「絶対やめてください」
「冗談やって!」
その時。
美月が見た。
巨大マットを担いで通る女。
「あれ?」
あかりも見た。
視線が合う。
通信。
彩香。
『見るな』
あかり。
「……」
美月。
「あかり!」
彩香。
『返事すんな!』
あかり。
「あ、美月さん!」
彩香。
「返事したぁ!」
美月が駆け寄る。
「何してんの?」
「仕事」
「何の?」
「スタント」
「ええっ!」
目が輝いた。
「めっちゃ楽しそうやん!」
「結構楽しいに」
『話し込むな!』
彩香の声は耳に入っている。
だが。
美月が止まらない。
そして。
人のいいあかりも止められない。
「ウチ今日アクション映画撮るねん」
「隣で準備しとったな」
「なあ、蹴りってどうしたらカッコよく見える?」
「ほんまに当てたらあかん」
「それは分かる!」
「カメラから見たら当たっとる角度にして、受ける人が上手く飛ぶんやって」
美月。
「え? ウチが凄いんちゃうん?」
「半分ぐらい相手が凄い」
「なんか悔しい!」
二人で笑った。
「パンチは?」
「似た感じ」
「ワイヤーやった?」
「やったに」
「怖かった?」
「おもろかった」
「ウチもやりたい!」
「やったらええやん」
彩香。
『勧めんな!』
「階段落ちた?」
「落ちた」
「どうやるん?」
「こうやって身体丸めて――」
彩香。
『実演すんなぁ!』
気づけば。
五分。
さらに十分。
学生スタッフまで寄ってきた。
「山本さん、すみません。美月ちゃんのアクション、一回だけ見てもらえません?」
あかり。
「ええよ」
監視室。
彩香が椅子から立ち上がった。
「ええよちゃうわ!」
その頃。
第三倉庫。
黒鷹の協力者が、遠くから二人を見ていた。
新人スタント要員。
テレビやイベントにも出る戦隊ヒロイン。
互いに名前を知っている。
親しい。
撮影スタッフからも信頼されている。
男の目が細くなった。
偶然ではない。
そう考えた。
スマートフォン。
短い連絡。
――監視の可能性。
――予定変更。
――今すぐ搬出。
第三倉庫。
シャッター。
ケース。
台車。
ワゴン車。
本来なら。
あかりがそれを見るはずだった。
だが。
あかりは美月に、
「蹴る時は軸足ちゃんと――」
と説明していた。
最初に異常を掴んだのは玲奈だった。
『彩香』
「はい」
『対象ケースが動きました』
彩香の顔から苛立ちが消えた。
「……あかり」
通信。
返事なし。
「山本あかり!」
『はい!?』
「何しとんねん!」
その声で。
あかりの顔が変わった。
美月。
「どうしたん?」
「ごめん、美月さん。またあとで!」
あかりが走り出す。
彩香。
『あとで話す気か!』
だが。
冗談を言っている時間はなかった。
黒鷹のワゴン車。
既に移動。
別班の工作員も撤収。
玲奈。
『このままでは外へ出ます』
あかりは走りながら奥歯を噛んだ。
自分のせいだ。
潜入を忘れた。
知り合いに会った。
嬉しくなった。
話した。
相手に不審を抱かせた。
失敗。
任務を壊しかけた。
通信。
『あかり』
彩香。
あかりは息を切らしながら答えた。
「……はい」
怒鳴られると思った。
だが。
彩香の声は静かだった。
『反省は後や』
一拍。
『取り返して』
あかりの目が上がった。
「――はい!」
そこからだった。
山本あかりは。
考えるより。
走った。
第三スタジオ。
前方。
工作員一人。
撮影用階段を上へ。
普通の通路で追えば間に合わない。
だが。
あかりは知っている。
そこは。
昨日。
何十回も転んだセットだった。
階段の途中。
手すり。
下。
大型マット。
高さ。
距離。
一瞬で身体が答えを出す。
あかりは手すりへ片手。
身体を外へ。
飛ぶ。
黒鷹の男が振り返った。
「何っ――」
落下。
空中で身体を丸める。
着地。
背中。
肩。
腰。
衝撃をマット全体へ逃がす。
一回転。
そのまま膝。
立つ。
止まらない。
走る。
男との差が一気に消えた。
「何なんだお前!」
あかり。
「さっきまで練習しとった場所やに!」
西部劇用オープンセット。
木柵。
大道具。
壊れた荷車を模した障害物。
男は最短で走る。
あかりも。
低い柵。
速度を落とさない。
片手。
脚を振る。
越える。
着地。
次。
箱。
飛び石のように足を置く。
前へ。
スタント研修で教わった動作が。
全部、身体から出てくる。
それまで映画の嘘を成立させるために覚えたものが。
今は。
現実の敵へ追いつくための技になる。
黒鷹の男が大道具通路へ飛び込む。
あかりは追わない。
横。
ワイヤー設備用の鉄階段。
三段飛ばし。
上へ。
金属床。
橋渡し。
反対側。
男が角を曲がる。
その前。
上から。
あかりが降りてくる。
膝を曲げる。
着地。
「どいて」
男が息を呑む。
「戻れ!」
「嫌やに!」
男が拳。
あかりは正面。
避けるより。
入る。
腕を外側へ。
肩。
体重。
男が二歩押し戻される。
もう一人。
横。
あかりは一人目を離す。
二人目の腕を受け。
身体を返す。
背後は高価な撮影カメラ。
そこには倒さない。
スタント現場で何度も言われた。
危険な方向へ人を飛ばすな。
だから。
空いている床へ。
重心をずらす。
男がマットへ転がる。
一人目が再び来る。
あかりが真正面。
「急いどるんやに!」
肩。
押す。
男が大道具の壁際まで後退。
ただし壁へ激突させない。
直前で腕を取る。
床へ。
制圧。
男が叫ぶ。
「お前、スタントマンじゃないのか!」
あかり。
「今日はスタントやに!」
意味は分からない。
本人も多分分かっていない。
だが強かった。
ワゴン車。
さらに先。
車両ヤードへ。
あかりが走る。
途中。
高い撮影用足場。
黒鷹の一人が進路を塞ぐ。
「止まれ!」
止まらない。
相手が突っ込む。
あかりは脇へ抜ける。
肘。
肩。
相手を回す。
そのまま一緒にマットへ落ちる。
一回転。
あかりだけ先に立つ。
また走る。
転んだ。
立った。
飛んだ。
着地した。
また前へ。
息は上がっている。
脚も重い。
それでも。
止まらない。
落ちても、四日市の女は立ち上がる。
失敗した。
だから何だ。
失敗したまま終われば。
それが敗北になる。
立てば。
まだ続きだ。
出口まであと少し。
ワゴン車が急停車。
その前。
西川彩香。
立っていた。
黒鷹責任者が車を降りる。
「どけ!」
彩香。
「嫌や」
もう二人。
車から降りる。
その後ろから。
足音。
「あかり!」
あかりが飛び込んできた。
彩香がほんの僅かに笑う。
「遅い!」
「ごめん!」
「謝るんは後!」
黒鷹三人。
NST二人。
男の一人があかりへ。
あかりは下がらない。
真正面。
受ける。
踏ん張る。
脚。
腰。
体幹。
押し返す。
四日市の突貫娘。
細かい駆け引きはいらない。
前へ行く。
行くべき場所が決まれば。
誰より真っ直ぐ。
男が横へ逃げる。
あかり。
「彩香さん、そっち!」
「分かっとる!」
彩香が踏み込む。
拳。
外す。
腕。
肩。
一気に重心を落とす。
播州の烈火。
あかりが陣形を壊す。
彩香が火を入れる。
一人目。
床。
二人目。
あかりへ。
拳。
あかりは腕で受ける。
男が続けて押す。
あかりは歯を食いしばる。
「今日な」
さらに踏ん張る。
「いっぱい転んだから」
男の腕を掴む。
「もう転ぶん慣れたに!」
一気に押し返す。
男。
「何言ってるんだ!」
あかり。
「私もよう分からん!」
彩香。
「戦闘中に自己申告すんな!」
それでも。
彩香は笑っていた。
ほんの一瞬。
あかりが戻ってきた。
いつものあかりだった。
黒鷹責任者がケースを抱えて走る。
「あかり!」
「はい!」
あかりが側面へ。
責任者は彩香を避ける。
だが。
その先。
あかり。
「もう終わりやに」
右。
あかり。
左。
彩香。
責任者が彩香へ突進。
彩香の表情が消える。
「うちのあかりに」
拳。
外す。
「随分走らせてくれたな」
腕。
取る。
男が振り払おうとする。
彩香がさらに踏み込む。
「人の撮影所まで密輸倉庫にして」
肩を返す。
「ええ加減にせえ!」
床。
責任者の身体が崩れる。
ケースが滑る。
あかりが拾う。
大型ゲート。
開く。
兵庫県警。
捜査員が一斉に入る。
中央。
岡本玲奈。
「そこまでです」
黒鷹工作員。
協力者。
一斉確保。
ケース。
開封。
高性能ドローン制御部品。
暗号通信モジュール。
偽造輸出書類。
取引記録。
全部あった。
任務成功。
ぎりぎり。
だが。
取り返した。
あかりはケースを見下ろした。
「……ごめんなさい」
玲奈が見る。
「反省はしてください」
「はい」
「ただし」
玲奈は静かに続ける。
「失敗に気づいた後、自分を責めて動けなくなることの方が危険です」
あかりが顔を上げる。
「よく取り返しました」
「……はい」
横。
彩香。
「まあ」
あかりを見る。
「戻ったら説教やけどな」
あかり。
「やっぱり?」
「当たり前やろ!」
――数日後。
ヒロ室西日本分室。
中央。
椅子。
山本あかり。
その真正面。
西川彩香。
周囲。
麻衣。
美咲。
美音。
迫田ツインズ。
少し離れて玲奈。
完全に。
公開説教だった。
彩香。
「山本あかり」
「はい」
「任務中」
「はい」
「アホツインテールに発見されても」
「はい」
彩香は人差し指を立てた。
「無視は徹底!」
あかり。
「でも――」
「でも禁止!」
「まだ何も言ってへんに」
「言うこと分かっとんねん!」
麻衣が横を向いた。
既に笑いそうだ。
あかり。
「美月さん、声かけてきたのに無視したら傷つくやん」
彩香。
「ほらそれや!」
「挨拶は大事やに」
「潜入任務の方が大事や!」
「それも分かっとる」
「分かっとって十分以上アクション談議したん誰や!」
あかり。
「私」
「素直に認めんな!」
美咲が穏やかに口を挟む。
「あかり、かなり反省してますよ」
彩香。
「それは分かっとる!」
あかり。
「次は気をつけるに」
彩香が念を押す。
「ほんまやな?」
「うん」
「次、美月さんが遠くから『あかりー!』って叫んでも?」
あかり。
「……」
三秒。
彩香。
「何で考える!」
「手ぐらい振るんは?」
「振るな!」
「会釈?」
「すんな!」
「笑顔だけ?」
「笑うな!」
「目だけ合わせる?」
「見るな!」
あかりが困った。
「難しいに……」
彩香。
「黒鷹よりアホツインテール回避する方が難しいみたいに言うな!」
麻衣。
「でも美月さん、あかり見つけたら向こうから来ますよ」
彩香。
「麻衣まで擁護せんで!」
澄香。
「大声で」
澪香。
「かなり遠くから」
彩香。
「状況再現せんでええ!」
一同が笑う。
説教は。
一応終わった。
と思った。
彩香が腕を組む。
「あとな」
美咲。
「始まりました」
彩香。
「何が!」
麻衣。
「いつものボヤキ」
「いつもの言うな!」
彩香の矛先が。
今度はその場にいない美月へ。
「あのアホツインテール、エエ加減にせえよ!」
あかり。
「美月さん何も悪いことしてへんに」
「知っとる!」
美音。
「大学映画の撮影に来ただけですよね」
「知っとる!」
澪香。
「あかりを見つけたのも偶然」
「それも知っとる!」
澄香。
「アクションの話を十何分もしたのはあかり」
彩香。
「そこはもう怒った!」
あかり。
「ごめん」
「もうええ言うてるやろ!」
あかりは少し考えて。
「美月さんも怒る?」
彩香。
「本人おらんのにどうやって怒んねん!」
「LINE?」
「せえへんわ!」
麻衣。
「じゃあどうするんです?」
彩香が止まる。
考える。
嫌な予感。
全員がなんとなく待つ。
「決めた」
麻衣。
「来ましたね」
「何が来たんや!」
彩香は宣言する。
「あのアホツインテール、次スタジオ来たらな」
あかり。
「うん」
「巨大スタントマット百枚」
美音。
「百枚?」
「朝から晩まで、全部裏返させたる!」
沈黙。
美咲。
「……何のために?」
彩香。
「知らん!」
麻衣。
「意味ありますか?」
彩香。
「ない!」
あかりが吹き出した。
「ないんや!」
「あるわけないやろ!」
澪香。
「百枚終わったら?」
彩香。
「また表に戻させる!」
澄香。
「終わらないよ」
「終わらんでええ!」
美音が笑う。
「美月ちゃん、三十枚目くらいで疲れてマットに寝そう」
麻衣。
「『もう無理ー』って」
あかり。
「そのまま昼寝するに」
彩香。
「罰にならへんやん!」
美咲。
「スタントマットなら寝心地も悪くなさそうですね」
「快適な昼寝場所提供するために罰考えたんちゃう!」
迫田ツインズが笑う。
あかり。
「起きたらまた裏返す?」
彩香。
「起きるまで待つんかい!」
「寝かせたったらええやん」
「何でウチが面倒見んねん!」
麻衣。
「美月さん、喜びそうですね」
彩香。
「喜ばす気ないねん!」
もう。
説教なのか。
美月の昼寝計画なのか。
誰にも分からなかった。
少し離れた席。
玲奈は報告書を読んでいる。
無表情。
いつもの冷静な玲奈。
ただし。
口元だけ。
僅かに。
緩んでいた。
彩香が振り返る。
「玲奈さん」
「はい」
「今、笑いました?」
「いいえ」
「絶対笑った!」
あかり。
「笑っとったに」
玲奈があかりを見る。
「あかり」
「はい」
「今回のスタントチームから連絡がありました」
彩香の顔が嫌そうになる。
「……嫌な予感する」
玲奈。
「正式にスタッフとして誘いたいそうです」
あかり。
「ほんま?」
彩香。
「喜ぶな!」
玲奈は文面を読む。
「『器用ではないが、非常に現場で使いやすい。体力、素直さ、周囲との協調性も高い』」
あかりの顔が明るくなる。
「めっちゃ褒められとる!」
彩香。
「そこはちゃんと褒められとる!」
「行ってみよかな」
「山本あかり!」
あかりが笑った。
「冗談やに」
彩香は胸を押さえた。
「心臓に悪いわ!」
麻衣。
「でも似合ってましたよ」
美咲。
「身体能力をそのまま生かせますからね」
美音。
「映画にクレジット載るかも」
迫田澪香。
「山本あかり、スタント」
迫田澄香。
「格好いいね」
彩香。
「転職相談会始めんな!」
あかり。
「でも楽しかったに」
彩香が止まった。
あかりを見る。
少しだけ。
声が柔らかくなる。
「……それはええけど」
「うん」
「次は任務忘れんな」
あかり。
「はい」
今度は。
迷わず答えた。
スタジオでは。
今日も誰かが落ちる。
階段。
屋根。
車。
壁。
マット。
誰かが殴られたふりをする。
誰かが吹き飛ばされる。
誰かが転がる。
監督が叫ぶ。
「カット!」
すると。
倒れていた人間は立ち上がる。
笑う。
次のテイクへ向かう。
落ちないことが。
強さではない。
一度も失敗しないことでもない。
転んだ時。
失敗した時。
そこで終わりにしないこと。
山本あかりは。
一度、任務を失敗しかけた。
人が良すぎた。
美月と話し込んだ。
任務を忘れた。
黒鷹を逃がしかけた。
だが。
その瞬間。
誰より速く走った。
飛んだ。
転んだ。
受けた。
立った。
また走った。
研修で覚えたものを。
一つ残らず使った。
そして。
自分で崩しかけた任務を。
自分の手で取り返した。
器用ではない。
理屈に強くもない。
だが。
前へ出るべき時を知っている。
その時だけは。
誰より迷わない。
四日市の突貫娘。
落ちても。
立つ。
また落ちても。
また立つ。
立てる限り。
まだ負けではない。
そして今。
ヒロ室西日本分室。
「あかり! 次、美月さん見つけても無視やで!」
「プライベートなら話してええん?」
「任務中の話や!」
「ほな普通に遊ぶ時はええんや」
「当たり前や!」
「スタントの話も?」
「プライベートなら好きなだけせえ!」
「良かったに」
「何をそんな安心しとんねん!」
麻衣。
「彩香さん、結局優しいですね」
「どこがや!」
美咲。
「美月さんとの会話は禁止しないんですね」
「任務中だけや言うとるやろ!」
あかり。
「ほな今度美月さんと映画見に行くに」
「勝手に行け!」
「彩香さんも来る?」
「何でウチまで!」
迫田ツインズが笑う。
美音も笑う。
玲奈も。
ほんの僅かに。
笑っていた。
映画は。
虚構を本物に見せる。
NSTは。
本物を誰にも見せない。
その違いはある。
だが。
一つだけ。
同じことがあった。
転んだ人間が。
もう一度立ち上がる瞬間は。
どんな派手なアクションより。
格好いい。




